1. SNSで"教育の未来を作る"ラジオ
  2. 弱みと素直に向き合え
2025-11-13 35:31

弱みと素直に向き合え

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◻︎プロフィール
25歳|株式会社S.Line 代表
インスタでは7日間でフォロワー5万人増加
SNSの総フォロワー17万人越え
YouTubeは1本で収益化達成
現在3チャンネル収益化
週刊誌エコノミスト掲載
貴島明日香さんとTV出演
サンクチュアリ出版と共同セミナー
クローズドASPでの登壇経験
運用代行事業でメンバー40人超え
カメラスクール事業運営
FC加盟でメンズ美容サロン経営
その他複数事業展開中

深化する影響力

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\SNS教育を当たり前の世の中にする/

SNSをきっかけにただの大学生から
フリーランスになり、法人化までできた
自分の経験談を余すことなく
アウトプットしていきます。

僕の人生の気づきと変化すべてが
記録として残る本物のプロセスエコノミーを
ぜひ聴いて楽しんでください🙏

元々は何もスキルのないただの大学生…

「天才だからうまくいった」
「能力が高かったか」

、、そんなことはかけらもありません。

偏差値39だったり、新卒2ヶ月で逃げる形で
会社を辞めたりともはや社会不適合レベル。

確かに数学の教員免許を持っているし
国立大学を出させていただいたりもした。

でも仕事や事業に向き合って痛感した、、

「俺には何も才能や能力なんてない」

それでも諦めたくない、誰かの人生を救う
そんなきっかけとなる存在になりたい…!

毎日嫌になりながらもインスタに向き合い
吐きそうになる経験なんて何度もした。

1日18時間ぶっ通しで働き続けたり
睡眠時間なんて2時間は当たり前に…

USJで気絶して一緒に行った仲間に嫌われたり
独立の時に彼女や友達を全て断ち切ったり

全てはSNSで人生を変えて可能性をいつか
子供達にも伝えていきたいと思ったから。

そして叶えた7日間で5万フォロワー増加
あの時の体験を僕は2度と忘れない。

その体験をみんなにもして欲しい、子供にも
可能性を伝えていってほしい。

この思い1つでSNS教育事業に対して
今日も全力で取り組んでいます。

こんな僕でもやれたからこそあなたにも
変わるチャンスはある!

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サマリー

このエピソードでは、自分の弱みと素直に向き合うことが真の成長につながる重要性について語られています。特に、弱みを隠すのではなく、受け入れて克服する姿勢が周囲との関係や自己成長にどのように影響するかに焦点を当てています。また、周囲との比較や一般的な価値観に対する自己反省を通じて、弱みを理解し、それを受け入れることが成長につながるとしています。さらに、弱みと強みの相対的な性質についての考察も展開されています。特に、普通という概念や他人との比較が個人の価値観に与える影響、並びに社会の評価が人の生き方に及ぼす影響について議論されています。最後に、倫理的な観点から弱みと素直に向き合うことの重要性についても触れています。特に、浮気や不倫に関する法的な価値観や、個人の価値観の違いについて考察しています。

