ストーリーズの人生物語
ストーリーズのリチャードです。
自分に優しくするラジオのソフィーさんに来てもらっています。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ソフィーさん、ぜひ展示。
この棚、どんな意図で、どんなものを置いているのか、ぜひ教えていただけますか?
はい。私は自分に優しくするラジオを配信しているんですけれども、
配信者ネームがソフィーと申しまして、それはソフィーの世界から来ています。
皆さん、読んだことありますかね、ソフィーの世界。
私はごめんなさい、不勉強で読んだことないんですけども、どんな本なんですか?
はい、これは哲学の入門書として書かれたんですが、実はファンタジーになってるんですね。
で、構図が入れ子状になってまして、物語の主人公を読んでいる女の子がいて、
さらに私たちがその書籍、ソフィーの世界を読んでいるんですね。
なので、自分たちは本当にこの物語の主人公なんだろうか、
誰かが描いた物語の底を辿ってるんじゃないか、みたいな疑問も最終的に出てくるんですよ。
そしてそこから抜け出して、自分の物語を生きるみたいなところで、
なんていうんでしょう、棚とリンクするとしたら、私は問いを置きたいと思ってて、
答えを渡す棚ではなくて、あなたは何者ですか?自分をどう扱いますか?っていうような問いを置く棚です。
なるほど。それでカードを置いていただいたりですか、ですとか、
あと選んでいる本も、じゃあそういう読んだ時に自分の中に問いが生まれるような本にしているっていうことなんですね。
なるほどな。ソフィーの世界の話もう少し聞きたいですね。
入れ子構造になっているってすごい面白いなと。
哲学でありますよね、僕もごめんなさい朝墓なんですけど、
毎回朝起きるたびに夢が構築されているみたいな。
この世界は夢で、目が開いた後に、世界終了仮説みたいなのってありませんでしたっけ。
ソフィーの守備範囲外だったかもしれない。
だから僕も小学生の時とかに考えたことがあるんですよ、この世界って誰かがプログラミングした世界なんじゃないかみたいな話で、マトリックスみたいな。
そうじゃないことを証明するために哲学者の人たちが論争をしていたとか、そういう話を聞いたことがあったりして、
ソフィーの世界の主人公もこの話って誰かが作った物語なんじゃないのって思いながら自分で本を読んでいるわけですよね。
最後の最後に哲学をギリシャ哲学からたどっていって、最後そこに自分は何者だろうかっていう風にたどり着くんですけど、
一番最初にどこからともなくソフィーの元に手紙が届くんですね。
誰だかわからない人から。
あなたは誰って聞くわけですよ。
その中から歴史をたどっていって、哲学史ですね。
これネタバレ大丈夫ですか?
最終的にどうなるかは。
読んでのお楽しみですね。
ぜひ手に取って読んでいただきたいです。
危ない危ない。
回避しましたね。
素晴らしい急カーブで。
危ないなと。
すいません。
物語だって言うから。
でもすごく興味を持ちましたし、今のでは具体的に何が起こったか全然わからないので。
興味持った方は楽しく読んでくれたらという感じですかね。
ちなみに上下巻ありますので、2冊揃えてありますので、ぜひお手に取ってご覧ください。
ありがとうございます。
ここにこの展示の内容について伝えたいこと、ここを立ち寄ってくれた人が聞いてますので。
それで言うとここストーリースタンドは、今話している通りストーリーを皆さんのもとに届けたり、発信者が自分のストーリーを意味付けしたり構築していったりっていうのを助ける場所なんじゃないかなと思っていて。
このソフィーの世界も、その誰かから意味付けされた誰かの世界っていうのがもうちょっと表層に行くと。
例えば母ならこうとか、あなたはそうするべきとか、成果を出しているそれが意味があるとか。
そのジャッジメント、社会にあふれているジャッジメントって本当は自分の内側から出てくるものじゃないはずなんですよね。
なのでそこを再定義する。
哲学っていうのは前提を疑ったりとか、問いを持ってそれを考える営みだと思うんですね。
そのきっかけになってほしいっていうのが棚に自分なりに表現したつもりです。
そうなんですね。このストーリーズスタンドっていう場所を作った我々の意図をさらに純度を増して世界として構築してくれてるんだなっていうのがわかってすごく嬉しいです。
別に寄せたわけじゃないですけど。
たまたま重なったっていうところなんですかね。
そうおっしゃっていただいたことの中で、ジャッジメントの話すごく興味深いなと思って、
ブッダも言ってますよね。価値判断をするのは満だと。満って何か奢りとか、それに価値があるとかないとかって判断するって自分をすごく高次元の存在だと捉えているからできる行為であって、
そんなに偉いんかって言ってるわけですよ。だから価値判断を手放せと。いいことも悪いことも全部、あなたは私で私はあなたなんだから良いも悪いもないだろうと。
