今回、胡椒と今回の大冒険ということで、前回までが胡椒の
大将 大丈夫、ちゃんと一回まとめましょうか。なんで胡椒がそもそも菌と同じぐらいの価値を持っていたのか
一粒の胡椒と同じサイズの菌が同額で取引されていた。とんでもない金額ですよね。
この理由は何かというと、松本って調味料としての価値が非常に高かった。
そんな馬鹿なと思ったけど、実際に人々は調味料としての価値を感じていたらしいということを一つ見てきました。
だからペストが流行っていたこともあって、薬としての価値を感じていた。
そして肉を食べるために保存料としての価値も感じていた。
これだけ価値があるにもかかわらず、遠くインドから陸路で運んでくる物流コストが高くて値段がどんどん跳ね上がっていった。
そして間にオスマン帝国という巨大な強い国があったせいで、なかなか廉価で仕入れることができなかった。
結果としてめちゃくちゃ高くなってきた。
このオスマン帝国が、前回あまり言わなかったんですけど、詳しく話しても関係者に興味ない人には意味がないので、
とんでもなく強い国があって、西に向かってどんどんどんどん国を攻めてきていると思ってください。
今で言ったらどこの国だろうね、隣の国かどっかの国が日本をガンガン侵略して攻めようとして戦争を仕掛けてくるわけですよ。
しかも自分たちよりも明らかに強い国ですね。めっちゃ怖いわけですよ。
だから反対方向に逃げましょうという意味もあって、反対方向に故障を求めて出ていくと。
南側にアフリカ大陸がありますよね。ここをぐるっと回っていけばインドから直接故障を仕入れられるから、
オスマン帝国の脅威からも逃れられてハッピーだねということで、ヨーロッパの西の端っこにあるポルトガルとスペインが海に乗り出すスタートを切っていったというところまでお話をしました。
ここから先世界がどうなっていくのかっていうと、今回のお話を聞いていただいてる皆さんにちょっとお断りをしなきゃいけないんですけど、
今回はがっつり世界史の話が強くなります。世界史の話あんまりしてもしょうがないかもしれないんだけど、ここを分かっておくと、
他の植文化がどう交流していったのかとかが非常に鮮明になってくるので、今回はこれを分かっておいていただけるといいなと思ってます。
さてスペインとポルトガルがインドを目指して航海に出てくるわけですけど、ここでとても有名な人が多大なる影響を与えます。
その名もクリストファー・コロンブス。聞いたことあるでしょ? 聞いたことある。
コロンブス。何やった人? アメリカ発見した人?
そうね。たぶん僕らの時代の社会の教科書にはアメリカ大陸発見と書いてあるね。
違うね今。 今はその表現の仕方はあまりにもヨーロッパ人中心すぎると。
ヨーロッパ中心すぎる? それこそアメリカ大陸にもともと住んでいた人たちからすると発見とは何事だと。
確かにそこにあったからね。 そう。俺たちは1万年以上ここに住んでるんだと。
なのにお前たちは発見ってどういうことだと。ということでアメリカ大陸到達という表現に今変わってるらしいですよ。
到達ね。 そう。フラットな目線でね。
何せよヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達するきっかけを作ったのはコロンブスというふうに言われています。
なのでこのコロンブスという人は実はアメリカ大陸到達だけではなくて食文化に多大なる影響を与えた人。
コロンブスが。 コロンブスが。本人全く自覚ないと思うんだけど。
ないだろうね。 この人はもうひたすら探検ばっかりしてる人なので。
ああそうなんだ。 でも実はその食の目線で見ていくと世界中の食文化に多大なる影響を与えた一人であることは間違いないと思います。
コロンブスが成し遂げたことの一つはこれね胡椒を探しに行って胡椒じゃないものを見つけたせいで変わっていくんだけどそれがまず唐辛子ね。
唐辛子。 だからコロンブスがアメリカ大陸発見のきっかけを作ってなかったらなんならキムチないよね。
キムチがない。 韓国にキムチが到達しないとキムチは発生しないですよね。
ああそういうことか韓国にはなかった。 韓国にはもともと唐辛子は存在しません。そうなんですよ。
大料理が唐辛子でめちゃくちゃ辛いでしょ。あれもないんです。コロンブスが南米の方に行ったからこそあっちの国が辛くなっていく。
