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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。今回は、公正世界仮説についてです。
今まで散々、人間のホモサピエンスの認知特性について取り上げてきましたが、
そういえば、公正世界仮説の話はしたことがなかったなぁと思ったので紹介します。
これは、メルヴィン・ラーナーという社会心理学者が1960年代に提唱した、人間の認知特性についての概念です。
人間は基本的に、世界は公正であるという信念を持っているっていう、こういう理論で、
言い換えると、基本的に良いことをすれば良い結果が返ってくるし、悪いことをすれば悪い結果が返ってくると、
多くの人は素朴に信じているよね、という意味です。
さらに言い換えると、社会の中において、人は善行を行えば報われるし、悪行を行えば罰されるっていう、
公正な結果が得られると期待しているよね、ということです。
そんなのは当たり前じゃん、って思われるかもしれないんですけど、人間の認知特性について考えるのであれば、
こうした前提の前提、考え方の考え方、みたいなことを抑えないといけないかと思います。
超そもそもの話、認知能力というものをモデル化して捉えるならば、
それらは入力演算、出力で成り立っています。
コンピューターの5大構成要素になぞらえて、入力演算、記録、出力、制御でもいいんですけど、
モデル化するんだったらシンプルに、入力演算出力の方がいいかと思います。
入力っていうのはインプット、周りから自分に入ってくるあらゆる情報です。
その情報を受けて、人間の内部で複雑な演算が行われて、初めて外部にアウトプット、出力されます。
つまり行動や考えとして浮かび上がってくると、このような基礎で認知能力というものは成り立っています。
今回テーマにしているのは演算についてで、
人間の内部では何らかの方向性を持ったプロトコルというものがたくさんあって、
その思考プロトコルのうちの重要な一つが構成世界仮説だと、こういう文脈で話をしています。
サピエンスが規範によって群れを形成する動物である以上、
構成世界仮説は、正しく生きていれば報われるから良い行いを推奨するという力学がもたらされますし、
悪い行動は控えようという力学も同時にもたらされることになります。
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この構成世界信念があることで、努力は報われると信じることができて、
長期的な目標に取り組むことができるわけだから、サピエンスにとって必要な形質であることがわかります。
一方で、作用があれば必ず反作用もあるわけで、デメリットもあります。
他人が何らかの困難に直面しているのを目撃したとき、自業自得だと認知してしまう。
他者がひどい目にあっているっていう情報がインプットされたとき、構成世界仮説という演算装置は、
その困難な状況は、その人の行動が原因となり引き起こされているに違いないという認知をアウトプットしてしまうわけ。
世界は公正だから、悪いことしたからひどい目にあってるんでしょう?っていう認知になってしまうんですね。
だから、例えばいじめだったら、いじめられる方にも原因があるんじゃないかとか、
被害者を責める方向へと演算がなされて、アウトプット・出力が出てきてしまうということにもなります。
もちろんこの構成世界信念も、強く持っている人もいるし、弱くしか持っていない人もいてグラデーション上のものです。
それが言い悪いではなくて、こういう認知特性が多かれ少なかれで人間にはあるよね、とメタ的に俯瞰することで人間理解が進むのかなと思います。
というのも、今の自分の認知って、ファクトに基づくかなり角度の高い推定なのか、あるいは構成世界信念などの何らかの信念に基づく推測なのか、
こういうのって、かなりメタ的に自分を俯瞰しないとわからないことなんだと思います。
別に信念に基づく推測が悪いってわけじゃないんだけど、
もし、今自分は何らかの信念に基づく仮説を立てているに過ぎないなっていうふうに自己認識できたら、現状認識能力はめちゃくちゃ上がるよね、という話でした。
今回はここまでです。次回もよろしくお願いします。