生きることの意義
人生、我々は本当に生きているのだろうか。変化は意識から生まれるが、意識は何から生まれるのか。外界からだ。外界を操るのは何か。一つの言葉だ。その言葉とは。イエス。
イエス!
映画、イエスマンの冒頭から引用いたしました。
イエスマン、いい映画ですよね。私も大好きでよく見てるんですけど。今回ね、ちょっとポッドキャスト第1回目ということで、割とつらつらと話していけたらなと思うんですけど。
競技推しタイトルを付けました。生存について大真面目に考えてみる。某、ポレノイカルシティの曲名みたいな感じになっちゃってるんだけど。
あのー、まあ、あれですね。なんかね、全然哲学的な話でも宗教的な話でもなくて、生きるとは何ぞやっていうことを分解したいなっていうので、ちょっと考えたいなと思ってるんですよ。
直近すごくこれ、なんか僕自身考えていることで、全然哲学的な話じゃないです。宗教的な話でもないです。
生きるってなんだっていうところ。で、普段僕らって生きることをあんまり意識はしないじゃないですか。それは多分呼吸と似てて、呼吸してることを普段我々は意識しない。
心臓を動かしていることを我々は意識しないってことで、意識するということを認識して初めて意識することができる。
どうやって呼吸してたっけって思うと、あれ?どうやって呼吸してたっけって認識すると。なんかそういう構造に似てると思ってて、普段僕らは別に生きるということに大真面目に向き合ったりはしてないわけですよ。
けど、例えば仕事で嫌なことがあったりとか、生存が脅かされた時、病気で入院してしまった、大怪我をしてしまったみたいな時にやっと、
あ、生きたいんだっていうことに気づくとか、自分は生きてるんだということに気づくとか、そういうことがやっと認識できるっていうことですね。
逆に生活が常に辛かったり、常に体や精神に怪我をしている状態になってしまった時に、毎日生きてるのが辛いとか、生きるってことはなんてハードルが高いんだみたいなことを感じるんじゃないかなと思っていて、
そういう人たちの方が生きるということをよく考えています。例えば最低限収入があって、サラリーマンやってます、仕事をしています、朝起きて仕事に行って、
帰ってきて、ちょっと遊んだり、自分の活動をして寝るみたいな、いわゆる一般的なサラリーマン生活みたいな人で言うと、生きるということをぼんやり考えるとか、
普段は認識しない、ただ日常で立ち止まった時に、なんか俺の人生これでいいんだっけって思うみたいな。生きるっていうことにちゃんと向き合うタイミングって意外とあんまりないと思ってて、
仕事をしてたら割と押し流されてしまうし、そもそも自分が生きるということに向き合う時間を作るみたいなことは、あんまり積極的にやらないとできないことだと思っていて、
自分自身もやっぱりそこを感じるところが全然ないと思うので、改めてちょっと生きるということに大真面目に向き合いたいなっていうのが今日の話ですと。
生命維持の基本
生きることって何ぞやっていう話になった時に、まず前提として辞書で意味を調べたわけですよ。生きるとは何か。
辞書の答えはこれですよ。人間、動物などが生命があり活動できる状態にある。生命を保つ、生存するということと。
当たり前ですよね。厳密には言い換えであって、あんまりまとを得てる感じはしないんだけど。
とにかく生命を保っているっていうのが、まず生きるというものの言葉的な意味であると。生命があり活動できる状態にあると。
つまり、生命維持活動ですね。飯食って寝てっていうのがまず生きるところの最低限のラインである。それは間違いないと。間違いないですよね。
とりあえず、呼吸をして飯食って寝ていれば、生きているという状態にはなる。たとえ仮に植物状態だったとしても、生命活動が続いていればそれは生きているという概念だと。
生命活動が止まってしまうと、生きるの反対、死ぬの状態になることですよね。
とはいえ、我々人間は脳みそを持っているし、どうしても考えてしまうので、生きるということにも質が求められるわけですよ。
求められるっていうか、別に本来それを求めるのか求めないのかっていうことも誰かに強制されているわけじゃないんだけど、そういう哲学的な話をしたいのではなく、やっぱり生活が苦しいと悩むし、生存が苦しいと悩む。
それは当たり前ですよね。生命活動が脅かされている状態の場合、これちゃんと生きていけているのであろうかっていうところの疑問が湧いてくるってわけですよ。