南米にしかなかった。 もともと南米大陸原産でそこから外に出ることはなかったので。
じゃあそこから韓国までどうにかこうにか伝わって韓国で辛いものが食べられるようになったそういうことです。
当時の韓国、韓国というか朝鮮半島ですねは辛いものが食べられていませんでした。
じゃあ唐辛子は南米にしかなかったの世界的に。 そういうことですそういうことです。
じゃあアジア圏にはなかった。 なかったです。結構知られてないよねこれね。
それは知らない。インドとかかと思ったこれまでの流れ的に。
これはまた全然違うところから来るんですよ。同じように南米大陸にしかなかった食べ物として有名なのはジャガイモ。
ジャガイモ。 今ねドイツではジャーマンポテトと言ってジャガイモが欠かせませんけど、
この大航海時代でコロンブスが南米大陸に行かなかったらジャーマンポテトはないわけですよ。
すごいね。 あとイタリア料理ね。イタリア料理といえばトマトじゃないですか。
トマトトマト。 トマトもアンデス原産なので大航海時代を迎えるまではヨーロッパにトマトないですから。
ちょっと待ってアンデスってどこ? 南米大陸。ペルーの辺り。
ペルーの辺りにある。 なので実際そこの場所までコロンブス本人は行ってないんだけど、
この人が南米大陸到達のきっかけを作ったせいで世界中にジャガイモやトマトや唐辛子あとトウモロコシねこういったものが広がっていくと。
かなりの数。 かなりの数。 ってかメジャーな野菜だよね。
かなりメジャーですね。世界の穀物野菜の生産量別でいくと1位の麦、第2位がトウモロコシ、第3位米、第4位ジャガイモですから。
ほとんどじゃん。 コロンブス様々というとちょっと語弊があるけど、きっかけになったわけですね。
そういうことなんだね。 ということで、前回かな番外編の時に平賀元内とウナギの話をちょろっとしましたけど、
コロンブスさんもわりとこの食文化の世界では重要人物の一人と言っても過言ではないので、
あえて今回は食から若干離れてですね、このクリストファー・コロンブスという人はどういう人だったのかを軽くやっておこうと思います。
コロンブスの話に行くんだね。 全然食と関係なくなっちゃうけどね。
まあでもコロンブスちょっと面白そうだけどね。 ちょっと変わった人ですね。
この人は1451年にジェノバで生まれます。今のイタリアですね。
ちなみにこの1451年っていうのはコンスタンティノープル陥落の2年後、前回出てきましたね。
オスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼした翌々年に生まれてると。かなりの混乱期に生まれてるわけですね。
ジェノバというのはもともと商人の街、商売立国してるちっちゃい都市国家ですね。ここの毛織物職人の息子として生まれました。
職人の息子。 多分この人職人制あんまりやってなくて、どっちかというと商人として活動する期間が長かったみたい。
ジェノバっていうのは船で交易をしている街だったので、その商船に乗り込んで取引をするところに加わっていたらしいですね。
当然この頃東側にはオスマン帝国が来ていますので、交易が閉ざされていますから、
ジェノバからポルトガルやスペインに対して交易をするのが中心の商売になってきます。
その影響もあって1480年29歳の時にコロンブスはポルトガルに移住します。
結構な距離どうしたの? 船で普段から往来してるからね。
ああそういうことなのか。 行った先に定住しちゃったみたいな感じです。
街は今の首都ですねリスボンに定住をして、何をしていたかというと公開紙としての仕事をしながら弟と一緒に地図の製作販売をしてます。
地図の製作? そう、地図の製作をしてる。なんでかね、やっぱり船乗りだったからかな。また兄弟で仕事してる。
うちみたいだね。 うちみたいだね。
ここで地図の製作販売してることで地球がどうなってるんだとかっていうのにちょっとリテラシーが上がってきてる状態。
あとコロンブスビジネスマンとして結構シビアな条件つけるんだよね。
会社を起業するときに株式当初お金をもらって役員報酬はこのぐらいねっていうようなこと言うんだよね。
コロンブス社長なんで。だから条件としてはインドに行って得た利益の10%は俺のものだと。
10%?
