ブルーロックの背景
それでは本題の方に入っていきましょう。
今日のテーマはですね、
才能は幻想だった、幻滅だった、幻想だった、秀才が天才を凌駕する原稿家と継続のロードマップというお話で、
まあまあかっこいいタイトルになってますが、
今回はハッシュタグテーマでアニメの話をしよう、アニメの話みたいなのがあったので、
今日はブルーロックという作品についてのお話をします。
前、ちょっと最近ハマってるものみたいなものでブルーロックの話をしたんですが、
そこよりももうちょい深掘って、
先日ですね、今日の朝、ちょうど朝6時からプレミアムボイシーを撮ったんです。
プレミアムリスナーホースを1本撮りました。
朝6時から撮ったんですけど、
そこでもちょっと話したのが、
これはブルーロックではなくて、昨日出た回ですね。
昨日出た回がまあそれはまあお勉強になります。
ちょっと運営で関わらせてもらっていて、
僕自身がこれのナイトギャットの運営にかかっているということをどこまで言っていいかどうかがちょっとわからないので、
何の運営かっていうのをちょっと控えさせていただくんですが、
皆さんが結構知っているようなものですね。
別に何かそうしたら言ったら僕は殺されるとかそういうわけではなくて、
わざわざ別に言わなくてもいいかなっていうところで、
秀才と天才の違い
その分僕も学ばせてもらう立ち位置の中で取らされるまでいるみたいな感じなんですけど、
そこでの学びからインスタグラムっていうところのアカウント設計から、
そもそも自分というものをどう捉えていけばいいのかみたいな話を
今日の朝20分くらいかけて話したので、
めっちゃ有益な話です。超有益です。やばいですね。
スーパー一時情報みたいな。
登録しない方は是非プレミアムリスナー。
今日登録したら6月分全部聞けるんで。
今日登録すれば6月分全部聞けるから、
今日登録して全部聞いてほしいんですけど、
マジで聞いてくださいって感じなんですが、
一旦置いておいて、そこを考えてたし、
改めてブルーロックっていう作品を僕は結構見返すんですよ。
僕は自分という存在の自己を高めたいというか、
自分の俺とはなんだみたいな。
なんかカッコつけると。
自分とは、自分というものに対するものとか、
より自分の事業とか、自分というものを見つめ直して、
より工事のものを作ろうと考えるときには、
僕は左利きのエレンとブルーロックを見返すようにしてるんですよ。
普段から。
僕は自分というものを高めようとか、
何かについてより自己とはなんだという、
より上を目指そう、
自分にないものを作ろうと思うときには、
左利きのエレンとブルーロックの2つを見るんですね。
この2つに共通してるのが、
主人公は天才ではないってことなんですよ。
左利きのエレンの主人公をエレンと捉えたら天才なんですけど、
朝倉康一と捉えたら、あいつは秀才なんですね。
ブルーロックの主人公、伊崎佑一は、
完全な秀才なんですよ。
僕は間違いなく、100億%
心に誓って、僕は秀才のタイプです。
僕は天才ではないです。1ミリも天才じゃないですね。
これを誓っています。
壮太さんって才能があったとか、天才なんでしょうとか、
言われがちなんですよ、どうしてもね。
こういう立ち位置でこういうことをやってると。
僕は誰がどう見てもというか、
一番の承認は僕の母親だと思います。
最近のYouTubeでも結構、僕と母の対談、
結構人気で、いろんな方からコメントいただいてめちゃめちゃ嬉しいんですけど、
このボイスも聞いてるわけですけど、誰よりも承認が
僕の母です。僕には才能がないです。
天才ではありません。はっきりと言って。
天才を常に羨ましがるような
タイプの人間でした。そこに対して劣等感を持つぐらいのレベルの
人間でしたね。
逆にむしろ、ありがたいことに、
天才と呼ばれる人たちと勝負もできるし、
ある意味、そういう人たちの思考というか、
そういう考え方をトレースもできるし、
向き合うこともできるようになったと。
それはなんでかっていうこと。
ここには言語化と継続ってこの2つが僕の中には
テーマとして存在するわけですが、
ブルーロックという漫画の世界でも、