全部一緒になっていくんだっていう、そういう前提で考えると全部うまくいくよみたいな苦しみが減っていくよみたいな話をしているんですけれども、なんかこのジャッジメントが自分の中から湧き出てくるものじゃなくて、外から規定されているものだよねって話ってどこから来た話なんですか。
私は2018年からボランティアをしてまして、アメリカ発祥でショニガンの子供たちのために僕は死ぬのとか死が怖いとかどうして僕だけとか、そういったショニガンの子供たちのために話を聞くという発祥のボランティアに参加しておりまして、そこのファシリテーターをやってるんですね。
評価っていうのは評価とアセスメントがあると思うんですよ。アセスメントっていうのはお医者さんとか、誰が見てもそうだよねっていうこととか、専門的な知識でフィードバックをもらえるっていうのがアセスメントで、私が言ってるのはジャッジメント、評価ですね。
そしてその評価を手放して人とつながる、この人の中には自分も入ってるし他人も入ってるわけですよ。なので自分で自分に評価を下してるところがあると思うんですよね。ここの席についてきちんとちゃんと話せなかったらごめんなさいって私言ったと思うんですけど、ちゃんと話せない自分、ちゃんと話せた自分っていうのも自分に評価を下してることだと思うんですよ。
それを手放して今ここでリチャードさんとお話をすることを楽しむっていうことの方が恐れがなくて、気楽?自分に愛ある行動だと思うんですよ。すなわち自分に優しくすることだと思ってるんですね。
はい、なるほどね。じゃあ今日の前半で2つぐらい例え話がはまんなかったことも、これ滑ったって焦るのは僕が勝手に僕自身にジャッジをしていて、少し窮屈な動きになってるかもしれないと。そういうのを手放して流れに身を任せて聞きたいこと聞いていったらいいんじゃないかって僕は思ってもいいんですかね。
はい、私はジャッジしないのでご注意なさってくださいというか、滑ったんですか?
聞いてる人のみがわかるのかもしれないし、僕の中でははまらなかったなと余計なことを言ったかもなって思ったんですけども。
すいません、拾えなくて。
ソフィーさんのせいじゃないです。
ボケつぶしのソフィーって言われてるんで。
変人が見えたのかはわからないですけど。
でも、小児官のボランティアの話聞いてもいいですか?
聞いただけで胸がキュッとなる活動であり、きっととても大事なことだと思うんですね。
私にも息子たちがいて、10歳と8歳なので、そういう年齢の子どもたちあるいはもっと小さい子が小児官に苦しんでいてっていう子どもたちの話を聞いてあげるボランティア。
もともとそれがアメリカで発祥して、現在日本で日本支部で私は精神科医の元やってるんですけど、クリニックで。その活動はもう誰だって来れると。
特に私が思ったのは、男性ですね、弱音を吐きづらい環境にあるなっていうのを思いました。
それをどうやって聞くかなんですけど、話している間に泣いてしまう人とかいるんですね。
ボランティアで行った側?
そうです、参加者が。私はファシリティと知ってるんですけど、参加者の方が自分の話をしている時に泣いてしまうと。
その場にはティッシュが真ん中にあるんですね。そのティッシュを泣いている人に渡してはいけないんですよ。
なぜかというと、その人は泣いている必要があるかもしれないし泣きたいのかもしれないと。それをこちらがジャッジしてティッシュを渡すと。
そうすると泣き止みなさいというメッセージになりかねないので、取ってくださいと言われない限り取ってはいけないというルールになってまして。
なので、もうその泣いていることに対して評価を下さないという象徴かなと思います。
なるほど、ジャッジを手放すということなんですね。なるほどな。だから良かれと思ってやったことが、どういうふうに相手にとってどんな意味になるか。
これも無限大というかあらゆる可能性があるとなると、じゃあそこのそこでティッシュ渡さなかったら冷たいと思われるかもしれないみたいなものもジャッジだし。
そういうの全部手放した上で残っている感情とか湧いてくる思いとかそういうものにフォーカスしなきゃいけないよということなんですかね。
しなきゃいけないようはないんです。
いけないようはないのか。しなかったらいいかもね。
してもいいし、しなくてもいいし。それは自分の内側から選択することであって、ジャッジしたくないなと思ってもそちらを選択できない場合もあるんですよね。
それも含めてその方の事情だしプロセスなんですよ。
なので自分に優しくするっていうのは人それぞれそしてその人の中には自分も入っていて事情があったりプロセスのただ中にいるんだっていうことでただその場に共存して一緒にいることしかできなくて
一緒にいる少年団の子どもたちと一緒にいるっていうことが愛やる行動、与えることになるみたいな。
そうすると受け取る側も与えることと受け取ることが同時に発生して心が温かくなるよ、それが自分に優しくする。
ひいては他者に優しくする。巡り巡って波紋のようにそれが影響してったらいいな、しなくてもいいなぐらいですね。
なるほどな。すごく染みるし実践していくことが私も成人男性で。
未成年じゃないんですか。