そう。結構だよ。当時の感覚するとだいぶ。当時もう税率が9割とか言われてる時代だからね。
税率が9割。
商人とか農民、例えばフランスとかスペインとかポルトガルの一般人が国に納めてる税金が9割ぐらい持ってかれてる。
すごい量だね。
っていうような絶対的に王室の方が強い時代に10%へ起こせって。
元々搾取されている環境なわけですよ。農民であっても。
少ない中でも9割とか空気税とかいったらどんどん税金を徴収して農民は過労死で生きてるような世界観なんですねこの時代。
その分貴族だけでも貧富の差がヤバい状態の時にどこの馬の骨ともわからないベンチャー企業がやってきてこういうビジネスやるから
持って帰ってきたやつの金のうち10%はくれ。ただその稼ぐ金額おかしいでしょ。
農民だったらじゃあ500万のうち450万持ってかれてうわきついわって言ってる手残り50万じゃない。
500億稼いでくるんで10%へ起こせって言ってるわけですよ。
そういうことか。
例えば会社だったらさ今手元に100万あるんでこれを含めてとかやるわけですよね自己支金っていうのは。
ゼロですからねこの人。
妊婦も要は船に乗ってくる水平さんじゃないね水産とか船乗りたちも船自体もそこに行くまでの物資も全部ポルトガル国王持ちですから
全額出してくれ見つかって儲かったら10%くれって言うんだよね。
ここまではいいよねなんとなくお金の話なんでプラスアルファで到達したインドの土地の統治権そこのボスにしろって言うんだよね。
ボスにしろと。
そこの土地のボスにしてくれと。でそれとプラスアルファで貴族の地位をよこせと。
優勝権をつけてたからさすがにポルトガル王室の周りの貴族たちも飲めんていうことになって断られます。
そういうことなんだ。
だいぶ粘ったらしいんだけど断られた頃にちょうど奥さんが死んじゃうんだよね。
リリスボンで奥さんと結婚してて王様のとこに行って粘ってたんだけどその間に奥さんが亡くなっちゃって
ほんぼりしてはもうどうしようみたいななってたときにもういいわこの国やってられって言って旅に出るんですね。
で隣のスペインに行くんですよ。スペインのなんかよくわかんない田舎の修道院にちょっと居候させてもらいながら息子と二人で暮らしていて
その修道院の修道師さんですね牧師さんにその話をしたところそれは面白いと。
俺が取り継いでやるスペイン国王に居に行こう。また国王行くんだね。
すごいねまた国王なんだ。 そうだからポルトガルでダメだったらライバルの
ポルトガルとスペインってライバル関係ですからね。ポルトガルに若干出し抜かれてるスペインとしては面白くないわけですよ。
だからこっち側に話を持ってったらもしかしたら聞いてくれるかもしれないという思惑もあったかもしれないですね。
でスペインのイザベラ一世という女王に頼みに行くんですね。ここの国は女王様だったので。
でまた気に入られるんだよ女王様に。 すごいね何その人望というか。そんなに面白かったのかな。
わかんないなんか人望だけあるんだよ。でポルトガルに持ってったのと全く同じ条件で全く同じ話をするの。
そしたら全く同じ理由で断られる。全く学ばないんだよね。 学ばないんだ。
十杯を起こせ総督にしろというようなことも言うしまた計算されて全然無理だよみたいなされるのね。でしょんぼりしてその修道院に帰ってくると。
そしたらその修道士の牧師さんたちがいや行けるはずだ待ってろ俺が説得してやるって言って。
まだ人気があるんだろうね。この教会の方とその親戚とか知り合いの貴族の人たちが一生懸命王室を説得するんだよね。
でその説得をしまくった結果OK金出すよって言ってくれる。 出しちゃうんだ。
5年くらいかかるんだけどね。6年か。1485年にスペインの女王様に一家目に頼みに行きます。
