無限の概念
いちです。おはようございます。今回のエピソードでは、無限についてお届けをします。このポッドキャストは、僕が毎週メールでお送りしているニュースレター、スティームニュースの音声版です。
スティームニュースでは、科学、技術、工学、アート、数学に関する話題をお届けしています。スティームニュースは、スティームボートの取り組みのご協力でお送りしています。
改めまして、いちです。このエピソードは、2025年1月15日に収録しています。
こちらのエピソードでは、メールでお送りしているニュースレター、スティームニュースの第215号、2025年1月3日配信分のスティームニュース第215号から、無限、インフィニティという話題でお送りしていこうと思います。
このニュースレターの配信順序と、スティームFMの配信順序と、たまに前後することがあるのですが、収録の都合でご容赦いただければと思います。
実は、いちは、この後センター試験ではなかった、いま共通テストですね。共通テストの試験監督で、一気に長崎県の島に渡らないといけないので、スティームニュースの最新版、まだ執筆終わっていなくて、
執筆終わってからの収録というのも機材的に難しいので、バックナンバーから無限、最近のバックナンバーなんですけれども、無限の話をしてみたいと思っています。
スティームニュース第215号、無限ではこんなテーマを扱っています。
無限に客室があるけれど満室なホテル、つまり客室は無限にあるんだけれども、お客様も無限にいらっしゃる、全室埋まっているというホテルに無限のゲストがやってきたらどうなるの?っていう問題で、これ実は止まれるんです。
無限の部屋があるけれども、満室なホテルに無限のゲストがやってきたら、ぜひ止まれる、どういうことなんでしょうかね。
紀元前400年から紀元前200年にかけて、インドのジャイナ教哲学者たちは、無限という概念に関心を持ち、書物に残しました。
書物スーリアープラジュニアプティ、こちらは全ての数を数えられる、数えられない、無限の3つに分類しました。
ジャイナ教哲学者たちは、大きな数に興味を持っていた証拠があるため、その延長で無限に到達したのかもしれません。
ほぼ同時期の古代ギリシャでは、哲学者プラトンがゼノンのパラドックスという題で、いくつかの無限に関する洞察を紹介しています。
オリジナルのテキストは失われてしまっているのですが、弟子のアリストテレスが一例として次のようなパラドックスを示しています。
走ることの最も遅い者ですら、最も速い者によって決して追いつかれないであろう。
なぜなら、追う者は追いつく以前に、逃げる者が走り始めた点につかなければならず、したがって、より遅い者は常にいくらかずつ先に出ていなければならないからである。
この引用だけ読むと、どういうことかわかりづらいかと思うんですが、このパラドックスと呼ばれる、一見すると矛盾するテーマ、パラドックスと呼びます。このパラドックスはアキレスとカメという風な名前をつけて知られています。
カメというのは足が遅いんですね。このカメを後ろから追いかけるのが、瞬速のアキレスあるいはアキレウスですね。
アキレスがカメを後ろから追いかけるんですが、そのアキレスは決してカメに追いつけないだろうということを、このゼロのパラドックスは説明しています。
実際には追いつけるんですよ。間違いなく足の速い人は足の遅い人に追いつくんですが、この理屈の上では追いつけないんじゃないかということをこのゼノンが言ったと言われているんです。
どういうことかというと、カメがアキレスの100m前方にいるとします。カメはゆっくり進みます。
例えば、次の瞬間、時計がカチッといった瞬間にカメは1m進んでいたとしましょう。アキレスはその間に50m進んでいるとしましょう。
そうすると、カメは1m進んでアキレスは50m進んでいるので、アキレスとカメの間隔、スタート時100mあったのが51mまで詰められているんですね。
50mではなく51mです。カメも1m進んでいるから。なので次の瞬間、アキレスとカメの間は51mになっている。
次の瞬間、さらにもう1回時計がカチッといった時に、カメは時計がカチッといった時に1m進むので、次は2m進んでいる。
アキレスは50m進んで、さらに50m進んだから100m進んでいるということで、アキレスとカメの間隔は2mに縮んでいるんだけれども
どれだけカチカチって進んでも、カメは前に進むアキレスも前に進むということは、アキレスはカメに追いつけないんじゃないか。
カチカチっていう解像度が荒すぎるせいで、細かく分析していくと、いつもアキレスが進む度にカメも前に進んでいるので追いつけないんじゃないかということを、このゼノンという哲学者が言ったというのを伝聞で
