1. 水星移住計画
  2. #41 水星創業期 〜COOがフロン..
2025-01-14 58:50

#41 水星創業期 〜COOがフロントに立っていた頃〜

今回は広報の金井塚さんをインタビュアーに、水星CEOの翔子さんと、podcastでは初登場のCOO大籠さん、学生時代からアルバイトとして働く笠井さんに【水星創業期】のお話をたっぷり伺っていきます。


富良野のペンションからスタートし、スタートアップとも呼べない様な規模でありながら少ない人手で立て続けにエクストリーム開業していった当時のことや、その裏話や苦労、今となっては良い思い出の数々。SNSやブログ、その他メディアでは語っていない様なお話をたっぷり1時間お楽しみください!


『水星移住計画』では皆様からの質問や感想などを募集しています! すべての宛先はsuisei.podcast@gmail.com または⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠お便りフォーム⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠までお送りください。


【Personality】 龍崎翔子(株式会社水星 CEO)

大籠亮介(取締役COO)

笠井明(プロデュース事業部)⁠⁠⁠⁠⁠

金井塚悠生(企画広報)

【Company】 株式会社水星 https://suisei-inc.com/

サマリー

ポッドキャスト「水星移住計画」では、水星の創業期に焦点が当てられています。特に2015年の創業を振り返り、初期の苦労や成功体験、CEOとしての成長について語られています。水星の創業期におけるCOOの役割や、チェックイン業務の立ち上げ時のエピソードが取り上げられています。また、ホテル業界の人材採用のバランスや、独自のオペレーション設計についての考え方も紹介されています。このエピソードでは、COOの役割とホスピタリティ業界での経験に基づく具体的な事例が語られています。さらに、ルールを守りながら最高の体験を提供する姿勢が強調されています。水星創業期におけるCOOがフロント業務を担当していた頃の体験についても語られています。プロジェクト活動や町お越しの企画を通じて、チームでの充実した日々や人との出会いが描かれ、スタートアップにおけるスピード感や挑戦が強調されます。このエピソードでは、水星の創業期におけるチームの立ち上げや初期の社員体験についても語られています。また、リーダーシップの重要性や過去の思い出を振り返りながらの成長についてのメッセージが共有されています。

水星の創業期
この番組、水星移住計画は、株式会社水星による聞く人皆様のライフスタイルの選択肢を広げることを目的としたポッドキャスト番組です。
というところでですね、今回はちょっと特別企画として、水星の創業期というものに焦点を当て、創業期といえば2015年会社が一番始まった時に、
はじめはねこしょうこさんが創業されたということなんですけど、そこから初期にジョインをされて、今はもうCEOを、すごい会社でも偉い人みたいな。
両守さん。まさかポッドキャストに出てこられるのはという。初降臨。初降臨です。
ポッドキャスト喋るイメージみたいなのが、もしかしたらない人もいるかもしれない。みんな気になってるから。
そうですね。最終兵器というか、天下の宝刀と言いますか、はい。なので、というところと、あとは学生時代からですかね。大学3年生からホテルC京都とか他の施設でインターンをして、そのまま
彗星に入社をして、降臨拠の支配人を得て、今プロデュース事業部という、割と彗星のキャリアを現場から上まで知り尽くしているという。
火災、あっちや。ポッドキャストは2回目かもしれないです。降臨拠の時に1回。
あとは代表の翔吾さんというところで、あとは企画広報採用担当の金井塚。今日は金井塚と翔吾さんが聞き手になりつつ、初期の彗星を支えた、かつ初期はバリバリ現場をサバイブしてぶん回していたという、小子森さんと火災さんに初期ならではのお話。
今なかなか表に出ることも。話せない話も多いね。話せない話も。ここだけの話をたくさんしていけたらなというふうに思いますというところで。よろしくお願いいたします。
時系列みたいなところからいくと、フラノ時代から始まる。僕もちょっと知らないところもあるかなと思うんですけど、2015年夏?
5月ぐらいですかね。5月ぐらいに翔吾さんが開業される。当時はもうそのお母さんとあと何人か雇っているバイトの方?
基本私と母でやってて、清掃だけ人を雇ってたんですけど、地域の女性支援センターみたいなところからシングルマザーの方をいっぱい紹介していただいて、
シングルマザーのお母さんお姉さんたちと一緒に仕事してたみたいな感じだったんですけど、これ今めっちゃ言いたいのが、うち当時13室あって毎日40人ぐらいお客さん来てたんですけど、全員の名前を覚えてたんですよ。
やってないでしょ?火災の時代まで。13室。代表者の名前ですら覚えてないんちゃう?覚えてない。覚えれる。海外の方ばっか?
海外の方ばっか。しかも代表者の名前しかわかんないから、家族の名前とか全部教えてもらって、全員名前読んでた。
すげー。できる?火災でできるの?
ちょっとすごい伝説。創業者。知らない時代のいきなりのマウントキャンペーン。
それどっかで学んだんですか?なんでやろうと思ったの?
どこで価値発揮したらいいかわからなかった。無料でできるサービスの名前呼ぶしかない。
自分の記憶力だけでいける。嬉しいですもんね。名前を選んだら。
ソフトパワーで体験を勝ち上げてるということで。
職さんの現場の本職日記の記事でも、洗い場で寝てたみたいな。
脱衣所で寝てた。
普段私は地下室で寝てた。電車の中に住み込んでて。
カフェ行ったことある?
