1. 畑と読書チャンネル
  2. 高校時代の恩師に感謝を伝えた話
2023-08-12 16:18

高校時代の恩師に感謝を伝えた話


---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6347a5a40cee2a08cae3de5b
00:07
こんばんは、もとです。
今日はですね、恩師に会ってきた話をしたいと思います。
ちょっともしかしたら長くなるかもしれません。
会ってきた恩師というのは、高校3年生の時に赴任された先生で、
私はですね、ずっとバレーボールをやっていまして、そのですね、引退する年の4月に来られた先生なんですね。
なので、実際にバレーボールの指導としてしてもらったのは、3ヶ月間だったんですね。
それからですね、20年弱経ちまして、その間に1回だけですね、同期との飲み会に一度先生が来てくれたことがあって、
それももうですね、コロナ禍になる前だったので、もう相当前かなと思いますね。
そんな先生が今年ですね、定年退職を迎えるということで、私の台から始まって、
大体10個下ぐらいまでの人たちですね、総勢50何名って言ってましたね、が集まってお祝いをしてきました。
お祝いという名の同窓会みたいな感じですよね。
鹿児島の郷土料理がおいしいお店でしたね。
と言ってもですね、私はずっとビールしか飲んでなかったんですけど、焼酎は飲まずにですね。
で、みんなそれなりに変わってましたね。
もう30代後半になると、やっぱね、みんなおじさんになってくるんですよね。
でですね、若い人だと26、7っていう人たちもいまして、本当全然知らないんですよね。
卒業してからOBとしての付き合いっていうのは、私は全然してこなかったんですよね。
それも今回の話にちょっと関係してくるんですけど、私はですね、この先生に関しては、
そのですね、数年前に一回会った時に、先生がポロッと話の中で言った言葉で、
すごく救われたですね、時を経て、もう時ものすごい経てたんですけど、ものすごい救われた言葉があって、
もうそれをですね、どうしても今回は先生に感謝を伝えたいなって思ってたので、
どうにかして参加しようと思っていて、急遽ですね、墓参りも頑張って朝早くからスタートして参加してきました。
で、その先生の言葉っていうのは、私はですね、バレーボール部に関しては、
立場としては全然ですね、キャプテン・副キャプテンでもないし、エース・スパイカーとかでもないし、
ただの補欠だったんですね。補欠の部員だったんですね。
03:01
それもですね、別に下手ではなかったと自分では思っているんですけど、やっぱりその時強かったんですよ、高校が。
ベスト4に入るぐらいの高校で、なおかつ、バレーボール部に関しては、
中学校の県の選抜チームから来た人ばっかりでですね、そんな中に万年一回戦負けのチームから来たら、
それは目が出ないのは当然なんですけど、それでもですね、それなりに私なりに2年と3ヶ月、
必死に頑張ったんですね。高校入学が決まって、その、
入学する前の3月の合宿から、春休みからですね、参加させてもらって、
圧倒的にフィジカルが足りないということに気づいて、めちゃくちゃですね、毎日ランニングと筋トレとこなして、
その入学して最初の夏の合宿までの、
6、7、6、6キロ、7キロぐらいは増量してしたぐらい、かなり頑張ったんですね。
でもやっぱりバレーボールの技術というのはそんなに簡単につくものじゃないので、
自分の体重を増やして、その体重を増やして、
その体重を増やして、その体重を増やして、
その体重を増やして、その体重を増やして、
でもやっぱりバレーボールの技術というのはそんなに簡単につくものじゃないので、
全然みんなには及ばなかったんですけど、
でもそれなりに頑張ったけどもやっぱり認められなかった。
外部コーチの人とかにもですね、めちゃくちゃ厳しくされたんですよね。
もちろんね、今でこそありえない話ですけども、
ビンタバシバシされててですね、往復ビンタ、いろんな人からされましたね。
顧問、外部コーチ、あとは外部コーチの補佐役みたいな人からもですね、
ビンタされたりしてですね、まあきつかったんですけど、
でもね、そんな経験もですね、本当今となってはですけど、
もう20年近く経ったらもう本当にですね、思い出ですよね。
笑って話せるんですね、同期と。
あのービンタされたねーって言って、
あの人のビンタただ痛いだけだったんだみたいな。
この人のビンタは音はすごいんだけど、
なんかこうね、痛みがスッと引く感じなんだよねとか、
なんかそんなね、話もできるぐらいに思い出になってたんですね。
で、私はですね、バレエ経験としては、
その選抜で来てた人たちと変わらないぐらい長いことやってたんですよ。
でもやっぱり中学校がそんなに強くなかったっていうこともあって、
なかなかですね、機会に恵まれない。
まあもちろん、自分の実力不足はもちろん前提なんですけど、
環境にもそこまで恵まれていなかったし、経験値も低い。