動物も思っているかもしれないけどね。野良猫とかが傷だらけで、「俺この生活でいいんかな?」みたいなのをすごく思っているみたいなのはあるかもしれない。
ただ、動物と意思疎通は取れないので、我々はそこに対して何か探るようなことはできないというわけですね。
ただ、僕はすごい感じる。生きるとは何か。生きている実感があるのかどうかっていうことをすごく考えてしまうと。
おそらく生きるというものは2レイヤーあって、まず辞書通りの言葉の生きていくっていう部分。
生命活動が続いているっていうところがまずミニマムで必要になってくる。
その次に、生きている実感がちゃんとあるかどうか。そこに危機感を感じず生きれているかどうかっていうところが要素として必要なんじゃないかなと思ってます。
経済活動と生活
漫画とかで例えば、金は持ってます、権力も持ってますみたいな人が、ただ人生の目的がありません、病んでますみたいな人が出てきたりすると思うんだけど、
それに近いようなイメージで、生存が保証されてたとして満足に生きれるかっていうと、そういう問題でもなさそうだっていうのが結構人間のめんどくさいところなのかなと思ってます。
いわゆる一食十が担保されていて、収入も無限にあります、不労所とかありますみたいな人でもやっぱり病んでしまう、みたいなことはどうしてもあるわけですよね。
この間、ちょうどファイアした人、早期リタイアしてもう悠々自的に暮らしている人のコミュニティの記事を読んだんですけど、
やっぱり、簡潔に言うと暇すぎて病んでしまうという話が出ていて、もううまい飯は食ったし、あらゆる遊びも楽しみ切ったし、旅行も行き切った。
もうそこに興味が湧かない、みたいなファイアを体験した人の記事を読んでいて、それは人それぞれなんですよ。別にファイアが良い悪いっていうところの議論をするつもりはなくて、
ただ何も考えず、例えば生活の保障をされたとしてもそれだけで人間が満足できるかっていうとそうではない。
そこで満足できるためには生きるとは何かっていうことにちゃんと向き合ってるかどうかっていうことが必要なんじゃないかなと個人的には思ってるわけですね。
で、調べてみたんですよ。生きるとは何か。
生きるのに必要なものは何ですかってGoogle先生に聞いてみました。
Google検索で生活に必要なもの、生きるのに必要なものっていうのを調べたら、新生活に必要なものチェックリストっていうのがいっぱい出てきてですね。
家電とか家具とか寝具とかこの辺を買い揃えるといいよみたいな記事がいっぱい出てくると。アフィレート記事がたくさん出てくるわけですよね。
そういうことじゃねえんだよなっていうね。
生活に必要なものは何ですか。
それは掃除機いりますよね。ベッドいりますよねとか。そういうもんねえじゃねえんだよなっていう概念的なところの記事は出てこない。
なんかいい記事ないかなと思って調べました。
人間的な活動って調べてみたけど、人間的な活動っていうのは人間が社会の中で行う活動を全般のことを指しますみたいな記事が出てきて。
うーん、まあ合ってるけどそういうことじゃない。
ちなみにその記事には人間的な活動の例として3つ挙げられていて。
一つは社会活動。社会に参加して社会のために貢献する活動。
もう一つが経済活動。生活に必要なものを生産し消費する活動。
最後はコミュニケーションですね。
この3つが例えば人間的な活動の例として挙げられてたと。
まあまあまあまあ、そりゃそうだよねっていう感じですね。
でもまあ、大多数人間的な活動の中で我々の時間を多く占めるのは経済活動じゃないですか。
まあ要は仕事をしないといけない。生活に必要なものを生産し消費する活動ってなってますけど、
基本的に生きていくためには資本主義社会では金が必要だと。
我々日本に生きてるんで資本主義社会の国なんで、金を生産しないとそもそも生きていけないんですよね。
だって家も住めないし、食事も買えないし。
で、もちろん山の中で自給自足してますみたいな人はもちろんいます。
ただそれがマジョリティかというとそうじゃない。
日本人のマジョリティはサラリーマンだし、きちん仕事をして金を生み出して、
その金を使って自分の生活に必要なものを購入していくみたいなライフスタイルが一般的ですと。
で、サラリーマンっていうと大体週5日8時間以上は働くわけですよね。
