この番組、水星移住計画は、株式会社水星による聞く人皆様のライフスタイルの選択肢を広げることを目的としたポッドキャスト番組です。
というところでですね、今回はちょっと特別企画として、水星の創業期というものに焦点を当て、創業期といえば2015年会社が一番始まった時に、
はじめはねこしょうこさんが創業されたということなんですけど、そこから初期にジョインをされて、今はもうCEOを、すごい会社でも偉い人みたいな。
両守さん。まさかポッドキャストに出てこられるのはという。初降臨。初降臨です。
ポッドキャスト喋るイメージみたいなのが、もしかしたらない人もいるかもしれない。みんな気になってるから。
そうですね。最終兵器というか、天下の宝刀と言いますか、はい。なので、というところと、あとは学生時代からですかね。大学3年生からホテルC京都とか他の施設でインターンをして、そのまま
彗星に入社をして、降臨拠の支配人を得て、今プロデュース事業部という、割と彗星のキャリアを現場から上まで知り尽くしているという。
火災、あっちや。ポッドキャストは2回目かもしれないです。降臨拠の時に1回。
あとは代表の翔吾さんというところで、あとは企画広報採用担当の金井塚。今日は金井塚と翔吾さんが聞き手になりつつ、初期の彗星を支えた、かつ初期はバリバリ現場をサバイブしてぶん回していたという、小子森さんと火災さんに初期ならではのお話。
今なかなか表に出ることも。話せない話も多いね。話せない話も。ここだけの話をたくさんしていけたらなというふうに思いますというところで。よろしくお願いいたします。
時系列みたいなところからいくと、フラノ時代から始まる。僕もちょっと知らないところもあるかなと思うんですけど、2015年夏?
5月ぐらいですかね。5月ぐらいに翔吾さんが開業される。当時はもうそのお母さんとあと何人か雇っているバイトの方?
基本私と母でやってて、清掃だけ人を雇ってたんですけど、地域の女性支援センターみたいなところからシングルマザーの方をいっぱい紹介していただいて、
シングルマザーのお母さんお姉さんたちと一緒に仕事してたみたいな感じだったんですけど、これ今めっちゃ言いたいのが、うち当時13室あって毎日40人ぐらいお客さん来てたんですけど、全員の名前を覚えてたんですよ。
やってないでしょ?火災の時代まで。13室。代表者の名前ですら覚えてないんちゃう?覚えてない。覚えれる。海外の方ばっか?
海外の方ばっか。しかも代表者の名前しかわかんないから、家族の名前とか全部教えてもらって、全員名前読んでた。
すげー。できる?火災でできるの?
ちょっとすごい伝説。創業者。知らない時代のいきなりのマウントキャンペーン。
それどっかで学んだんですか?なんでやろうと思ったの?
どこで価値発揮したらいいかわからなかった。無料でできるサービスの名前呼ぶしかない。
自分の記憶力だけでいける。嬉しいですもんね。名前を選んだら。
ソフトパワーで体験を勝ち上げてるということで。
職さんの現場の本職日記の記事でも、洗い場で寝てたみたいな。
脱衣所で寝てた。
普段私は地下室で寝てた。電車の中に住み込んでて。
カフェ行ったことある?
初めは地下室で寝てたんだけど、途中から一人社員さんの方が来たから、地下室半分にして暮らしてたんだけど、
当時OTAとかうまく繋げれてなかったから、結構ダブルブッキングめっちゃ起きたりしてて。
そうなるとどうしようもないから、自分たちのスタッフルームをめっちゃ綺麗にして、
お客さんにそこに泊まっていただいて、
彼女らは大浴場の脱衣所で寝るっていう生活を送ってた。
もう一つショウコさんの好きなエピソードでいくと、
当時その事業場とする前のペンションのオーナーは電話のみの予約を受け付けていて、
そこからネットのOTAとかをショウコさんが聞きついてから導入して、
それが開通した瞬間かなんかにめちゃめちゃ予約が埋まりまくって、ファックスで床が埋め尽くされたみたいな話が記憶に残ってるんですけど。
めっちゃ泣きましたね。
初め、うちらが入る前のオーナーさんってデカいノート買って、そこに線引いて表紙作って、
予約来たら付箋名前書いて貼って、キャンセルしたら剥がすって言うようだったんですよ。
そこに私が渋谷のグランベルホテルで学んだ、
サイトコントローラーとOTAで接続してやるっていうのを導入したんだけど、
手間いらず、サイトコントローラーの導入時期、一番最後でOTAが最初だったの。
初め、全部手動でやってたの。
ブッキングで1予約されたからジャランとか全部もう1減らすみたいな。
そんな予約するんですか。
で、キャンセルされたら1増やすみたいなことをやってて、
常に通知来た、だから初めファックス使ってたんだよ。
通知来たらリアルタイムで分かんないといけないから、部屋中ファックスまみれで常に来たら触るってことをやるの。
だからダブルブッキングめっちゃ起きたんだよね。
ただ、これサイトコントローラーの話関係ないんだけど、
初めはエアビーだけでやってたんですよ。
エアビーが一番早く始められて、
ブッキングは1ヶ月くらい審査に時間がかかったような気がしてて、
エアビーだと全然お客さん入ってこなくて、
しかも季節も5月とか6月だったから、
予約がなくて、毎日待ってるんだけど全然お客さん来ない。
その時期があるんですね。
でもさすがにあと1週間くらい予約もないし、
旅行行こうっつって、
母と一緒にトマムに旅行行って、
で、帰り道でちょっと喧嘩とかして、
契約の雰囲気になりながら、
やってはみたものが全然予約が入らないみたいな。
そういうのもあって、帰り道に帰ってきたら、
ペンションからめっちゃ物音がして、
え、怖って思って、女2人だし、怖いって思って、
それをそれ中入ったら、
管理人室の中から大量にファクスがもらわれて、
うちの場所も。
本当にすごい。
ブッキング.コムがその日に開通した。
申請してたのが?
