懇親会の重要性
タイクツナゴゴ、2025年4月19日。
今日はですね、地元の地域のですね、小学校のPTAの総会がありまして、そちらは妻が出たんですけれども、
夜に、まだ田舎の地域ということでですね、
間奏芸会というのが残っておりまして、学校に新しく見える先生と、それから退任される先生を囲んで、
保護者と一緒に食事、お酒を飲んだり食事をしたりして、いろいろなお話をするという懇親会がまだ続いております。
コロナの時に、亡くなりそうだったんですけどね。
その時に私、PTAの会長をやっておりまして、できれば何とか続ける方向でという話で、
残したというところの経緯がありまして、
街部のね、都市部の学校では考えられないっていうところも今あるのかなと思うんですけど、
やっぱりね、こういう田舎の学校においては、いろんな考え方がありますから、虚勢ではないんですけれども、
大事な一面もね、になってるのかなと。
やっぱりこう腹を割っていろんな話をしたり、自分の家の話、
先生の中にはね、今年結婚をした先生もお見えになって、おめでとうと言ってみたりですね。
まあ、いろんなお話を、プライベートの話もしてみたりする。
まあ時代と逆行と言われちゃうと、そのまま逆行しているようなものかもしれないですけど、
でもそれが残っているっていうのが、こういう田舎の地域の一つの良さだったりもするのかなということはね、少し思います。
私もね、いろいろお世話になった先生、娘がね、お世話になった先生もいてお話をしてたんですけど、
途中からですね、生ビールはね、お店のカウンターに持っててお代わりをしていたんですけど、
そこで今年で退任される教頭先生と、新しくお見えになった先生と、去年の会長とね、たまたま言い合わせてですね、
まあそこでいろいろな話をしてました。
この今私のいる地域の小学校、中学校っていうのは、人が少なくなってきたがために、
党背後の動きっていうのがすごく強まってまして、
でもそういう動きもね、考える選択肢の一つとしてはいたしかたない部分もあるんですけど、
それ以上に少ない中でどうしていくかとかね、
例えば昨日話をしていたのは、運動会っていうものをいろいろ町内の学校一緒にできたら、
それも一つの交流にもなるし、現場の人たちも大変かもしれないけれども、
形さえ作ってしまえばね、準備をする人数も増えるし、片付けする人数も増えるし、
手分けをしていけばね、いろいろなことができるんじゃないか、
弾力的な持っていき方をすることで、より質の高い価値の高いものになるんじゃないかとかね、
中学旅行も一緒に行けば、そこで交流も踏まれるし、
全部が全部一緒じゃなくても、全体で動くところ、各学校で動くところっていうふうにしたりとかね、
あとはもう、中学旅行に行くと、保健の先生がついていかなきゃいけないんですけど、
そのついていく先生も、例えば4つの学校があったとしたらね、
普通であればそれぞれの学校で、すべての予教の保健の先生が、
ついていくと、学校にはいってしまった保健の先生がいない期間っていうのが生まれるんですけど、
そういうものが、4つの学校のうちの代表の1校だけで済んで、
しかもそれがね、持ち回りでやっていくというような形っていうのを取ることで、
人的なね、リソースを割かなくて済むっていう部分においてもね、
有効なことじゃないのかなぁとかね、
いろんなことを考え方1つでやっていけるんじゃないかというようなお話をね、
思案を京都先生とお話をしていたわけですけれども、
都各田舎の学校っていうものは、町場と比べると人数が少なくて寂しいって思われたりするんですけど、
だからこそ工夫次第でもっとよりよく魅力的なね、価値の高いものになっていくんじゃないのかなっていうことを、
個人的には思って、そんな話ができたっていうのも非常に個人的には良かったかなというふうに思います。
あんまりね、ただ言いすぎると、ほらうるさい保護者になっちゃうんでね、
そのあたりは人を見極めながら、場面を見極めながらですけど、
こういった話ができるっていうことでもね、1つ。
この乾燥芸会というかね、懇親会っていうものは、
うちの田舎の地域においてはまだまだね、やる価値のある行事なのかなということを思いました。
教育現場の工夫
久しぶりに飲んだのでね、ビール3杯、生中ですけど3杯が限界でしたね。
もうちょっと帰ってきて、本当はね、家の仕事もやってって言われてたんですけど、無理ですね。
ということで、寝落ちした明けた朝に収録しておりますけど、今から家の仕事を片付けます。
では。