天才に勝つ秀才の考え方っていうのが
めちゃくちゃ面白いというふうに思っています。
ブルーロックという作品はサッカーの漫画なんですよ。
サッカーの漫画なんだけど、どっちかというと名言継続だと僕は思っているので。
そこで主人公が考えた、
主人公はとにかく最強の
適応型って呼ばれるプレイをする人なんですね。
適応型って言って、
状況とかビジョン、メタビジョンみたいな
黒子のバスケで言ったらフォークアイとかみたいな感じなんですけど、
分かんないと分かんないの事例とか言われたら余計分かんないですよね。
漫画好きには分かる事例なんですけど、
メタビジョンって言うと、いわゆる空間把握をして、
いろんな人がどう動いているかを見ながら
分析をして、その人たちが織りなす
全ての動きを予測して、限りなく最適解の
未来に対して先に動いて、
状況を把握するっていう力、それを適応って言うんですけど、
それの所を極め切った人間なんですね。
秀才。
それを一つの秀才とも呼んでるわけですけど、
そういう能力を持つイサギっていう主人公と、
それのライバルって言われてる奴が天才なんですよ。
イトシリンって言うんですけど、こいつは天才ですね。
常識の範囲外からすべて織りなす、
孔子すべてできる最強プレイヤーみたいな天才のライバルがいるんですけど、
そういう時に、
この秀才と天才を考える時に、
まずはこのイサギ・ヨイチが考えた、この秀才と天才を考える
遺伝子と進化の話
このビジョンっていうものについての解説。
これがまず1個面白いから、ここから解説します。
秀才と天才とは何かっていうのを考えた時に、
彼らはエゴイストみたいな、
自分の自我とエゴを出すっていうところでエゴイストっていうので、
なしていく漫画でもあるんですけど、
そこには自分型と世界観型
っていうものが存在します。
自分型と世界観型。
何それっていうね。
自分型って呼ばれるのが天才型、天才で、
世界観型が秀才だというところを
そのイサギは定義するんですね。
そもそも自分型と世界観型って何かっていうと、
自分型って何かっていうと、
自分の織りなすイメージや
全ての俺がイメージした
俺のすごいものを見ろみたいな。
自分中心で自分の描いた勝手なビジョンによって
それの通りになぜかできてしまう力。
これを自分型と言います。
俺がイメージしたものに全員ついてこいみたいな。
俺が今こういうことを
思いついたから俺はこうするみたいな。
奇想天外なものとかありえないような
発想みたいなものとかを出していく。
簡単に言ったら、
ゴールを決めた俺を見ろみたいな。
ゴールを決めた俺を見ろみたいな感じな
自分中心として全てを回していくもの。
これを自分型、こっちの天才という風に
捉えたんですね。
なんでかって適応していくために。
天才とは
自分勝手にイメージしたものを具現化する力が
極限にまで高い人。
常識とか何かの当たり前とかに
概念にとらわれることなく
自分で制作したもので、当たり前の概念の枠外
常識の枠外を勝手にできてしまう力。
それを自分型、それを天才と呼ぶ。
世界観型という風に呼んでいて
世界観型とは何かというと
ある物事とか常識とか
基本的な概念や適応していくための過去の情報とか
既に存在し得るものだったりとか
今ある散らばっている情報を適切にまとめた上で
適応してそこの最適解を出す力。
これを世界観型という風に
イサギは言うんですよ。
これは俺のイメージしたゴールを見てくれ
これが世界観型ですね。
ある世界とかあるルールとか
基盤というものに対して
そこから最適なものをピックアップする力。
これを世界観型という風に言って
それを習才という風に言うわけですね。
この違いです。
おはようございます。
天才と呼ばれる自分型というのは
簡単に言ったら
インスタで捉えるんだったら天才と呼ばれる人達ってどういう感じかというと
なんかこの玄関からの入り方めっちゃええやん
この料理こうやって取った方が美味しそうやない
この映り方私めっちゃ映えるやん
勝手に作り出す人ですね。
私を知っていて勝手にそれを作り出す
勝手なイメージとこれをした方が私ええやん
