2025-10-18 25:04

【雑談】バックパッカーの時の話(行った国紹介)


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サマリー

このエピソードでは、バックパッカーとしての旅行体験が語られ、バンコク、フィンランド、インドなどが紹介されています。特に、フィンランドとインドの文化的な違いや、旅行中の物価の変化についての印象深いエピソードがシェアされています。 バックパッカー時代の旅の思い出として、チェコ、ハンガリー、クロアチア、ドイツ、スペイン、チリ、ペルーへの訪問が語られています。特にクロアチアのドブロブニクや、スペインのサグラダファミリアなどの観光名所、そしてそこでの文化体験について詳しく触れられています。 このエピソードでは、バックパッカー時代の体験が語られ、メキシコやアメリカの国々の魅力について触れられています。特に、バーニングマンやニューヨークでの出来事が印象深く伝えられています。

バックパッカーの旅の始まり
NFTからはじまる地方創生ラジオ、あるやうむのターナーです。この放送は、NFTアダを活用し、地域から地域を盛り上げる、少し未来の地方創生についてお話ししている、土曜日は雑談の話になります。
皆様いかがお過ごしでしょうか。今日は10月18日土曜日ですね。生放送スタイルであって、朝の7時半過ぎぐらいの時間です。おはようございます。
今日のタイトルはですね、バックパッカーの時の話というところで、僕は20歳か、21歳になる時ですね、バックパッカーで世界一周、世界一周の定義って何なんだろうなとは思うんですけどね、極端な話、
中国とかにね、左に中国とかアジアのどっかの国一つ行って、そこからまた左側周りにアメリカ行って戻ってきても世界一周と言えば一周と言えちゃうんですけど、それで言うと僕がどんな感じのルートを辿ったかというところで言うと、
今話す内容はそこまで決めてないです。でもそこまで決めてないんだけど、クレイジージャーニーっていう番組は結構好きだったんだったっていうか、最近は多分ネギラ放送してなくて、この前特番か何かがあって見たんですね。
それがフィンランドを特集で、マリアマゴンザレスさんっていうギャングとか麻薬とか、結構世界のそういう危ない地域とかに治安の悪いところに行って、ジャーナリストみたいな方がいるんですけど、それがフィンランドってことだったんで、フィンランドってなったんですよね。
フィンランドって幸福度が高いし、治安も僕も2回行ったことがあるんですけど、めちゃめちゃ治安がいいイメージだった。
社会福祉みたいな幸福度とかがすごく高いので、ちょっとえ?って思ったんですけど、そこは移民の問題かな?とか、移民の問題というか社会の構造というか、そういったところの社会福祉がめちゃめちゃいいからこそのいろんな問題が逆にあるっていう。
そういうのが良かったら良かったで、そうなっちゃうのかっていうところから、海外の風に当てられて今日ちょっと話してるみたいなところです。
多分そっちの方に繋がってくるかもしれないですけど。
僕、世界一周っていうのはどこを旅していったのかっていうと、まずはバンコクですね。
最初、日本からバンコクに飛びました。
フィンランドの体験
当時っていうか、今わかんないですけど、約20年前、17、18年前なんですけど、バンコクっていうのは世界の玄関っていう表現もされてましたね。
飛行機がめっちゃ集まるというか、ヨーロッパとかにも行く、世界中にそこから旅立てるみたいな言われ方はしてましたし、
深夜特急っていう、ミッドナイトエクスプレスの沢木幸太郎さんっていう、あれは小説家っていうよりかはエッセイというか、そういった方だと思うんですけれども、
彼が深夜特急っていうバックパッカーの小説6巻、全6巻になるんですけど、文庫本だと書いてて、
それがかなりバックパッカーのバイブル的な本の一つであったんですね。
発売されたのは多分80年代とかだったし、僕が読んだのは2000年代ですよね、とかだったんですけど、やけに興奮してですね、深夜特急に。
