母と祖母の関係
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
続きになるんですけれども、うちの母親っていうのは、おそらくですね、この当時、というかもうこの最近ですよね、発達障害とかADHDとかね、AD7とかね、いろいろそういったことがいろいろあるっていうことが分かってきたのって最近なんで、正式にね、ちゃんと調べたわけじゃないんですけれど、
母のいろんなね、今までの挙動というかね、見ていると間違いなくADHD、だから発達障害の中でも多動症型の発達障害だと思います。うちの母はね。
とにかく落ち着かないんですよ。で、人と喋っているのにいきなり部屋を出て行ったりね、喋っているのに、あなたここでこうなの?なんて自分から話しかけておきながらですね、相手がそれはですね、先生とか言って喋っている最中にもう部屋出て行って、なんかもう違うことをしに行っちゃうんですよ。
だからね、もう全然これはね、自分でどんなに気をつけようと思っても直せないらしいんですよね。で、私も子供の頃からとにかく母が落ち着きがないことでずいぶん苦労しました。
とにかく人の話を全く聞いてないし、私を置き去りにして何度も私が迷子になりかけたことも一度や二度じゃないんですよね。もうとにかくちょっと目を離すとね、母がいなくなっているんで、私はね、とても小さい時からね、普通はね、子供がどっか迷子にならないように親が子供の後ろについているっていうのはほとんどですよ、周り見ていると。
うちだけは違ったんですね。私はもう常に母親がどっか行かないようにって言って、いつもいつも母の後ろにピタッてついている子供でした。だからね、ファーって思いつくとそっちにファーと行っちゃうような人で、こういうね、ちょっとそういう落ち着きがないし、母兵とね、心ここにあらずみたいなところがあったんで、
うちの祖母が非常に心配してね、母にちょっと割と厳しめのお稽古事をやらせようと思ったのは、そういった母の性質があったからだと思うんですが、こういったタイプの人っていうのはね、大体において一芸に火出ているっていうケースが多いんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
例えば誰だろう、ビルゲーツとかね、うちの母親のビルゲーツが急に出てきて、ちょっとあれなんですけど、ビルゲーツとか本当におかしな人だったようですね。大人になって子の親になったりして、だいぶ落ち着いてきたと思うんですけれども、非常に変な人なんですけども、非常にね、ここが辛いところだったと思うんですが、
こういうちょっとね、天然っていうか、ナチュラルにちょっと変わった、一風変わった母親と、ものすごくクソ真面目だね、厳格な祖母、この親子があまりにもタイプが違ったために、この厳格な祖母の強さが子供を支配しすぎて、うちの母親はたまたま才能があったとは言ってもね、ものすごくやはり辛い思いをしたはずなんですよね。
発達障害なんでね、そこがうまく、なんていうのかな、あんまり人の話を聞いてないんでね、聞かなくなったのもね、もしかしたらおばあちゃんのせいかもしれないんですよね。
もともと発達障害の既出はあったと思うんですが、あまりにも親が強烈だったために、わざとね、自分を鈍くさせるっていうようなこともして、より一層ね、後天的にも発達障害の特徴がより顕著に出てきたっていうことも可能性としてあるなと、母を見ていて思います。
育て方の影響
こんなような母親と祖母だったんで、自分は全然違う子育てをしたいというふうに思ったっていうのも一理ありますよね。
母の話に戻すと、こういうふうにちょっとあまりにも極端な育てられ方をしたので、母にとっての親から逃げるっていうかね、親の支配下から抜け出すためには家を出るしかもちろんなかったんですが、幸い高校は大阪から東京の音楽の大学の方に行き、高校に行き、留学してニューヨークに行くんですけれども、そこで
うちの父親に引っかかってしまうわけなんですが、生涯ね、母は今ももちろん元気でいるんですけれども、母がね、結局3回結婚してるんですけれども、こういうふうにね、芸術家だからすごく情熱的なのねとか言われるんですね。
