1. Om Shanthi 明日を生きやすくするラジオ
  2. ゲスト あの!清水誠也さん..
2023-11-29 22:46

ゲスト あの!清水誠也さんの過去を丸裸にしちゃいました!

▼アシュタンガヨガ神戸関連リンク webサイト→https://ashtangayoga-kobe.com

Instagram→https://instagram.com/ashtanga_yoga_kobe/

YouTube→https://youtube.com/@seiyashimizu4559 清水誠也さんをゲストにお招きして、これまでのお話を根掘り葉掘り聞いちゃいました! ・清水誠也 ・アシュタンガヨガ神戸 ・禅寺 ・悟り ・ブルーハーツ ・ロバートハリス ・エグザイルス ・バックパッカー ・インド ・ヨガ ・エアーズロック ・トランス ・ケンハラクマ ・kpjayi ・正式指導者


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サマリー

番組では、明日を生きやすくするをテーマにしています。私たちは夫婦でお送りしており、ヨガの学びを交えたささやかなトークを提供しています。今回のゲストは、ヨガティーターの清水誠也さんです。彼の経歴や幼少期についてお話ししています。清水誠也さんの過去を掘り下げたエピソードでは、彼が高校生の頃に読んだ本からパンクロックの価値観に影響を受け、旅とヨガに興味を持ち始めたことが語られます。また、大学生の時にはオーストラリアで旅をし、インドのヨガの先生になることを目指していた清水さんの心情も明らかにされています。清水誠也さんは2012年にインドへ旅行し、6年間通ってアスタンガヨガの指導者の資格を取得しました。現在は日本でアスタンガヨガの普及に力を注いでいます。

00:04
スピーカー 2
さまて、みなさんおはようございます。YOGA LIFE smsuun ヨガティーターのまりこです。
スピーカー 1
夫の原介です。
スピーカー 2
この番組では、明日を生きやすくするをテーマに、
ヨガの学びを交えた私たち夫婦のたわいもないトークを、
月曜から金曜に、福岡の山小屋よりお届けします。
スピーカー 1
はい、Om Shanthi 明日を生きやすくするラジオ、オムラジ始まりました。
よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
はい、おや、誰かの声が聞こえましたね。
本日は11月の16日、木曜日です。
はい、昼間ね、今収録してるんですけど、
勘のいい方は気づいてるかもしれません。
ゲスト回です。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
あのね、前回のね、結城先生の収録もあのゲスト回だったから、
とても緊張したんだけど、
そのちょっとね、気にならない、
対面じゃないから、Zoomで今つないでるんですけど、緊張しますね。
早速ご紹介させていただきたいと思います。
清水誠也の経歴
スピーカー 1
清水聖弥さんです。
スピーカー 2
皆さんこんにちは。
マリコさん、清水さんこんにちは。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
改めまして、
アシュタンガヨガ神戸、そしてオンラインヨガコミュニティ朝ヨガ生の清水聖弥です。
よろしくお願いします。
スピーカー 1
はい、ありがとうございます。
スピーカー 2
聞こえないけどいいんじゃない?
スピーカー 1
何が?
聖弥さんの声。
あ、そうだ。
スピーカー 2
今、清水さんだけ聞こえてて、マリコさん聞こえてなかったんですね。
そうでした。
なんとなくこれも聞こえてたけど。
失礼します。
スピーカー 1
で、前回はね、ゆき先生から続きまして、
ちょっと2人目の公開か3人目の公開になるかわかんないんですけど、
ゲストをお越しいただきました。
今Zoomでつながってます。
なので今、神戸からってことですよね?
はい。
スピーカー 2
今日は神戸の自宅からです。
スピーカー 1
はい。
どこから紹介しようかな。
まず、清水さんは、
僕がですね、最初に知ったのは、
割と最近のお話なんですけど、
お名前ですね。
クラウドファンディングみたいにされてましたよね?
はい。
アスタンガヨガ・アヌシターナという、これはどういう本でしたっけ?
