質問者一番最初ですね、まずご経歴含めて簡単な自己紹介からお願いできますでしょうか。
改めまして神谷です。お願いします。
私、愛知の岡崎市ってトヨタ自動車の横の街、結構マイナーな街なんですけど、
生まれて小さい頃から製造業大好きだったんですよね。
いつかハードウェアエンジニアになるぞと思ってたんですけど、
14歳の時に脳の病気で死にかけて、日常生活も夢もなくなっちゃったみたいな感じの人です、まず。
と思ったら少し元気になって、17歳以外の時に高校行ってなかったんですけど、
何か仕事しなきゃなとか、どうやって生きていこうと思ったんですよね。
という時に出会ったのが在庫だったんですよ。
どんな出会いですか?
気になりますよね。そんなエモくなくて、むしろロジカルなんですけど、
自分にできることは何だろうって当時思ったんですよ。
まず初めに好きなことでしかできないタイプなので、製造業は譲りたくないと。
2つ目にハードウェアエンジニアになりたかった経緯とかを噛み砕いていくと、
結構割と算数とか理数科目得意だったんですよね。
パズルとかレゴとか。
時にそれを活かしたい、数字遊びを活かせる方法だったら、
物を作らなくても理論的にもあるんじゃないかなみたいな。
3つ目に時代的な背景でプログラミングが結構早いというか、
個人でできる時代になってきた時代。
しかもハードウェアとか製造業だったら週5、8時間絶対じゃないですか。
それはどんだけ体調が良くなっても無理だと思ってたので、
プログラムを書けば自動化するときは誰か使ってくれたらお金が出ると。
その3つを書き合わせてできることは何があるのかなと思った時に、
在庫管理って分野があることを知ったんですよ。
17歳で。
そう、17歳で人生を考えて、大学行くとかそういうのじゃなくて。
しかもそうするとスタートアップとかじゃなくて、
エクセルのマクロとかでも作れるじゃないですか、数字遊びなので。
いわゆる中小製造業とかだと、そういうマクロだけでも動いてくれたら、
特に工場のおじさんとか物を作るのが得意だけど、
数字とかビジネスが弱いので、結構嬉しいって噂は聞いてたんですよ、当時から。
だったら数十万とか手にあげるかもなっていう、ちょっと脱信というか、
お金も稼ぎるし、自分の好きなことができるかなと思って在庫をまず選びました。
というのが17歳で、最後はちょっと元気になって、
大学とか大学院に行こうと思い始めた。
専門は在庫の分野から経営工学って分野なんですけど、
かつては理論的に勉強とか指決定する方法、
ちょっと専門用語で言うとオペレーションズリサーチって学問があってさらに。
その辺をちゃんと大学から学んでたんです。
その中で、それこそ在庫って特に製造業、特に愛知では要らないよね、
ない方がいいんだよ、ゼロがいいんだよって言われて豆をメインにして、
それはそうだよなと思いつつも、現場見てるとゼロじゃないんですよ。
明らかに必要な在庫があって、ただそれってまだ売り上げ上がってないので、
そもそもいい子なのか悪い子なのかもわからないみたいな。
ちょっと経営者とか会計からすぐでお金かかっちゃってるので、
いらなくないみたいな。
っていうのをあの辺りにして、なんか変だなみたいな。
子供ながらに自分の好きなことを勉強して、
なんか変だなみたいな。
子供ながらに、同じ会社で頑張ってるのに、
意見が合わなくて喧嘩する。
なんか夫婦喧嘩みたいな。
可愛くない夫婦喧嘩みたいと思って。
本当個人的な感覚として、
小学校とかで単位が違うと計算できないですよって言われてるじゃん、算数とかで。
ときに物作るのは時間とか数に対して、
お金ってほんと円とかドルとかなので、
単位あってないんだよな、この2人って。
結構生意気なぐらい見下しとか、
なんか違和感を持ち始めて、
それを解けるような計算式、
自分が作ってみようと思って研究してたのが大学大学院ですと。
それで、海外で結構いい賞をもらっていって、実は。
なんか初めは無駄だって言われたのが、
実は価値があるんじゃないかって言ってもらえたんですけど。
いつか、それこそ、
スタートアップじゃなくてもいいけど、
ちっちゃい工場に導入してほしいなと思ってたので、
その後、アクセンチュアとかエクサウィザーズっていう会社。
コンサル掛けるITとかAIが強い会社に入って、
特に製造業領域、
半導体の在庫の分析システムとか、
または工場で使うAIロボットっていうのを作って、
ほんと8年、7、8年ぐらい、
社会人をやって独立したみたいな。
ちょっと戻っちゃうんですけれども、
そもそもその譲れないなって領域に製造業があったって、
これなかなか普通で聞かない話かなと思ったんですけど、
この辺りは教えていただけますか。
はい、らしいですね。
東京駅ってそれ言われること増えたんで、
そうなんだと思ってるんですけど、
そもそも、
家の裏に工場しかなかったんですよ。
愛知だから。
愛知だから。
なんでもう子供の頃に、
仕事って製造業以外あるって知らなかったんです。
銀行とかレストラン知らなかったんですよ、
さっき言って。
っていうのが環境的にあったのと、
家の裏に工場あったんですけど、
純粋に見てるのが好きだったんですよね、
それを。
機械が動いている、
こっちこっちを作っているとか、
そういうのが、
さっきも数字遊びが好きだったので、
動いているなみたいな。
さらにテレビとかが最近出たんですけど、
プロジェクトエッジの番組とか、
ロボコンテ、
高性質が作るロボットの番組とか、
めちゃくちゃ好きで、
ずっと見てたんですよ、
ちっちゃい子ながらに。
そういうのを見てて、
6歳とか7歳からずっと見てて、
10歳くらいの時に、
おじいちゃんに、
そういうのをエンジニアって言うんだよって
教えてもらったんです。
おじいちゃん。
エンジニア向きだし、
向いてるのかもねって10歳とかで言われて、
10歳。
自分が好きなものが全部揃うって、
嬉しいじゃないですか。
見てた工場とかテレビも好きだし、
得意だった算数も活かせるし、
性格的にはもともとそんなに
喋る方じゃなかったんですよ。
ちっちゃく物を作る方が好きなタイプだった。
その性格もエンジニア向きだねっていうのが
分かってきて、
エンジニアの人は人間的にも結構好きみたいな。
っていうのが先に、
相当早く来ちゃうので、
それぐらいまで。
東京系の大学院からそれまで全くそれ以外の