週5日8時間で終わればホワイトと言われて、
基本的には残業だったり、シフトでの働きだったり、
それ以上の時間、日常の大半の時間、大体3分の1以上ですよね。
睡眠が3分の1あって仕事が3分の1あって、
余暇が3分の1ぐらいのライフスタイルで、
あるいは仕事のウェイトはもっと多いよみたいな人が結構多いんじゃないかなと思ってますと。
で、なので経済活動のウェイトが我々に結構重たいんですよね。
はい。
で、じゃあ経済活動が担保されていたら満足なのか。
じゃあ経済活動は何を担保するためにあるのかっていうのをちょっと考えてみようかなと。
いわゆる異色獣っていうのがよく言われる。
食べること、服を着ることで住んでいることですよね。
異色獣が全部マストかっていうと怪しい。
もちろんどれもマスト層ではある。
で、確実にマストなのはおそらく食でしょうと。
さすがに食わないとね、やっていけないので。
外部からエネルギーを取り入れないと人間は死んでしまうので、
生理的欲求の重要性
食べることはしないといけないって考えた時に、
もしかしたらマズローの欲求段階説、いわゆる5段階欲求っていうね、
よく出てくる話がもしかしたら参考になるかもしれないと思っていて、
下から生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認欲求、
自己実現の欲求っていう、心理学界ではよく言われている
人間の欲求を5つの段階に分類した理論ですよと。
承認欲求より下が欠乏欲求っていう風に言われていて、
これが満たされてないと上の段階に行けない。
一番下の生理的欲求、そもそもここが満たされてないと
次の段階に行けないよねっていう話がありますと。
生理的欲求っていうのが、本当に生命を維持したいっていう欲求ですよね。
だから本当に、砂漠で遭難しました。飯がありません。
本当に生理的欲求ですよね。
食事を取らないと死んでしまう。
もう2日3日食べてない。このままでは死んでしまう。
とにかく飯。何か食べれるもの。
それしかいらない。
まずそれが欲しいっていう状態になるわけですよね。
生理的欲求。
まず生きるということのスタートラインは、まずここ。
飯を担保したい。
しかも、我々は未来のことを考えちゃう生き物なので、
動物のように、今飯食えた。やった。満足。ハッピー。
みたいにはならないわけですよ。
例えば今日のご飯代はあるけど、
もう未来のご飯代がありませんってなったら、
それどころじゃないんですよね。
例えば今日500円持ってます。
牛丼は食えます。
なんとかお昼は腹いっぱいになるかもしれない。
でもそれで全財産が終わります。
明日以降食うものが決まってませんってなると、
一気に不安になるわけですよ。
例えば今はお腹いっぱいでもね。
500円の牛丼満腹食べて、
あ、お腹いっぱいだ。幸せだって。
動物ならそこで、あ、幸せって言えるんだけど、
人間その時点で財布の中がゼロだったら、
やべえやべえやべえとなると。
なので、人間の不安って、
その時々だけの不安じゃなくて、
ちゃんと計画的な不安がめちゃくちゃあるのが、
めんどくさいなって思うんですよね。
さらに次。
安全の欲求ですね。
身の安全を守りたいっていう欲求。
これは例えば異色獣で言うと、
獣のところ、例えば家があるとか、
そういうところに繋がってくるんじゃないかなと。
そもそも家がないと、
雨降ったらどうしようとか、
夜寒くて全然寝れないじゃんみたいな。
というか、安全性も保障されないよねみたいな。
道端で寝てたら車に轢かれるかもしれないし、
誰かに襲われるかもしれないし、
何があるかわかんないしっていう、
安全の欲求のレイヤーがありますよと。
だから、家の担保っていうのは結構人間の生活の中で
プライオリティー高いですよね。
そもそも家賃が払えない。
ってなると、めちゃくちゃ不安じゃないですか。
だから、安全欲求も生理的欲求も、
今は、もちろん、
今日泊まる宿が決まってたとしても、
明日泊まる宿が決まってない、
家がそもそもないってなると、
大体の人間は不安になると思うんですよ。
だから、みんな自分の家を借りるし、買うし、
ご飯も先のことを考えて、
仕事を続けるわけですよね。
胃の腹部のところも、
安全の欲求とかにそもそも近くて、
今の気温に合わせた服装を
ちゃんと担保できてるか、みたいなところは