そのルートを全部辿ったわけじゃないんですけど、まずバンコクから行ったってことで、全然繋がってなかったかもしれないですね。
ちょっとそんな感じでバンコクに入って、バンコクから東南アジアを回りましたね。
バンコクから陸路でカンボジア、ベトナム、ラオスに行って、また海に戻っていくってことね。
結構そういう回り方してる人多いんですけど、そういう回り方をして、そこからタイから一気にインドに行きました。
インドは一番思い出深い国だったんですけど、あそこのインドから、ここが投票所もないんですけど、インドからいきなりフィンランドに行ったんですね。
フィンランドに行った理由っていうのは、ヨーロッパを回るときに一番遠いところというか、上から降りていけばいいじゃんみたいな感じで最初にフィンランドに行きました。
その時の当時がインド6月ぐらいだったんですけど、インドのデリーとかの気温が45℃だったかな。
フィンランドの気温が15℃だったんで寒暖差30℃を体験しようみたいなことも言いながら、インドからフィンランドに行ったらまじで寒かったですね。
寒かったし、あとはインドって汚いって言ったらすごい失礼かもしれないですけど、やっぱりそういう衛生的にっていうか、そういう国だったし、
ウシとか野良ウシとか野良犬とか野良ザルとかそういうのがしっちゃがめっちゃがしてる中にスパイスの匂いがすごくて香ばしい感じだったんですけど、
ヨーロッパの旅と文化の衝撃
一方、フィンランドっていうのがその旅の中で一番綺麗だったので、当時すごいギャップがあったっていうのと、
あとは思い出話みたいなところになると、インドの時って1日1泊150円とか30ルピー50ルピーとか1ルピー3円ぐらいだったと思うんですけど、
50ルピーとか牢屋みたいな宿に泊まってたんですね。1泊150円。すごいですよね。
だったんですけど、フィンランドで銀行かATMでお金下ろしたら手数料が150円下だったか、もっと下か500円下だったかな。
手数料、インドって1日僕500円ぐらいで生活してたんで、交通費とか抜いてっていうか、移動しなければっていう意味なんですけど、
1日500円ぐらいで生活してたので、この手数料で1日インドだったらいけるわっていうお金の違いっていうんですかね、物価の違いみたいなのをすごい体感したっていうのも面白かったですね。
面白かったですね。そこからは結構自国っていうか、ヨーロッパ編は結構自国だったって言ったんですけど、物価が高くて満足にご飯を食べれなかったっていうかね。
高いですよね。ベネチアとかね、ちょっとちらっと言ったんですけど、ベネチアっていうか観光地ですね。ベネチア、ベニスか。水の都でしたっけ?
観光地価格とかでもコーラとかが1本500円とか18年前とかですよ。今の日本でも200円いってるところがあるから観光地だと300円ぐらいするかもしれないですけど、それよりも高かったから衝撃だったし、
当時のユーロがたしか160円とか170円とか結構高かったんですよね。僕がそのバックパックが終わって帰ってきた後に130円ぐらいだったんで、全然違うじゃんみたいな感じでした。もうちょっと後あったらみたいな感じだったんですけど、
インドからフィンランド行って、フィンランドからスウェーデンに船行った。これ結構楽しかったですね。フィンランドからスウェーデンまで船で行ったのは結構楽しかった。そこからスウェーデンからドイツに入ってったんですけど、それも楽しかったのは、電車でスウェーデンの端っこのほうまで行って、
ドイツだったかな、ドイツだったと思うんですけど、海列車みたいなのが、ちょうどその時ワンピース、見たことない人いたらちょっとあれなんですけど、ワンピースのウォーターセブンっていうフランキーがいたところですね。
ウォーターセブンの話のちょっと後ぐらいだったんで、本当に電車で陸の端っこまで行って、行ったら船に、船の腹っていうんですかね、のところに電車が入ってって、そのまま電車が運ばれてくるんですね。