だって私が可愛いんやからみたいな
その可愛い私を見ようみたいな
こうやって作った方が美味しいんやみたいな
いきなり枠外のとんでもないような調理法を知らすとか
なんやそれみたいなことを急にできる力
これが自分型ですよね。
これが自分型。
世界観型というのは何かというと
その中でこっからこっちに
持ってった方が最適化されるよなみたいな
これはこういう理由でこういう要素を作った結果
できるんだ。だから
こうやって適応していった方がより良くなるよねって考える力
これが世界観型なんですよね。
こうやって言ったらもう誰がどう言ったって分かると思うんですけど
僕は完全に後者なんですよ。
全てのロジックというか
天才というものそのものを言語化していく力がある
自信は。自信というか天才と呼ばれている人たちの
自分その人たちの
当たり前のロジックの枠外に出たものって
本来なんだそれってなるけど
なんだそれはもう世の中にあるものになるので
僕からしたら過去の事象になるから
それを徹底的に要素分解したら天才は言語化できるわけですよ。
その場での一瞬では天才だけどその後としては言語化できる。
それに僕は適応しているっていうパターンですね。
完全にもう秀才タイプってわけなんですよ。
自分型すごいですね。
いいですね。こういうパターンです。
それが適応。自分の天才として
自分型つまり天才型として
クリエイティビティを自動的に発揮できる力。
その場のノリとかで枠外のものを勝手にできてしまう力と
枠内の中で
最適を作っていく力でなってきた時に
秀才か天才かってのが分かってきます。
そんなことを言った時に
自分にはそんな才能の自分型みたいなものがねえ
みたいな人たちいて当然だと思うんですよ。
天才は世の中にほとんどいねえと。
天才がいっぱいいたら大変なことになってしまいますからね。
でもここからもう一個僕がブルーロックで
この天才と秀才を語る時に
好きな名言というか好きなエピソードがあって
それがエゴジンパチっていうね。
エゴイストだからこそエゴジンパチ。これはめっちゃ大事なキャラですね。
超大事なキャラなんですけどこのエゴさんが
秀才と天才について語った時の解説が
バカ分かりやすいんですね。
そこについてのエピソードをちょっとお話しするんですけど
ここでエゴさんは
進化の過程の話をここで知らせたんですよ。
秀才と天才を捉える時に。
結局のところ僕らって人間っていうのは
父親と母親の遺伝子を半分ずつ
つまり50%50-50の遺伝子を
僕らは受け継ぐわけですよね。
父親50%母親50%の遺伝子配列の結合によって
出来上がるのが僕ら人
なわけじゃないですか。
この中で遺伝子を50%50%を
完璧な配合で上手くいくことなんて
大抵においてないわけですよ。
これがいわゆる遺伝子配列エラーと呼ばれるものですね。
お互いの父と母50%50%綺麗にいってことはなくて
それの中のこの遺伝子配列のここに
ちょっとだけエラーがあるとかちょっとだけここが変わっている
とかが存在するから
例えば父親と母親より極端に背が高い
っていう人が生まれたりとか
性格全然違うとかめっちゃ食べるやん
全然太らないみたいな
遺伝子配列エラーとか遺伝子スイッチの適法化
これが起こっていくと
この進化の過程の中で人は遺伝子とかの中で
遺伝子ってものも
生きている中で傷ついたり変わったりするんですよ
そもそも論として
天才と秀才の定義
例えばタバコとか吸ってると遺伝子が傷つくとか聞いたことあると思うけど
そういうこととか生死乱死とかの
状態によっても変わったりとかするとか言われるだけ
いろんなエラーとか変革が起こっていくと
それによって次に繋がっていくという子孫繁栄
っていうのが起こっていくわけですけど
そこの中で人っていうのはそこに応じて最適化適合化
していくわけですね
中で生まれてきた天才と呼ばれるのは
何かというとこの遺伝子エラーによって
ないものを得てしまった人たちのことを
世の中は天才と呼ぶというふうに考えたんですよ
そのエゴさんは面白いなと思って
天才とは遺伝子とかさまざまな進化の過程において
本来の通常の人間が
成し得ないようなものや成し得ないものを得た存在たち