弱みと向き合う重要性
このチャンネルでは、フォロワー数1万人以上をたくさん配置するステップという講座をお見せしたり、
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NZ美容サロンのフランチャイズオーナーとして、僕にしかできないような一時情報のみを厳選したアドプート式ラジオとなっております。
皆様が知って本当に良かったって思う情報のみを厳選してお届けしてまいりますので、
良ければフォローのほどよろしくお願いいたします。
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スマホの上ですね。
それぞれチェックいただければと思います。
本日もよろしくお願いします。
はい、ということで今回のテーマはですね、
自分の弱みと向き合うことが真の成長への道筋というテーマでお話をしていきます。
ありがちなタイトルというか、死ぬほどよくありそうなタイトルではあるんですけど、
このテーマにした理由ですね。
それは何でかというと、結局やっぱり自分自身の弱みだったりとか、
やっぱりまだまだ足りてないなっていう部分とか、
こことを向き合い続けることってやっぱり大きな成長とか、
やっぱり次の一歩につながるものなのかなと思っているんですね。
僕自身も正直言って弱みみたいな部分って非常にたくさんあるなって
すごく感じるんですよ、日々。
皆さんからというか、もしかしたら見てる人たちからしたら
僕みたいな人って完全無欠みたいに見えちゃうかもしれない。
何でもできるみたいな、超人みたいな雰囲気に捉えられてもおかしくない
っていうところだと思ってるんですけど、
僕は全然そんなことはなくて、やっぱり脆いところもあるし、
自分の中でこういうこともっとできたらなとか、
もっとこういうふうにやれたらいいのになって思う弱みっていうのは
無限大に探せば出てくるんですね、素直に。
でもそれでも結局そこから逃げちゃダメで、
自分自身こういうところ弱いよなと。
じゃあ何ができるんだろう、どうすればいいんだろうって言って
そこと向き合い続けることがやっぱり次への成長につながるんやなと
正直に思ってます。
だから皆さんも多分あると思うんですよね。
もっとこうできたらよかったのにとか、もっとこういうふうにしたらいいのにとかみたいに
素直に、もっとこうできるじゃん、もっとこうしたらよかったじゃんって
思う機会なんてこれからもそうやし、今後とかも含めて
たくさんあると思うんですよ。
協力と自己認識
特にインスタグラムなんて、何で他の人があんなにできてとかみたいな
いらない比較劣等感とか、もっとこういうことできたらいいのに、
もっとこういうことできないとなとかって思うっていう悔しさみたいな部分って
こう探せばたくさん出てきてしまうと思うんですね。
それはもう仕方がないことだと思うんですよ。
それは仕方がないから、そこを握るんじゃなくて
素直に向き合い続けていくこと。
じゃあもっと自分だったら何ができるんやろう、
じゃあ自分だったらもっとどういうふうにすれば
よりこの状況をよくできるのかっていうふうに
弱みを強みに変えるというよりかは
弱みを受領するみたいなものって
すげー大事なんじゃないかなって最近思ってます。
弱みなんて隠したほうがいいとか
自分の足りない部分なんて見えないように隠して
強い自分であり続ければいいと
昔、本当に数年前の僕はめちゃくちゃ思ってたんですね。
22、23とかかな。
弱い自分は見せちゃいけない。
ダメだと。
そんな自分は存在しちゃいけないぐらいに思って
それを全部隠していた。
で、強い何でもできるそんな自分自身を
表に見せていたっていう素直な状態が
僕の中ではありました。
でも、最近はちょっとそこが取れてきたっていうか
皆さんに弱みを見せたくなったわけではないんですけど
もちろんないんだよ。
素直に足りてない部分とかは
皆さんの力を借りて頼っていくっていうのが
一番大事だなって結構最近はよく思うし
本当に自分なんて足りないものだらけですからね。
だから、いろんな場面で少しずつ皆様のお力を借りして
講座運営もそうですよね。
講座運営も僕一人でやってると表ではかっこつけて言ってるけど
結局でも生徒の皆様のお力、生徒の方々が
めちゃくちゃ丁寧に向き合ってくださったりとか
サカツとかもそうやし
普段のボーイシンのサブチャンネルもそうだけど
いろんな人たちが僕のやってる講座を
ある意味助けてくださってるというか
