幸福度とお金の関係
おはようございます、AIラボのりこです。このラジオでは、1日30分家族時間を増やすAI挫折や、AI時代のママの生き方について考えたことなどをお届けしております。
はい、ということでみなさんおはようございます。9月の15日、3年級の最終日ですね。
昨日ね、家宿から帰ってきて、はい。SKのね、家宿から帰ってきて、子供たちとね、ちょっと過ごして。
今、あのちょっとジャーナリングを書きながら、ちょっと前日の夜に撮ってるんですけど、ジャーナリング書きながら、あのふとですね、バイオレットヴァーガーデンっていうアニメの第10話だけ見てたんですね。
ご存知の方はご存知かと思いますが、お母様のお手紙の話ですね。
あのね、ネタバレは資材なので言わないんですけど、おそらくですが、お子さんをお持ちの親御さんはですね、100人いたら99人は泣くと思います。
というですね、名作オブ名作なんでございますけれども、それをね、見ながら、大号泣しながらですね、ジャーナリング書いてました。
なんか疲れた時って涙を流すってすごくいいんじゃないかなと思ってまして、そういう時にね、こういう、なんていうか、こう、シンプルに感動するものに触れるっていうのはすごくいいことなんじゃないかと思っております。
まだバイオレットヴァーガーデンを見ていらっしゃらない方は、これを見るためだけにですね、ネットフリックスに契約するっていうのもワンチャンありかなと思いますのでね、ぜひ見てみてください。
はい、ということで、本題に移りましょう。
はい、ということで、今日はですね、お金ってどういう形で使うのが幸せかみたいなお話をしていこうと思います。
幸せについて、昨日すいません、夜撮っていたので、ちょっと聞きづらかったりとかしてたかもしれませんが、
自由な生き方の重要性
今日はね、今同じ夜ですけど、地下綺麗な静かなところで撮ってますので、まだお伝えしやすいかなと思いますが、
幸せについてね、スキャンの合宿内で、とある講師の方の言葉をきっかけに考えてたんですよね。
今日か、昨日ですね、昼にも同じ方とお話しさせてもらっていて、
昨日の夜の放送でお話ししていた、スケールアップしていくことと、自分の幸せと収益と感謝の総量とみたいなバランスの話は、
今の私が考えているもので、全然間違ってないと思うし、みたいな感じのお話もできたのでよかったなと思っているわけでございますけれども。
じゃあその、稼いだお金ってどうするかっていう話ですよね。
昨日その方とお話ししていて、すごくもう一個印象的だったのが、結局お金って、得ること、稼ぐことで幸せを感じることってほとんどなくて、
結局使い方でやっぱり変わると。使い方でやっぱり人生とか幸せの幸福度って変わっていくと思うんですよね。
その方はですね、めちゃめちゃ極端に貯金もないし、入ってきた分全部使うっていうですね、ものすごい、なんていうか、分かりやすく、はっきりしたね、使い方をされてるんですけど。
その話をしてて、昨日考えてたんですよね。
今の私がいるのってね、私一人の力じゃないんですよ、全然本当に。
本当に私一人の力ではなくて、本当に2年前まで、右も左も分からないようなフリーランスとしての生き方も分からなくて、
仕事の取り方、時間の使い方、価値の生み出し方、そんなことも全然分からない。自分に何ができるのかも分からないような状態だった私がね。
今いるのはどうしてかみたいな、なんで今いるのかっていうことを考えると、実はとある言葉がきっかけなんですよ。
当時の私の状況を少しだけ簡単にお話しすると、会社員として社畜で生きてきて、自家の組織に縛られて、
娘たちもワンオペに座っていて、本当に会社と育児・家事のやってるだけで生きてる。
それに対して間違ってる正しい、良い悪いみたいなことすら考えてなかった。
それがやってた当たり前で、それを私がやらなきゃいけないことで考えたんですよね。
それをもっとたどるとなんでかっていうと、親の期待に応えたりとかもあったと思うんですよ。
昭和的な親だったから、新卒で開いた会社は、もちろん3年、石の上にも3年って言葉だったりとか、
就寝雇用だったりとか、骨を埋めるとか、そういう感じの価値観の、本当に昭和的なサラリーマンの両親に育てられて、
ビジネスとコミュニティの展望
いい高校入っていい大学入って、そういう企業に就職して、結婚して子供を産んでっていうのが幸せだよねみたいな感じの価値観で育てたんですよね。
やっぱり、ほどほどに優等生だったから、そういうのに期待に応えたいっていう感じで生きてきたんですよ。
だからこそ、多分内心超しんどかったし、今思えば心身期待だからね。
本当にしんどかったんだろうなと思うんですけど、それが間違ってるとか、それ以外の選択肢が選んでいいとか、
それなかったんですよね、やっぱり。