船に乗って行って、そこから海のトンネルみたいなところに繋がってって、海の中を電車が通ってって、ドイツの陸地に行くみたいな、海列車って僕は呼んでたんですけど、正式名称は何かわからないですけど、そういう体験も初めてだったから、すごく興奮したっていうのがありましたね。
ドイツから入って、そこからベルギーに小学校の時の同級生の友達がいたので、ベルギーに寄って、ベルギーは飾り窓っていう、日本語で飾り窓、英語でレッドなんとかだったと思うんですけど、っていうのがあって、それもすごく衝撃的でした。
ショーケースというか、倉庫みたいなのがあって、そこにオランダとかって、ベルギーからオランダに行ったんだ。オランダに行った時に、話がもうちょっと覚えてないですね、空で言うのは。
オランダのアムステルダムか。アムステルダムにはタイマとかが合法だったりするので、ゴニョゴニョって感じなんですけれども、そういったところ、面白かったのは、タイマとかマリファナとかを歩きながら、タバコならぬ歩きマリファナしてる人がいたんですけど、そこに警察もいたんですね。
警察とその人がいて、別に全然何かしたとかじゃなくて、警察歩いてて、横でマリファナ吸ってる人がいるのはスルーして、自転車を2人乗りしてる人に、2人乗りダメだよって言ってるシーンとかも衝撃的だった。逆だろ、逆だろってか、日本だとそっちのタイマの方が100%すぐ重い罪っていうか、捕まるみたいな感じになると思うんですけど、衝撃的でしたね。
そっちはいいんだみたいな感じでした。実際いいんですよ。アムステルダムっていうのは合法化されてるので全然いいんですよっていうのが面白かった。だから海外行くとそういう自分の価値観の外のことが起こる。こういった経験は10代、20代の初めぐらいに1回しといたのはすごくその後にいろんな影響があったんだろうなっていうのは思ってます。
ドイツからベルギー行って、1日オランダ行ってまたドイツ戻って、そこから記憶が曖昧になってきましたね。ドイツ行ってそこからチェコに行ったのか。チェコに行ったんですよ。そこから一気に電車でチェコに行って。
チェコも結構面白かったのは社会主義国っていうやつだったのかな。だから面白かったっていうか結構普通に怖かったのが、電車でヨーロッパって他の国に行くのは日本でいうと他の県に行くぐらいカジュアルに電車とか乗ってたらすぐに行けちゃうので。
チェコとハンガリーの体験
日本にいると海外行くってやっぱり飛行機乗って海を渡る。海外って海の外って言いますし。彼らにとっては海外じゃないですね。県外ですよね、ヨーロッパの人からすると。自分のテリトリーの外みたいな感じですよね。国境の外だけであるという。県境と変わらないですよね。
みたいな感じなんで、やっぱり全然海外、外国に行くって感覚は全然なかったんですけど、チェコにおいてはそれがあったっていうか、僕もちゃんと勉強しなかったし今でも不勉強なんで。
社会主義っていうことだったのに国境警察みたいなのがいたというか、違うんだぞみたいなのがすごく俺たちは違うみたいなのをチェコから感じて、電車で入ったら軍服みたいなの着た、警察の服みたいなの着た人たちが僕にパスポート見せろっていろいろチェックして、僕も小汚いアジア人でしたからね、普通にバックパッカーしてて。
怪しいんだろうなって思いながら怪しくないよって言ってて、そういった人たちとチェコを。チェコもちょっと歩いただけだったんですけど、チェコ面白かったっていうか、モルダウ川とかお城があったり古い古城っていうんですかね。
とかを見たりとかして、あとはヤンシュマンクマイエルっていうチェコのクレイアニメとか作る、ちょっと変わった記載ですよね、のアーティストがいるんですけど、彼の出身のところってこんな感じなんだったりとか、浦沢直樹先生のモンスターとかもチェコとかが話になったので、モンスターっぽいなみたいな感じの独特の暗さみたいな感じがした気がします。
先入観あったかもしれないですけどね。
そこからハンガリーに行ったのか、ハンガリーとクロアチアに行ったのか。
ハンガリーは本当に一瞬でしたね、1日ちょっと回ったぐらいでした。