スピーカー 2
はい。アスタンガヨガ・アヌシターナ。
スピーカー 1
アヌシターナ。
スピーカー 2
シャラード先生が書かれている、
アスタンガヨガの教本になるんですが、
アスタンガヨガについて簡潔に書かれ、
そしてプライマリーシリーズ、
全てのアーサナの瓶屋さんが写真付けで載っている、
すごいわかりやすい、
アスタンガヨガの教科書と言ってもいいのではないかなと思っております。
そういった本ですね。
スピーカー 1
まさに教科書ですよね。
はい。
これをクラウドファンディングで作るときにやっていて、
僕らも買わせていただいて、
ありがとうございます。
プロモーションというかね、
手でされてたんですよね。
はい。
知りました。
知ってみたら今度お顔を見て、
この人どこかで見たことあるなみたいな感じになって、
そしたらYouTubeとかで結構ヨガジェネレーションのね、
アーサナやってるやつとか出てたりされてて、
知ったので、
僕からしたら、
というか僕らからしたらね、
遠い存在のような、
と思って奪いたんですけど、
相談したら心よく引き受けてくださるということで、
今日まさに今ね、
お話できてます。
はい。
スピーカー 2
ちなみに私、
10年ぐらい前から、
ユキ先生ね、
この間の先生から、
セイさんの名前よく聞いていたし、
メディアでもよくお見かけしてたんで、
私も本当に有名人っていう。
いやいやいや。
見てたので、
お会いできて嬉しいです。
それで言ったら僕も、
2人の存在はYouTubeで拝見していたので、
今回ご連絡いただいて、
ご連絡いただけるんだと思って、
すごい嬉しかったですね。
スピーカー 1
本当に恐縮ですけど。
今日はですね、
いろいろお話ししたいことがあるんですけど、
1時間弱の時間で、
セイさんのことをあまり詳しくは知らない方、
僕もそうだったんですけど、
お名前聞いてどんな方っていうのは知ってるけど、
経歴とかですね、
知らない方にやっぱり自己紹介とか、
していただきたいので、
それと、
それが主になると思うんですけど、
後半というかでは、
アスタンガヨガの未来について、
未来というか、
これからですかね、
について一緒に話し合うじゃないけど、
お話なんか談義というか、
みたいな出来たらいいなって思ってます。
はい。
で、
まずセイヤーさん自己紹介を、
年表的な、
何年っていうのは別に分かんなくていいので、
年表的な感じで、
幼少期はもうはしょってもらってもいいですけど、
いいぐらいからお話いただいてもいいですか。
で、
ちょっと気になったことがあったら、
質問させていただきます。
いや、
スピーカー 2
これは本当どこから話すか、
どこまで振り返った時に、
僕のヨガの始まりはどこだったのか、
これ振り返り方によると思うんですよね。
でもね、
スピーカー 1
セイヤーさん、
ヨガの前に、
どんなお子さんだったのか知りたいです。
幼少期からの意識
スピーカー 2
僕は三人兄弟の末っ子で、
で、
茨城県北茨城市、
これは関東の最北端、
そして東北の一番南の県境なんですよね。
で、
東北弁の喋り方で、
地元の喋り方は、
僕は元々東北弁、
茨城弁なんですけどね。
その中で三人兄弟の末っ子で育ち、
で、
すごくお兄ちゃんお姉ちゃん僕だったので、
僕は比較的お兄ちゃんの影響を受けながら、
あと、
おじさんに禅寺のお坊さんがいて、
その人の禅寺の、
禅の考え方みたいなのを、
幼少期の頃から、
ちょっとずつちょっとずつ、
自分の中に入っていたっていうのが、
結構ヨガをすんなり始めたきっかけにも、
なっているっていうのは、
振り返って思うことですね。
スピーカー 1
その子供の頃って、
ここあんまり掘ってもしょうがないと思うんですけど、
どういうふうに感じてたんですか?