やってて当たり前というか、その疑問心もしてなかった。
それが当たり前だと思ってたから、疑問心もしてなかったっていう状態の私がおったわけですね。
まあでもしんどかったでしょうね。
で、ふとXを見てたんですよ。
そしたら、固定関連にがんじがらめになってませんかみたいな感じのね、お話が入ってくるわけですね、目に。
目に。おっとと。猫のように生きる。っていう言葉がね。猫のように生きるってどういうことだろう。
皆さん猫を飼ってらっしゃる方わかると思う。うちにも2匹いるんですけどね。
猫って本当に自由なんですよ。で、自由なんですけどね。
じゃあ何がどういうところが自由かっていうと、やっぱりこう自分の好きなように生きてるんですよね。
寝てたかなと思えば、ゴロゴロ甘えてきたりとか、その辺でお腹上に向けて寝るし、お腹空いたらニャーニャーニャーニャー言うし、
怒ったらすぐ怒るし。
でもなんかちゃんとこう、なんていうのかな、好きな場所っていうのは、お気に入りの場所とかがしっかりちゃんと決まっていて、
なんかいつもそこにいるんだけど、ふらっと違うとこにも行ってみるみたいな。
子猫だとね、特に好奇心も旺盛で、よく食べてよく寝てみたいな。
なんかこう、自分の心地よい生き方っていうか時間というか過ごし方をすごく大事にして生きてるんですよ、彼らってね。
っていうのを、なんか人間も別にそういうふうに生きてもいいんじゃないみたいな感じのメッセージが太めに止まったんですよ、Xで。
それが、リブライカーキャット、LLACっていうね、NFTプロジェクトだったんですね。
その時の多分ね、やっぱりね、周平さん、LLACの代表のね、周平さんのポストが多分相当衝撃だったんでしょうね。
ね、この世に生きるっていう言葉はすごく私の中で、かなり印象的な言葉で、あ、そっかーみたいな。
自由に生きていいんか。結局ルールに縛られて、勝手に縛られてるのは人なんだよって言って。
別にその就職して勤め上げなきゃいけないとか、例えば子供はママが見なきゃいけないとか、そういうのって人間が勝手に決めたルール。
それって本当に守ったりとか、しんどい思いまでして、それを大切にしなきゃいけないものなの?って。
そういうのに疑問心を感じることもしてなくない?みたいな、そういうメッセージだなって思ったんですよね。
そうだなーと思って。確かに別に誰に実は強要もされてないんですよ。
その勝手に親が、勝手にというか、親はもしかしたらそういう気持ちもあったかもしれないけど、別に私親に直接、言われたことあるけど、
じゃあそれにすごく強要されたわけでもないですよ。価値観の一つとしてすごく言われてたし、
それがすごく私の価値観形成にも影響はあったけれど、じゃあ会社を選ぶときにものすごい口を出してきたかって、そんなこともないし、
別に絶対勤め上げるとか、そんなしんどい思いをして休むなとか、そういうこと言われてたわけじゃない。
だけど私の中の固定関連みたいなもので、私の生き方を縛ってたわけですよね。
あ、そっか。
で、すごい気になって、私NFTは実はその1年前から始めてたんですけど、
もう1回ちょっと仕事が忙しすぎちゃって、辞めている間にいろんなプロジェクトが出てて、
で、LNCに出会って、プロジェクトに入っていくわけですね。
で、そこからいろいろなご縁で、NFTプロジェクトの運営の方に参加させていただくことになって、
で、そこからコミュニティを運営するっていうか、自分でプロジェクトを起こしていく、
そのNFTを使って何かプロジェクトを起こしていくっていうことに参加させてもらうことになって、
で、結局そこのご縁が繋がって、なんか新しいものをクリエイティブに出したりとか、
その場で出会った方が助けてくれたりとか、私がエアラボを立ち上げた時にその仲間たちがたくさん入ってくれたりとか、
そこからいろんな活動を経て今に至るわけですよね。
だから、LNCがなかったら今の私はないんですよ。
本当にそれぐらい私にとって猫のように生きるっていう一言はめちゃめちゃ衝撃的だった。
で、そこから自分のビジネスが忙しくなってしまったから、
LNCのコミュニティの運営だったりとか、そういうところはどうしても手伝えなくなってしまった。
お仕事として手伝えなくなってしまってはいたんですけど、もちろんすごく大事なプロジェクトの一つではあって。
そういった時に、周平さんのSOSがあったんですよね。
昨日、ご存知の方はね、ご存知かな、ボイシーとか聞かれてるかもしれないんですけど、
そういうのを聞くたびに、会社って本当に大変だな、
ビジネスってすごいやっていくの大変だなってめちゃめちゃ思うんですよね。
で、これってやっぱり、なんていうか、
強者必須のことわりを得ず、
なんかちょっと申し上げる気がする。
要はね、諸行無常で、
英語すいすい?