初めは地下室で寝てたんだけど、途中から一人社員さんの方が来たから、地下室半分にして暮らしてたんだけど、
当時OTAとかうまく繋げれてなかったから、結構ダブルブッキングめっちゃ起きたりしてて。
そうなるとどうしようもないから、自分たちのスタッフルームをめっちゃ綺麗にして、
お客さんにそこに泊まっていただいて、
彼女らは大浴場の脱衣所で寝るっていう生活を送ってた。
もう一つショウコさんの好きなエピソードでいくと、
当時その事業場とする前のペンションのオーナーは電話のみの予約を受け付けていて、
そこからネットのOTAとかをショウコさんが聞きついてから導入して、
それが開通した瞬間かなんかにめちゃめちゃ予約が埋まりまくって、ファックスで床が埋め尽くされたみたいな話が記憶に残ってるんですけど。
めっちゃ泣きましたね。
初め、うちらが入る前のオーナーさんってデカいノート買って、そこに線引いて表紙作って、
予約来たら付箋名前書いて貼って、キャンセルしたら剥がすって言うようだったんですよ。
そこに私が渋谷のグランベルホテルで学んだ、
サイトコントローラーとOTAで接続してやるっていうのを導入したんだけど、
手間いらず、サイトコントローラーの導入時期、一番最後でOTAが最初だったの。
初め、全部手動でやってたの。
ブッキングで1予約されたからジャランとか全部もう1減らすみたいな。
そんな予約するんですか。
で、キャンセルされたら1増やすみたいなことをやってて、
常に通知来た、だから初めファックス使ってたんだよ。
通知来たらリアルタイムで分かんないといけないから、部屋中ファックスまみれで常に来たら触るってことをやるの。
だからダブルブッキングめっちゃ起きたんだよね。
ただ、これサイトコントローラーの話関係ないんだけど、
初めはエアビーだけでやってたんですよ。
エアビーが一番早く始められて、
ブッキングは1ヶ月くらい審査に時間がかかったような気がしてて、
エアビーだと全然お客さん入ってこなくて、
しかも季節も5月とか6月だったから、
予約がなくて、毎日待ってるんだけど全然お客さん来ない。
その時期があるんですね。
でもさすがにあと1週間くらい予約もないし、
旅行行こうっつって、
母と一緒にトマムに旅行行って、
で、帰り道でちょっと喧嘩とかして、
契約の雰囲気になりながら、
やってはみたものが全然予約が入らないみたいな。
そういうのもあって、帰り道に帰ってきたら、
ペンションからめっちゃ物音がして、
え、怖って思って、女2人だし、怖いって思って、
それをそれ中入ったら、
管理人室の中から大量にファクスがもらわれて、
うちの場所も。
本当にすごい。
ブッキング.コムがその日に開通した。
申請してたのが?
そう。申請したのがようやく開通されたのがその日で、
夏のフランの半分期で、5月6月とかって全部埋まってる中で、
急に13室がバンって出てきたから、
管理人から予約入ってきて、
それが忙しい夏の始まりでした。
成長と変革
みたいな感じなんだけど。
MXってのを知らんかった。
ファクス大量がわーってなってるみたいな、
めっちゃ情景が浮かぶ。
母と抱き合って泣いて喜んだ、みたいな感じの。
ドラマ家の時の伝説が採用される。
そうなんですよ。
それで祖父さん、フランの時代祖父さんとお母さんだけでやってた時期は、
そういう話もありという、バイピロームがありつつ、
そこから市京都、本格的にご自身が中古時代を過ごされた京都ですから、
初めて自分で土地を買ってホテルを建てるというのをやっていく中で、
1号目社員、凌介大盲という。
そうですね。
ほぼ。
ほぼ。
ほぼ。
ほぼ1人目みたいな。
まあまあまあまあまあ。
ニアリー。
創業メンバー。
創業メンバー、初期メンバーというか、
16年3月とかですね。
でも本当の意味で、それまでペンションの時は家業だったんで、実際。
それがちゃんと事業として、
家族以外の人とちゃんと体系的にやっていく、みたいなのが2016年のタイミングで、
それをやってくれたのが大小森さんが中心だったっていう感じなんですよ。
ちゃんと京都に開ける計画があったんですか?
いや、それもともとはなかったです。
普段はやってる最中に物件見つけて、やったっていう。
やったら採用しないといけないっていう。
そう、採用しなきゃってなって、
大小森さんはエリートコースを爆走したのに、
何かの気の迷いで紛れ込んできたっていう。
いや、そんなことない。
すごい意地悪。
優秀してる。
大小森さん入社までの経緯はオンテトリの昔の記事とかでも聞かせた。
あれ、大小森さん側の時間、
小小さんは普段の出の前に成功があり、京都に物件を見つかっていた。
大小森さんはその時の時間軸でエリートカイドを爆走しつつ、
何がどうなって、こんなホテルのフロントに、
数ヶ月後にホテルのフロントに立っている、みたいな状態になったんでしょうか?
そのオンテトリにも書いてますけども、
もともとそういう企業を叱り宿泊業みたいな興味があり、
小小さんのYouMeetの記事みたいなのを友達が見つけて教えてくれて、
で、それを見て、その求人ホテル室か何かですよね。
連絡し、そしたら2週間後に小小さんから急に英語で電話がかかって、
Hi, I'm Shokoって電話がかかって、急に電話で英語のテスト。
もともとその時って京都でホテルオープンで、
海外の人めちゃくちゃ来るし、フラノもそうだったから、
英語面接も兼ねて、あと度胸も兼ねて、英語で電話が来て、
それに俺もおどおどしながら答えて、採用ですって言ってもらって、
でも人がほんとにいないし、すぐ会いちゃうから急いで来てほしいみたいになり、
もう全職、退職、最終出社日の3日後ぐらいには、
京都でも仕事してたみたいな感じでした。
言い訳すると、うちがヤベェ奴みたいに思われると思うんだけど、
無機物英語面接の伝統はその後に引き継がれたみたいな噂を聞いた気もする。
背景として、うちがホテルでアルバイトをしてたんですけど、
その年の秋ぐらいかな、半年前ぐらいに、
フラノが秋換算期だから、その時期クローズして、
自分は京都で清掃のアルバイトとか、夜勤のアルバイトとかしてたんですよ。
その時に清掃のアルバイトをしてる時に、フロントのアルバイトもしたかったから、
清掃会社のアルバイトで入ったんだけど、
支配人に直談判して、フロントに移してもらったの。
そういう時に、支配人にメッセージしてもらった時に、
急に英語で話しかけられたから、
あ、これやっていいんだって思って、
他の方にも転用したっていう感じなんですよ。
大西さん、決断力がすごいですね。
今でこそ大企業からスタートアップとか、
結構当たり前のやつありますよね。
いろんな人、メディアに出たりしますけど、
あんまり周りからしたら、こいつ何考えてるの?みたいな感じじゃなかったですか?