こういうとこなんだっていうのと、東欧ですね、東のヨーロッパになるんですけど、そこまで行くと物価がちょっと安くなるんで、東欧に行ってパン買いました。
パンとジャム買って、ジャムって小学生の頃給食とかでマーガリンと苺ジャムとかが一緒になったプチってやる、コンビニでフランクルートとか買うとマスタードとケチャップがついてくる、あんな感じのジャムを買って、そのパンとジャムだけで3日間過ごしましたね。
それぐらいお金高いって言って貧困生活を送ってました。
人生で、その後ハンガリーからクロアチアに行ったんですけど、クロアチアに行ったときに日本人宿とかね、日本人宿っていうのが海外よくあるんですけど、探すと。
そこのゲストハウスってやつですね。
行くとゲストハウスのリビングに紅の豚のDVDがあったので、それ見たらですね、久々に見たんですね。大人になって初めて見たって感じだったんですけど。
小学生の時見てたけど、めちゃくちゃ感動して。
アドリア界の飛空艇乗りはみんなジーナに恋をするみたいなのがあるんですけど、ジーナって美しい女性がいるんですけれども、目の前にアドリア界があるわけですよ、今僕は。
クロアチアにいるから。
やばいってなって、そこからクロアチアのドブログニクっていうのが魔女の宅急便とかの舞台になって、紅の豚とかもちょっと近いのかな。
なんかわかんないですけど、ドブログニクまで行くにはちょっと遠かったんで、その前のですね、忘れたな名前。
その前になんちゃってドブログニクのルーションじゃなくて、名前忘れたんですけど、そこに行ってジーナを探したっていう21歳くらいの時の話ですね。
楽しかったなって感じです。
オレンジの屋根に太陽がすごく綺麗で、アドリア界の海が青って、紺碧の方の青っていう感じがして、そういうポエムっぽくなりますよね。
そういうとこに行くと綺麗だなってなって、ただお腹は空いててパンとジャムだったんだよ。
なんか人生で初めて鳩が美味しく見えたってね。
後にも先にもその目の前にいる鳩、めっちゃ美味しそうだなってなりました。
こういう感覚にもなるんだな、お腹空くとっていうのはちょっと面白かった。
っていうのがクロアチアですね。
ヨーロッパから南米へ
そこからスペインに向かったんですけど、たまたまベネチアを通るルートだったんで、ちょっと見とくかって感じでベネチアを降りて、
ベニスにシスとかね、そういう映画もありますけど、そこでこういうとこねみたいな感じですごいねっていう感じでした。
川を船で渡って、移動車に船を使う迷路みたいになってて、面白いんですよね。
あそこのところもカルチャーショックでしたね。
そこでコーラ500円とかね、嘘だろって言って、高いって嘆いてましたね。
本当にヨーロッパ、そういう意味で当時のヨーロッパはすげえ嫌だったという感じです。
言うの忘れたんですけど、ドイツはあれだ。
ドイツは豊かだったんですよ。
なんでかっていうと、ベトナムの時に仲良くなったローラっていう女の子がいて、
19歳の。それだけ聞くとロマンティックにロマンがありそうなんですけど、
ありそうって言ったら、そういうかた姿勢か。
そういうかた姿勢なんですけど、ローラはめっちゃでかくてですね。
175くらいかな、多分あったらしい。
体重も多分80キロくらいあったのかな。
めっちゃでかかったんですけど、自分よりめっちゃでかかったので。
彼女とすごい仲良くなって、一緒にね、なんか普通にバイクに乗って遊んだりとかしたら事故ったんですね。
ローラの後ろに僕バイク乗ったんですけど、事故ったっていう中からですね、仲良くなって、
彼女の家、実家に連れてってもらいました。
2つここで話せるのは、1つは旅先で、バックパッカーで回ってると旅先で出会った人とね、
たまに巡り合うとかね。
これはなんか、え?とかになるんですね。3ヶ月後とかに。
ベトナムで会いましたよね、みたいなのがあるっていうのが面白いのと、
それはローラに関しては会う約束してたから、なんか普通に会っただけだったんですけど。
彼女は20歳くらいだ、19歳くらいだったかな?