そう。申請したのがようやく開通されたのがその日で、
夏のフランの半分期で、5月6月とかって全部埋まってる中で、
急に13室がバンって出てきたから、
管理人から予約入ってきて、
それが忙しい夏の始まりでした。
みたいな感じなんだけど。
MXってのを知らんかった。
ファクス大量がわーってなってるみたいな、
めっちゃ情景が浮かぶ。
母と抱き合って泣いて喜んだ、みたいな感じの。
ドラマ家の時の伝説が採用される。
そうなんですよ。
それで祖父さん、フランの時代祖父さんとお母さんだけでやってた時期は、
そういう話もありという、バイピロームがありつつ、
そこから市京都、本格的にご自身が中古時代を過ごされた京都ですから、
初めて自分で土地を買ってホテルを建てるというのをやっていく中で、
1号目社員、凌介大盲という。
そうですね。
ほぼ。
ほぼ。
ほぼ。
ほぼ1人目みたいな。
まあまあまあまあまあ。
ニアリー。
創業メンバー。
創業メンバー、初期メンバーというか、
16年3月とかですね。
でも本当の意味で、それまでペンションの時は家業だったんで、実際。
それがちゃんと事業として、
家族以外の人とちゃんと体系的にやっていく、みたいなのが2016年のタイミングで、
それをやってくれたのが大小森さんが中心だったっていう感じなんですよ。
ちゃんと京都に開ける計画があったんですか?
いや、それもともとはなかったです。
普段はやってる最中に物件見つけて、やったっていう。
やったら採用しないといけないっていう。
そう、採用しなきゃってなって、
大小森さんはエリートコースを爆走したのに、
何かの気の迷いで紛れ込んできたっていう。
いや、そんなことない。
すごい意地悪。
優秀してる。
大小森さん入社までの経緯はオンテトリの昔の記事とかでも聞かせた。
あれ、大小森さん側の時間、
小小さんは普段の出の前に成功があり、京都に物件を見つかっていた。
大小森さんはその時の時間軸でエリートカイドを爆走しつつ、
何がどうなって、こんなホテルのフロントに、
数ヶ月後にホテルのフロントに立っている、みたいな状態になったんでしょうか?
そのオンテトリにも書いてますけども、
もともとそういう企業を叱り宿泊業みたいな興味があり、
小小さんのYouMeetの記事みたいなのを友達が見つけて教えてくれて、
で、それを見て、その求人ホテル室か何かですよね。
連絡し、そしたら2週間後に小小さんから急に英語で電話がかかって、
Hi, I'm Shokoって電話がかかって、急に電話で英語のテスト。
もともとその時って京都でホテルオープンで、
海外の人めちゃくちゃ来るし、フラノもそうだったから、
英語面接も兼ねて、あと度胸も兼ねて、英語で電話が来て、
それに俺もおどおどしながら答えて、採用ですって言ってもらって、
でも人がほんとにいないし、すぐ会いちゃうから急いで来てほしいみたいになり、
もう全職、退職、最終出社日の3日後ぐらいには、
京都でも仕事してたみたいな感じでした。
言い訳すると、うちがヤベェ奴みたいに思われると思うんだけど、
無機物英語面接の伝統はその後に引き継がれたみたいな噂を聞いた気もする。
背景として、うちがホテルでアルバイトをしてたんですけど、
その年の秋ぐらいかな、半年前ぐらいに、
フラノが秋換算期だから、その時期クローズして、
自分は京都で清掃のアルバイトとか、夜勤のアルバイトとかしてたんですよ。
その時に清掃のアルバイトをしてる時に、フロントのアルバイトもしたかったから、
清掃会社のアルバイトで入ったんだけど、
支配人に直談判して、フロントに移してもらったの。
そういう時に、支配人にメッセージしてもらった時に、
急に英語で話しかけられたから、
あ、これやっていいんだって思って、
他の方にも転用したっていう感じなんですよ。
大西さん、決断力がすごいですね。
今でこそ大企業からスタートアップとか、
結構当たり前のやつありますよね。
いろんな人、メディアに出たりしますけど、
あんまり周りからしたら、こいつ何考えてるの?みたいな感じじゃなかったですか?
自分の強い意志。
もう強い意志ですね。それはやっぱりありましたけど。
スタートアップで勝ち上手になってきてるからとか、
めっちゃ大型調達してるから、
ちょっと転職しようみたいな人っているけど、
スタートアップとも言えない状態というか、
で、ホテル王になるって言ってる。
20歳の女子と働こうみたいになるのがすごいと思ってて。
逆にバリュー発揮できるかもしれないなっていうのもあったかもしれないです。
自分が学んだ数少ない1年間の仕事ですけど、
それが活かせる場があるかもっていうのも一つあったかも。
間違いない。前に言ってたように、
うちが大本森さんより年上でコンサル出てるみたいな人だったら、
こんな活躍できなかったかもみたいなことを言ってたというか。
入った後がすごい宝の山だったというか、
自分でよくできるところがいっぱいあるなっていうのがあったのをすごい覚えてますよね。
スタートアップの鏡ですね、時効が。
本当にすごいことがあったのが、
さっき自分が前職時代にやってたやり方を自分たちなりにアレンジして、
フラノのチェックイン、チェックアウトとか役管理とかやってた話したやんか。
それを京都にも導入して、
一応マニュアル的なものを一応みんなに伝えたんだけど、
その2週間後に大本森さんが全てを完全ペーパーレス化してて。
え?みたいな、あれ?紙無くなってる?みたいな。