もっとよくしてくれてるっていうのは
素直に間違いなくあると思ってるんですね。
僕がついつい強がっちゃう癖があるかなと思っていて
それは結構僕の中で弱みやなって一個思ってます。
皆さんに開示できる弱みの一個は
自分って結構強がりをしがちというか
昔からそうだと思うんですよね。
親が承認なんですけど
強がっちゃうけど
でも強がっていて
それで周りからの協力を得ないというか
全部一人で抱え込んでやるっていうのも
昔はそれで生きてきたし
そうすることでそれこそがかっこいいみたいな
そうやってて自分が一人で全部やってるとか
誰の力も借りずにやっているってことを
美徳に捉えたりとか
それってすげーかっけーなとかって
すごく思っていた節があったんですよ。もともと。
でもそれって捉え方を変えれば
すべて普段生徒には
リフレイビングとかって言葉を
使ったりしてると思うんですけど
捉え方を変えたりすれば
一人でしかできないことなんて
世の中にほとんどないと思ってるんですね。
だからそれってつまり言い換えをすれば
頼る力がなかったというか
頼るほどの勇気がなかった
普通の困難さ
人を頼れるほどの
人間的な魅力がなかった
人が頼ってくれるような
人間的な自分自身の
魅力や強みってのが
なかったのやろうなっていう風に
捉え直すこともできるし
最近は結構そう思ってます。
だからそうやって
自分自身の足りてないなとか
もっと何でこうすればよかったんだろうな
って言われるような
弱みやったりとか
足りてない部分だったりとか
自分自身をもっと高められるような
ものって
実は弱みの部分に
隠れたりしてるんじゃないかなって
結構ね最近は思ったりしてます。
だからそこに対して
素直に弱みを隠したりとか
弱みを見せないとかではなくて
とはいってもね
弱みをバンバンに見せて
私って恵まれてない人間ですよ
みたいな
私って全然ダメな人間なんですよ
っていうことも正しいかと言ったら
それも正しくはないですよね。
すべてはバランスだと思うんですけど
それを人それぞれあると思うんですよ
弱みって
なんだろうな
最近強く思うのは
僕にとっての基準値が超高いもの
僕からしたら
そんなの誰だってできんじゃんみたいな
そういうことなんて
みんな普通にやれるっしょって思うことは
思った以上に周りの人はできないと
思うんですよね
例えば何かこうやって
毎日続ける力とか
毎日ね
こういう決まった時間とかに
こうやってやり続けるとか
毎日ネタをポンポン出したりとか
何かこう人に対して伝えるとか
教えるとかって
できそうに見えて
意外とみんなできない
だと思うんですけど
逆に言うと
結構多くの人とかが
こんな普通できるっしょっていうことが
僕全然できなかったりするんですよ
これくらい普通やるよねみたいな
改めて僕って普通
普通であるけど普通でない
だなってすごく感じてて
周りからしたら
お前元々普通じゃねえよって
言われるかもしれないですけど
みんなからしたら
それぐらい普通やるよねみたいな
ものとか
それぐらいできて
当たり前っしょ
マナーでしょみたいに
言われるものが
やっぱり全然できなかったりするんですよね
あらって感じかもしれないですけど
逆に言うと僕って
時間通りとか
例えば決められたものの集合に対して
時間通りに行くとかなんて
普通できるだろうって
めっちゃ思うんですけど
多くの人というか経営の人たちって
全然時間通り来ないですよ
みたいな
ものとかでずれてる
けど僕はそういう経営の人たちが
そんぐらい当たり前にできるっしょみたいな
例えばよくあるのは営業とかで
人から営業で案件取ってくるとか
例えばそうだな
オフ会とか交流会で
人と仲良くなるのなんて
そんなん簡単じゃんみたいな
普通できるっしょとかって言われても
僕からしたらめちゃくちゃきついんですよ
そんな会った人にいきなり仕事もらうとか
自分の案件を紹介するみたいな
そうやって話しかけに行く営業なんて
僕は超苦手だし
そもそもそんな人間関係とかを
めちゃくちゃたくさん広げたい
みたいなタイプじゃないんですよね
よく言うMBTIは確かにEが表に出ているので
とても外交性が高いと
家の中で何かしてるよりも
外で何かしてる方が好きっていうタイプではあるんですけど
それとは人間関係がめちゃくちゃ広い方が好きかっていうと
全然そんなことはない
人間関係なんか狭い方がいいと思ってる人間にとって
それで案件取ってこい
普通にそうやって仲良くなるなんて
余裕だろみたいな言われても
いや無理でしょみたいな