重要なんじゃないかなと思います。
冬にTシャツ1枚しかなかったら、
やばいよね、そりゃ当然。
家もなかったら、よりやばいよね、みたいな話で。
この辺が、本当に欠乏欲求の最初の方というか、
生理的欲求と安全の欲求ですね。
安全の欲求と不安
まずここが担保されてないと、
その先の事故実現とか、
そんなことを言ってる場合ではない。
これに何が必要になってくるかというと、
当然金なんですよね。
しかも金っていうのは、
毎月、毎年、どれくらいお金を獲得できるのか。
月収年収がどれだけ担保されてるのかっていうのが、
結構人間重要だと思うんですよ。
なぜかというと、そもそも、
5億持ってますみたいな人はその不安がないんで、
それはちょっと取り除くんですけど、
大体の人は別に5億も貯金持ってないわけですよ。
平均貯蓄額なんて、
数百万とかなわけじゃないですか。
数百万なんて別に、
仕事やめます、数百万しか貯蓄ありませんって言ったら、
安いとこ住んだとしても、
1,2年、2,3年、
頑張って5年とか住んだとしても、
なくなっちゃうわけですよ。
なぜなら、家賃とか食費は毎日かかるものだし、
毎月かかるものだから、
どんどんどんどん資産がめびりしてっちゃうんですよね。
それに対して人間は、
めちゃくちゃ不安を感じる。
当たり前ですよね。だってこのままじゃ、
1年後に貯金なくなるじゃん。
家追い出されるし、飯も食えなくなるじゃん。
つまりそれって、死だよね。
ってことになるわけですよね。
なので、将来への保障っていうのが、
人間にとって必ず必要になってくるんですよ。
将来への保障がないと、
人間はめちゃくちゃ不安になる。
だから、
職場に安定した雇用を求めるし、
不労所得だったり、
長期的に稼げるスキルっていうところに、
みんな信用を置くわけですよね。
もちろん、
今5億もらえるなら、
もう別に生きていけるよ、みたいな人も
いるとは思うんですよ。
理論上、たぶん5億ぐらいあれば、
ある程度の年齢の人なら、
全然生きていけると思います。
それをじゃあ、残りの人生で月ごとに分解したときに、
毎月これぐらいになるから、
毎月これぐらいになるんだったら、
大丈夫だねって計算はできると思うんで。
ただ、それでもやっぱり、
じゃあ5億もらいます。
今月に5億もらいます。
そのあと一切お金もらえません。
不安は残ると思うんですよ、人間って。
じゃあ5億もらえたから
100%ハッピー、もう何の不安もありません
にはならないはずですよね。
やっぱり、未来においても、
ちゃんと
生き続けられますよっていう保障が
あったほうが安心できる。
それは何かっていうと、
ちゃんと飯が食えて
家がありますよっていう状態。
それの手段の一つが、金を稼げれてる状態
っていうわけですよね。
ちゃんと65歳まで働けるのか。
今ね、65歳で仕事辞める人も
少なくなってきてますし、ずっと
仕事し続けられるのか、年金ちゃんともらえるのか
その辺が人間にとっては
超重要になってくるわけですよ。
まずここがマストなわけですよね。
生理的欲求と安全の欲求を
担保するために、
将来にわたって金の不安がないこと
つまり生活の不安がないこと
ここの実現が
社会的な欲求とコミュニティ
大事になってくるわけですよ。
で、
それがある程度
担保されたとしましょう。
段階が上がりますよね。
なんとか
企業に正社員で
勤めることができましたと。
たぶん65歳ぐらいまでは
この企業で働けるだろうと。
ってなると、
自分一人の生活していくぐらいの
給料はもらえんじゃないか。
ひとまずは安心。
家も契約できた。
安心できれば全然食える。
65まで生きていくめどは立った。
みたいな状態になったときに。
次に
マズローの五段階欲求でいうと
所属と愛の欲求、承認欲求
みたいなところが出てくるわけですよね。
他社と関わりたい。
集団に属したいとか。
自分を認めたい。他社から価値を認められたいとか。
そういうところですよね。
今、サラリーマンの例だから
ちょっと難しいんですけど、
家で一人で株の取引やって
毎月30万ぐらいは利益出てます。
とりあえずギリギリ
生きていけるぐらいにはなりました。
ただ、毎日
誰とも喋ってません。
他社と関わってません。
僕がどこの集団にも属してません。
っていうところは結構危機感を感じる
と思うんですよね。
最初はそれでいいかもしれないけど