なのでずっとですね、引退するまでもずっとですね、
こう、劣等感みたいなものはずっと感じてたんですね。
で、卒業してからも、私はですね、不完全燃焼だった。
あの同期の人たちはですね、
06:00
もうバレーボールは10年ぐらいやったから、もういいやって言って、
卒業して一時しなかったような同期もいたんですけど、
私はですね、とにかく不完全燃焼だったので、
専門学校に入ってもすぐバレーブに入って、ずっとですね、バレーしてましたし、
それでも足りずに就職して、すぐですね、社会人のチームを探して、
いろんなところに行ってみて、結局なかなかこう合わなかったので、
最終的に自分のチームを作って、そのチームもですね、11年ぐらいずっと、
ついこの間までやってたんですね。
で、それぐらい高校の時のバレーボールのなかなか日の目を浴びることができなかった、
不完全燃焼だったっていうのが、ずっと引いてたんですね。
で、その同期の集まりも行った時はですね、ずっと行ってなかったんです。
なんかこう、会いたいんだけど、なんかその場にいたくないっていう気持ちが少しあって。
で、それってどういうことかっていうと、
あの大会の時の、あの時はこうだったよねとか。
でも、私はもちろん試合に出てなかったので、全然そういうのは分かんないんですよ。
ベンチから見てたとか、もしくは応援席から見てた記憶しかないので、
そういう話全然入れないんですね。
なので、なんかこう、みんなには合わなかったと思うんですよ。
で、その試合に行った時は、
そういう話全然入れないんですね。
なので、なんかこう、みんなには会いたいんだけど、なんかその場にいたくないっていう気持ちがずっとあって。
本当にですね、卒業して、今これこれ19年ぐらい経ってますけど、
3回ぐらいしか飲み会、あの正月にね、いつも飲み会してるんですけど、
3回ぐらいしか行ったことなくて、
もう一つの理由として、ちょうどですね、
妻と私とそれぞれの実家の方に寄生してて、
飲み会があるからって帰りにくかったのもあるんですけど、
本当それぐらいでしたね。
で、毎年ですね、そこの高校は初打ちって言って、
正月にですね、OBも集まってバレーボールするんですね。
で、そこの場にも1回も行かなかったですね。
何回か誘ってくれたんですけど、もう1回も行かなかったんですね。
なんかどうせみんなすごいバレーの面々で、みんなこう知ってる者同士、
やっぱ名の知れたプレイヤーって下の世代とかでも語り継がれたりするじゃないですか。
なので、なんかそういう空気もやっぱどっかで嫌だったんですね。
で、そんなのがあってずっと避けてたんですけど、
数年前にその恩師の先生、ちょっと話戻しますけど、
先生がぽろっと飲み会にね、途中から参加してくれた時に、
なんかこうでこうでこうでって言って、話の流れで、
私のですね、上手かったじゃんかみたいな、頑張ってたよねって言って、
あいつはなんか、俺だったらここでこうしてこうして、
あいつ、僕をですね、私をここでこう使ってみたいなことをサラッと言われたんですね。
で、あっと思って、この先生はたった2、3ヶ月の短い間で、
09:02
自分のやってきたことを認めてくれた、そのバレーボールプレイヤーとしては
そこまで目が出なかったけど、
やっぱり見ててくれたんだっていうのがものすごく嬉しくて、
その前の先生はですね、口数少ないおじさんって感じで、
パッと怒ってパッと引くっていう感じの先生だったんですね。
口数も少ないからそんなにね、褒めることもないし、
怒ることも、まぁ怒ることはあったんですけどね。
で、外部コーチもただただ厳しい。
ほんと厳しかったんですよね。異常なぐらい厳しい人で、
もう怒鳴られてた経験しかなくて、
まぁねちょっと脱線しますけど、
一回そのですね、ありえない外部コーチのエピソードとして、
いろいろあるんですけど、私は個人的に受けたものとしては、
ある練習試合で私がですね、なかなかスパイクを決めきれずに
いた時に、名前呼ばれて、
はいって言ったら、声出しーって言われて、
で、舞台からですね、2面貼れる、バレーコートが2面貼れる体育館って
端に舞台があって、入り口近くに教官室があったんですね。
で、私はですね、その舞台から、スパイクカーはですね、
セッターにですね、トスを上げる人に、
ボール持ってこーいって、トス持ってこーいって言うんですよ。
で、それはですね、持ってこーいの言葉をですね、
ひたすら大声で叫ばされて、声が小さいっていうその指摘でですね、
その声が小さいと言われて、
ひたすら大声で叫ばされて、声が小さいっていうその指摘でですね、
そのコーチは、聞こえん聞こえんって言って、
聞こえんぞーって言いながら、どんどんどんどん離れていって、
最終的にですね、教官室の中まで椅子を持って入っていって、
最終的には、教官室のドア閉めちゃうんですよ。
閉めて、閉めた上で、聞こえーんって言うんですよ。
当たり前だろうと思うんですけど、
でも、そのコーチの声は聞こえるんですよ。
だから、やっぱり自分の声が小さいのかと思いながら、