でもね、たぶんそうじゃなくて、結局こういうふうに強烈な育てられ方をしてるので、発達障害でもあるし、あとアダルトチャイルドですね。要するに子どもの頃に子どもらしく育てられていないので、非常に見てくれは表向きはとても大人びた子どものことです。私もたぶんアダルトチャイルドですね。私も間違いなくアダルトチャイルドだと思います。
だからすごく大人びて、だから幼少期にちょっと苦労しすぎて大人びた人のことですね。母はそういったところがあるので、結局母が精神的に逃れられる場所っていうのは、誰かと結婚して自分の親から逃れるっていう、なんかそういう逃避願望が結婚と結びついているようなところがあるなと思って。
この母のこういった傾向のためにずいぶん私は私で振り回されて苦労はしたんですよね。だって突然誰かと再婚するとか言って、誰かと一緒になったりとかね、私が会ったこともない人とこういうことをされたりとかいろいろあったんですが、
私が思うのは、このシリーズをちょっとやりたいなと思ったのは、親も人間なんですよね。これ確かに母は親としては未熟ですよ。てかそもそも私が生まれてきたきっかけも何にも計画したことじゃないわけじゃないですか。
たまたまは未熟な若者がセックスした季節として見ごもっただけなんでね。ここで子供を産もうって言って、子供を仕込んだわけでもないし、果たしてこの2人は結婚するかどうかも決まってないけれども、ちょっともう産むしかなくなってきて産んだに過ぎないんですよね。
そういう風な行き当たりばったりでやってきて、結局今の私があるんですけれど、これうちの親を責めることはできないと私はいつも思ってるんですよね。
今の人たちは非常に計画的に生きる人が多いように思うんですよね。いくつまでに結婚する、いくつまでに子供を作る、いくつまでにとかね。
とても計画的にやる傾向があるんですけれど、昔の人っていうのはやはりね、もっと世の中が混沌としてましたし、すごく行き当たりばったりですよね、全体的にね。
まあその行き当たりばったりにも程があるんですけどもね、うちの親の場合はもう本当にうっかりぽっかり子供ができただけで、そんな親になる覚悟も何もできてないただのお坊ちゃんとお嬢ちゃんがね、子供作っただけなんで、とは言っても人間っていうのは別に親になったからって突然しっかりしたりね、すごい保護者としてすごい才能を発揮したりという風にはね、多分できてないでしょうと思うんですよね。
結婚の難しさ
だからこの親がダメダメな親だったっていうことで、確かに今こうやって改装すればね、他の自分の、日本に特に帰ってきてからの、自分のだから小学校とか中学とかのね、同級生とかの周り見渡したらなんかうちの家だけなんかちょっと全然違うなっていうふうには確かに思ったんですけれども、
結果的にね、こういうふうに表向きだけ、体裁よくお父さんとお母さんがちゃんといてね、お父さんがちゃんとサラリーマンとして立派に働いて家族を養って、お母さんは専業処分で家のこと全部見て、ちゃんと手作りの料理作って、必ず子供が学校行くときは送ってあげて、子供が家帰ってくるときにはちゃんと家でね、子供たちが帰ってきて出迎えるみたいなことが理想的な家族で、
あくまでも子供を育てる、子供を主体とした家族関係なんですよね。
でも、例えば私がその途中まで言ったアメリカとか、その欧米の社会っていうのは夫婦、だからカップルが主体な家族の価値観なんですよね。だから全然違うんですよ。
親子を起点にしている日本と夫婦を起点にしている欧米で全然価値観が違って、これは私はどちらも間違っていると内心には思っています。
どっちもうまくいかないですね、これは。親子に起点を置こうが、夫婦に起点を置こうが、家族っていうものはすごく難しいもんだなと、成り立たせようと思うととても難しいなと思っています。
だからどっちが正しいというわけじゃないんですが、ただ日本の夫婦の関係が破綻しているのに、子供のために離婚をしないとかっていう価値観もやっぱりおかしいと思うんですよね。
