00:01
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日は、私がいかに死に物狂いで二級建築士の資格を取ったか、そしてなぜ取ったのか、という話をちょっとしようと思います。
私が大学を出た頃というのは、すっかり、完全に日本は不景気になっていて、
もう全然、選ばなければね、どこかには就職できたのかもしれないんですけれども、
もうなかなか、それほど条件の良いところとか当然選べなくて、
私も気難しい性格なところが若い時からあって、何でもできるというタイプでもないし、
もうそんなOLとかね、そういったのは全然私には無理だと思っていて、
随分悩んで、キャリアをどうしようかというのを思っていたんですよね。
たまたまですね、本当に家を改築した時に、この仕事は面白いなと、
この設計師さんとインテリアコーディネーターさんがご夫婦でされている会社に実家をリフォームしてもらったんですけれど、
それがね、すごい横で見てて面白いなと思って、
私もこういう世界に入りたいと思ったのが、私のキャリアの最初の出発点でした。
建築士というよりはインテリアコーディネーターを奥様の方がされていて、
すごい綺麗な素敵な人で、何でも聞いたら知っていて、
建築家はやっぱり丈夫な家をしっかり建てるっていう、そこをちゃんと作ってくれる人なんですけれど、
実際、一般のお客さんの目線から見ると、ここにちゃんと構造上大事な柱があるとかないとか、
そんな話より、当然仕上がった後の室内のインテリアをどうするかっていう方が、より関心が高い部分ですよね。
そういったところは、やっぱり全部奥様のコーディネーターさんと一緒に、いろんな商談とか打ち合わせとかしていったんですよね。
素敵な仕事だなって思って、自分もこの仕事だったらできるかもしれないと思って、
そこに進んでいこうとしたんですけれど、世の中は本当に不景気だったので、なかなかこういう設計事務所とか、
そういうところとかもなかなか就職難しそうで、どうしようかなって思ってたのが、
03:00
以前配信もしたんですけれども、前から大好きで、絶対このお店の中に住みたいと思うぐらい好きだった、
私が以前就職してたY社という会社があったんですよね。
ここだったら、本当に私もどんなドブ拾いでもするっていう気持ちで、熱烈アタックで、
自分の履歴書とかを勝手に募集もしてないのに送りつけて、もちろんそんなの全然スルーされてて、
何とかこの会社だったら、私みたいな社会性があまりない人間でも頑張ってやれるんじゃないかということで、
諦めずにずっと思ってたんですけれども、全然ダメで、
知り合いのツテとかをたどって、何とか私の履歴書を押し付けたりとか、
そんな拘束な手間で使って、この会社に入りたいとずっと画策してたんですね。
そしたらですね、ある時も諦めかけてた時に、
人事のおじさんから電話がかかってきまして、
もう就職決まっておられますよねって言って、いきなり言われたんですよね。
いや、まだ決まってませんって言ったら、
ちょっと決意ができた部署があるんだけど、どう?みたいな、
本当にやる気ない感じで、総務のおじさんから電話がかかってきたんですよね。
総務じゃない、人事ですね。
でも何でもやりますみたいな、すぐ面接行きますとかって言って、すぐ面接行ったんですよね。
そしたら、気は良さそうだけども、そんなおしゃれでも有能そうでもない、
普通のそこらにいるおじさんのサラリーマンが2人ぐらいいる面接室に通されまして、
簡単なね、今まで何されてたんですかとか、うちの会社のことをどう思いますかみたいな、
簡単な面接で、本当に人が欲しかったんでしょうね。
でも割とあっさり合格したんですよね。
っていうのも、私たぶんめちゃめちゃ感じ良かったと思うんですよ。
何聞かれても目キラキラで、何でもしますっていう感じで、
もうね、ういういしさの塊みたいだったと思うので、
もうね、子犬みたいな可愛い子だなっていうので、
おじさんたちはすぐ入れてくれたんですよね。
この仕事がどういう仕事だったかっていうと、
その頃ですね、やっぱりインテリアはすごい人気のあるジャンルになってたんですよね。
アクタスとか、フランフランとかね、今もあるこういったインテリアショップとか、
今ね、すっかりちょっと縮小してきましたけど、混乱ショップとかね、
海外からもね、すごい有名なインテリアのセレクトショップとかがね、
06:04
日本に入ってきたりとかして、
どんどんこういう室内の装飾っていうものに、
日本がどんどん関心を持ち始めている時代だったんですよね。
なので、やっぱりすごいニーズも高くなっている上に、
特にね、そこで働きたいと思っている若い人たちはすごいたくさんいたんですよね。
そんな流れで、自分たちの会社にショールームとかショップを構えるだけじゃなくて、
百貨店とかそういう大型の商業施設の中に、
ショップを出すっていうような小売事業をね、やってたんですよね。
このワイ社も大手の百貨店の家具売り場とかね、
インテリア売り場とかに一攫設けて、
ここにね、自社の照明器具とかバーって売ったりとかしている時代があったんですよ。
そこはね、やっぱりいっぱいね、都心とかにあちこちに百貨店とかありますよね。
新宿とかね、あちこち。
そういったところに、やっぱりたくさん販売員が必要になったんですけども、
結構ね、この仕事をやるのが、現実とね、やっぱりその夢が、理想がギャップでね、
続かない人が多かったみたいなんですね。
やっぱりこの素敵なインテリアね、ルイスポール線の照明がとかね、
アルネヤコブ線のスワンチェアがとか言って、憧れいっぱいで入ってくると、
実際やらされる仕事っていうのが、百貨店の店頭でも一日立ちっぱなしで、
もうひたすら、ずっとお客さんがね、意外に売れないんですよ、こういう工学商品ってね。
もう忙しくて忙しくて、あっという間に一日が経ちましたっていうよりは、
ぼーっと立ってて、パラッパラッとね、来たお客さんに物を売るっていうような仕事なんですよね。
さらに自社のね、自分たちの会社のショールームとかショップだったらね、まだいいんですけれども、
百貨店のね、のれんの下で自分だけね、ぽつんと出向しているような形で働いているので、
周りはみんな百貨店の従業員、もしくはいろんなね、各メーカーから派遣されてきている販売員さんなので、
結構ね、そこの別のいろんな寄せ集めの人たちの中で、結構うまく渡っていかないといけない部分があって、
まあまあ気を使う仕事なんですよね。
なので、その百貨店の売り場、フロアマネージャーみたいな人が、その百貨店の社員の人がね、ついてるんですよね。
照明コーナーとか家具コーナーとか、そういったところの担当さんみたいながいて、
09:00
そういう方ともちゃんと仲良くして、ちゃんとね、人間関係を良好にしておかないと、居場所がなくなっていくんですよね。
あとは他のメーカーからもね、いろんな人出向して出てきてますよね。
他の似たようなイタリアインテリア売ってるような会社の販売員さんとか、そういった人も隣のコーナーに立っているわけです。
そういう人たちとも、結構ね、いい人間関係を作らないといけなかったりとか、結構気を使う仕事だったので、
割とね、1年頑張ったけど、ちょっとねメンタルを病んで辞めていくみたいなね、入れ替わりがすごく激しい部署だったみたいなんですよね。
そこへ私が雇われたわけなんですよ。
2級建築士をなんで取ったかっていう、冒頭言ったのに、もうこれ入り口にも立ってない。
私のなんかもうキャリアの出発点の話になっちゃいましたが、ちょっとこれちょこちょこと続けていこうと思います。
今日はこれで失礼いたします。すいませんちょっと冒頭と終わりが全然違う話になっちゃいましたけれども、もしよかったらお付き合いください。
では失礼いたします。ごきげんよう。