そういうお話聞いたりして。
スピーカー 2
僕、
これも僕の人生振り返った時の、
結構大きな出来事で、
幼稚園生の時初めて友達になった、
一番仲良かった友達が、
白血病になって、
小学校4年生の時に亡くなったんですよ。
幼稚園から糖尿してるのも知ってたんで、
すごい頑張ってたけど、
亡くなってしまって、
次は俺の番だっていうか、
みんないつ死ぬかわかんないなっていう、
すごい強烈な死に対する意識が芽生えたんですよね。
その時、結構人生についても、
多分考え出すの早かった気もするんですけど、
生きるって何だろうっていうのを、
その頃から考え出した時に、
しばらくして、
小学校6年生の時に、
4つ離れたお兄ちゃんが、
ブルーハーツのビデオを見せてくれて、
僕はその時、
すごくブルーハーツに、
これだと思って。
俺が生きることだと思って。
人生っていうのは、
死ぬことですごく人生って何だろうって、
考え出したんですけど、
生きることなんだ。
そして自分の好きなことを探さなきゃいけないし、
一生懸命生きる何か自分の生き甲斐みたいなの、
それをこれから大人になるまでに、
探さなきゃいけないなっていうのを、
小学校6年生の時に結構強く思ったんですよね。
今も実は僕の頭の中の半分ぐらいって、
性格の半分ぐらいって、
小6から中学3年間の、
あの4年間ぐらいの性格が、
僕の中にかなり今も強く残ってて、
何かする時に、
あの時の自分の気持ち裏切らないようにしようっていう、
そういう選択を、
それ以降かなりの分岐点で、
するようになったっていうのは、
何か今こう振り返りながら、
スピーカー 1
強く思うとこですね。
その幼少期から振り返ってよかったです。
パンクロックとの出会い
スピーカー 1
なかなかね、
そうそう、
その友人が気づきを与えてくれたっていうことになるんでしょうけど、
なかなかそんなこと考える小学生。
ちょっと爪の赤を送っていただいてもいいですか。
いただきたいです。
スピーカー 2
なんとなくそういうふうに言うと、
かっこよく聞こえるかもしれないですけど、
ただ僕の中では普通な幼少期を過ごしつつ、
ただやっぱその小6の、
小学生の時の友達の人、
小6から出会ったパンクロックっていうのが、
僕の中ではすごく、
もう学校とか社会とか、
そういうことじゃなくて、
生きるって、
ヒロトとかマーシーみたいに、
ああいうふうな大人になりたいなっていうのを、
すごくこう、
10代の頃は特に思ってました。
スピーカー 1
僕もあの、
ロクデナシ2を聞きながらそう思ってました。
スピーカー 2
ヤング&プリティですね。
スピーカー 1
これ掘るともう多分、
一生終わらないでやるんですよ。
そっかそっか。
スピーカー 2
続きを。
ここからまた、
僕の中ではパンクロックっていうのが、
パンクロックの価値観からの影響
スピーカー 2
一つ自分の心にあったんですけど、
パンクロックの価値観ですよね。
そのまま、
高校生の時に、
これをまた自分の兄から、
これ面白いから読んでみなって言われて、
ロバート・ハリスっていう人の、
エグゼイプスっていう本を読んだんですよ。
これは、
ロバート・ハリスっていう方は、
日本人なんですね。
ハーフで、
日本語の本なんですけども、
その人が旅をしてた人で、
旅の辞典であり、
旅の本だったんです。
ハリスは旅をしながら、
大人になる前に、
旅の最後に、
これからどういう将来を歩もうって、
悩んだ時があって、
その時、
ある冒険家の、
人生の100のリストっていう記事を読んで、
その冒険家は100のリストを書いて、
その100のリストを達成した時の記事だったらしいんですよ。
ハリスはそれにすごくワクワクして、
俺も100のリストを書いたんだって、
その本に書いてあって、
僕も高校3年生の時に、
死ぬまでにする100のリストっていうのを作ったんですよね。
その時すでに、
ヒクソン・グレイシーは、
日本の格闘技シーンに、
すごい影響を与えていて、
僕が高校生、
90年代後半っていうのは、
日本の総合格闘技ブームもすごい盛んで、
最強は誰だっていうのが、
マニアのみならず、
一般の人でもちょっと気になるぐらい、
ムーブメントがあったかと思うんですが、
そして、
当時最強と言われていたヒクソン・グレイシーが、
ヨガをやっている。
そして、最後の試合から遠ざかったまま、
ヨガの道に入っているような雰囲気を見て、
僕は旅をしたいとも思ったし、
ヨガをしたいとも思ったし、
叔父が禅太郎のお坊さんだったので、