一方、例えばアメリカのように夫婦の関係が破綻したからと言って、子供がいるのにもうさっさと離婚を選択するっていう、これはこれでちょっと安易すぎないかっていうのももちろん思うんですよ。
だからこの結婚というものをいかにうまく成り立たせるかっていう問題はね、ものすごく根源的に深い、難しいというか正直無理なんじゃないのっていうね、私は思ってるんですよね。
だいぶ昔ですけど、結婚っていうのはもう一度で済ませようと思わない方がいいんじゃないかみたいな配信を以前してます。
だからそんな一回の結婚で幸せな結婚をずっと維持させるっていうのは、それは宝くじに当たったみたいな幸運で、大抵無理なんじゃないかなって思うんですよね。
つまり人間っていうのは思っている以上に全然成長しないし、そんなにうまくいかないです。
一人の人とだんだん成長スピードも違うし、そもそも一人の人をずっと好きでいられるリミットが5年っていう科学的研究結果も出てるっていうことも前もお話しして炎上したことがありましたけれども。
なので、なかなか一人と一人の単位っていうのが長続きさせるっていうのは非常に難しくて、これモテない人にとってはすごく素晴らしい制度かもしれませんけど、そこそこ引きがある人たちにとっては苦行でしかないと私はいつも思いますが、
一方でね、私が大好きな桃井香っていう女優さんがいますね。彼女は徹底した独身主義者で、いろんなモテモテだったんですけど、いろんな、西条秀樹が傷だらけのローラっていう有名な曲があって、これを当時付き合っていた桃井香がコンサートに来てて、
ローラ、ローラっていうのを一生懸命桃井がいるところにね、歌っていたっていう有名なエピソードがあるんですけれども、またこうやって西条秀樹に惚れられようがね、引き手アマターだった桃井は絶対結婚とかけっていう感じだったらしいんですよね。結婚なんてうまくいくわけないでしょみたいな感じで、最終誰かとのインタビューで誰だったかな。
なんかでね、徹子の部屋じゃないですけど、なんかのインタビューに出てた時に、もし自分が結婚するんだったらもう晩年になってからするって言ってたんですよ。60過ぎとかね、それぐらいになったらさすがの私ももう落ち着いてるだろうと。
それぐらいの年で一緒になる人とは、その先があと短いじゃないですか。先が短いからきっとうまくいくわって言ったら、本当にそうしましたよね。桃井香里ね。
あの人は長年の友だった人と、それもね、パッと出会った人とじゃなくて、長年の仲良かった音楽プロデューサーのね、すごいかっこいい男の人と結婚しました。この2人同世代でね。
結婚と自由での再出発
で、相手には妻子があったんですけど、多分お互いずっと好きだったんじゃないですか。で、まあめでたくね、人によってはね、略奪混んだとかって悪く言われたりしてましたけど、略奪もクソもなくないと思って。60過ぎてから長年なんとなく気が合う友達で、そこはことなくね、この人のこといいなってお互い思ってた人がね、もういい加減ね、60過ぎたら自由に生きさせてくれって多分あると思うんですよ。
でもこの時にはさすがにちゃんと妻子を養ってね、子供たちの養育とかも全部終わって、残りの20年か30年かね、残りの人生は好きな女性と生き直させてくれっていうのが多分あって、結婚したんですよね。
で、今この2人もラブラブ、あの桃井香里がっていうぐらいね、SNSとかでも夫ののろけとかね、料理自慢とかね、してなんかもうすごいね、なんかあのちょっとね、大輩的だった桃井香里がこういう一面があったのかっていうぐらいすごく今のラブラブなね、自分の結婚生活をすごい披露してますよね。
だから結婚、結婚がね、うちの母もそうなんですよ。うちの母も3度目の結婚をしたのが70過ぎてから。この人とも長年お互い顔見知りの間柄です。
母の仕事仲間の関係者なのでお互いの顔は知ってて、喋ったりとかする相手だったのが急接近して結婚したんですよね。だからわからないもんですよ。で、今一番母はね、3回結婚した中で一番今幸せな結婚をしていますね。