高校生だったか大学になるかのモラトリアムっていうね、
ちょっと休学したかなんか忘れたんですけど、
そんな感じでヨーロッパの人はね、結構アジアとかに遊びに来てて、
そういう文化もなんかあれでしたね。
各有僕もですね、みんなが就職活動して就職したのに、
僕は行かなかったっていうね、自分でモラトリアムっていうのを、
儲けてみたんですけど、そういうのを日本だとね、
なんか大丈夫かってめっちゃ心配されてたんですけど、
ヨーロッパだとそういうのは普通というかね、
みんなそんな感じだよみたいな感じで言ってて、
カルチャーがやっぱ違うんだなっていうのを、それはローラから教えてもらった。
で、ドイツの時はローラの家とかに泊めてもらってたんで、
めちゃめちゃ綺麗だったし、ご飯はね正直なんかね、
ローラの家族があれだったかもしれないですけど、
ドイツめっちゃ大雑把なんですよね、料理がなんか。
パックに入ったシャルキトリっていうのかな、
酸っぱいキャベツの漬物みたいなのにウインナーとかだったんで、
料理っていうか煮るだけとか焼くだけみたいな感じで、
ただビールの種類はめちゃくちゃ豊富で、
人生で初めてビンですよ、ビンのビールで、
僕はお酒ワインの知ってたんで、ローラはね、
あなたはこれがいいんじゃないって渡されたビール飲んだら、
コーラとビールが最初からハーフ&ハーフ、
割ってあるビンビールみたいなやつを渡されて、
なるほどね、うまかったっちゃうまかったですよ。
っていうのを飲みながらっていうドイツの話でした。
そこから飛んでイタリアというかベネチアに行って、
ベネチアからスペインですね、バルセナ。
バルセナめちゃくちゃ良かったですね。
良かったってだけにしとこう、
またいつかバルセナの話はしたいと思うんですけど、
桜のファミリアが20ユーロくらいで入れたから、
3000円、400、500円とかかな、当時で言うと。
はい、行かなかったっていうね、けちって。
20ユーロ高いなって行かなかったんですけど、
それはめちゃめちゃ後悔することになります。
行けば良かった。
3500円ですよ。
そこまでいくらかけてんだよって思ったんですけど、
やっぱりああいうとこにいると、
1日の日銭のことを考えるといけなくなるんですけど、
オチ的に言うとその30歳の時に、
またフランスとか海外で1年間住んでた時があったの。
その時に10年越しぐらいに桜のファミリアを見て感動しましたって話ですね。
そこからスペインはバルセロナから、
一応マドリッド、サッカー好きなんで、
バルサとレアルマドリー、ここがねーっていう感じで、
サッカーはその時は見れてなかったんですけど、
行ったっていうのは良い思いでした。
マドリッドから一気に、
ヒースロー空港か、経由でチリに行きましたね。
チリっていうかイースタ島に行きました。
イースタ島も別で一回話したいな。
良い経験でしたね。
イースタは憧れがありますね。
モアイとその歴史を見て。
なるほどね。
マチュピチューがあるペルーか。
ペルーに行きましたね。
ペルーもこの辺濃いな。
ペルーもまた話したいんですけど、
マチュピチューまでペルーのクスコから、
マチュピチューっていうのは、
バックパッカーの冒険
160キロくらいあるんだっけな、確か。
なんですけど、歩いて行ったんですよね。
3日かけて歩いて行きました。
これはもう、なかなか旅の中でもハイライトでしたね。
かなり楽しかったよっていう。
それはまた別件でどっかでしたいと思います。
どっかでなんか、
そうっすね、ソウシュさん、サワークラフト。
僕何て言いましたっけ。
サワークラフトだ。シャリキトリって言ったのか。
シャリキトリは違うわ。
セットか。サワークラフトですね。
ザワークラフトか。すいません。
キャベツをヨーグルトとか、
あれとかでつけて、ちょっと酸っぱい感じのやつですね。
ウインナーとかの付け合わせとかで出てくるやつです。
ザワークラフトですね。ありがとうございます。
で、マチュピチュー行って、そこからメキシコ。
メキシコもよかったな。
中南米めっちゃよかったな。ごめんなさい。
ピンなどの話してたんですけど、
なんかしようかなと思ったんですけど、
中南米っていうか、あの辺はやっぱ刺激的でしたね。
日本からめちゃくちゃ遠いし、なかなか行けないとことを含めて、
すごいよかったなっていう話です。
そこからアメリカに行きましたね。
メキシコからアメリカ。
村上春樹の小説で、国境の西、
太陽の南やっけな。忘れた。
なんかその感じの小説があって、
それはアメリカとメキシコの国境の話だったりとか、
光の列車とか、全然記憶がやばいですね。
映画で、メキシコからアメリカに亡命する?脱国?