悟りというものに興味もあったし、
修行にも興味があったし、
そして、小6の時の、
自分の生きがいを探さなきゃいけない。
じゃあ俺は生きがいを探すために、
一回旅に出ようと思って、
僕は進学して大学に行くんですけど、
大学4年間、
夏休みと冬休み、
ずっと海外をバックパッカーみたいな旅をするっていう、
4年間を過ごすことになりました。
で、実は…
あ、ごめんなさい。
スピーカー 1
いえいえ、大丈夫です。
スピーカー 2
喋りたがりでごめんなさい。
スピーカー 1
喋り倒してもらった方が今日はいいです。
スピーカー 2
その時、初めに選んだのが、
パンクロックが好きだったから、
一旦まず最初は、
ロンドンにパンクスを見に行こうと思って、
大学1年生の夏休みはロンドンにしたんですよ。
そしたらたまたま道端で、
コウモトヒロトに会って。
スピーカー 1
うわー、それ僕の友達も同じこと言ってました。
スピーカー 2
あー、本当ですか。
スピーカー 1
結構ね、多分ね、ロンドンぐらいからしてるんですよね。
向こう行ってる時にね、普通にね。
いや、できないから、やっぱりそういうことはね。
スピーカー 2
すごくお声掛けして、
ヒロトさんですよね、
毎年ツアー行って大ファンです。
そしたらヒロトさんもそうだよ、なんて言って。
ちょうど今、僕の部屋に当時の写真があるんですけど、
一緒に写真撮ってもらって。
スピーカー 1
ちょっと自分の顔にアイコラしたいな、それ。
スピーカー 2
隣はね、ベースの調べサキストさん、
ハイローズのベースの方と僕とヒロトさんなんですけど。
スピーカー 1
あー、そうなんだ、へー。
スピーカー 2
見たい、もうちょっと若い時の。
それでなんか僕は、なんかすごいスッキリしちゃって、
もうパンクロックじゃなくて、世界中旅したい。
夏が終わり、冬からバックパッカーみたいな感じで、
アジア旅するようになって、
旅をしていくのでね、やっぱり大学生なんでね、
インド行きたいってなるし。
大学3年生の夏休みにインドに行って。
スピーカー 1
ヨガの本場っていうことで。
スピーカー 2
いやいや、その前ですね。
とりあえず旅をしてるから、
バックパッカーの中ではやっぱりインドっていうのは一つの旅の聖地というか。
で、インド行かなきゃなんか旅してるって拍がつかないなみたいな。
東南アジアも大体ぐるっと一周したので、
まあそろそろインドということで、3年生の夏休みインドに行って、
帰ってきてからもう頭の中インドから離れなくて、
また冬にインドに、大学3年生の冬休みもまたインドに行って、
そしたらその2回目のインドの時に、
ヨガを教わる機会があって、
そこからヨガを始めることになりました。
旅とヨガへの興味の芽生え
スピーカー 2
なんか簡単に振り返ると、ヨガまで行ってやればそういう流れですね。
スピーカー 1
なるほど。濃いなんか。濃いし、
ここまでのその多分壮大なストーリーを、
かなり手短に上手にまとめたね。
まあ何回もお話しされてるんでしょうね。
ちなみに僕がちょっと気になったのは、
その後の話になってると思う。
でもそうか、わかんないけど、
この間ちょっとチラッと聞いた、
山小屋でお仕事してたとか、
あとファーム、誰だったかな、
どなたかとインタビューされたり、
僕もファーム行ってたみたいなことで、
この辺をチラッと聞きたいです。
スピーカー 2
大学3年生の冬、僕はヨガを、
僕はその時旅をしてたので、
そこから僕の音楽の関心が、
トランスパーティー、
トランスの4つ打ちのダンスミュージックですね、
の世界が僕はだんだん関心が移っていって、
トランスの世界って、
ヨガやってる人すごい多いんですよ。
インドで僕にヨガを教えてくれた人は、
トランスのDJの人で、
絶対ヨガやったほうがいいよって、
セアはこのタイミングでやってって言われて、
始めるようになって、
大学を卒業する時になっても、
もう僕の中では就職っていうのはもう選択肢してなかったので、
どうやって旅を続けようか、
どうやってまたそういう音楽のシーン、
旅のシーン、いろいろ探求をしようかってなった時に、
一番都合が良かったのが、
ワーキングホリデーっていうビザで、
オーストラリアに行って、
オーストラリアに行って、
当時は2年間、
今もそうだと思うんですけど、
ワーキングホリデーのビザが降りたので、
2年かけて車でぐるーっと一周しながら、
ファームに行ってピッキングする、
どっかパーティーシーズンになったらパーティーに行く、