それでたまたまちょっと関わったから
そういう人たちとすぐに仕事できるようにならなきゃとか
それぐらい普通やるでしょみたいな
そうやって一緒になったんだから
それぐらいやるでしょって言われても
僕にはできないみたいなところってある
だから人にとって
今日のテーマってすごく大事なことで
自分自身は強みだと思ってないことが
強みだってことも全然あると思うし
弱みだと思って向き合っていることは
周りから当たり前にできてしまうことって多々ある
自分の弱みだと思っている部分とか
足りねえなとか
なんでこうなっちゃうんだろうって
思っているような部分って
実は何でそう思うかって
周りが意外とそれぐらい普通できるでしょとか
当たり前じゃねとか
それぐらいやって当然でしょみたいな
いう風な一つ一つが
多分言葉とか態度表情で周りから見えるから
自分の弱みを認識する
それが相対的な評価によって
自分の弱みだなとか
弱いなとか足りてないなみたいな風に
感じるんじゃないかなって
結構素直に思いますね
僕自身もそうですもん
別にこれを自分一人だけで生きてる人生だったら
今の自分が考えていることなんて
弱みでもなんでもないんだろうなって
思うけど
でもそういっていろんな人たちとかを見て
比較するなって言ってる僕が
比較してどうすんだよって話かもしれないけど
そう比べると明らかに自分のこれって
弱みだなって思うものって
本当にすっげえたくさんあるんですよね
びっくりする
そんなの元々教員やろうと思ってたんだから
どうすんだよって話なんですけど
例えば納得いかないことに対して
それを妥協して
上とか偉いとか
目上だから従うみたいなことって
僕やっぱり永久にできないんですよ
なんでなんすかね
できるようになる秘訣が知りたいぐらい
できないんですよね
どんな目上だろうが
どんな人だろうが
理屈通ってないとか
年月が長いからとか
ずっとやってきた期間が長いとか
年齢が上だからとか
偉いとか
だから絶対に従わなきゃいけない
みたいなのは
僕全く賛同できないというか
どんな人でも
そこは違うと思ったら
違うって言っちゃうんですね
これを多くの人は
それってすごい羨ましいこととか
それでももしかしたら
いいなって思う力かもしれない
けどこれって捉え方を変えたら
僕めちゃくちゃ損するんですよ
そういう人たちから
間違いなく嫌われるんだね
こういう行動って
だから僕からしたら
これって一つの弱みやなと思ったりもするし
さっきの決められたこととかに従えない
みたいなものもそうだけど
こういうのって
周りからとか
普通のいろんな人からしたら
強みって思う人もいれば
弱みって思う人もいるし
僕の中ではこれも一つの
足りてない部分だと思う
みたいなもので
やっぱりこうやって
弱みって呼ばれるものって
人にとって
人によっても
まちまちというか
いろんな人
いろんな悩みが
多種多様に存在すると思うんですね
僕は意外と
世の中の一般的な会社員の人とか
一般的に成長して
普通の暮らしをする人たちが
当たり前にできることが
僕本当にできなかったりするんですよ
周囲の期待に対する葛藤
結構内省してみると
相対評価を気にしすぎてました
あるっすよね
僕はね
皆さんからしたら
皆さんが一般的とか
そういうことを言いたいんじゃなくて
よくある聞いている人たちを
一般的化として
一般的と捉えた場合
皆さんが当然できるようなことを
僕は当然というよりできない
できないです
結構
本当に結構できないことって
僕多いです
めちゃくちゃ
そんな普通できるでしょ
みたいなことが
全然できなかったりする
でも皆さんが
絶対にできないようなことを
僕は当然のようにできたりするんですね
例えば
昨日のストーリーズにも挙げたけど
僕はもう
900
950か960日くらい
毎日講習してるんですね
ボーイシーっていうの
朝ライブも去年の6月から
1日も欠かしたことがないので
1年半くらい
ずっとやり続けた
これって
正気の沙汰じゃないと
多くの人が言われるんですね
そうやって言うと
何を
何をやってんだと
お前バカなんか
みたいな
いう風に言われて
なんでそんな無駄なことするんだと
そう
だって正直言ってね
なんかこの僕の
毎朝のこのライブが
なんだろうな
毎回ライブローンチみたいな
毎回講座案内をしていて
毎回集客をしていてみたいな
毎回何か人を
新しい講座席を集めるために
ローンチしてますとかで
毎回人でこれをやるたびに
何万儲かるからやってるぜ
とかだったら