プラトンがですね、紹介してそのプラトンの弟子がアリストテレスが書物に書き留めたということになっているんですね。これはですね、ご存知の方いらっしゃれば嬉しいんですが、赤塚富士夫大先生のニャロメの面白数学教室という漫画にも紹介されています。
この場合ね、カメの代わりに泥棒のカメキチ、アキレスの代わりにお巡りさんという設定で描かれているんですが、メールで送りしているニュースレターにもこの図を紹介していますので、ちょっとこれはグラフィックがあった方がわかりやすいと思うので、グラフィック見てもらえるといいかなと思います。
こんな風に一見すると矛盾するような、僕に言わせると言いがかりというようなもの。これ、現代の数学でいうと、無限小を考えるとこれはパラドックスでも何でもなくて、こじつけだということがわかるんですね。
インドの哲学者たちが無限の大きさを想像していた頃、ギリシャの哲学者たちは無限の小ささを想像していたというのが、僕にとってはすごくツボにはまったというか、面白いところでした。
そういえばね、インドの哲学者たちが宇宙を論じていて、ギリシャの哲学者たちが原子を論じていた。もちろんね、両者とも宇宙を論じていたり、原子を論じていたりはするんですが、構成に残ったもので比較すると、インドの哲学者たちが宇宙を考えて、ギリシャの哲学者たちが原子を考えたというのも面白いかなと思います。
で、西洋の数学者たちが無限について再び強い関心を持ち始めたのは、グッと時代が下って19世紀末から20世紀のことなんですね。
まあどうでしょうね。だから2000年以上ブランクがあった。ブランクは言い過ぎですが、それだけ思想的な停滞はあったというふうに言えるんじゃないでしょうか。19世紀20世紀と言いましたけれども、正確に言うと16世紀のガリレオガリレイですね。
ガリレオガリレイが無限に関する洞察をしているので、およそ1600年ほどのブランクがあった。1600年ということもないのかな。アリストテレスから考えると1800年ぐらいですかね。ブランクがあったと言えるんじゃないでしょうか。
19世紀末の西洋の数学者、大数学者というとプロイセン、現在のドイツのダフィット・ヒルベルトになると思うんですが、このヒルベルトが無限ホテルのパラドックスというものを考え出しました。
ヒルベルトが考えた想像上のホテル。ここでは仮にホテルインフィニティとしましょう。英語にするとかっこいいかなと思ってホテルインフィニティって言ってみたんですが、無限の宿ですね。
お宿が無限ではなくて部屋数が無限ということですね。ホテルインフィニティ。こちらには無限の客室があります。無限に泊まれるんです。ただしすでに無限のお客様が宿泊していると考えてください。
無限に客室があるんだけれども全室宿泊客がいると。ホテルインフィニティこちらはですね、さすがこのヒルベルトの想像した数学者、完璧主義者。ヒルベルトが完璧主義者だったかどうかってちょっと自信ないんですが、僕の印象では完璧主義者です。
完璧主義者ヒルベルトが考えたホテルインフィニティというのは、いつも完璧なサービスを提供するんですね。それには来客を断らないというモットーも含まれていて、たとえ満室でもお客様を断らない。
今満室のホテルインフィニティに新しいゲストが来たとしましょう。新しいゲストホテルインフィニティに宿泊できるのかというとホテルインフィニティは来客を断らないモットーなので、マネージャーがですね次のように
既に泊まっているゲストにお願いをして新しいゲストを泊まらせるんですね。既に泊まっているゲスト、お客様たちにどういったかというと、お客様恐れ入りますが一つ大きな部屋番号の部屋に移動していただけませんでしょうか。
1号室のお客様は2号室へ。2号室のお客様は3号室へという風に一つずつ部屋を移ってもらうんです。そうすると1号室が開くんですよね。新しいお客様を1号室に入れる。これで満室のホテルインフィニティで新しくお客様を迎え入れることができたわけです。
これなかなかのパラドックスですよね。部屋が無限にあるから満室だってもそんなことができるはずだということをヒルベルトは考えたんですね。それどころじゃないんです。
もしも無限リムジン、めっちゃ長いというか無限に長いリムジンが来てドアがパカーと開いてお客様が無限に出てきたとするじゃないですか。無限のお客様。ホテルインフィニティお客様は断りません。どうするでしょうか。
マネージャー、総支配人はすでに宿泊されているお客様にこういうふうにお伝えをします。お客様、恐れ入りますがお部屋番号の2倍のお部屋に移動をお願いします。
