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アイルランドのジェムソン蒸留所の娘アニー・ジェムソンは旅行先のイタリアでジュゼッペ・マルコーニと恋に落ちます.二人の息子グリエルモはやがて成功を夢見て,母アニーとともにロンドンへ渡ります.グリエルモはこのロンドンで無線通信の実用化に成功し,ノーベル賞を受賞します.

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市ですおはようございますこのポッドキャストは僕が毎週お送りしているニュースでた
steam ニュースの音声版です steam ニュースでは科学技術工学アート数学に関する話題をお届けしています
steam ニュースはスティムボート乗り組みのご協力でお送りしています
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改めまして市ですこのエピソードは2022年6月17日に収録しています
このエピソードでは steam ニュース第83号から 世界を永遠に変えた恋ジェムソンとマルコーニーをお届けします
1831年10月29日 イングランドの物理学者マイケルファラデーは
電線がないにもかかわらず電気が伝わるという不思議な現象を発見します
電球の生産が始まるのが1881年ですから その50年も前のことになります
ファラデーの発見について現在でも語り草になっている彼自身の言葉があります
イギリスの財務大臣ウィリアムグラッドストーンに でそれは何の役に立つのかねと聞かれて
ファラデーは 生まれたばかりの赤ちゃんは何の役に立ちますか
と聞き返したそうです ファラデーの生み出した赤ちゃんはこれから見ていく通り
とてつもない巨人へと育っていきます それどころか国はこの巨人から税金さえ取っています
我々もファラデーのように我が国の財務大臣に同じことを繰り返し言わねばならない ということですね
さて当時の物理学者たちはファラデーが見つけた現象をどうにかして法則化しようと しました
科学者というのは普遍的な法則を見つけることに無常の喜びを覚えるものです そんな中でスコットランドの物理学者
ジェームズクラークマクスウェルがマクスウェル法定式という美しい物理法則を発見しました
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1864年のことです マクスウェル法定式はファラデーの発見を見事に説明するものでした
そしてこのマクスウェル法定式は直ちに伝辞波という物理現象の存在を 予言したんです
いや予言というのは正しくありません 伝辞波はありふれた物理現象です
我々は伝辞波に囲まれていますしそれを見ることさえできるんです ただその本質を捉えたのはジェームスクラークマクスウェルと後のアルベルトアインシュタインが最初でした
というのも我々が見る光は伝辞波の一種だったからなんです 一方マクスウェルの予言は見えない光
一般的にはラジオウェーブだったり電波だったりと呼ばれる現象 つまり伝辞波の存在をもう示すものでした
この伝辞波はファラデーが発見した少し離れた場所へ電気が届く以上のものだったんですね
世界中でマクスウェル法定式を検証する実験が進む中の1886年
ドイツの物理学者ハインリッヒールドルフヘルツはある画期的な発明をします ダイポールアンテナという現在でも使われているアンテナの一種です
このアンテナを使うことで空中を遠くへと進む伝辞波を直接キャッチすることができるようになりました
ダイポールアンテナは伝辞波が作り出す電波という目に見えない空間の性質が 電線中の電子を加速させる現象を利用したもので
すべてのアンテナの基礎になりました これは正規の大発見だったのですが
ヘルツは次のように語って研究をやめてしまいました
それは何の役にも立っていない 単にマクスウェル先生が正しかったことを証明しただけの実験だ
我々の肉眼では見えない不思議な伝辞波は確かに存在する しかし
単に 存在するだけだ
これは後字絵なのですが ヘルツは生まれたばかりの赤ちゃんの才能を見抜けなかったのかもしれません
もっとも英語で電波のことをヘルツ波 ハーツイアンウェーブと呼んだり周波数の単位をヘルツと呼んだりしますので