だから遅く出会えば遅い分だけこの夫婦というかカップルはうまくいくんだと思うんですよね。一方ね、若い時っていうのはまだまだ未熟な者同士、未熟っていうのはその人間として未熟っていうだけじゃなくて、その自分というものがまだよくわかってないじゃないですか。自分というのがどういう人間で、どういう性質で、どういう野望を持っているのかとか逆に野望がないのかとか。
何にもわかんない状態で、この人を好みとか言うだけで相手を選んで、その人と一生ずっとうまくいくっていうのは奇跡みたいなもんですよ。だから今離婚したり失敗したと思っている人は全くそんなことを思う必要なくて、むしろ当たり前だと思います。
ただ、そういった問題を難しくさせているのは、私も離婚歴がありますけども、私と違うのはやっぱり子どもがいるっていうことで、子どもの存在のためにこの子たちの父親とか母親を奪うことになるんじゃないかとか。
子どもにとって安全で快適で、とにかく子どもにとっての性域を犯すことになるっていうこの一点でみんな苦しい思いをしていると思うんですよね。それは確かにその通りではあるんですけれど、ちょっとこの日本の家族主義があまりにも親子っていうものを起点に置きすぎているために、
個々のその幸せっていうものを、だから父親にだって母親にだって父と母であるという以前に一人の人間だっていうところがあるじゃないですか。この人たちのその人間的幸せを犠牲にした上で家族っていうものを成り立たせるっていうのはやっぱりちょっとあまりにも無理があると思うんですよね。
これを長らく日本はやりすぎてきた結果、今いろんなところに破綻が来てるんじゃないかということを、前の家事のシリーズとか、こういった世代の問題っていうのは地続きなんだっていうテーマで話している一連のことでちょっと私なりに自分の解釈をお話ししてるんですよね。
あまりにも家族主義、家族っていうものを成り立たせることを最優先にしてきた結果が、いろんな人にね、私はだからそこに関しては女性だけが犠牲になったとは思ってないんですよ。男の人も同じく犠牲者であり、みんながこの家族というユニットを守るがゆえに、各々の幸せとか人間としての尊厳みたいなものをずっと犠牲にしてきているというふうに思うんですよね。
アイデンティティと教育の重要性
そこでね、特に日本においてここがすごくおかしいなってずっと思ってるのが、親になった途端にもう親の顔しかもう認められないような社会なんですよね、日本ってね。もうひとたび結婚して子供ができたらお父さん、お母さん、パパ、ママというその一面しかもう認められてないようなところがあって、
まだ実はそんな大した大人になりきれてないんですよ、ほとんどの人が。とても未熟な一個人でしかないものが突然人の親になった途端に、もうこの親の顔、だから父親だとか母親だっていうアイデンティティだけがもう自分のその人格、表だった人格になってしまうというのは、これはやはりねおかしいなと思うんですよね。
日本はだからもう繰り返し私がこのシリーズでね、あの話してきたように、やはりあのなんていうかなこの私という人間は何者なのかっていうこの根源的な哲学的な問いみたいなことをずっと放置している。
私は私であるっていうね、こういうねあの上層教育を一切やってないんですよね。ちょっと話がまた飛ぶんですけれど、何気なくね、ある時ねテレビを見てたら日曜洋画劇場みたいな感じでたまに民放で映画やってたりするじゃないですか。
でなんとなくもう疲れ果てて家に帰ってきて、何にもする気がなくてテレビをパッと見てて、であのなんかもうチャンネルを変える気力もなんか特に見るともなく見ることってありますよね。
で、あるアニメをやってたんですよね。アメリカのねアニメやってて、全然興味ねえなと思いながら、でもなんとなくボヘーって見てたんですよね。
これはあるペンギンの子供がね、あの何ていうかなその群れの中でねこの北極で、北極か南極かでペンギンの群れの中で生活してるんですけれど、ペンギンはみんなねとても歌がうまい種族としてこのミュージカルなんですね。