1号室のお客様は2号室へ。2号室のお客様は4号室へ。3号室のお客様は6号室へ。どうぞご移動なさってください。ということは1号室が空いて2号室が埋まります。2号室のお客様は4号室に移りますから、2号室は1号室のお客様が入るから埋まってるんですが1号室が空きます。
2号室のお客様は4号室に移るんだけれども4号室のお客様は8号室へ移動しているわけですね。それから3号室のお客様は3号室を開けて6号室へ移ります。6号室にいらっしゃったお客様は12号室へ移動する。皆さん倍の番号のお部屋に移動するわけですね。
結果として奇数番号1,3,5,7,9号室、ずっとですね全部空になります。偶数番号室は埋まっています。というわけで無限のお客様が来ても奇数番号室無限に空いてますから止まれるんですよ。
今まで1号室にいたお客様は2号室に移る。今まで3号室にいたお客様は6号室に移る。今まで5号室にいたお客様は10号室に移ります。
1号室から移ってきたお客様がいる2号室の客は弾き飛ばされるんですが4号室へ弾き飛ばされます。4号室のお客様8号室へ飛ばされます。
という風にどんどん2倍の部屋2倍の部屋飛ばされていくのでこれは無限に部屋があるので大丈夫なわけですね。
あぶれないわけですね。そうすると使われてない部屋というのは奇数番号室になるんですがこちらが全部空きます。
ということは無限に奇数があるので奇数番号室に無限のお客様が入ることができるということになります。
無限の研究者たち
ヒルベルトはこう言ったんです。無限の部屋があってかつ満室だとしましょう。
無限の部屋にすべてお客様が入ってたとしましょう。そこに無限の客が来たら入れちゃうじゃないかと。これはパラドクスではないですかということを数学者たちに投げかけたんです。
数学の世界に限らず学問の世界というのはいい問いを投げかけられるかどうかっていうのがもう全てです。
答えられるかどうかっていうのはそれほど大事ではなくて、まして誰が答えたかっていうのはそんな大事ではなくて、誰が問いを発したかというのがものすごく重要で、
どんな問いを投げかけたかというのが一番重要で、誰が問いかけたかというのは名前が残るということになるんですね。
この答に対して当時の数学者たち、19世紀20世紀初頭の数学者たちは頭をひねりました。
そして2人の著名な数学者の名前が残ることになります。
1人目がロシア生まれの数学者・ゲオルク・カントール、そしてもう1人がドイツ生まれの数学者・リハルト・デデ・キントです。
この2人、無限について本格的に研究した初期の研究者、初期の数学者たちになります。
2人はですね、これお互い交流していて、2人の交流から生まれた驚くべき発見というものがあります。
ごめんなさいね。今回ちょっと一発撮りに挑戦していまして、言い間違いもそのまま収録しています。
2人の交流から生まれた驚くべき発見の一つに、数えられる無限という考え方があります。
無限って数えられるんですよね。
カントールは数えるとは何かということをめちゃくちゃ考えたんです。もう考え抜いて考え抜いて、そしてこういう結論に達しました。
数えるとは自然数と一対一の対応をつけることだと。自然数と一対一の対応をつける。
リンゴが1つ2つ3つって数えられるのは自然数の1,2,3と対応づけがあるからですよね。
全く同じリンゴってないわけじゃないですか。リンゴ1つ1つ形が違ったり重さが違ったり味が違ったり硬さが違ったりするんだけれども、
1つのリンゴに1番、2つ目のリンゴに2番、3個目のリンゴに3番という風に自然数との対応づけをするから数えられるんだということをカントールは見抜いたわけです。
数えるとは自然数と一対一の対応をつけること。自然数は無限にありますから1,2,3,4,5ってこうねずっと終わりがないわけですから、この無限にあることと数えられることということは矛盾しないんです。
つまり無限は数えられるんです。無限は数えられる。これをカントールが考え出したことです。
自然数は何個あるのという質問に、それは無限さと答えるのは正しいのですが、自然数が数えられる無限だとすると、数えきれない無限というのもあるんじゃないかなと思われるかもしれません。
その直感は正しいです。数えきれない無限というものを考えたのがデデ・キントというもう一人の数学者です。
これまでの話をまとめると、ホテルインフィニティというのは無限に客室があって満室だけれども新しいお客さんが入れるのはなぜというのは、
ホテルインフィニティの客室数は数えられる無限だったからです。数えられる無限というのは新しい無限を付け加えることができる無限を受け入れることができるということです。
受け入れた後も数えられる無限、その部屋番号が自然数だったからということですね。それに対してこのデデ・キントという人は、この数えられない無限という考え方を拡張していたわけですね。