これを人は天才と呼ぶと
しかし天才とは一人で生きられないと
なぜかというと天才は天才がゆえに
世の中の一般的な常識に
当てはまることができないわけですね
そしてそれを納得してくれるそれを理解してくれる人が
存在しなくなると
それを理解しそれを実現し
それをグローバルスタンダードにして
それが当たり前になる力を持っている人がいると
音楽とスポーツの進化
それを人は秀才と呼ぶっていうふうにエゴさんは言ってるんですね
だから冷静に考えると確かになって思うことの
一個の事例としてすでになんですけど
1990年代とか1960、70、80とかの
1900年代後半の
いわゆる音楽と今のJ-POP
2020年代のJ-POPってまるで
違うものになりましたよね
音の速さ、動き、難しさ、スケール、店長だったりとか
何から何までの音楽理論だったりものが
たったこの40年で一層入れ替わりしたわけですよ
でもこれって冷静に考えたらヤバすぎることで
これがそのエゴさんの言っている
秀才と天才の考え方なんですね
昔の天才はこの今の時代でも
生き続ける音楽を作ったわけですね
でも今の音楽って
その昔の天才が織り出した技を
当たり前にできる時代になってるんですよ
昔の出した天才が当たり前にできる時代になってるんですね
フルA級とかもそうです
ついこないだとか
1990年とか2000年とかの
フルA級最前世紀とか大さんとか
長島茂雄さんとかがいた頃って
フルA級選手が150キロなんか出せるわけなかったはずなんですよ
ボールの問題とかではなく普通に130キロとか140キロ
ぐらいしか出せなかったわけですよ
それが今や大谷翔平とかみたいな圧倒的天才の
位置がぶっ飛んでる人が出てきた瞬間に
160何キロとかが出てきた瞬間に
今の日本のフルA級って150キロ後半出てないとお話にならないみたいになってるじゃないですか
156キロは出てますね
普通じゃないよみたいな
150キロ代後半って
僕が野球やっててフルA級とか年に100回以上とかを
めっちゃ見に行ってた頃に
150キロ投げるピッチャーってほとんどいなかったはずなんですよ
藤川球児とか真球って呼ばれる真球ストレート
150後半とかやばくねみたいな
クルーンとかみたいなやつが162キロ
日本人最速とかだったのが
大谷翔平とかも出てくるたびに100マイル100マイル
あれが異次元だったから
アニメメジャーでしげのごろうが100マイル
っていうのでめっちゃやべーってなったわけですよ
今100マイル出しても別に出って話になるわけですよ
おかしい世界になってますね
分析などあるそういうことなんですよね
天才が現れた時に天才を言語化する秀才がいるんですよ
人はなぜ160キロ投げられるようになるのか
人はなぜこんな音楽を作れるのかっていう
天才が降り出した職業を言語化するやつがいるってことなんですよ
簡単に言うと
どういうトレーニングをしてきたかどういう筋肉を持ってるのか
どういう動き方どういうシナリオ
言語化しそれを再現する人間がいると
それを秀才と呼ぶってことなんですね
これを英子さんが言っててすげーってなったんですね
つまり天才は一人で天才になれず
秀才は天才の力を得てインストールし
そしてそれをグローバルスタンダードにする力を持っている
これが秀才だっていう風に言ってたんですよ
つまり天才は一人で天才になることができず
天才と秀才が組み合わさった時に初めての力を発揮し
秀才は天才を超えることができるって言ってたんですよ
つまり
最初は天才であるが天才が最初に走ってるのに過ぎないと
それは自分の中で再現ができない
常識が外れたいろんなことしかできないだけに過ぎないと
ただ秀才は天才が織り成した天才の所業を
全て分析し言語化し
それを再現に落とし込み
さらにそこに自分の事例と組み合わせたオリジナルを発揮できると
それこそが自己創造性オリジナリティだって言ってるんですよ
これ面白いなと思って
努力と継続の重要性
天才はゼロから1のオリジナリティを生むけど
秀才はゼロから1のオリジナリティを作らずに
ゼロ1を生み出した真なる天才のオリジナリティと