合ってる?
要は、栄えてる時も、
スタートしていく時も、浮き沈みっていうか、波があるわけですよね。
良い時はすごく良いし、悪い時は悪くて、また良くなって、悪くなってっていうことの、結局繰り返し。
だから、やっぱり人によっては、誰かがすごく良い時は、誰かが悪かったりとか、
その人が一転してすごく悪くなるけど、悪かった人がすぐ良くなるっていうのが、
やっぱりすごくビジネス世界でめちゃめちゃ起こるんだと思うんですよ。
それをどう生き抜いていけるかっていうことが、やっぱりすごく難しい。
っていう中で、やっぱりすごく今、
しゅうへいさんの会社がピンチだっていうのを、
でも私はやっぱり彼のすごい素敵だなと思うのは、
そういうのをやっぱりすごく出せるところっていうのは、本当にすごい強い人だなと思うんですけどね。
で、それを聞いて、
で、いう時に多分お金って使うべきなんですよ。
と思ったんですよ。
でも、とはいえ、
たとえば数千万とか数百万とか出せるような、
そんな実績が出てる人間ではないからね。
私一人ごときがしゅうへいさんの会社を助けられるような力は私にはないんだけど、
だけど、今何かにお金を使うんだったら、
絶対これにお金を使った方がいいよなって思うわけですよ。
で、それはなんかしゅうへいさんにやっぱりすごく恩があるんです。
やっぱり私の中で。
私は本当に自分一人でここに来れてはない。
お金の使い方と幸福
前の人に本当に助けてもらってここに来てるから、
じゃあ今私が何か返せるものっていうのは、
もうその、本当に微々たるものなんだけど、
ちょっとでもしゅうへいさんの会社、そして大事にされているLLCとか、
LLCハウスが少しでも長く続けられるようにちょっと手助けすることでしか多分ないんですよね。
と思ったので、昨日のボイシーすぐ聞いて、すぐ連絡して、
で、ちょっとだけLLCをお迎えすることにしたのと、
あとはそのLLCハウスのスポンサーだったりとか、
あとはなんかちょっと違う形で何かお役に立ってることがないですかってご連絡させてもらったんですよね。
だから多分おそらくボイシーの中でお話されてた税金の、
いくばかはそれでお支払いただけたらいいなってすごく思ってるんですけど。
でもやっぱり、誰か困ってるときに、
その人がすごく自分にとって大切な人だったりとか大切なものだったら、
やっぱりそれにお金を使うっていうのが多分幸せなんですよね。
なんか変な話、自分自身にめちゃめちゃ使うこともできるんですよ、
同じ額を。多分ね、別に使おうと思えばなんでしょうね。
かといってすごい使うものに悩んでしまうんだけれど、
まあ分かりやすく、例えばブランド品とかバッグとか、
分かりやすいですよね。
同じ金額で、もしかしたらね、ビトン。
ビトンは買えないのかな。
まあでもなんかビトンのちっちゃいバッグとか、
多分同じ価格ぐらいで買えると思うんですよね。
でもじゃあそのビトンのバッグを私が私のために買ったとして、
それは私にとって本当に幸せなんだろうか。
まあ、わあすごいやった、憧れのビトンのバッグが買えるようになった、
みたいなのはあるかもしれない。
あるかもしれないけど、そもそもあんまり別にビトンのバッグを
その一つの自分のステータスみたいなもので魅力に感じたことって
人生で一回もなくて。
ブランド品として守られてきてることと、
あとはクオリティっていうか、皮の品質とか、
縫製の品質っていったより長持ちするとかね、
そういう一つのブランドの歴史と物のクオリティといった面で
きっと素晴らしいんだろうと思うんですけど、
じゃあ自分が成功したか、お金があるみたいな一つのステータスとして
ビトンのバッグが欲しいかとかって一切そういうのないんです。
それだったら同じ値段だったら、
例えば子供たちと旅行行こうかなみたいなやつに使えるっていうのも
一つ私の幸せな形かもしれないですよね。