自然数というのは数えられる無限でした。じゃあ、数えられない無限というのがあるのかというと、これはもちろんあるんですね。
入試と疑問の重要性
実数が、実数リアルナンバーですね。1.1とか1.2とか、1.333とか、3.1415とか、そんな風に自然数ではない数ですね。
こちら何個あるのかというと、自然数より多いということがわかっています。これは数えられない無限です。自然数と一体値で対応つけられるのが数えられるの定義ですから、数えられないというのは自然数と一体値の対応がつかないもの。
これが例えば実数なんですね。実数の個数というのは自然数よりも多いということです。これを証明したのはカントールの方ですかね。
対角線論法という有名な数学者の間では有名というか、大学生でも数学を習うと出てくる議論なんですが、実数というのは自然数より多いということが証明できます。数学的に証明できます。
自然数0と自然数1の間の実数は自然数の数より多いということが証明できます。デデキントは自然数を使わずに無限を定義できないかということを考えたんです。そして革新的な定義を考えました。
これ現在ではデデキント無限という呼び方をしているんですが、これ本当に頭いいなと僕も感じました。それはですね、今 x 人からなるグループがあるとしましょう。
x にね人数が x にそこから y 人のグループを抜き出します。 y は x より小さいですね。 x 人から x 人からなるグループから y 人を抜き出します。
もし x と y が等しければ、まあそんなことはないんだけども、もしあったとしたら x と y が等しければ x 人のグループから y 人を引き抜いて x と y が等しければ x と y は無限だというふうにデデキントは定義しました。これがデデキント無限の定義です。
x が100人で y が90人としましょう。100人のグループから90人引き抜いてほら100人と90人一緒でしょって言ってもまあそれは納得いかないと思うんですが、
x が1000兆人、地球の人口より多いですね。1000兆人で y が900兆人なら1000兆と900兆一緒かなってなりません?
まあこれ銀だったらちょっと想像つかないかもしれませんが、じゃあ予算としましょう。1000兆円と1000兆円の予算の中の900兆円の予算。
まあ支出が1000兆円でそのうち福祉に900兆円使えますというともうほぼ全部福祉使ってるやんってなりますよね。
1000兆円と900兆円は一緒に見える。この数学の言葉で言うと全体と部分が等しいという風な言い方をします。
全体と部分が等しい時に、これはデテキント無限だという風に呼びます。
カントールとデテキントの無限に関する研究は数学の基礎を考える研究に大きな影響を与えて、やがて数学に強力な基礎を生み出すことになります。
これは公理的集合論という、後の数学発展の基礎になる理論をカントールとデテキントは打ち立てていくことになるんですね。
その出発点は、ヒルベルトが無限のホテル、ホテルインフィニティを想像したこと、そういった疑問を投げかけたことでした。
なので学問においては、良い回答を示すよりも良い質問を出すことがどれだけ重要かという議論にもなっていたかなと思います。
これも大学の入試と一緒なんですよ。入試って試験問題に対して正しい答えをかけるかどうかっていう試験じゃないですか。
だけれども大学っていうのは、研究をするところであって、高等教育機関っていうのは、教科書を読んで理解する。
もちろんそれも重要だけれども、教科書を書き換える、教科書を作る機関でもあるわけですよね。
むしろそっちの方が大事で、それをやるのは大学だけなので、それには疑問を持つことということが最も大事になってくるんですね。
だから大学が欲しいのは、そういった疑問を持てる受験生なんですが、疑問を持てるかどうかというのは試験では測れない、ペーパーテストでは測れないわけで、
ペーパーテストというのは疑問に対して回答できるかっていう試験ですから、それは測れないわけですよ。
それでね、近年は面接重視であったりとか、小論文重視であったりという入試を実施しているわけなんですけれども、
それはそれでね、じゃあ今度採点できるのか、点数つけられるのかというと、またそれはそれでちょっと僕は疑問に思っているところではあるんですが、
そういった矛盾を抱えながら大学は入試をやっているというお話も最後に付け加えさせていただきました。
今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。
次回もまた1週間後ぐらいにお送りしたいと思います。steamfm1でした。
次回もお楽しみに!