自分の強い意志。
もう強い意志ですね。それはやっぱりありましたけど。
スタートアップで勝ち上手になってきてるからとか、
めっちゃ大型調達してるから、
ちょっと転職しようみたいな人っているけど、
スタートアップとも言えない状態というか、
で、ホテル王になるって言ってる。
20歳の女子と働こうみたいになるのがすごいと思ってて。
逆にバリュー発揮できるかもしれないなっていうのもあったかもしれないです。
自分が学んだ数少ない1年間の仕事ですけど、
それが活かせる場があるかもっていうのも一つあったかも。
間違いない。前に言ってたように、
うちが大本森さんより年上でコンサル出てるみたいな人だったら、
こんな活躍できなかったかもみたいなことを言ってたというか。
入った後がすごい宝の山だったというか、
自分でよくできるところがいっぱいあるなっていうのがあったのをすごい覚えてますよね。
スタートアップの鏡ですね、時効が。
本当にすごいことがあったのが、
さっき自分が前職時代にやってたやり方を自分たちなりにアレンジして、
フラノのチェックイン、チェックアウトとか役管理とかやってた話したやんか。
それを京都にも導入して、
一応マニュアル的なものを一応みんなに伝えたんだけど、
その2週間後に大本森さんが全てを完全ペーパーレス化してて。
え?みたいな、あれ?紙無くなってる?みたいな。
初期のチェックイン業務
全部の予約が紙で来て、それを4月5日は4月5日はクリアファイルが作られ、そこに全部入ってみたいな。
キャンセルが来たらまた入れて、重なったのがあったら廃棄するみたいな。
すごかったんですよ、最初。
今思うと。
確かにいらねえわ、これみたいな。
でもほんまに宝の山というか、これペーパーレスしたらええやんみたいな感じで、
たぶんそれで普通に1日2時間くらい業務減ってる。
いや、一気に行けますよね。
すごいな。
知られざる立ち上げ時期の。
立ち上げ時期は、シー・京都は僕も知らないですけど、どんな感じで立ち上がっていくの?
大森さんとトミーというかもう一人の相方みたいな、2人で死ぬほどマットレス運んでるイメージがある。
マットレスも自分たちで運ぶ?
なんでだっけ?
僕入って、2日も3日もくらいにお客さんが来る日があった。
だから部屋の準備はまだ全部できてないんですよ。
数組だけ入ってくるってなって、その数組が入り、
ショーコさんとかチェックイン業務が分かる人が、
館から出かけて全員消えて、僕とトミーだけ準備で残ってたら、
予約漏れてた人2組くらい。
お客さん来てからベッドを買い込んしてトミーと箱から。
チェックインのやり方分からず、とりあえず客室に案内して、お金は後でいいから。
凄すぎる。
そういうチェックインしました最初。
オペレーション設計の重要性
これ僕の人生初チェックイン。
なんとかなるんですね。
ショーコさんこれは逆に今のエフェクチュエーションじゃないですけど、
バチバチにやり方を固めてやってくる時って、
とにかくケツを決めて走り出すみたいな伝統なんですか?
ケツを決めて走り出すっていうのがルールというか、
完全に計画立てて、完全に準備してやるっていうのじゃ間に合わないと思ってて、
じゃないとスピード感でできない。
もちろん下準備するのも大事だし、
さすがにエキストリームすぎるんだけど、
基本的にはケツに向かって走りながら考えるっていうのが凄い大事だなとは思って。
なんとかする精神か。
入って3日目とかで洗礼を。
そんな感じでしたね。
大掃除とかちゃんとできてない気がする。
そうですね。
記憶にはあまりないです。
そのおかげでめちゃくちゃマインドセットできる。
気持ちがって切り替わる。
自分で頑張る。
それを一回経験すると、特に怖さとかなくなるもんなんですかね?
怖さ?
怖さっていうとね、まあでも覚悟みたいな感じですよね。
頭で頑張って。
ある手札の中で戦っている。
採用していただく時も、
ホテル業バッチバチの人は、
取らないわけじゃないけど、
バランスには気をつけながら採用してたなって思ってて。
もちろんこの時立ち上げ期だったから、
ちゃんとしたオペレーションを社内に入れる必要があると思って、
結構大手ホテル出身のホテル業の方も当時社員1人いらっしゃって、
それが荷物のお預かりはどうするかとか、
トラブルの時はどうするかとか、
結構いろいろ教えていただいたりとかもしたんですけど、
一方でホテルバチバチの人で全員固めると、
それってもう普通のホテルになっちゃうから、
自分たちのオペレーションっていうのを作れないっていうのはあって、
自分たちは普通に、
ホテルの在り方を再生産するのが目的ではなくて、
やっぱり新しい切り口のホテルを作っていくのが大事だなって思った時に、
マニュアルじゃなくて、
我々自頭で考えてオペレーションを自分たちで設計していく、
みたいなマインドがすごい大事だなって思ってた。
人材採用と採用ブランディング
なるほどな。
肩ありきじゃなくて、その場その場でも必要だと思ったものを
どんどん実装していくみたいな感じなんですかね。
うんうん。
おごみさん初期のハードシングスみたいな、
これはちょっとさすがにピンチだったなみたいな。
ピンチ?
おびったなシングスかもしれないですけど。
あるいはこれが俺を強くしたみたいな、
なんかすごいこう、
これができてよかった?