過去にあった他のオリジナリティを組み合わせることで
オリジナリティを作るんですよ
僕とかもそうで
僕って自分から何かのゼロから1を織り成すってわけではなくて
過去の経験則とかの色んなものを組み合わせた結果
複雑に絡み合ったもので唯一無二を作るって僕普段から言いますよね
いきなり誰も考えたことのない唯一無二をバーンと作るなんて無理だと
じゃなくて
みんなが作れるのって過去の経験則とか色んなものを元にして
組み合わせた集合値で自分だけのものを作ると
これってやっぱり秀才の考え方だなって思ったってことですね
役割がまさにですね
僕とか例えば共感性リールみたいなものとか
100日後フォーマットとかも全部そうですけど
結局のところ過去にあった
ゼロ1で僕が作ったものでもあるんですけど
でもそれって結局過去のリールとかの分析の集合値から
それってなんで人が共感するんだろう
みたいなところからそれを言語化したものを
再現性あるものに落とし込んだわけですよ
それによってそれがスタンダードになって
色んな人が僕が作った共感型
衝撃のコピーから落としてヒーロージャニー的になり上がっていく
ってあれをめっちゃみんなやったわけですよ一時期
とか100日後に○○する何日目みたいな
あの言い方とか言い回しとかあれとかもみんなが作り始めた
天才とかが織りなすいきなり生み出すゼロ1の創造性を
自分の中で再現化して
それを過去の事例と組み合わせて一つにしたものを広めていく
俺秀才の方や完全にっていう
もう潔いですよブルーロックの言ってることも
当てはまりすぎちゃってて
ここから学べることは何かっていうと僕は天才になれないんですよ
天才になれないことを認めるしかないと
ずっと前から認めてるんですけど
より一層認めざるを得ないと
全ての物事で天才的に何かができるとか
最初から何かができるとかないんですよ
全て僕の過去の集合経験値の
合体に過ぎないですね
相多さんって何でそんな色んなところの教養あるんですか
何でそんな色んなことの知識あるんですか
何でそんな色々考えられるんですか
何でこんなずっと喋ってられるんですか
僕の過去の集合経験値の予測値と
それの再現性を作らないと僕は生きていけないんですよ
だからひたすら勉強する
ひたすら知識をインプットする
ひたすら自分の思考を働かせる
なぜなら僕は天才じゃないから
でもインスタグラムには天才ってめっちゃいるんですよ
なんとなくやったらよくうまくいっちゃったみたいな
天才の人たちが言う言語化は言語化じゃないんですよ
言っててもあんたが言ってること
言語化じゃなくねって
お話聞いてるだけで言語化すごいなって思います
天才が言ってる言語化は言語化じゃないんですよ
何でうまくいったんですか
ここ入る時にこういうことを意識して
それは原告じゃないんですね
天才とかの天才型
言い方変えたら自分型の人たちが言っている
インスタ伸ばした理由なんてものを見ても見聞きしても
みなさん感じるでしょ
でもすごいってみんな言うんですよ
天才型の言うものって夢を見させるのが上手なんで
夢のような感覚になるんですよね
天才が織りなす力ってのは天性の力だから
すごいってなるんですよ
こうやってアフィの時にどういうことを意識したんですか
ここでこういうことのこういうことをやると
反応してもらえるしとか
ここの時のこういうクリエイティブで私可愛いと思ったので
それっぽいこと言ってるけど一部にも言語化されてないんですね
そうすると多くの人が思考停止の丸パクリしかできなくなるんですよ
それは全くもって言語化されてないし
それは再現というものとして落ちてないんですよ
結局のところ
だから何もできないまま死ぬっていうパターンなんですね
そうってこと
上手く説明できない感覚
それはもったいない
もったいないというか悪いことではないんだけど
思考停止の丸パクリってその後がないよね
それがスタンダードにならないから
凡人と秀才にもちゃんと差はあるんですよ
凡人と秀才そして天才だと思ってるんですね
凡人・秀才・天才っていう考え方で
凡人と秀才を分ける力は何かっていうと
天才とか秀才に抗おうとする
根性と努力と継続と言語化