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ヘルツ先生は歴史に名前を刻んでいます
イタリアのボローニャに世界最古の総合大学と呼ばれる ボローニャ大学があります
創立は1088年今年は2022年ですから あと10年待てば創立950周年を迎えますね
著名な卒業生には地道説を唱えたコペルニクス ルネサンスの学科アルブレヒトデューラーそして詩人ダンテラがいます
そしてこのストーリーの最重要人物 グリエルモ・マルコーニもまたボローニャ大学に学んでいます
グリエルモ・マルコーニは1874年ボローニア生まれのイタリア人で 父親はジュゼッペ・マルコーニ
母親はアニー・ジェムソンと言います アニーはアイルランド人で
アイルランドウェックスフォード県のダフニージョー 城はお城という意味ですねダフニーズキャッスルのお姫様でした
なんでもイタリア旅行中にジュゼッペと知り合って恋に落ちたそうです 映画になりそうなストーリーですね
アニーの姉妹がトスカーナに住んでおりしばしばトスカーナを訪問していたそうですから
二人はダイアン・レイン主演の映画「トスカーナの休日」のように トスカーナで出会ったのかもしれません
しかしとても一本の映画には収まらなさそうな展開がこの後待っていたんです
母アニーは息子グリエルモを連れて毎年トスカーナに滞在していました そしてこのトスカーナでアニーはグリエルモに家庭教師
ヴィンセンツ・ローザをつけてやりました グリエルモが17歳の時
ヘルツがヘルツ派を発見して5年後のことです ローザは当時知られたばかりのヘルツ派について
彼が知っていることをすべて教えたばかりか実験も一緒に行いました ヘルツ派に夢中になったグリエルモは18歳になると
ボローニャ大学へ進学して電磁気学を学び始めます
グリエルモは無線通信機の試作を重ね 1894年
送信機と受信機を母アニーに実験してみせます この時の実験では無線通信機の原型がほぼ出来上がっていたようです
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翌年グリエルモはアンテナを空中高く持ち上げること アンテナの片方を地面につなぐことなど現在よく知られているテクニックを発見し
通信距離をついに2マイル3.2kmまで伸ばすことに成功します グリエルモはこの実験結果を携えてイタリアの郵政大臣
マッチョリノ・フェラーリに研究助成を依頼しますが返事はもらえませんでした イタリアに見切りをつけたグリエルモ・マルコーニは21歳の時
母アニーと共にロンドンへ向かいます イギリスで無線機の特許を申請したグリエルモは公開実験をしつつ資金援助を求めます
アイルランド禁止法時代を生き抜いて復活を遂げた母アニーの実家 ジェムソン上流所の知名度とコネもかなりものを言ったようですし
イギリス郵政省議官だったウィリアム・ヘンリー・プリース卿の後押しも非常に強力でした なおプリース卿はファラデーから電磁気学を学んでいます
グリエルモは1897年についに 海を越えた無線通信に成功します
陸地からわずか6kmしか離れていない無人島との通信でしたが ともかく海を越えたんです
1900年には日本海軍が無線機開発に着手しており この日本製通信機は日露戦争に間に合いました
1901年12月グリエルモは無線通信が大西洋を横断できるか 最初の実験をしました
当時は地球が丸いことから見通せない距離には電波も届かないだろうと言われていたのですが どうやらグリエルモは大西洋を横断通信に成功したようです
科学史に刻まれる一瞬というのがあれば まさにこの瞬間かもしれませんね
この時の様子を大人の科学のコラム記事 稲妻を操る男は
次のように生き生きと描写しています
12日正午 マルコーには当時の電話用受話器を耳に押し当てた
無線通信で受信した信号を紙に記録する装置はすでに開発していたが 電波が微弱である可能性を考慮し
自らの耳で確かめる方法を取ったのである 送信側へはあらかじめセントジョンズの時間で午前11時半から
モールス信号のSにあたる信号を送り続けるように指示してある マルコーには空いた片手で送信側の波長を必死に探っていた
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だが風の音がひどくなかなか確認できない ダメか