トラブルとかそういうのはもちろんあったんですけど、
僕最初その2016年3月にC局入り、
そこから1年くらいCのフロントやりつつ、
その冬の12月にフラノ一人で行って、
フラノの再整備みたいなのをやり、
その後次17年の4月に、
その時点で多分社員5人くらいいたんですかね、僕含めて。
その時にホテルくもりを買ったんですよ。
そこの買取の契約から立ち上げみたいなところっていうのは
僕一人で行って、
七海さんも一緒に行ったりと契約とかしたんですけど、
でもそこからゴールデンウィークのところから再営業始めたんですけど、
その時っていうのが40室くらいあるんですけど、
僕一人とインターン生2人で、
そこから3ヶ月くらい回していくみたいな、
めちゃくちゃ結構大変だったんですけど、
それぐらいから結構採用ブランディングじゃないですけど、
僕以外の社員と翔子さんで、
Cのフロントのところで、
腕組めっちゃかっこいいクリエイティブの写真とか、
SNS上がってて、
すごい寂しくなったのは今でも。
大森さんいないな、申し訳ないなって常に思ってた。
はいはいはいはい。
ありましたっけ?
あの青い写真。
あれいらっしゃる?
いないのか。
完全にギル認識でいますね。
その時はくもりでめちゃくちゃ床こすって。
はいはい、そうですよね。
大森さんが床こすっている写真が。
でも本当に一瞬くもり最初、
私も行くだけ行ったんだけど、
とにかくくもりって40年くらい運営されてて、
終盤とかあまり手が行き届いてなかったから、
結構汚れてるんだけど、
それを大森さんがブラシ担いで、
ずっと大夫君と一緒にしてくれて。
すごいなぁ、セリストーリーと。
マットレース破壊薬剤。
めちゃくちゃ床綺麗になる薬剤。
特殊戦争の人じゃないですか、もう。
すごいなぁ。
綺麗になった、結局。
最終グラインダーみたいなのわかります?
ダイヤモンド鉱石が散りばめられてるやつで
削って綺麗になった。
削り取るっていう技です。
普通の汚れじゃなくて、
温泉成分のクラクシーが落ちてる。
変質しちゃってるってなりますよね。
大量の黒い汚れみたいな。
すごいなぁ、そんなことありましたね。
しかもそれが4月とかでしょ、2017年の。
入社後1年くらいですね。
9月にまた開業してる。
9月に大阪が開業で。
あの頃イカれてませんなのか。
しかも11月に湯河原開業してるんで。
人の数に対して施設がどんどん
線香がしていってるみたいな。
イカれてますね。
大阪開業するときも
京都の社員とか2人でやってましたもんね、ずっと。
そこで笠井くんとかも入って頑張ってくれて。
京都を守ってた。
手薄になった京都を守ってた。
社員張りの活躍で。
早いな。大学?
3年生。
笠井くんって16年くらいでした?
17年の1月だった気がします。
もともと市でバイトしてた先輩がいて。
1月?
2017年1月。
2016年度の入社なの?
ほんまに超古株なの?
清水くんとかより。
そうなるよね。
俺より古いやん。
吉田清水はほとんど一緒というか。
3月4月5月ぐらい。
そのときすでにアルバイトとしていたんすね。笠井くん。
古すぎるの?
そんな入ってなかったんで。
笠井くんはなぜ紛れ込んだの?
僕が12月の
高校の先輩からの紹介だったんですけど。
その高校の先輩と同じ部活だった先輩と
忘年会があって。
そろそろユニクロを辞めたい。
ユニクロに働いてもユニクロを辞めたいなって思ってたんです。
結構いろんな社員の人が入れ替わったりして。
なんか風土が変わっていく感じがして。
嫌だなって思ったんで。
それでバイト探してるんですっていうのを
忘年会で相談したところ。
え?フロントで英語喋ってればお金入るバイトあるけどどう?
そんな言ってない!
ちゃんと紹介してね。
で、紹介してもらったんですけど。
面接がお守りだったんですよ。
聞いてた話と違うってくらい怖かった。
いきなりね。
そこで引き戻された感じ。
どう怖かったの?
大体面接で英語話すと
記憶中なんで
すごいって言ってもらうんですよ。
終始真顔で対応されたんですよ。
嫌な奴は。
そんな感じねみたいな感じ。
ちゃんとしないかって。
舐めてた。
英語面接って
質問するときも英語でやるようになったじゃないですか。
基本僕もそれでやってたんですけど
帰国指導情報があったから
ちょっと怖いなと思って
英語で自己紹介してもらえる?
って言って
ペロペロ話してもらって
英語で紹介してもらえる?
って言って
ペロペロ話してもらって
うん、合格みたいな。
高めに立っている感じ。
それだけ覚えてる。
鎧だったんですね。
だいぶ入ってみたら
聞いてたのと違う。
ユニクロ当時から
マニュアルとかあったと思うんですけど
逆の環境な気もします。
入社初日の
退勤後に怒られていて
怒られて
入社初日に行って
一緒に入ったフロントの人も
バイトさんだったんですけど
ランドリーへの扉があるんですよ。
そこが開かなくなったんですよ。
でも社員さんいないし
みたいな感じで
ユニクロ団体だったので
社員さんへの休みの日の連絡は絶対NG。
社員さんへの休みの日の連絡は絶対NG。
社員さんへの休みの日の連絡は絶対NG。
やっちゃいけないもんだと思ってたので
今日はお客さんは2階からしか
降りられません。
そうなってたら
批判の社員さんから
お怒りの電話が来て
しっかりしてる人がいた。
思い出なくて
富岡さんでした。
そんなことしてたかなと思って。
お客さんのファーストというか
全然さすが。
当時お客さんとの距離も
今もすごいみんな
めっちゃいいホスピタリティしてくれてるけど
当時も輪をかけて
すごい距離近くて
なんだろう
いろいろエピソードあるけど
うちが
夜勤してた時期とか
スポットで会ったりするのよ。
そうなんですか?