その後承諾されるまで6年かかって1491年に承諾をもらいます。
この間コロンブスが頑張ったというよりはコロンブスが居候していたお家の人とその周りの方々がめちゃくちゃ頑張って説得してくれます。
周りの人がすごい。 周りの人たちが頑張った。
6年間よく粘ったね。 この交渉の時の理由が儲かるよって。
女王様はもう気に入ってるから行く気満々なんですよ。周りの議会の人たちに言ってもこのぐらいやったら儲かるから船出して損害が出て全滅したとしても我々はこの分の損失だけで済みますよと。
ましてやスペイン人なわけじゃないのでコロンブスは。死んでもいいじゃんみたいな感じで説得をして。
まあいいか。 一体いくら貸したんだろうね。
船一石どのぐらいすんだろうね。 どのぐらいなんだろうね。ちょっと小銭出しましょうとかポケットマネー出しましょうとかそういうレベルではないもんね。
ではないではない。 この辺はハプスプール家っていう巨大な家の中にあるスペイン王国なので相当お金持ちであることは間違いないですけどね。
名前は聞いたことある。
結構有名な武将なんだけど。
有名なので。すみません。
あの人が持ち込んだという説があります。
あくまで説なので。他の説もね。大陸経由っていう話もあるんだけど。
これ面白いなと思うのが、次回でちゃんと話しますけど、
インド、タイ、あとインドネシア、日本というところに唐辛子が部分に落ちていくわけですね。
唐辛子という植物が下ろされていきます。これがポルトガルが航海をして港を開いた場所なんですよ。全部。
ああ、そうなのか。
拠点にしていったところ。この大航海時代、この後バスコダガマという人が
西航路じゃなくて東航路。右側ね。アフリカ大陸をぐるっと回っていくので、
1998年、コロンブスが生きてる間のうちに、普通に真っ当なルートでインドに到達するんですよ。
やっぱり東ルートの方が早かったっていう。
普通に東をね、アフリカ大陸を回って通った方が早いと。
そういうことですね。ぐるっと回っていきましたと。なんだこっちの方が結局早かったんじゃねえかと。
だからこちらの東、アジア方面の東航路での正海圏。正海圏というのは海を制覇する権利ですね。
正海圏はポルトガルが牛耳ることになります。
そうなんだ。スペインは西に向かってアメリカに着いてインドだと言い張ったと。
ポルトガルは後で出てきて、じゃああいつらが西なら東行ってみようと。
どっちかというと逆ですね。ポルトガルが東に向かって始めから、
エンリケ公開王子が1430年代からどんどんアフリカ大陸を南下してるので、
コロンブスが生まれた頃にはどんどんそれをやってるんですよ。
先にもやってたんだ。
ポルトガルが東航路の方をどんどん開拓していってるので、
スペインは対抗心からコロンブスと契約を結んで西に行くという。
そういうことか。
一発逆転を狙って。
そうか、ポルトガルからしたらコロンブスが来た時に、
いやもううちらは割と下まで行ってるから、
行ってますね。
お前どこの誰かわからない奴に、そんな大愚で金は貸せんと。
そういうことですね。ポルトガルに頼みに行ったのが1484年なんですね。
この4年後にポルトガル船がアフリカの最南端希望峰を回ってるので、だいぶ行ってる。
先にだいぶアフリカ大陸は制覇し始めてた頃に、
コロンブスが来たから。
そうね、ショートカットしなくても不正規ルートどんどん開拓してってるんで。
方針が違うと。うちらはこっちをもう行っちゃってるから変えられん。
そんなにギャンブルする必要もないよねっていうのも多分あったかもしれないね。
可能性はあるよね。
そうなんです。
それも知ってたコロンブスはさっさと諦めて、
じゃあ対抗心を燃やしてるスペイン側だったらどうだっていう可能性はあるよね。