コンテナタウンの立ち上げ
声を思いを世界中に届けるこえラボ
経営者の志
こんにちは、こえラボの岡田です。
今回は、北信越ラボ代表の平原忠さんにお話を伺いたいと思います。
平原さん、よろしくお願いします。
はい、お願いします。ありがとうございます。
まずは、平原さんの授業内容から教えていただけるでしょうか。
北信越ラボは、主に上越名古屋駅の前の西口になるんですけど、
その駅前でコンテナを活かしたコンテナタウンのふるさとを運営しています。
これは、今はどんな店舗さんが入ってたりするようなコンテナなんでしょうかね。
そうですね。新幹線開業から10年になるんですけど、
ふるさとは1年遅れて9周年を迎えてますが、
コロナのですね、結構等々の危機もいろいろあったものの、
現在ラーメン店だったり居酒屋だったり、カフェだったり、
そういう店舗さんに入っていただいて、
いわゆるコンテナ商店街を形成しています。
そうなんですね。じゃあ本当に新幹線の駅として開通するのをきっかけに、
じゃあ何かやってみようというような。
そうですね。新幹線開業の時にタイミングで、
新幹線開業とともにコンテナタウンもできましたって言いたかったんですけど、
いろいろありまして、1年何ヶ月か遅れまして、2016年にオープンしたものですね。
これ、なんでこのコンテナタウンを立ち上げようと思って、
広原さんは思ってらっしゃるんですかね。
そうですね。昔から私地元の人間で、新幹線駅ができる前に、
鉄道好きの方だと上越名港駅っていう駅ができる前は、
脇野田駅っていう駅だったんですね。新越線の非常にローカル駅で、
駅員もいないような、実は非常に田舎駅だったんですけど、
そこの駅が最寄りの人間が私でして、住んでおりまして、
この駅は将来新幹線駅になるんだよって言われて育って、
かれこれ40何年なんですけど、かれこれ50年ぐらいってことなんですけど、
そういう世代だったもので、新幹線駅ができるっていうことのタイミングで、
何か自分で始めたいなというふうに思ったということですね。
そうなんですね。そのときには何をお仕事されてらっしゃったんですか?
地元はここだったんですけど、しばらく東京の方の大学へ行きまして、
大学を出た後に、大学院ぐらいから、なぜか新潟県の佐渡島、
同じ新潟県なんですけど、海の向こうの佐渡島に行くことになりまして、
今でいうと地域おこし協力隊みたいな感じですね。
当時はまだそういう制度なかったんですけど、地域おこし協力隊みたいな形で佐渡に行きまして、
佐渡の島おこし、島づくりのお手伝いをするということで、
大学生の延長で佐渡に渡ったということになりますね。
そうなんですね。そこでいろいろお仕事をされてたところが、
今度はいよいよ新幹線開通するぞとなったので。
佐渡でだいたい10年ぐらいしていたんですけど、
10年過ごしていると、だんだん自分の地元で新幹線ができるぞっていうニュースが聞こえ始めてきて、
なんかすげえなというふうに思い始めて、これを活かさないといけないんじゃないかというふうに思って、
佐渡島もとても好きな場所で自分で自ら入ったので、
残念ながらだったんですけど、後ろ髪をひくべる思いで地元に戻ってきたということになります。
そうなんですね。実際にこのコンテナのふるさとを立ち上げてみて、やってみてどうでした?何か苦労とかもいろいろあったんですかね。
そうですね。とにかく自分でこの事業をやったっていうことは、この事業自体が居場所づくりになっていて、
自分が地元に戻ってきて、働く場所から作ったっていう感じになりますね。
これを作ったことによって、なんとか自分が地元にも、貢献じゃないけど、居場所ができたっていうですね。
それまでは正直言うと、新幹線はできたけど、私たちと新幹線をつなぐものがなかったという感じですね。
そこの場所も結構空いていたっていうことなんですかね。
そうですね。土地は開発というか、区画整理事業と言って、土地の生地、農地だったところを一応商業地に変えることまでは行われてたんですけど、
その後、どういう企業さんが来るとか、どういう商店ができるとか、商業施設ができるとかって話は全くなかったんですね。
そうなんですね。じゃあもうここは自分で何かやっていかなきゃっていう思いもあって。
苦労と地域の変化
そうですね。はい。
そこから結構いろいろ苦労もあったと思うんですが、例えばコロナとかでもやっぱりいろいろ大変だったのかなと思うんですか。いかがでした。
そうですね。結果的にコロナも大変だったんですけど、その前に2016年にふるさとがオープンした後の2017年、次の年の年末ぐらいに、私は病気で倒れまして、大動脈痒という心臓血管の病気ですけど、倒れてちょっと息死にを味わった経験があって、