社員さんがいないから
夜うちに入るよみたいな感じで。
2017年くらいまで?
16年17年とか。
その時にお客さんほぼ全員
チェックインして
一組だけ残ってて夜1時とかまで待ってる
みたいな人とか全然あったりしたんだけど
その時に
グループで来てるお客さんの
うちの一人だけまだチェックインが遅いよね。
もう片方の
もうすでにチェックインしてる
お客さんが
うちのとこ来て
ちょっとドッキリ
付き合ってくれや
英語でね。
ドッキリ付き合ってくれや
この後来るチェックインする
ホスピタリティの挑戦
遅れてるお客さんが来たら
もう
ダブルブッキングしてるから
部屋を用意できないって言って
みたいなことを
言われて
分かりました
どうするのがベストなホスピータリッピーか
分からない
分かりました
カギをお客さんが見えない位置にして
1時半くらいに
お客さん着張って
めっちゃドキドキしながら
すみません、部屋満室になってしまいました
見る見るうちに
お客さんの顔がすごく怖くなって
やばいやばい
思ったら
私が爪が甘くて
カギをフロントの
あるでしょ
って気づいてくれて
仕掛け人の
お客さんとかが
ドッキリでした
いける楽勝
こんなことあるんや
間違えたら
怖かった
面白いなと思ったけど
そんなことがあったり
してました
ルールとサービスのバランス
結構なかった?
ほっこり系の
バックヤードとかに
たくさん
お客さんとの距離が
近かった
外国人の人と仲良くなって
一緒に写真撮ろうとか
カウンターの中
入ってきて
僕が出て行こうとしたら
俺らが入る
陽気やな
写真めっちゃ撮った
こんな写真撮るんやってくらい
1週間くらい写真撮った
みんなやっぱ記念が欲しい
なんでだろうね
不思議だよね
ゲストハウスっぽく
思ってもらえてたのか
確かに
なるほどな
お客さんと一緒に飲みに行くとか
結構ありましたもんね
マジっすか
めっちゃ行ってないけど
でもそれこそ
メロンで支配になったの
お母さんはフランドで仲良くなった
お客さんと飲みに行って
バイバイって言って
涙ながらに見送ったと
札幌でまた会う
お母ちゃんの接客が
ほんとすごすぎて
見たいっすね
天性の
接客スキルがあるから
すごいなって思ったのが
京都に来てくれたことがある
お客さんから
中国の独身の日
11月11日に
独身の日は物を送り合う
お母ちゃんが
建造の
ロンティー送られてて
5、6万ぐらいするやつ
来てたやつ?
もらい物?
カリスマホストみたいな
観継いでいただいている
すごすぎるやろ
チェックアウトしたから半年ぐらい経ってる時期で
すごい
そこまで心に残るだけの
ホスピタリティしたんや
愛され力がすごい
愛する力もすごい
個別で
この人のファンになる
どういう感覚なんですかね
接客で
問い出せる接点とかも限られてるじゃないですか
できることとかも
でもなんか
距離感がもう
ようこそみたいな感じじゃない
そういう感じだった
それが正解じゃなくて
キャラクターに合った
人と人としての
おもてなしをすごいやってたから
マニュアルと違うことやってる
みたいな話でも全然なくて
ちゃんとやらないといけないことをやりつつ
その上でちゃんと
血が通った
ホスピタリティをしてたなって
すごいな
偉大だった
なるほどな
なんかちょっと
僕が聞いてみたいな
まだ早いかもしれないですけど
お二人が今は
経営企画とか
会社全体マネジメントとか
かなりさんも
ホテルの企画開発とか
プロデュース
現場で思いっきり
やってた経験
みたいなのって
こういう部分が生きてる
みたいなこととかって
ありますかね
こういう部分が生きてる
はめちゃくちゃあって
それこそ
新しいホテルをつくる企画するとか
他の
ホテル事業者様に
何かしらのサポートアドバイスとかをするときって
なんだろう
この机上の空論というか
論理的に正しいことってもちろん
あると思うんですけど
それが実際現場で実装しえるのかとか
現場のメンバーに落とし込めるのか
みたいなところを想像しながら
お伝えしたりとか
つくっていかないと
あまり意味がないっていうところがあるので
そこら辺を頭に入れながら
物事を組み立てられるっていうのが
一番大きなポイントかなっていう気はしますけどね
間違いない
全部言ってくれば
うち結構なんか
ホテル好きなのが
ホテルって何人でチェックインするかによって
部屋も価格変わるじゃないですか
だから基本的には
来てくれてる人が
事前申告通り来てるから
ちゃんとチェックインの時に見てるんだけど
ちょっと横からの
お客様が昔いて
2人で予約してたのに
後から女の子が1人入って
でなんかこう
あれって3人目いるよな
みたいなことに黄金森さんが
なんかで気づく
でその人が出てくるのを
ずっと待ってて
朝4時くらいまで待ち伏せして
めっちゃ粘着質だよね
で出てきた瞬間に
差額大請求してて
すげえって思って
なんかそれだけの
ぶっちゃけその横からの人
入ってきちゃいましたみたいなのって
なんかそれで
気づかない人もいると思うし
それで取りこぼしても
攻められないけど
それでも絶対徴収してやろう
みたいな気持ちで
仕事をしてるのって
すごくない?みたいな
もちろんゲストに
より良いサービスをしてあげたい側もあるんですけど
みんなルール守って楽しんでるところに
自分だけルール破って