お金なくなったらピッキングするみたいなので、
ぐるーっと一周して、
そしたら今の妻と出会って、
一緒の時。
そこからまた僕は、
オーストラリアって真ん中にエアーズロックがあるので、
外回り一周したけど、
真ん中行かないと気が済まないと思って、
女の子を誘って、
エアーズロック目指して、
気が途中で、
途中でというか、
最初からそのつもりでしたけど、
付き合うことになって、
エアーズロック終わって帰ってきて、
一緒に日本に帰ってくる。
これ2年間も終わったし、
僕も大学卒業して、
2年間経ってしまったので、
何かしなきゃいけないっていう理由が、
必要だと。
両方の親にもね、
何すんだっていう理由が必要だったので、
けど僕はインドに行きたい。
もうインドに行くしか考えてなかったので、
ヨガの先生が一番いいなと思って。
ヨガの先生やりたいって言ったら、
インド行くって言っても、
言い訳になるなと思って、
そして、
ヨガの先生やりたいから、
インドに行くことを目指すんだ、
っていう言い訳を、
とかに言って。
そして、小木久保に引っ越しして、
インドに毎年通ってるっていう、
ロンゲの先生がいると。
なんか小木久保にいるらしいと。
で、門を叩いたら、
インターナショナルヨガセンターの
ケン・ハルクマン先生の
マイソルクラスだったので、
そこに通い出す。
ただ当時もうケン先生はフェードアウトしていて、
僕が通い出した時には、
木下慶子先生がそのマイソルクラスを
引き継いでいて、
3年間アシュタイマヤを練習し、
そして、
2012年になってから、
インドに通い出すことにして、
で、もう今度通い続けなきゃいけないから、
というのは毎年そこで
スピーカー 1
修行するべきだから、
スピーカー 2
というかそういうことですよね。
はい。もう僕の中でその時は、
インドに通って、その時はまだちょっと弱気で、
ヨガの先生やりたいんですって、
心からみんなに言えなかったんですよね。
自信がなくて。
ただ1年目のインドマイソルに行った時に、
さらしなゆうやさんと出会ったり、
京都の矢野内慶子君と出会ったり、
徳島のドニー君と出会ったりして、
来年もまた会おうねって約束をして、
次の年から
名古屋の京平君と出会ったり、
みんな毎年来年またインドで会おう
っていうのを合言葉に、
けど日本に帰ったら、
もう7ヶ月でインドに向かわなきゃいけないから、
その7ヶ月間
清水誠也さんのインドでの経験
スピーカー 2
僕にとって一番都合がいいのが、
山小屋での季節労働だったんですよ。
なるほど。
僕は2012年の夏から
2012年5ヶ月インドに行って、
帰ってきてから
長野県稲城にある
南アルプス国立公園
南アルプスですね。
南アルプスの山小屋に住み込みで
仕事をして、
シーズンが終わったらインドに行って、
帰ってきたら山小屋に戻って、
インド山小屋、インド山小屋っていうのを
スピーカー 1
繰り返した。
なるほど。
映画作りましょうよ。
羨ましい。
ロボトリップムービーじゃないけど、
楽しくその年表をずっと
追っていく映画を見たいです。
スピーカー 1
すみません。
どんどん進行していかないと時間がない。
そうですね。
インドに通うようになって、
ここ少しお話させてもらいますけど、
何回ぐらい通われたんでしたか?
スピーカー 2
最後に行ったのが
6回目かな。
今、
シャラット先生の元には
2012、13、
14、15、16、
子供ができて1年休んで、
18年に子供と一緒に行って、
そこからまた
スピーカー 1
行ってないです。
スピーカー 2
18年は何月ですか?
スピーカー 1
6月、7月ですね。
スピーカー 2
僕らよりも2年前ですね。
夏、開いた時期があって、
0歳の子供と、
向こうで1歳の誕生日を迎えて。
スピーカー 1
その6年の中で、
どこかで正式指導者の認定を
いただいたということですよね。
そうですね。
スピーカー 2
それが12、13、14、15、16、
2016年ですね。
僕の記憶は
15年だった気がするけど、
指数えてみると、
15年か16年。
確か5回目だったので、
スピーカー 1
16年だと思います。
そこから事業は別として、
今のところインドに行かなくなって、
アスタンガヨガの復旧というか、
もちろんスタジオの発展も含めてだと思いますけど、
精力的に活動されていると。
その中でさっきの
アヌスターナ
とかの流れもあったのかと思うんですけど、
ちなみにこの本はどういう経緯で
されることになったんですか?