一度受話器を外しスコッチを垂らした熱いココアで一服すると 再び受話器を取り
全神経を耳に集中した と
かすかに受話器から音が聞こえた 息を殺して耳をすます
トトト 三度続いた
信号だ モールス符号の3連探偵に対応する音が繰り返し聞こえる
トトト トトト
トトト 翌日この様子は全世界へ伝えられた
いい話ですね グリエルモが飲んだスコッチを垂らした熱いココアというのは実際にはアイリシュウイスキーを垂らしたんだと思いますがね
ただしこの話は少し脚色されすぎているのかもしれません 当時の記録がグリエルモによるもの以外ないこと
グリエルモは電波の通りにくい日中に これまた電波の届きにくい中波で実験しており
今から考えると実験条件が最悪だったことから この成功は疑わしいとされているからです
ただ彼は後に次々と発明を繰り返しライバルの発明家ニコラテスラを出し抜いて ついに大西洋横断通信の商用化まで成功します
グリエルモとアイルランドの結びつきはなお強かったようで1905年にはアイルランド人 ベアトリス・オブライエンと結婚しています
彼女はアイルランド貴族第14代インチクイン男爵オブライエンの娘です インチキ男爵じゃないですよ
結婚4年目の1909年グリエルモ丸子には ノーベル物理学賞を受賞しています
受賞理由は無線通信の発展に対してでドイツの物理学者発明家 フィルディナント・ブラウンとの共同受賞でした
今の基準で考えるとマークスウェルやヘルツそれにファラデーが先に受賞すべきような気もしますが
ノーベル賞自体が1901年スタートですから グリエルモはなかなか運のいい男でもありますね
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グリエルモの設立したマルコーニ社は大西洋を往復する船舶に無線通信士を派遣しました
1912年4月15日に沈没したタイタニック号の救難信号もまたマルコーニ社の2人の通信士から発信されました
このうち1人は沈没の瞬間に脱出に成功し港でグリエルモに会っています
グリエルモマルコーニの発明した無線通信はやがてラジオ放送を生み出し世の中のあり方を一変させました
実際マルコーニ社が始めたイギリス初の娯楽放送は BBC の前身となりました
そして電磁波が金属によって反射されることがわかると今度はレーダーが発明されます
レーダーは上空に向かって電磁波を放出してその反射を受信することで航空機を遠方から見つける装置です
レーダーは第二次世界大戦で連合国の勝利に大きく貢献しました
日本は世界に先駆けてレーダーに必要なアンテナ技術を開発していたものの 1926 年にその特許をマルコーニ社に譲渡しています
レーダーの開発は戦後電子レンジの開発へとつながります 電子レンジは超小型の電磁波発生装置で電磁波を上空ではなく水分子へ打ち込むものです
電磁波を打ち込まれた水分子は電磁波を吸収して熱を持ちます 日本語では電子レンジですが正しくは電磁波レンジと呼ぶべきですね
電磁波はまた少し変わった使われ方もしています 空港で液体の検査を受けられたことはあるでしょうか
ヘッドボトルの中身が水なのか可燃物なのかを調べる装置が日本のすべての空港に 設置されています
この装置は可視光と電波の中間ぐらいの電磁波を照射することで中身を調べているんですね 開発者による論文を読むとソフトドリンクとお酒の区別もつくようです
僕も次に飛行機に乗る時には偉大なグリエルモン・マルコーニーに敬意を表して 彼の母アニーの実家
ジェムソン上流所のウィスキージェムソンの炭酸水割りをヘッドボトルに詰めて 検査を受けようと思います
というわけで世界初の無線通信機を実用化したグリエルモン・マルコーニーと そして彼の母アニージェムソンの物語いかがでしたでしょうか
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実はねこの物語を書くにあたって僕もジェムソンを amazon で注文してみました 普段ねアイリッシュウィスキーはあまり飲む機会がなかったのですが
ジェムソンいくつか種類はあるんですがその中でも一番標準的なジェムソンスタンダードというね amazon で買うと