得しようっていう人がいると
ルール守ってる側の人が
相対的に損してるのが
嫌みたいなのがあって
その時はだから
めっちゃ監視カメラと仲良かった
ピーってなって
タバコ吸ってる?みたいな
タバコ吸ってるお客さん
客室でタバコ吸われた
お客さんがいて
もう判明してる
チェックアウトしに来てる
もう捕まえて
出せないよお金払うまで
絶対払わないっていう
海外の方で
絶対払わないって言って出て行って
走りながら追いかけて行った
お盛り捌こう
そうなんだ
全然覚えてねえわ
お前人間は出てきないぞ
って英語で言いながら
どんどんヤバさが出てきた
凄い
そうっすよね
多くのお客さんに最高の体験を届けるために
時にやっぱり
強く行かないといけない時も
ホテルマンにはある
やっぱほんとに秩序守るの
凄い大事
お客さんも
旅慣れてる人とかだと
キャンセル料払わなくていいとか
安くできるとか
慣れつとかもあったりして
実際は
もちろんホテルを楽しめに来てくださってる
お客さんとか
ホテルを守って過ごしてくださってるお客様に
自分たちが最高のホスピタリティ
するのは当たり前で
それと別でルールを守らない
お客様に対して
ホテルが泣き寝入りするのも
違うと思うから
そこでお客様の
良くない意味で
気持ちを尊重しすぎちゃったり
すると最終的に一緒に働いている
仲間だったりとか
他のお客様に迷惑かかることだと思うから
そこのちゃんとルールを
現場経験の重要性
決めた線に沿って
執行できるってすごいことだな
私は思ってます
本当に泣けるって思って
なるほどな
自分のあまりイメージできてなかった
ホテルへの部分
普段王公だけど
ルールを破る奴には容赦ない
ヒーローがいそうな
普段から怖かったみたい
そんなことないよ
なるほどな
そっかそっか
カザイくんは
いくつ現場経験したんでしたっけ
京都
フランの
大阪公立の
5店舗
湯河原に行く
それぞれの
違いというか
それぞれで得たもの
それぞれで得たもの
というか
でもなんか
支配人の色があったな
京都
一応コンセプトとかは
ありつつ
支配人が出してる色がめちゃめちゃ強かった
京都とか
大阪は
初めて見たけどめちゃめちゃちゃんとしてるな
って思ったぐらい
施設もすごい綺麗でした
できた
当時みんなジャケット着られてました
確かにしてた
ジャケット着られてたし
ホテルで働いてる感が一番強かった
大阪ですし
それに対してフランは
何でもやって
満足させようぜみたいな
お客さんのために何でもやるぜみたいな
特技的な
宗教とかだと
締めが終わらない施設だったんですよね
締めが終わらなくて
入校生が永遠会わない
150円なんですけど
150円が一生会わない
9時にフロント閉めるんですけど
大体11時くらいまで閉める
大変すぎる
1時間で終わったら早いね
それとあと
厳選の温度調整の2つを
ずっとみんな厳選の温度走って
見に行ってるイメージだった
面白そう
それも仕方ない部分
フロント1人でしか立ってないんですけど
1人の中で走って
温度チェックをして
温泉の温度を確認
急にめちゃめちゃぬるい
あげないと
地下にも厳選のタンク
すごい
コマじんみたいな仕事
赤いバーがあるんですけど
横に棒があって
それを1mm
動かしたら何度上がるみたいな
感覚がある
変更によって変わる
今のこの時期は
これくらい上げないと無理
出しすぎると
温泉タンクが空になっちゃって
ストップしちゃうから
めっちゃ繊細な
調整業
厳選に行ってまたチェックして
やべぇぬるくなってる
モンスターがフロントで
人待ってるみたいな
温泉のありがたみが
たまたまそういうシステム
古いから
古い温泉はそう
すごいですよね
なるほどなぁ
1個1個の作業によって
体験ができている
そういう温泉は
清掃の社員がやるし
1日50室とかあるから
マンションの人は
社員総出で
掃除して
4人で50室とか
掃除したりするわけだよね
合計46室
でも
そっか
温泉清掃とかもあるんで
そうですね
温泉清掃あって
夕食の提供とかもあるんで
そうですね
確かに
フロント朝起きてチェックアウト
終わって
温泉のドア開く
料理人さんが
ちっちゃなおにぎり用意してくれてるんで
おにぎり買って走りに行くみたいな
清掃走って
2時くらいに終わってコンビニ行くみたいな
何時間労働かも
聞けないくらいの
あれですけれども
一応公営重視でやってた
サビ算とかしてもらってない
データは確かに学生バイトに
人気のデータでしたから
フロント業務の日常
フロントくんはもうあれでしたね
1日出勤して
次の日は清掃
出勤清掃
そういう仕事でしたね
フロントは変形労働制みたいな感じだった
はいはいはい
フロントは清掃1人
2人でやってましたね
3人いて
ローテーションで
なるほどな
そういう生活をしてる時って
普段と感覚とか変わりますか
やってる時はあまり変わらないですか
普通と違う働き方
いわゆるリゾバ的な働き
宿泊業で
宿泊となると思うんですけど
一個の場所にギュッと行って
フランとか宗教とか
めちゃめちゃ記憶に残ってます
あ〜
いいですね
それだけ充実をしてたってことなんですか
そうですね
結構宗教はすごい楽しそう
みんなだって
めっちゃ全国の東京とかの大学生が
行って青春
青春のテラスハウス
青春のテラスハウス
そう
人に喜ぶ
人間らしい暮らしをしてるんですかね