スピーカー 2
まず、僕が通い出して
2012年はなくて、
2013年に
最初の1冊目が出たんですよ。英語版が。
そこから改正が何回かあって、
今の形になったのが
たぶん3冊目だと思うんですよね。
3rd Editionだと思うんですけど。
英語版で、実際
写真で見れちゃうから、
英語版をみんなテッチながら。だけど、
僕英語得意じゃないので、
ちゃんと読みたいなと思いながら、
時間が経っていって、
僕は2010年代のインドに通っている
アスタンガヨガシーン、日本のシーン
っていうのはだいたい把握していたので、
その上で
誰かがこれを進めるような気配が
感じられなかったんですよね。
僕はずっと待ってたんですよ。
誰かがやってくれる人がいたら
一番それがいいなって思って、
待ってたんですけど、あれもしかしたら
このまま誰もやらないかもしれないなって
徐々に思い出して、あれもしかしたら
こういうの、いつか
僕がやりたいと思う時に
誰もやりだしてなくて、
できたらいいなって思うように変わっていって、
そしたら2020年コロナが来て、
あ、これこのタイミングだって
その時すぐ思ったんですよね。
で、何人かの方に
お話を通しながら
進められるような流れになって、
そして僕がどんどん
いろいろ声を掛けながら進めさせてもらったという形です。
スピーカー 1
ちなみに直樹さん
翻訳されてるじゃないですか、
僕、直樹さんとおなちゅうです。
どうでもいいんですけど。
面白いでしょ。
スピーカー 2
そうです。
スピーカー 1
あ、そうなんですね。
そんなに親しくないんですよ。
知らなかったんですけど、3年前ぐらいのSYC行った時に
直樹さんとお話ね、
こういう風に話したら、
千葉出身、え、千葉の?みたいな感じで言ってたら
おなちゅうだったんですよ。
スピーカー 2
そしたら僕、何人か
知ってる人いるんで、
多分直樹さんの先輩とか同年代だと思うので
仲良かったから。
スピーカー 1
先輩だったとしたら
スピーカー 2
僕と同級生とかの可能性もありますよね。
またOASの話ししましょう、今度。
スピーカー 1
はい。
というわけでね、
アスタンガヨガの未来について
スピーカー 1
前半でドラマチックなね、
青春時代を過ごし旅をして
インドに行き、そこでね
正式指導者もいただいて
6年通った後に今、日本で
アスタンガヨガの普及に尽力されている
というのかと思いますけど
僕はね、今回千葉さんとお話ししたかったのは
本当にあの
僭越なんですけど
自分たちもね、アスタンガヨガを
一生懸命やって伝えていきたいっていう
中で、一緒にこう
アスタンガヨガの未来を
誰かとよくしていきたい。
僕たちだけじゃもう何もできないのはもうね
自分たちによく分かってるんで
みなさん先輩方のお力を借りながら
一緒に協力してやっていきたい
っていう気持ちがあって
今日お話しさせていただいたっていう
僕の中で経緯があるので
後半はね、一緒にその未来について
お話ししていけたらなと思います。
いやーでもこれ
僕、あまりにも千葉さんには
共感というか
似たところもすごいあって
ブルーアートのこともそうだし
山小屋のこともそうだけど
格闘技もそうですね。
もうなんかね、ちょっともう忘れちゃいましたけど
聞いてる中でそのお話掘りたいって思ったのは
100個ぐらいあったんで
それ収録できないんで
神戸に行った際にはぜひ
ゆっくりお話し聞かせてください。
ぜひぜひ。はい。ありがとうございます。
はい、じゃあまた次回ね
みなさんお楽しみに心待ちにしていただければと思います。
はい。
じゃあ今日は千葉さんどうもありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
ありがとうございます。楽しかったです。ありがとうございます。
ご視聴いただいた皆様ありがとうございます。
次も聞いてください。
スピーカー 1
そうですね。千葉さんもぜひ
できるところでシェアしていただけたら嬉しいです。
スピーカー 2
はい。ありがとうございます。
スピーカー 1
じゃあ丸子さん締めのだけ千葉さんも一緒に。
はい。
スピーカー 2
はい。それでは今日も一日
みなさんが心穏やかに過ごせますように
せーの
ナマステ
22:46

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