国を出るっていうね。
そういうドキュメンタリーの映画があって、
それも見てたんですけど、
見てたんだっけ?後で見たんだっけな。
なんか忘れたや。ごめんなさい。
今日全然ダメっすね。頭が全然働かない。
モーターサイクルダイアリーズとか、
チェ・ゲバルとかですね。
ああいう感じです。
なんかわかんない。
イージュライダーとかね。
そんな雰囲気を楽しみながらアメリカに入っていって、
アメリカはサンフランシスコですね。
僕の中ではフルハウスですかね。
フルハウスってドラマーのオープニングで出てくる場所ですね。
サンフランシスコ。
よかった。あそこもよかったし、
そこはメジャーリーグも見に行きましたね。
当時ジャイアンツ見に行ったのかな。
元阪神のヤブ選手が出てきてびっくりしましたね。
とかもありました。
そこからアメリカはバーニングマンっていう、
今度は別で話したいなっていうすごいフェスがあって、
アメリカの砂漠の中で5万人くらい集まるんですけど、
ニューヨークの思い出
すごいヌーディストで善良で歩いたりとかして、
僕も善良で歩いてみたんですけど、
後にも先にも、その時だけでしょうね、善良で歩くのは。
みたいなことをちょっと遊びもしました。
そんなバーニングマンっていうやつに行って、
バーニングマンに行くにはリノっていうですね、
天使にラブソングを1の舞台になっているリノっていう町から、
200キロ離れた砂漠に行くっていうですね。
遊びをしましたね。
そういった。
ちなみにマジピチウェイは歩いて行ったんですけど、
バーニングマンへは自転車で行ったっていうですね。
また裏話が200キロチャリで行った話っていうのがあるんですけど、
その辺はやっぱりやんちゃしてたなって思いますね。
いい思い出です。
そこの一番最後はニューヨークでしたね。
それまでかなり汚い格好を歩いたんですけど、
ニューヨークに入った瞬間ですね、
今まで着ていた汚い服たちをホテルかどっかのゴミ箱に全部捨てて、
H&Mですね。
当時まだ日本になかったんじゃないかな。
H&Mでちょっと綺麗な格好をして、ニューヨーカーの気分を味合いました。
というのが僕がバックパッカーした時の、
バックパッカーした時の全部の道筋のとこだけで終わりましたね。
今日はその辺で、
なまにバックパッカー、昔の話をね、
紅の豚じゃないですけど、
時には昔の話をしたくなる時があるので、
またどっかのタイミングで需要があればしたいんですけど、
需要があるのかなって感じですね。
そうです。
そんな感じで楽しい、
18年前ぐらいの世界一周のこんなところに行ったよというお話でした。
なんのっていう話ですね。
最後までお聞きくださりありがとうございました。
そんな感じで、
10月はやっぱりいい季節ですね。
非常に過ごしやすいか、風邪をひきやすい季節でもあるので、
皆様の体調には気をつけて、
今日も元気にいってらっしゃいませ。
ではでは、最後までお聞きくださりありがとうございました。
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