この4つだと思ってます
根性・努力・言語化・継続
ド根性ね週刊少年ジャンプですね
努力・友情・勝利みたいな
それぐらいの感覚じゃないと
そこが凡人と秀才を分ける力だと思ってるんですね
もっと言い方を変えたら
これもブルーロックなんですけど
殺到的なる飢える
自分が気持ち悪いみたいなところから
這い上がってやるって飢える
飢えているかどうかが凡人と秀才を分けるんだと思うんですよ
力にたどり着く人間って凡人であることに飢えるんですね
許せないんですよそれが
ふざけんなって思うんですね心から
僕もそうです
俺は世界を変えるに決まってるみたいなそんな飢え方ではなくて
自分という自己がこんなところで
くすぶってて収まっていいのかと
僕はもっと言うと
自分という自己に対する嫌悪感と飢えと
自分の不甲斐なさに対して許せなかったのと
学校とか含めての
社会的教育みたいなところの
基盤みたいに対するアンチテイズ性っていうところの飢えですね
これが許せなさすぎて今日まで生きてきてるんで
そして飢えですね
今も今日も自分というものが
インフルエンサーとしてもそうかもしれないし
一経営者としてもそうかもしれないけど
飢えが止まらないんですよね
最近余計ひどくなってます
俺ってこのままでこんなんで本当にいいのかって
そんなのでいいわけねえだろっていう飢えをずっと持ってるんですよ
それがこれまでは
インスタグラムとかSNSっていう方向性だけで終わってたんですけど
それが新しい関わりのせいで
界隈が広がってしまったおかげで
経営とかマネジメントとか採用とかいろんなところに向いちゃって
そこでこんだけしかできない自分っていうものに対する
許せなささっていうのがより増えていくんですよ
その上を解消するために努力するし
やり続けるし継続するしみたいな
例えばこのボイシーとかの毎朝とかもそうだけど
こういうところでやっていることも
全部上から来てるわけですよね結局
継続とかも結局上の一個なんだろうなって
許せないんですよね
こんな毎日たかたか朝ライブやるだけだろうって
こんなことを工夫もせずに続けることすらできない自分っていうものが
存在することが許せないんですよね
ありえねえと思ってるんですよ
みたいなところから多分僕って
今日まで毎朝ライブやってるんだろうなって思いますよ
いやいやとも言いながら思うのもわかる気がします
自己誓いと成長
もちろん2日目に言った誓いみたいなものとか
それもそうで自分に誓った自分との約束すら守れないやつが
他の人との約束を守れるわけねえだろうって
マジで思ったりとかそういう心から自分に対する
嫌悪や縛りみたいなものが
自分を突き動かしてくれるんですよね
これが結局ある意味凡人と呼ばれる部分と
秀才と呼ばれる部分を切り分けていくんじゃないかと思うんですよね
凡人のままでいいやとか
この言葉どうせ私にはどうせ自分にはできないとか
いや自分はとかでもだって
そういう言葉を使うやつはだいたい凡人だと思うんですけど
そういう人たちに上がないんですよね
心から何かを変えたいと思う
そこの圧倒的なる飢餓みたいな感覚が
ある意味秀才みたいなものへ
自分を押し上げる圧倒的なる熱源を作ってくれるんじゃないかと思うんですよね
そう
ってのをブルーロックから改めて学んだんですよね
あの作品やっぱ面白いなって思いますよね
なんか僕が言語化したことっていうよりか
ブルーロックに書いてあった内容を僕がこのSNSで
海外風に言語化し直してるんですよ
これも秀才の力ですよね簡単に言うと
0から1としてそうやって創造されている作品から
新しい概念を作りやクリエイトする力
これは秀才がなす力の方なんで
現在は漫画読んでなんかわからんけどルフィになれるみたいな
なんやそれみたいなことをいきなり言い出せる人間なんで
それは僕にはできないので
なぜとかどうしてとか
それをひたすら分析し考え適応するですね
いさぎよいちとかの主人公のいさぎよいちの考え方は
マジで僕一緒なんですよね
いさぎよいちの考え方もそうやし
一般的である凡人に飢えるっていうさっきの飢えの話は
左木のエレンの朝倉浩一じゃないですか
