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市ですこんばんは
このポッドキャストは僕が毎週お送りしているニュースレター
スティームニュースの音声版です
スティームニュースでは毎週
科学、工学、技術、アート、数学に関する話題をお届けしています
今週はですね
モデルナとそれからファイザー&バイオンテックが
新型コロナウイルス対策用に開発したRNAワクチン
メッセンジャーRNAワクチンに関する話題です
その背後には一人の女性研究者の孤独な戦いがありました
今週はそのカリコー・カタリン博士にスポットライトを当ててお届けします
[音楽]
日本でも猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症なんですけれども
それに対する唯一の防御策がワクチンということになります
日本では今ファイザー&バイオンテックのものとそれからモデルナのものが使われています
最近大阪でアストラゼネカのワクチンも使用開始されたというふうに伺ったんですけれども
主流と言いますかね一番よく使われているのがファイザーとバイオンテック開発したもの
そしてモデルナが開発したものになります
両方ともですねメッセンジャーRNAワクチンあるいは略してRNAワクチンと呼ばれる種類のワクチンです
今週はこのメッセンジャーRNAワクチンの開発に向けて
孤独な戦いを続けた一人の女性研究者にスポットライトを当てていこうと思います
ワクチンはウイルス感染症に対抗するための手段です
ワクチンは人間の体に抗体を作らせることで免疫を獲得させます
免疫を獲得した人間は対応するウイルスに感染しにくくなり
また感染後の重症化も抑えられるようになります
ワクチンの始まりは10世紀の中国に遡ると考えられています
天然痘に一度かかりかつ運良く回復した人間は
二度と天然痘にかからないことが当時知られていました
そこで天然痘のかさぶたを乾燥させたものを摂取して
あえて軽度の天然痘に感染することで天然痘を予防したんですね
この方法は軽いとはいえ天然痘に感染するわけですから危険でもありました
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天然痘は天然痘ウイルスによって感染する病気で
致死率が20%から50%と見積もられる非常に危険な感染症です
起源前1141年に没したエジプトのラムセス5世も天然痘によって亡くなったそうです
当時はもちろんウイルスのことなど知られてないんですけれども
人類対ウイルスの長い戦いというのは既に記録されていたわけですね
18世紀半ば以降牛の病気である牛痘にかかった人間は天然痘に罹患しないことが分かってきました
イギリスの医師エドワード・ジェンナーは牛痘のウミを使って被験者を意図的に感染させ
その後天然痘のウミを摂取し牛痘のウミが天然痘の予防効果を持つことを実証しました
これが手痘の始まりです
手痘によって天然痘は人類が最初に撲滅したそして今のところ唯一の感染症になりました
ジェンナーが使った牛痘のウミに入っていたのは牛痘ウイルスではなくワクシニアウイルスという別の種類のウイルスだというふうに言われているんですね
手痘に用いられた痘病ですね
このウミの部分ですね
これを人間に打って運ぶということがされてきたためにある意味秘伝のタレと同じで元が何だったのかよくわからなくなっているそうです
天然痘は撲滅されたんですが将来のバイオテロそれから未知の感染症に備えてワクシニアウイルスの生産は維持されています
1990年ハンガリー出身の生化学者カリコー・カタリン博士
メッセンジャーRNAを使った治療に関する研究助成を申請しました
当時彼女はペンシルバニア大学ペレルマン医学大学院の研究助教リサーチアシスタントプロフェッサーだったんですが
順調にいけば教授になるコースにいました
しかし彼女の研究助成金申請は企業や政府から拒否され続け
1995年にペンシルバニア大学から降格を言い渡されました
大学としてはより研究助成の得られやすい研究テーマに変更してもらいたかったと思います
そうでなければ解雇ということが大学側の考えだったと思うんですけれども
彼女は研究テーマの変更を拒否して異例なことながら降格を受け入れています
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彼女自身は語ってないんですけれども
アシスタントプロフェッサーというのは正規の教員の中では最低ランクなので
その下となると非常金ということになります
現在ペンシルバニア大学の研究所の表演リストを見ていると
非常金状況というポジションがあるため恐らくはこのポジションに落とされたんだと思うんですね
大学は先ほど申し上げた通り通常解雇を言い渡すので
それなりに恩情措置と言えなくはないんですが
それでもだいぶ研究というのはやりにくくなったのではないかなと思います
彼女が降格を言い渡された1995年というのは悪夢の年で
彼女の夫がハンガリーから出国できず
彼女自身もねがんを宣告されていたそうなんですね
その後完治するんですけれども
1995年というのは彼女にとって最悪の年ということになると思います
それでも彼女は粘ったんですね
そして1997年同大学に着任したばかりの
ドリュー・ワイスマン教授と知り合います
出会いは大学のコピー室で偶然だったんですね
彼女はメッセンジャーRNAを用いたワクチンの構想をワイスマン教授に話して
ワイスマン教授もそれに興味を持って共同研究を始めます
メッセンジャーRNAは細胞の中のさらに細胞核の中にあるDNAからですね
遺伝情報をコピーして
同じく細胞の中にあるリボソームという工場でタンパク質を合成させます
DNAが金庫に入ったタンパク質の設計図だとしたら
メッセンジャーRNAは金庫から持ち出せる設計図の写しです
この写しをですね人間が書き直して体外から導入することで
いろんな抗体をリボソームに作ってもらうというのがメッセンジャーRNAワクチンの考え方です
2005年にカリコ博士はワイスマン教授と共同で