復帰をしてきて、戻ってきたと思ったらコロナになったんですね。
そういうタイプだったんですね。
はい。なのでもうそこで2つインパクトを経験しまして、コロナの時は大変だったんですけど、その前にもちょっと大変さを経験してるということです。
ここのふるさとに入ってる店舗さんってどういった店舗が多かったんでしょうかね。
入ってる店舗は飲食事業者が多いので、私が倒れたときの問題は別として、その後のコロナというのは、アルコールを伴う飲食に対しては非常に大ダメージの時期でした。
もう人が歩いていないし、人通りがないところでどうやって商売すればいいのみたいな。
もうほとんど皆さん飲食を、逆にそのときの若い人たちが飲食なんてやらないって諦めていったような時代なので、そういう時期を経験したっていうことですね。
でも今はそこを乗り越えて、またいろんな店舗も入ってらっしゃるような状況なんでしょうかね。
最近になってまたぐるっと回って、若い方々がそれでも飲食で身を立てるというか、飲食を仕事にするっていう人が増えてきたということと。
あと、東京あたりだと同じように飲食事業が大変だっていう経験があったってことで、
最近またUターンで地元に戻ってきて、こういう経験を生かしてビジネスをやる、自分のお店を持つっていう人が少しずつ増えてきたなっていうふうに思って、
今そういう受け皿にはなってるのかなと思います。
地域のハブとしての未来
じゃあ今は何店舗ぐらいそこに入ってらっしゃるんでしょうかね。
そうですね。今は店舗数をすぐに言えないけど、8店舗になるのかな。
局営もあるんで、テナントで入ってくれてるのが6店舗か、あと2オフィス。我々のオフィスと関連のスタートアップ企業がもう一つあるので、入ってくれて、コンテナの中にいろんなメンバーが雑居してるって感じですね。
そうなんですね。じゃあ徐々に徐々に活気も戻ってきていって、だんだんと盛り上がってきているような状況なんですね。
これから上越妙高っていうのは、妙高高原の方でこれから外資系のファンドが入った開発がこれから動いていく中になりますので、
上越妙高駅および長野駅、この辺だと飯山駅っていう駅もあるんですが、その3つの駅っていうのが山の山岳リゾートに向けての入り口になるんじゃないかということで、
これからようやく10年で、次の10年の話ができるようになってきたんじゃないかなと思いますね。
この番組は経営者の志という番組ですので、ぜひ平原さんの志についても教えていただけるでしょうか。
フルサット自体の事業を始めた、北進エーズラボっていう会社を始めた時点で、
自分が佐渡に行った経験も生かして、人と人が繋がるような結節点ですね。
ハブになれればいいなと思って始めた事業の、一応最多のものがフルサットなので。
このフルサットってところに、最近私のフルスの佐渡から芸術祭のポップアップというか、
サテライト展示をしてもらったりとか、そういう地域の話題が集まって、
ここで展示物を置いてくれるとかっていう動きも出てきてますので、
今後10年先もフルサットっていうところが地域のハブであってほしいなっていうふうに思って事業をしています。
確かに、そうやっていろんなところとも地域とも連携しながら、どんどんハブになっていくような役割を果たしていかれていますね。
今後はマルシェとかいろんなイベントも開催、今もされてらっしゃるっていうことなんですが、どんなイベントをされてらっしゃるんでしょうかね。
そうですね、新幹線開業時ぐらいから、コンテナがない時代からフルサット1っていうですね、マルシェイベントをやっておりまして、
今でも年間で言うと4回開業月、3月は新幹線開業の月なので3月と、フルサットの開業は6月だったので6月、あとはちょっと涼しくなった9月ぐらい、
あとは冬の前の11月ぐらいってことで、一応年4回ですね、フルサット1というのを今やっております。
臨時出展、キッチンカー含めて臨時出展の皆さんに出てきてもらって、フルサットの既存のテナントとテナントの間に見せを設けてもらって、
もうちょっとバージョンアップして元気にマルシェイベントをやっているところです。
それが今度9月の20、21日に2日間にわたってありますので、ぜひお越しいただければなと思います。
そうですね、まずそういったマルシェのところからご参加いただけるのを楽しみたいと思います。
ぜひこのPodcastの説明欄にホームページのURL、あとインスタグラムも掲載させていただきますので、ぜひそこからチェックいただけたらなというふうに思います。
今回は北進閲ラボ代表の平原忠史さんにお話を伺いました。平原さんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。