成人男性で10歳の子供がいますんでね、成人男性で会社も始めたばかりで何かと言い訳してる場合じゃないとか頑張らなければいけないみたいな気持ちになりがちな例に漏れず弱音を吐きにくい立場だなと思うんですけど
そんな私あるいは聞いてる人も含めて私たちはどんなことから始めるのがいいかなって
そうですね評価を手放すなんですけど自分に優しくする4ステップがありましてまずは自分の気持ちに気づくことですね
こちらでも一行日記などされてますけどもまず自分の感情ですねそこに気づいてそしてそれを需要する
よく私の番組で言ってるのは変化は需要からしか生まれないっていう風に言ってるんですね
変化は需要、受け入れることからしか生まれない
なので無理やりに変えようとするんではなくて今自分は焦ってるんだなとかその感情は何かを教えてくれますし
ただそれを受け取るジャッジメントなしに受け取る需要するそうなんだなとそれから選択が起こるわけですね
じゃあそれを受け止めた上で自分はどんな選択をしようか自分で決めた選択っていうのはどんな結果であれ
自己信頼というかその第一歩になると思うんですね
それが自分を信じて自分に優しい態度だと思うんですね
そして最後手放していくというようなステップですね
気づく、需要する、選択する、手放す
まずは気づくところから
聞いてみて2つ目需要と手放すここの2つ難しそうですね
やっぱり弱音を吐いちゃダメだって両方じゃないですか
弱音が出てきてもう眠いもう寝なきゃみたいなやることあるけどみたいな
いやここで踏ん張るんだっていう声がけとかもよく受けてきたと思うんですよね
体育会なんですけどね
あとは手放すっていうのを諦めたらそこで試合終了だよっていうセリフと共に育ってきた世代なので
ここの2つに大きな山があるいは壁がありそうだななんて思うんですけれども
この受け入れるっていうのはどういうコツがあるんですか
評価しないですね
評価しないさっきの一連の話ですね
このジャッジメントっていうのが邪魔をするんですねこの受け入れることの
鍵になりますね
その時点では評価ジャッジメントっていうのは一面に過ぎないわけですよね
なので後々この出来事があってよかったんだとか
そういうストーリースタンドでもストーリーお話しされてる方いらっしゃいますけど
後から振り返って自分の転機になったとかそういうこともあると思うんですよ
なのでまずは受け入れるそれのコツはジャッジメントを下さない
なるほどねこの自分の固定観念でこれはこういうに違いないとか
考えてしまうと受け入れづらくなっていくからそういうジャッジを手放すと
そのあるがままを受け取れるようになる
そのままですね
最後手放すっていうのはこれも多分コツがいるのかなと思うんですけど
その前の選択が鍵になっていて選択をしなければならないってなるとまた評価なんですよね
なので選択をしようとする試みその時点で選択してるわけですよ
なるほどどんなことどうしていこうかなっていう
そうですねリチャロさんの場合はやることが山積みなんだけど眠たいな
じゃあどうする今眠たいんだなじゃあどうする選択しようとする
でやりたいでも眠いじゃあそこで選択が出てくるわけですよね
なんですけどどちらでもいいという状態が私が考える手放すっていう状態だと思うんですよ
つまりジャッジを手放すですね
そうすると多分寝るんですけど
いいと思います
でもそうかまた起きた時にその起きた朝をなんてことだと
寝てしまったという風に受け止めるとこれジャッジしてるわけですよね
寝た自分をダメな自分だと
そうですね評価ですね
これはどっちでもいいって心から思えてれば多分起きてどれくらいすっきりしてるかとか
やっぱり寝たから今日頑張れそうかとかそういったのを前向きに受け取っていけるのかなと
すみませんね今日ソフィーの世界みたいなすごく哲学の哲学史の深淵な話から
夜やることいっぱいあって寝ようかみたいな話に落ちてきちゃったんですけども
でもなんかこうそのジャッジをしないっていうところで選択をして手放していくっていうことが
足元からやっていけることなんだなっていうのがすごく伝わりました
そうですね実践が大事だと思っています
これは哲学とかそういうセルフアクセプタンスみたいなものについて実践していくことが大事だと
そうですね私はひたすらにこの選択を繰り返す間違った選択だと思っていてもとにかく選択を死ぬまでし続ける
これが自分のなんていうのかな自分に優しくする営みですね
なるほどねじゃあこれを選択を続けていく行こうぜと
そうですね
いいことですかね
行ってもいいし
言いながらね思いました行ってもいいし行かなくてもいい
そうですね私はそれをやりたいと
なるほどだからそれが自分に優しくする自分を甘やかすとかでは決してなくてただ頑張れと追い込むものでもなくてありのままを受け入れていこうよと重要からだよっていうのがこのソフィーさんの棚で表現されている世界であり
自分に優しくするラジオもそういうテーマでさらに変えてるってことですかね
はい先ほど頑張っていこうよっておっしゃったんですけど別に頑張りたくない人もいるから
頑張らなくてもいい
頑張らなくてもいいんですよね
そうですねもっと言うと自分に優しくするラジオっていうのは自分のために始めた番組なんですね