アニメミュージカルで描かれてて、みんなはコーラスしたりとかしてこのペンギン村がみんなでこう歌を歌ったりするっていうことをねやってるんですけれど、この主人公のペンギンはね歌が下手なんですよ。音痴でね。
すごい声が悪くて、うわー歌下手ねーみたいなんで、なんかすごい嫌われるんですよ。お前はもう黙っとけみたいな、なんでお前ペンギンなのにそんな歌が下手なのとか言われて、居づらくされて。
でもね、なんで僕はペンギンに生まれたのに歌が下手なんだろうって言って悩んじゃって、旅に出るんですよ。自分を探す旅にね。自分探しの旅に行って、いろんなところ行ってね、違う種族とかペンギン、同じペンギンでもまた種類が違うペンギン。
ペンギン、これ多分ね主人公は皇帝ペンギンだと思うんですけど、いろんなペンギンいるじゃないですか。なんか戸坂があるやつとかね。いろんなところ行って、いろんな群れのとこ行ったり、また他の違う動物とかとも仲良くなったりとかしていろいろ行くと、徐々にね自分が実はねすごいタップダンス、ダンスの名手だってことに気づくんですよ。
であれ、すげえ俺踊り上手いんじゃないみたいな。で踊りめっちゃパッパッパッパッパってタップダンスとかダッダカダッダカって踊れて、すげえって言っておめえすげえじゃんみたいなんで人気者になるんですよね。
だから自分の群れの中では歌が下手で村八部にされて、もう旅に出るしかなくなったこの主人公がいろんなところ旅行しているうちに、実はダンスの名手だってことに気づいて、でもなんかダンスのスターになってね。
でまた自分の村に凱旋してくるっていう、自分探しの旅をね、あの面白おかしい歌って踊れるエンタメのねアニメにしている作品があって、これハッピーフィートっていうあのヒット映画なんですけど、これすごい感動しちゃって。
なんだこれ適当に見てたけどすごい映画じゃんと思ってね。これつまりこんなようなものを、だから欧米の子供っていうのは小さい時からずっと見てるんですよ。だから上層教育としてすごくないです。
あのだから自分は歌が下手かもしれないけど、いやもしかしたらそのだからそこの自分がたまたま生まれ育った村の中では、その歌がうまくなければもう生存の危機みたいなね、だけどもちょっと違う場所に行ったら実は自分はダンスの名手だったっていうことがすごい価値があることで、それでスターになったっていう話なんですよ。
だからね、こんな感じで欧米の子供っていうのは、だから群れの中でいかにうまくやっていくか、この群れでは例えばこの歌えることっていうのが何よりも価値があるからお前も歌えるようにしろみたいなね。
なんでお前歌下手なんだ。隣の何々ちゃんも何々ちゃんもあんなに歌がうまいのになんでお前だけそんな歌が下手なんだとかって言って育てられるんですけども、でも違う場所に行けばお前踊りすげーじゃん教えてよみたいになるっていうね、そういったことがあるから視野を広く持て、そして自分をもっとより広い世界で試してみろっていうね。
だからその1回の何かその自分の環境の中だけで自分を判断しないでもっと広いところで自分というものを試してみなさいっていうことをね小さい時から教え込まれているっていうこの差は何っていう。
日本ってなんか全然宮崎駿とか別に嫌いではないですけども、あの作品見て自分も頑張ろうっていう人あんまりいないと思うんですよね。なんか特別な何かもう神から授かった人がしもじもの人のために頑張るような作品っていう風にしか私には受け取れないんですよね。
でも欧米の作品っていうのはねやはりあの自分探しをしましょうっていう自分のアイデンティティーを確立する自分を発見するということを何よりも大事にしているんですよね。こういった教育って日本はほとんどしてないように思うんですよね。
だから最終的にはねやはり自分を見つめ直す自分を知るっていうやはりね哲学的な訓練っていうのはねえっとその国籍ももちろん性別も年齢も関係なく絶対しなきゃいけないんだなっていう風に思うんですけどこれが欠落しているためにいろいろねあの後々やっぱ苦労しているのがね今の日本人なんだなっていう