でもですね、いいって言われるまで、
持ってこーい、持ってこーいって叫び続けてましたね。
なんかその時はですね、なんだこの人はって思ってたんですけど、
いまだに、なんだこの人はですよ。
同期の中でも、あの人はありえなかったねって。
実績はすごいけど、あの人はやっぱちょっとありえないねっていう話だったんですね。
ちょっと話戻しますけど、それでその恩師の先生ですね、
私が救われたというか、
ふと心が軽くなった言葉をもらってて、
その時は、あ、嬉しいって、単純に嬉しいって思って認めてもらってたんだって、
見ててくれたんだっていうのを思っただけだったんですけど、
そこからですね、何年かな、4,5年ぐらい経ったんですね。
で、今回、そのですね、先生のお祝いをするってなった時に、
いろいろこう、今までどんなことあったかなって、振り返ってたら、
あ、そういえばあの言葉をもらったなって思って、
それからですね、同期の中のLINEでもですね、結構積極的に
12:00
こう、みんなとやり取りするようになったような気がするし、
社会人の試合で同期と会うこともちょこちょこあったんですね。
で、その時も、あ、久しぶりーって言って、
もう終わってたんですよ。やっぱりなんか、どこかで何か自分の中であったので。
だけど、そのぐらいから、そういえばなんか、自分から声かけに行って、
話したりするようになってたなーとか、なんかそういうことを思い始めたらですね、
あ、どうしてもこの先生に会って、一言この思っていることを伝えたいなと思って。
で、結局伝えたのがですね、二次会の店のちょっとした待ち時間の時にですね、
先生が喫煙所にいて、ちょっと話せる機会があったので、
あ、先生って言って、実はこうでこうでこうでって言って、
まあ、こう思ってたんですっていうのをどうしても伝えたくてっていうのを言ったら、
まあ先生はですね、そう言ってくれたのがもうすごく嬉しかったっていうのは言ってくれたんですね。
さらに、そんなの当たり前だろうって。
そんなね、バレエでいくら結果を残そうが、そんなのただの部活に過ぎないんだからって。
そんなね、人生において、まあ何でしょうね、勉強だったり、スポーツだったり、家庭のことだったり、
それ以外のことだったり、いろいろあるじゃないですか。
やっぱ高校生ってそんな余裕、周りを見る、周り見れないですよね、広い視点で。
ですからまあ、当然なのかもしれないんですけど、その時はもう本当に私の中でバレエボールが全てだったので、
バレエで結果を残せなかったら、もう自分はダメなんだってすごく思い込んでたところがあったので、
だからなんかこうやってですね、自分の思っていたことをもう、
先生と話すことができて、すごく良かったなって思いましたね。
そしてなんとですね、その先生が今、再雇用かな、臨時採用かな、そんな感じで、
教員としてまたですね、現場復帰されるということで、しかもですね、隣町なんですよね。
隣町って言っても、車でですね、15分ぐらいで行けるぐらいの距離感だったんですよ。
なので、また飲みに行こうって言ってもらって、すごく嬉しくて、
でですね、帰り際にどうしても先生に名刺渡しておこうと思って、名刺を準備して、
先生がタクシーに乗った瞬間にですね、先生、また連絡くださいって言って、飲みに行きましょうって言って渡して、
ありがとう、これ携帯だよなって言って、はい、携帯ですって言って渡したんですけど、
後で確認したんですけど、その時に先生が、
ありがとう、これ携帯だよなって言って、はい、携帯ですって言って渡したんですけど、
後で確認したら、職場の連絡先しか載ってなくて、しまったなって思った話でした。
まあ、普通に電話番号知ってるので、全然連絡が取れるからですね、問題ないんですけどね。
ちょっとそんな失態を、あまりに嬉しすぎて、恥ずかしかったということでした。
最後にですね、今日筋トレして食事、今終えたんですけど、
15:01
今日のメニューですね、あげていきたいと思います。
今日はですね、本当はですね、プロテイン、夜なので飲もうと思ってたんですけど、
ちょっとですね、いろいろもらったものが多くて、まずは豆腐。
これがですね、3個パックの1つぐらいの量のやつですね。
なんか豆腐屋さんの豆腐みたいなのを、妻の実家の近くのスーパーでいつも売ってるんですね。
そこの豆腐をもらってたので、だいたい1丁かな、3分の1ぐらいを今食べました。
そして豚の生姜焼きをちょっと、そしておにぎりをですね、小節サイズぐらいですかね。
そして野菜サラダに、あとはちょこちょこと残っていたおかずを食べましたね。
筋トレは今日はスクワットですね。
腕立て生はちょっとまだ筋肉痛が残っているので、今日はスクワットにしました。
本当は今日、久しぶりに台風後初めての脳作業をしてきたので、
ちょっとその話もしたかったんですけど、長くなりそうなので、一旦ここで終わります。
では最後まで、たくさん聞いていただいてありがとうございました。
16:18

コメント

スクロール