2000円を切る価格でね購入できたんですが そのスタンダードなウィスキーを購入して昨日の晩チビチビと飲んでみました
僕普段は少し癖のあるウィスキーが好きで アイリッシュアイルランドのねウィスキーというのは比較的癖の少ないスムーズな
ものが多いという風にね聞いていたんですが久々に飲んでみるとやっぱりアイリッシュも美味しいなぁと思って 少し感動しました
青りんごの香りっていう風にねよく例えられるんですがすごくフルーティーな香りがして それでいてあのしっかり味もあって
僕今あの海の近くに住んでいるので 休日はこの海の潮風をあてにウィスキーを飲むっていうのが好きなんですが
このアイリッシュのジェムソン 海のこの香りを壊さずに
一緒に飲むことができる良いお酒だなというふうに感じました アイルランド最大のウィスキー上流商ということで日本にもたくさん輸入されていて
まあ方値段も抑えられていて癖も少ないので どんな方にでもおすすめできるウィスキーなんじゃないかなと思います
僕は結構好きになりました でエピソードの中で少し触れたアイルランド禁酒法時代っていうのがね
あったんですねこの間 もちろんジェムソン上流商も非常な苦労をしたようなんですが
グリエルモマルコーニーが資金集めのためにロンドンに渡っていた頃は復活を遂げていたようです この時代からすでにアイルランド最大の上流商だったようです
アイルランド禁酒法僕にとっては少し意外な時代でしてっていうのはアイルランドはカソリックの国なので
なんかこうちょっとプロテスタンティズムが輸入されたのかなという意外な展開でした 実はこの時代ジェムソン上流商以外にも被害者と呼ぶべき人がいるんですね
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僕が個人的に尊敬する数学者ウィリアム・ローアンハミルトン 彼は
晩年酒に溺れてとかアルコール中毒でみたいに書かれることが多いんですが っていうかひょっとしたら僕過去のスティームニュースでそんな書き方をしちゃったかもしれないんですがこれ禁酒法時代のイメージで語られているそうなんです
ハミルトンはそこまで飲酒をしたかどうかというのはわかってないんですね普通に飲んだだけかもしれないんですがこの期間
ちょっと飲むだけでも飲んだくれって言われたそうなんです アイルランドに残されている文献いくつか調べると実はそんなアルチューじゃなかったよみたいな
ことも言われているので ハミルトンのイメージ少し変えないといけないかもしれません
この時代のイギリスアイルランド強いお酒はだいたい3ランクに分けられていたそうで一番安いのが ジンですね
そして真ん中がウィスキーで一番高いのが フランス産のブランデーだったそうです
ブランデーには輸入の税金もかけられていたそうですからおそらくハミルトンが飲んだのは アイリッシュウィスキー
規模から言ってやっぱりジェムソン飲んだんじゃないかなと僕は想像をしています そしてマルコーニも
グリエルもマルコーニもジェムソンを飲んでいたんじゃないかなと僕は想像をしています
多分ねブランデーを買うお金があったら実験に使ってたんじゃないかなぁと想像をします 後にねイギリスの首相になるチャーチルはジンが大好きだったんですが
ジンを飲んでいることを隠して隠してというかジンは飲んでるんだけれども カクテルにするであるとか紅茶に入れるとかまあ何か混ぜ物の具として使って
いるんだという言い訳をしてジンを飲んでいたということがね あるんですがあのこれ
チャーチルのようなこの位の高い人が飲むと恥ずかしいとされていたというエピソードですね 今は時代が変わって好きなお酒を飲めばいいと思うんですが好きなお酒を好きな
風に飲めばいいと思うんですが ジェムソンもいいですね
なんかハイボールにしても美味しそうだったので青りんごの香りがねふわっとするので 今夜はハイボールで飲んでみたいと思います
今日も最後まで聞いてくださってありがとうございましたまた次のエピソードでお会いできればと思います 素敵な1日をお過ごしください
24:00
一でした
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(♪ 音楽 ♪)
はい
24:58

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