1. ストーリーとしての思想哲学【思想染色】
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2024-05-26 08:35

#71 レヴィ=ストロース1 反・進歩史観

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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
今回から4回に分けてレヴィストロースについてやります。
クロード・レヴィストロースは1908年生まれの人で、哲学者でもあるし文化人類学のレジェンドでもあります。
ちなみに100歳まで生きたので、わりと最近まで生きていました。
レヴィストロースは文化人類学の人なので、アマゾンのジャングルとかで未開社会のフィールドワークを行いました。
未開社会というのは文明社会とは異なる社会という意味です。
文明社会代表が欧米諸国で、未開社会代表がアマゾンのジャングルに暮らす部族とかってわけですね。
哲学って基本的に二項対立構造で物事を捉えるから、文明社会に対する未開社会っていう二項対立、
さらにタイトルの野生の思考というのは、科学的思考に対する野生の思考という、こういう対立関係で捉えるべきものです。
この野生の思考というのは、未開社会における思考様式のことなんですが、レヴィストロースの著書のタイトルでもあります。
著書の野生の思考は1962年に出版された本で、今から60年以上前ですね。
この時代というのは、欧米こそが科学的で先進的である、逆に未開社会は遅れているという世界観が一般に支配的でした。
まあ正直、今でもそういう世界観を持っている人っていうのは結構まだいると思うんだけど、
それを思いもよらない方向から批判したわけ。
未開社会は遅れているっていうと、結構見下してる感じがして嫌な感じがしますけど、
でもこの世界観をもう少し掘り下げると、別に一概に悪意を持って見下しているわけではないっていうのも同時にわかります。
というのも、これは未開社会の人々も我々欧米人と同じ人間であることには変わりない。
だから今のところ、地理的条件などにより彼らは1000年前の生活をしているだけであり、
1000年後には欧米と同等の文明を獲得するはずだという世界観なわけ。
これはある意味で、未開社会に暮らす人々を対等な同じ人間だとみなすからこそ出てくる発想であり、
運が悪かっただけだよねと言っているだけで、悪意を持って見下しているわけではないとも言えます。
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だけどレビストロスが批判したというのは、この欧米は1000年後の世界を生きていて、
未開社会は1000年前の世界を生きているっていう見方、この前提には、
文明は一直線上に右肩上がりに少しずつ進歩して良くなっていっているはずだという、こういう世界観がさらにその裏に隠れてますよね。
この世界は右肩上がりに一直線上に少しずつ改善するはずだという世界観のことを進歩主観と言うんだけど、これを批判したんです。
多分今現在でも進歩主観を内面世界にインストールしている人って多いんじゃないかと思います。
今批判したって言いましたけど、別に進歩主観が悪いってわけじゃないんですよ。
世界は徐々に改善されていくであろうし、そうあるべきだっていう観念は道徳的には健全だし、
でも世界って実際のところもっと複雑だよってレビストロースは未開社会を文化人類学的に観察した結果、そう考えたわけです。
というのも、未開社会をフィールドワークして観察してみると、彼ら未開社会に暮らす人々ってめちゃくちゃ合理的に考えてるなって気づいたわけです。
進歩主観的な世界観がもたらす常識からしたら、未開社会の人々は欧米人みたいに学校教育や高等教育を受けていないから、
そこまで合理的思考はできないだろうという結論が出てきますよね。
これは未開社会の人々への差別とか偏見とかの問題ではなく、進歩主観という観念をインストールした演算装置に純粋な事実、
未開社会の人々の暮らし向きという事実をインプットしたら、どうしてもやっぱりそのような結論がアウトプットされてくるよねっていう話です。
このように演算装置に情報をインプットすることで自動的にアウトプットされてくる結論を批判しても、実は本質的ではなくて、
インプットとアウトプットとの間で動いている演算装置の中にある進歩主観というアルゴリズムを批判したというのが面白い点です。
はい、進歩主観的な未来は今よりきっと良くなるだろうという観念が出てきたのって、実のところめちゃくちゃ最近なんですよ。
人類のデフォルトの認知は、未来は今より悪くなるに違いない、どうにかして現状を維持したいというものなんです。
これって現代人からすると直感しづらい部分かと思います。
人類史って数十万年とかのスケールで展開されていて、ほとんどの時代はずっと現状維持の時代でした。
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古代どころか中世ですら、基本的に社会は停滞していたわけですからね。
人類にとって社会ひいては世界は停滞していることが普通でした。
長い間、人類の社会というのは多産多死が基本でした。
子供をたくさん産んで、乳幼児死亡率が高いからたくさん死ぬ社会でした。
縄文時代において、共同体の人口を維持するためには、女性一人当たり8人の子供を産まなくてはなりませんでした。
やばいですよね。
人間があまりに簡単に死ぬから、女性一人当たり8人産まないと人口が減っていってしまう。
そういう世界で人類は長い間生きてきたわけ。
このような社会における死生観って、僕たちの死生観とは絶対に違うであろうというのはわかるかと思います。
そういうわけでね、進歩死感というのは、
最近になって乳幼児死亡率が低くなった社会特有の限定的な観念でしかないんです。
むしろ未来は、今よりきっと悪くなるだろうと考える方が、人類全体としては普通の状態でした。
つまり文化人類学的には、進歩死感は人間の根源的な思考様式ではないと、そういうことになります。
じゃあ、局所的ではない、普遍的で一般的な、人間の根源的な思考様式とは何だというと、それが野生の思考です。
もしかしたら今の例えから、多産多死時代の野蛮な時代の思考様式だと思われるかもしれないんだけど、
未開社会をフィールドワークすると、先住民の思考が無秩序や非論理ではなく、
ただ異なる一貫性と秩序を持っていることがわかります。
じゃあ、それが何なのかという話を次回したいと思います。
次回に続きます。
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