その生活をやっていくと
だんだん不安を感じていくとか
俺このままでいいんだっけって思う
みたいな人はそれなりに多いんじゃないかなと。
ファイアして仕事を辞めた人の中にも
やっぱ社会に属したいから
地域のコミュニティに入ったりとか
仕事をそれで再びやり始める人
とかもいたりします。
やっぱり。
もう会社で働く必要はないんだけど
人間関係とか社会に貢献できてる
実感とか
そもそも
コミュニティとかが欲しくて
会社に入るみたいな。
お金目的じゃない。
将来への保障じゃなくて
地域に属したいがために仕事をする人
みたいな人も世の中にはいるわけですよね。
さらにもっと言うと
生存と欲求の階層
承認欲求。次の段階に入っていくわけで
さらに
自分のスキルが
基地の認められているのか
自分の存在が他者にちゃんと認められているのか
っていうところの欲求が出てくる。
つまり
そのコミュニティの中、職場でも
友達でもなんでもいいんですけど
そのコミュニティの中で
自分がちゃんと認められているのか
っていうところ。
ここが欲しくなってくる。あるいは
パートナーが欲しくなってくるかもしれない。
自分が
自分のありのまま、自分の姿が受け入れられる
人間が欲しくなってくると。
ここまでが
欠乏欲求と
言われているところですね。
その上になってくると
自己実現の欲求。さらに能力を発揮して
じゃあ想像的な活動をしたいです。
っていうところに
入っていくわけなんですけど
今ぐらい
生きるというところにも
階層があって
かつ、その階層ごとの悩みが
めちゃくちゃあるわけですよね。
そもそも
生存の
担保がされてなかったら不安だし
生存の担保がされた上でも
自己実現であったりだとか
所属であったりだとか
そういうところに上を感じると。
まあ分かりやすく言うと
毎日
くだらない仕事をして
給料はいっぱいもらえてるけど
友達もいないし、休日に
遊ぶ仲間もいないし、パートナーもいないし
ってなると、やっぱり人間は上を感じてしまう。
というわけですよね。
で、もともとのテーマに
立ち返ると、じゃあ生きるっていうことは
これを全部充足して
いくことだと思うんですよ。
そもそも生理的欲求とか
安全の欲求みたいな
ちゃんと生きていくことに不安がない状態っていうのを
作る。じゃあその後は
きちんと自己実現だったりだとか
所属の欲求を満たしてあげる
みたいなところですよね。
これは一つのフレームワークに
なり得るんじゃないかと。
ただ、このマズローの
5段階欲求説は
考えるフレームワークとしては優秀なんですけど
じゃあこれが全部
実現できていたら
幸せになるのか
っていうところの立感は
僕は分かりません。
なぜなら、僕はこの5段階欲求を
全部満たしているとは言えないから
不安の分解と議論の場
ですね。
生理的欲求とか
安全の欲求とかは比較的
満たされている方だと思うんだけど
その先のところ
ですよね。で、生きるという
実感を得られているかというと
100%実感を得られている
という状態では
ないかな。だからこそ
こういう風に生きるという
問題に目の前から
ぶつかって考えていっているわけなので
ただ
考え方として
不安要素
今みたいに何の不安があるのか
っていうところの分解をしていく
っていうのは一つやり方として
有効だなと思っていますと
大体人間
人間なのか僕自身なのか
分かんないんだけど
生きていく中でやっぱりぼんやりした不安とか
明確な不安っていうのは常に
何かしらに存在するわけですよね
今の仕事
このまま続けていけるんだろうかとか
なんとなく仕事は問題ないんだけど
人間関係とか
パートナーとの関係で
もやもやを感じているとか
親との関係で何かもやもやを感じているとか
あるいはそもそも何なのか分かんないけど
もやもやしながら毎日過ごしている
みたいなそういう人もいるかもしれない
その不安の分解
っていうところが生きるというものの
実感につながっていくんじゃないかな
と思っているわけなんです
この配信は
何かの答えを出す配信ではなくて
基本的に議論の場に
したいなと思ってますので
今後ゲストを迎えていくのと
コメント
皆さんからいただいた
コメントを受けて
議論と議論をぶつけ合って
話を発展させていく
それをゴールにしていきたいな
と思っております
今日のところは
以上とさせていただきます
ではまた次回
ありがとうございました