一生懸命汗を流して
同世代でみんな
感覚とか好きなものが近い人が
一緒に仕事もしつつ
新職ともにして
普通に夜の時間みんなで
映画見たりしたりとか
結構なんか
楽しそうやなっていう印象は
あった
プロジェクトみたいなのを並行してやってたよね
町お越しの企画みたいなのとか
そういうのもやったんですか
僕はそのとき探知があったんで
神川ワークでしたよね
神川町の
町役場の人に対して
神川町をより活性化させる
アイディアみたいなのを
フィールドワークしながら
何週間かかけて提案するっていう
大きいプロジェクトの中で
ホテルの運営業務をやる
みたいな
意外とそれがちょうどよくはまってた
地域活性化のプロジェクト
参考良しな感じでは
あったと思う
ちなみに今は
インフィニティ学院っていう
すごい面白い学校法人の方が
校舎系の寮として
ホテルを借りてくれてるんですよ
素晴らしい
オルタナ教育系の
オルタナ教育的な
めちゃくちゃ面白いと思いながら
カナイヒカさんと初めて
出会った日もすごい覚えてて
まじで縁もゆかりもない
人なんですよ
本当そうですよ
私現場も経験してない
うち当時ちょっと売れっ子だったんで
いろんな人から会いたいです
みたいな連絡をいただいて
それがあまりにも多かったから
お会いできない人とかたくさんいたんだけど
カナイヒカさんだけ
私の
あらゆる知人から
5カ所ぐらい経由して
同じ文面が送られてきて
3カ所ぐらい
いろんな人から
カナイツカユウキという人が
お会いしたいらしくて
そんな親しくない
人だったら
もしかしたら
忙しくてみたいな
サークルの時に
会った先輩が
連絡してくれて
それでカナイツカさん紹介してくれて
めっちゃ返事したいじゃないですか
その人に
お会いしたいって
お会いしたんだけど
カナイツカさんホテルに来てくれて
10時に来てくれたんですよ
お昼前の
10時に来てくれて
帰ってくれたの2時だったんですよ
夕方が見えてきたぐらい
人の時間を
ノンストップでした
時間泥棒すぎて
すごい喋り続けてて
あの時は
人生の総状態でしたね
本当にあの時は
喋り続けてた
本当に喋り続けてました
ラウンジのソファによく寝て
泊まってましたよね
確かに
到着の時に
2,3時に電話かかってきて
消防さんから
今ラウンジにカナイツカさんいるから
部屋1個開けてあげて
確かに
でも当時
無駄に確かに
終電を逃してた気がする
イベントの設定とかそういう感じで
今でも
言われて初めて思い出しました
でもそうです
当時は本当に僕も
特に何の実績もなかった
半分は
プロモーション的な
とりあえず何かやらせてください
仕事を見てるかみたいな感じで
知り合いの図手とかを使いながら
ホテルC
旧京都の
ラウンジで
個展みたいなのを企画して
やってみたいなところから
スタートしていた気がしますね
でもやっぱり
カルチャー色みたいなのを
吹き込んでくれたのはカナイツカさんだと
すごい思います
本当にタイミングと運と縁みたいな
スタートアップのスピード感
よくみんなが言うことです
それ通りかなって感じですけど
でもやっぱりしょうこさんが
C京都でもうちょっと
ゆとりができてきたらイベントをやりたいとか
カルチャー的な
ブランドをしていきたいみたいなのが
あってそこに対しての
自分自身が好きなものとか
観点とかがめちゃくちゃ
重なる部分があって
そこで当たったらちょっとやってみたいな
みたいな感じですかね
すごいね
DIYの極みみたいな感じでやってました
ギャラリーフラクタルも
ギャラリーフラクタル
めちゃくちゃ難しい
そう状態っていうのもあるんですけど
中二病まで動かったみたいなところも
あったんで
フって書かれたロゴが
セルオートマトンみたいな
そう
気化学模様みたいなもので
作った図形を
今はあれは
京都のギャラリーは名前何かになったんですか
オアシスです
フラクタルもオアシス
オアシスの方がいいな
いやいやいや
いいよオアシスで
そういう時代もあった
いたけどねたぶん
確かに
意識がなかった
吊られてたやつ
吊られてたやつとかは
京都グラフィー
サテライト会場として
やっていただいてた
時とか
してましたし
壁に結構写真展
廊下とかにも
廊下とかにも
割とみなさん
今もすごく活躍されてる
たくさんいらっしゃいますけど
そんな感じでしたね
会場とかも
スピード感えぐかったのは
さっき大小森さん言った通りですけど
2015年
5月に
フラの
2016年3月末ぐらいに
京都
その翌年の
4月に創運京
2017年の
9月に大阪
11月に湯河原
その2年で
3年で
5店舗とか
開業してるんだけど
それの一個一個ミクロで見ても
開業のペース異様に早くて
大阪は
引き渡しから
お客さん来るまで
36時間しかなかったんですよ
え?
時間?
時間?
何日とかじゃなくて
9時に引き渡しなんだ
朝9時に微装が終わって
引き渡して
その建設会社の
方々が出られた瞬間から
ラウンジいっぱいに
段ボールが届きまくって
次から次へと
ハケさせて
また山で来て
うちらのマンパワーだけじゃ足りないから
うちの中高の友達とか
めっちゃ呼び寄せて
10人ぐらい
手動かせる男子とか
建築出身の大学生とか呼んで
みんなでも段ボール買い込んして
やってた
それは
それが9月ですか?
8月末の時ですか?