軍国主義になっていくのと後その後の戦後はねアメリカに負けてGHQ大戦になる中でねあまり自分の主体性とか個人主義とかねそのなんかいろいろあの各々がね知恵をつけたり主体性を持つっていうことがね良くないっていう風にね意図的に思ったんじゃないかとさえ思ってしまう。
意図的なね何かこうそういう指示があったのかとさえ思ってしまうぐらいね日本人はアイデンティティが欠落してるんですよねそれによるいろんな不幸があってとにかく生きづらいんですよねすべての人たちがねである程度男性の方がまだ多少女性よりもマシなのはすごくしっかり男性はレールが引かれてるからだと思うんですよねその差だけだと思います。
男としてある程度これが一人前な男だよという風にね指し記されているものが女性と比べるとすごく緻密にできてるからなんですよね。
アイデンティティと貧困の現状
ちゃんとやはりちゃんと働いてこれぐらい稼げてちゃんと奥さんと子供養えてこれぐらいの家に住んでとかねなんかすごく男の人の方がわかりやすくレールが敷かれてるのでまだ多少女性に比べると生きやすいかもしれませんがでも男の人とてやはりねアイデンティティの欠落、喪失っていうのはねやはりあって最終的にあまり幸せっていうか幸福感がない人が多いのはそういった理由があると思うんですよね。
確かに日本はどんどん貧しくなってきてますけども世界のいろんな貧困の他の国とかと比べたらまだまだ全然そこまで言うほど貧しくもないしまた治安が悪いわけでもないんですよね。
戦火の中で生きてるようなね今のウクライナとかロシアとかそういう国もいっぱいある中で言うと比較的安全で一応みんながある程度ちゃんと食べていける国にもかかわらずこれほど幸せ度がなくそして自殺がこんなにね毎年多いっていうのもねそういったねアイデンティティがないからだと思うんですよね。
女性の話に戻すと女性はねさらに男性よりもあのやはりねあの苦しんでる悩んでる人が多いのはここが原因だと思います。女としてこれが優れた女の人ですよっていうふうに
押し付けられているアイデンティティっていうのが母であるとか妻であるとかそういったことじゃないですか。これがね自分たちが曲がりなりにもある程度1980年代ぐらいから女性も高等教育を受けれるようになりある程度ねちゃんとしただから学歴とかあとキャリアも形成できるようになった結果ねそこで相互が合わなくなってるんですよね。
なんだかんだ言って相変わらず今でも女性はやはり良き妻良き母になることが美徳とされている価値観が生き残りながらもやはりね自分たちもある程度キャリアとかにね踏み出してきているそのキャリア思考とこういうやはりね家庭の中で女性として家庭に軸を置いた幸せを女性はやはりちゃんと支えるべきなんだっていう
やはりね押し付けられている価値観との間にねどうしても矛盾が生じてうまく生きれなくなってるんですよね。でも欧米みたいにねやはり個人主義で己とは何ぞやっていう風はまいっていうね自分探しみたいなものをねやっぱ探求してきている個人主義の
価値観の国とかだとねそういうふうに自分ももちろん女性とか何人とかっていうその一つの自分の属性にもちろん閉じ込められて苦しんでいるということはあるけれども同時にそういったものすべて取っ払ってね自分が何人だ男性だとか女性だとかそういうことを全部取っ払った中で己とは何者ぞっていうことをねもう長年において何世紀にもわたって訓練されてきている個人主義というのはね
日本の場合は和をもって尊しっていうねもうみんながいい状態がいいことなんだっていうね個人よりもは集団を重んじるだから家族一人一人の個人よりも集団がうまくいかないとダメなんだっていう価値観がでもねやはり今の現代社会っていうのはその日本が鎖国状態で日本だけで日本オリジナルだけで生きてる社会じゃないじゃないですか
やはりもう欧米の社会とほとんど同じでそういうシステムで世界がもグローバルで同じような価値観で動いていってる中でね相変わらずそこの個人主義とかその家族主義的なところがアップデートできてないっていうのが今の日本の現在地なのかなと思ったりするんですよねちょっとね今回ファミリーヒストリーからだいぶ脱線したんですけれども続きはまた次回といたしますご機嫌よう