だけど別にそれっていつでもできるわけじゃないけど、
今今すぐすぐそれをやるべきかってそうでもない。
子供に旅行行ってきたしなとか。
ってなったら、たぶん今私をここまで引き上げてくれた
きっかけになった場所がちょっとでも長く続けられるように。
本当に微々たるものだから助けましたみたいなことは言えないんだけど、
ちょっとでも何か少しでもお役に立てたらなと思ったわけですよ。
でもそういうことなんじゃないかなってお金の使い道って。
貯金してたって資産も増えなければ経済も良くならないじゃないですか。
他者支援の重要性
全部使えたんじゃないよ。
それだと投資した方がいいだろうし、金買っといたら子供たちに渡せるかもしれないし。
そういう投資してお金を増やしていくっていうのにお金を使うことはすごく大事だと思うけれど、
でも誰か何かを応援するために使うお金は、
使っててめちゃめちゃ楽しいし、すごく幸せな気持ちになるんですよね。
それでなんかもしちょっとでも困ったことが解決されるのであれば、
その人がやってることが応援できるのであれば、こんなに嬉しいことはないですよね。
お金の使い方にこそ哲学人生で出るなと思っていて、
私は同じ50万とか100万とかもしこれから使っていくのであれば、
自分自身に納得ができる形で使いたい。
私が美党のバッグを買っても他の人は別にあんまり幸せにならないんじゃないですか。
それは多分私が使えたお金の形ではないんですよね。
多少使ってるよ。もちろん美容医療とかさ肌一緒もんだなと思って。
でもそれもやっぱりインスタとか前に出る商売であるならば、
そういうところにお金をかけることは大事かなって思ったりもするし、
ペーパードライバー講習は娘たちのためにやっぱり運転できた方がいいなという気持ちからやってたりするし、
西野さんのお金の学校は自分と子どもたちのためと、
そこでお金が増やせればまた誰かに使えるじゃないですか。
っていうような自分が納得できる形で納得したい理由と目的があってお金を使っていくということがすごく大事だと思うし、
そういうことでしかお金のリターンって返ってこないのかな。
ただ持ってるだけだったら本当にただの紙切れで、千円は千円にしかならないんですよね。
だけどその千円を誰かすごく困ってる人、今めちゃめちゃお腹が空いてる人とか、
今めちゃめちゃ喉が渇いてる人とか、どうしても家に帰るのに千円足りない人とかに使ってもらったらさ、
それって千円以上の価値になるじゃないですか。
私が持ってるだけでは千円は千円なんだけど、それ以上にもそれ以下でもないんだけど、
すごく困ってる人がいて、その千円でその人のこれからの30分とか1時間が変わるぐらいの場面で、
別に自分に何のリターンはないかもしれないけど、
でもそれでその人がありがとうって言ってくれたらそれで十分ですよね。
私の財布の中にただ千円があるよりも一番倍価値のある使い方だと思う。
そういうふうにお金ってやっぱり使っていきたいなーって思いましたっていうお話です。
これは私が別に、しゅうへいさんにお金を出すことで偉い野郎って話をしてるわけではなくて、
別に偉くないし、まだまだ返しきれないからね。
いただいた御恩で言うと。
なんか全然足りないので、これからちょっとちょっとだと思ってるんですけどね。
そうじゃなくて、これが一つの皆さんにとってのお金の使い方?
みたいなそういう真とか哲学とかいう軸みたいなものってなんだろうってね、
考えるきっかけになったら嬉しいなと思ってお話させていただきました。
今回ですね、お迎えしたらついに揃うんではないかと思います。22匹。
計算が合えばまた報告させていただきたいと思いますので、楽しみにしていてください。
はい、ということで最後まで聞いてくれてありがとうございました。
サネキュー。
最終日、ゆっくりとね、楽しい時間を過ごしてください。
じゃあ、またね。さよなら。