8月31日かな
31日あたしなんで
そこから先は
5日間ぐらい
レセッパーが始まる前に
伝説の5日間が
いろいろあった
懐かしいな
あれは懐かしいですね
今も残ってるホームページで
旧ホームページ残ったと思うんですけど
動画あるじゃないですか
レセプション動画
あれはノブ君
ノブ君
みんながピザ食べてるみたいなやつは
レセプションの日の
あの5日間が1年ぐらい
濃かったね
毎日毎日
ほぼ満室ですよね
結婚式しなくていいと思う
自分の大事な人は
あの5日間で全部会えたから
いいやみたいな
ありとあらゆる属性の
あらゆる人が祝ってくれたから
いやー
笠井君もお客さんに来てたよね
僕お客さんとしても行きましたし
会場も
改めてでも
そういう意味では
ボンヨーな言い方ですけど
スタートアップたるゆえみたいなところは
これの期間かかるとかこういうやり方で
みたいな常識をどんどん
覆しまとうスピードが
これまでにない
新しいサービス
スタートアップだったから
せざるを得なかったっていう側面は
ある気がします
キャッシュフロー的な観点だったりとか
ニックの観点だったりとか
だからこそ生まれてきたサービスとか
ブランドとかもあるというか
今後また
後輩
後輩たちというか
新しい店舗も
またできてきたりとか
さすがにもうちょっと丁寧にやりますけどね
圧倒的にパワーアップした前提は
あると思うんですけど
今後また会業とかに入っていかれる
もちろん時代の前提とか組織の前提も
違うと思うんですけど
何かお二人の中での
エールと言いますか
圧倒的な
スタートアップ期を経験した
民としての何か
僕は今後
まだ会業やりたいというか
たぶさり会側なんで
エールを送られる側でも
あると思うんですけど
いいこと言うね
大小森さんの
大小森さんから初めて会業準備大変だよ
ってことを聞いた時の
大変だよのレベル感が違うんだろうな
とは思っていて
もうあんまりやりたいとも思わないもん
みたいなことを
でもその話聞くと
やりたいとも思わないわっていうぐらいの
ペース感でされてたなって
いうんですけど
今だとそのペース感とか
大事にしつつもちゃんとステップ踏んで
やっていくっていうのが
今こんなにかかっちゃってるっていうのを
もっと縮めていけるかっていうのを
探っていかないといけないっていうのはあるんですよね
うち立場違うけど
うちはすごい楽しかったっすよ
うちもめっちゃ楽しかった
どっかで情報をねじ曲げられて
ねじ曲がってる
うちはやっぱり
文化祭好きな人だから
この瞬間の
アドレナリンの最大風俗を
超える体験をしたいって思いながら
やってるから
ホテル企画開通
一つのクライマックスやっぱ開業前の
立ち上げ機って感じであるんですかね
初めこういろいろ試行錯誤して
練りに練ってみたいなのがいよいよ開業になる
もちろん後も大事だと思うんですけど
水星の創業期とチームの立ち上げ
前も大事だと思うんですけど
そこが結構一つの
開業してからもチームが
立ち上がるまでっていうことをしっかりね
大輪郷とかは特に
しっかり開業準備の時間をかけたし
ハードシングスの話をすれば
一個話しながら思い出して
最後にいいですか?もちろん
僕最初京都配属されて
フラノって行ったじゃないですか
その時までに新しい社員入ってなくて
フラノ行った時に
一人契約社員がフラノに入ったんですけど
その契約社員が
身長2m体重100kgぐらい
ロシア人だったんですよ
ロマンス
ロマンスやった時
初めまして大籠盛さんって言われて握手されながら
もう片方の手で飲み終わったリンゴジュースを
親指と人差し指でパチンって
潰された
俺終わったんだけど
俺は終わったかもしれない
その人は何なんですか?
プロレスラーとかじゃなくて
もともとロシアの軍人とか
そういうことやってた感じだったはず
スノーボードとかしたくて
北海道来てみたいな
すごいな
ロマンスのマネジメントするっていう
めちゃくちゃ休憩時間に
スノボしに行くみたいな
やんちゃボーイで
なかなか
それはすごいな
吉田さんとかやってた?
吉田さんが手を焼いてたイメージ
吉田さんも持ってしても
手を焼いてましたね
コーチングとか通用しないんで
パワー必要
あれで強くなった気がします
確かに確かに
今後もっといろんな
カルチャーな方が
働いていただくかもしれない
どうなっちゃって
今日これがあるかというと
わりと社外の皆さんに
もちろん聞いて欲しいんですけど
彗星の皆さんにも聞いて欲しいな
と思ってて
みんな物心ついた時から
黄金森さんは取締役
首王だし
沢井くんは支配人だし
みたいな人がもしかしたらいるかなって思うんですけど
みんな
始まりの大地というか
フロント
バフとして
120%のヒノキの棒で
めっちゃ戦っている
というところから
ちょっとずつより良い武器
木の剣になったりとか
旅人の剣になったりとかして
どんどんパワーアップしていると思うんで
是非
今目の前の仕事を120%でやるのが
すごい大事なんやで
っていうのを
伝えたいなって思って
今日という
この会がありますっていう感じ
リーダーシップと過去の振り返り
10年前の話
10年前とかの話は怖いですね
そう思うと
9年前とか
当時大変だったんだろうけど
めちゃくちゃ良い思い出だし
経験が
そうなっちゃいますね
精神な感じで
振り返った過去がそうである
ってめっちゃいっすよね
そういう仕事がしたいっすよね
本当に
本気でやるから精神
手抜きだしたら精神がなくなっちゃう
ただでだるいだけというか
しんどいだけ
そういうことか
それは間違いないですね
正直最初の方って
あまり言葉にはしなかったですけど
ハードとかって強くなかったじゃないですか
その中でも
自分たちがやることで
どうお客さんに満足してもらうか
全力でやるのが面白かった
そうですね
フラローでワンちゃんOKにしたときが
あと夜中
5,6匹止まっているときが
そんなに
5,6匹に
1匹がうなぎ始めると
全員泣き止まる
満室なのにワンちゃんが
泣き止まない
言い壊れる
消毒室で2人踏みながら
携帯が鳴らないように祈ってました
いい話やな
いい話やな
そういうのが膨大にあるんですね
ポロポロ思い出してきた
いい話やな
そういうのでも聞いてみたいですね
もっとカジュアルに
現場で
ホテルスタッフの生活
推薦の生活誌
推薦の生活誌やりたい
10周年企画で
確かに
エピソード
っていうならでは
マジで推薦の生活誌
いいですね
今いる人もだし
過去のメンバーも
取引先とか
50人ぐらいに
全然やりましょう
推薦移住計画では
質問や感想など
随時募集しております
それらすべて概要欄に記載のメールアドレス
フォームまでお送りください
それでは今夜も
おやすみなさいませ
ありがとうございました
58:50

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