ブルーロック見たくなったらぜひ見てください
左木のエレンの最初の高校生編の時に
エレン学がって朝倉浩一のとこで首つかんで
お前はプロの画家を何人知ってるみたいな
とか言って言えねえよ
それぐらいしか知らねえだろみたいな
この業界一握りしかなれねえんだよ
お前みたいなクソがなれるわけねえんだよ
そんなこと言うなよみたいな
だって何にもなれない俺って憧れを許せねえじゃねえか
そうやって言ってるシーンがあるんですよ
言葉は明確に違うので思い出せないですけど
そういうシーンがあるんですよ
何かにならねえと自分が許せねえっていう
凡人っていうものとか秀才になろうと頑張る人って
そこの上があるんですよね
何かになりたい今のままの自分に対する現状に対する上
それの許せなささ
現状に満足した人間ってやっぱり成長が止まるんですよね
今のままでいい変化しなくていいとか
変わらなくたっていいとか
周りの人たち見てもそうですよね
結婚出産とか何かをして今のままでいいんだ
安定していいんだって言った人から聞いていくじゃないですか
やっぱり圧倒的なるエゴとか秀才とか
そして天才を超えたいってなったら
天才を超えるにはやっぱり凡人は天才を超えるには
クリティカルシンキングから何から何まで
絶対的なる言語化能力とかを身につけていくしかないと
僕は思ってるので僕は凡人代表として
秀才になり
そして天才を
凡人なりな力と戦い方で倒していく
そこに対する
本気のあるモチベーション
世の中で言われてる常識が当たり前みたいなものに
従うわけではなくて
自分が信じた道や自分の信じたやり方を
最適解として作っていく
っていう凡人でも勝てるんだ
凡人でも戦えばなんとかなるんだってところを見せたいんですよね
この業界というかインスタで
インスタの業界でこういうことをやってたりとかしてうまくいく人たちって
ほとんど天才なんで分かりますよ
見りゃ分かるんで天才か秀才型かなって
僕が秀才型だからでこんだけ言語化してるから
見た瞬間に分かるんですよ
インスタ教えてるとかこういうのやってて
秀才型でやってる人ってマジで少ない
大体天才型
言い方変えたら自分型だから
自分型の人たちって自分のやり方しか再現できないから
自分のやり方と同じようなことをやらせるんですよね
だからみんな似通るんですよ
みんな似通ってジャンルとかどこ行ったみたいな感じになるのは
そういう理由ですね
ここらへんとか言い出すとちょっとキリがないので
今日は言いたかったのはとにかく才能っていうものを
幻想として捉え
別に秀才になろうぜ俺らってことなんですよ
大丈夫ですほとんどの人たちは秀才型の方なんですよ
っていうか凡人なんですよ
凡人って言われると悔しいじゃないですか
やじゃないですか凡人って言葉って悔しくないですか
でも天才とは言われたくないですね
天才って言われるのも嫌いなんですよ
天才って言葉ってその一言で
天才って言われると
こっちのこれまで言った言語化みたいなものを
ただお前が才能あったからと否定されるのは許せないんですよね
本当の天才は存在するので
僕天才ですよなんて絶対言わないですけども
見れば天才型はわかると
僕は凡人って言われるのも嫌だから
僕は秀才を目指す
立ち上がる凡人っていうね
これも朝倉康一が
騎士
お姉さんの方からあいつは立ち上がる凡人だって言ってて
立ち上がる凡人何度辛くても
きつくても立ち上がり続ける凡人でいたいと
それが秀才を作ると思って
木が上と元に進んでいくんだなと思うので
左利きのエレンかける
天才って努力しないように聞こえるじゃないですか
それが僕は嫌いな感じですね
自分という自己を本気で高めたいというか
今の現状をガチで変えたいとか
自覚している人たちは
ブルーロックと左利きのエレンの2つを見れば
凡人から秀才へ
考え方そのものをめちゃくちゃアップデートできると思います
僕は自分に対して
道足りないとか
なんか違えなとか
自分ってなんだろうとかっていう事項を
振り立たせるときに絶対見る作品がこの2つなんですよ
ブルーロックと左利きのエレン
漫画は人生を変えてくれますよ
漫画読んで成長しましょう
本日もありがとうございます