メッセンジャーRNAワクチンに関する研究成果を発表します
この発表は人の細胞にメッセンジャーRNAを導入する際に発生する
体の防御システムをくぐり抜ける技術に関するもので
アメリカの生物学者、これは他大学の生物学者のデリック・ロッシが
ノーベル賞に匹敵すると述べたものです
しかしこの発表が世間の注目を浴びることはなかったんですね
カリコ博士はワイスマン教授と共同で小さな企業を立ち上げて
2006年と2013年にメッセンジャーRNAワクチンに関する特許を取得しますが
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大学がその特許を売り払ってしまうんです
数週間後にアメリカのモデルナ社の投資会社がカリコ博士に
特許を売ってくれと文字を書けるのですが
彼女はもう特許は持っていませんと答えざるを得ませんでした
彼女はついに大学から事実上追い出されてしまって
これは2013年のことになるのですが大学を去ることになります
この時彼女を招聘したのがドイツで創業5年目のベンチャー企業バイオンテック社でした
バイオンテックと呼んだりビオンテックと呼んだりします
アメリカのバイオベンチャー企業モデルナは
メッセンジャーRNAを使った創薬やワクチン開発に焦点を当てた企業です
立ち上げたのはカリコ博士とワイスマン教授の技術に
いち早く目をつけた生物学者ロッシーで2010年のことでした
モデルナは最終的にカリコアンドワイスマンの技術のライセンスの取得に成功します
当初はイギリス製薬大手アストラゼネカと組んで
ガンの治療薬などを目指していました
一方大西洋挟んでアメリカと反対側
ドイツのバイオベンチャー企業バイオンテックもまた
メッセンジャーRNAを使った治療を目指していた企業です
トルコ系ドイツ人であるウールシャヒンと
妻のオズレム・チュレジそしてオーストリア人のクリストフ・フーバーによって
2008年に設立されました
メッセンジャーRNAワクチンの開発を目指して
2013年にカリコ博士を上級副社長として迎えています
当初はアメリカの製薬大手ファイザーと組んで
インフルエンザワクチンの開発を行っていました
中国で新型コロナウイルスのパンデミックが報告された直後の2020年1月
モデルナとファイザー&バイオンテックはメッセンジャーRNAワクチンの開発を発表します
両社は人類が体験したことのない速度で
人類史上初のメッセンジャーRNAワクチンを開発します
2020年12月2日
イギリス医薬品医療製品規制庁は
ファイザー&バイオンテック製のワクチンに世界初となる緊急承認を与えます
同年12月11日
アメリカ食品医薬局FDAは
ファイザー&バイオンテックのワクチンに緊急使用許可を与えます
その数週間後にはモデルナ製ワクチンにも同様の許可を与えます
そしてこの放送を送りしている前の週にあたる8月23日
FDAはファイザー&バイオンテックのワクチンを正式承認しました
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ついにカリコ博士の執念が結実した日にもなったわけですね
カリコ博士、今年NHKによってインタビューを受けています
そのインタビューの中でこんなふうに答えているんですね
「物事が期待通りに進まない時でも周囲の声に振り回されず自分ができることに集中してきた」
「私をヒーローだという人もいるが、本当のヒーローは私ではなく
医療従事者や清掃作業にあたる人たちなど感染の恐れがある最前線で働く人たちだ」
今週はカリコ・カタリン博士の信念の戦いについてお話をしました
彼女の戦いは都兵前から始まっていたんですね
彼女はハンガリーのソノルクシーという小さな町の出身で
1973年にハンガリーの国立大学に入学します
彼女はその頃からRNAの研究に取り組んでいました
1949年に成立したハンガリー人民共和国は旧ソ連の衛生国で
つまりは共産権だったんですね
1980年代になると経済的な疲弊が目立つようになります
大学卒業後にカリコ博士が勤めていたハンガリー科学アカデミーも
予算を大幅削減してRNAの研究を打ち切ってしまいます
そして1985年カリコ博士は失業します
同年ですねアメリカの大学が彼女のためにポジションを用意したんですけれども
当時共産権からアメリカへ渡るというのは外貨の持ち出しが厳しく規制されていたために
彼女は娘のクマのぬいぐるみに全財産の900ポンドを詰めてアメリカへ渡ります
当時3歳だったカリコ博士の娘スーザンフランシアなんですけれども
移民の子としてアメリカで苦労したと思うんですけれども
ボートの選手としてアメリカ代表になりました
2008年北京オリンピックで金メダルを受賞しています
そして2012年ロンドンオリンピックで2度目の金メダルを受賞しています
そしてもちろんこのスーザンフランシアの実のお母さんカリコ博士
イギリスの進化生物学者リチャード・ドーキンスはこのカリコ博士とワイスマン博士
2人ともノーベル賞を取るだろうと予測しています
ひょっとしたらね母と娘でそれぞれメダルを持つということになるかもしれません
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多分なるでしょうね
改めまして今週はカリコカタリン博士の新年の戦いという内容をお届けしました
ポッドキャストをよくお聞きの皆様にはおすすめの番組があります
コロナワクチン開発戦争という全6話の番組がありまして
ラジオドラマ調にコロナワクチンの開発に関する内容を聞けるんですけれども
もちろんカリコ博士も中に登場しています
ぜひお手元のアプリで検索していただいて
あるいはwebで検索していただくと出てくると思います
ビジネスウォーズという枠組みの中で
コロナワクチン開発戦争という番組が出てきますので
お聞きいただければと思います
今日も聞いてくださってありがとうございました
また次回お会いしましょう
いちでした
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