まだわかるんでしょうけど
僕そんなことないじゃないですか
聞いている皆さんが
一番わかると思うんですよ
僕はそんなことする気がない
っていうのと
そんなことをして
集まる人たちに
ろくな人がいないと思ってる
とかっていうのも
はっきりとここで
言ってるじゃないですか
そう
だけど僕にとっては
これをやり続けることは
一つの生きがいみたいな
ものなんですね
もはや今って
これをやって
朝こうして話すこと
朝こうやってライブをつけて
こうして自分の考えとか
自分の迷いとか
リアルな部分を伝えて
コミュニケーションを取ることが
一つのアイデンティティの
レベルになっている
だからこうしてやることに
全然苦手も何でもない
でも人からしたら
たぶんワンちゃん
サブチャンやってる人たちも
そうですけど
おいしいで週1で
何かテーマを決めて
話すだけでも
本当に辛いって人は
たぶんいると思うんですよ
ってぐらい強みと弱みって
こんぐらい差が出てしまう
だから今日の話って
一つはそうやって
弱みだと思ってることに対して
素直に向き合ってあげることとか
自分って何が弱みなんだろう
ってものを
自己開示していくことって
すごく大事なことだし
一つの大きな成長とか
大きな変化をつくっていく上では
避けては通れないような
事象の一個なのかなって
まずは思ってます
っていうのが一つ目
二つ目が
自分は普通だと思ってることが
意外と周りにとって
普通じゃないことって
いっぱいあるし
周りにとって普通なことが
自分にとって全然
全然普通じゃないみたいな
全然できないよみたいな
一般化って呼ばれるもの
僕は最後に
自分語りばっかりになって
申し訳ないですけど
僕はだから
普通の価値観と自己の違い
世の中の一般的な
って呼ばれるものに対して
いわゆるステレオタイプって
言うんですけど
これを一般化されたもの
一般的にこうだろって
言われるようなものに
僕当てはまらなすぎるんですね
いろんなことに対して
そんな気がしていて
世の中の一般的なとか
普通こうだろとか
普通の人はこうするよね
みたいなものの人生というか
そこに対して感覚値がないんですね
そりゃそうですよ
この業界来てかれこれ4年
4年以上か
4年以上こうやって
この業界にいて
ブログとSNSっていうのをやって
渋谷に引っ越してきて
2年以上渋谷に住んでるんですよ
もうすぐ2年です
渋谷に来てから
2023の11月に来たから
もっと前か
2022の11月に来たから
3年か渋谷近辺
そして渋谷区に住んで
約3年経つ
そこでずっとこういう若者の
この時期をフリーランス
そして法人化っていうので
会社員をせずに
こうして生きてきた人間が
普通の感覚を
持ってるわけじゃないんですね
私確かに小中高大と
絵に描いたような
一般的な暮らしをしてきたと思います
多分ね
いわゆるその
頭悪かったけど
高校受験して
進学校っていうところ
辞書進学校に行って
そこで群馬大学っていう
地元だったら誰もが
行って欲しいと思う
国立大学の教育学部
数学専攻なんて言って
4年間数学と教育学を学んで
本当に教員になる一歩手前の
教員採用試験まで受けたみたいな
ところまで行って
そこからレール外れてる人間ですが
その頃に持っていた価値観が
一般的だったかというと
確かに一般的じゃなかったんだなって
今振り返ると思います
教育学部数学専攻に行った理由も
教員になりたかったから
行ったわけではなくて
教員になりたかったから
行ったんじゃない
親の大変さを知りたかった
とにかく親にお金面で
苦労させたくなかったから
国立以外ありえないと
国公立がありえない
実家から出るなんてありえない
結果選択肢が2つしかなくなって
消去法的なのと
どうせだったら親の大変な職業が
どんな人を生み出すのか
知りたいと思って行ったっていうのが
素直なところなんですよね
いわゆるセンター特大っていうのをやったら
余裕でGバージョンとか行けてたんで
行こうと思ったら別に
そっちの選択肢もあったんですよ
別に無限大に
でもこっちを選んだのも
そういう理由だし
意外とステレオタイプは
一般的な価値観を持った
普通の公務員になるようなルートを
たどってはいたが
価値観は普通じゃなかったと思う
今振り返っても
そうじゃなきゃ
急に教員の道やめたりしないですよ
直前ですよ
大学4年の大学4年の5月ですよ
皆さん親の立場というか
お父さんお母さんという方々が
多いと思うので
親の立場になってみてください
泣いてインターンもしたこともない
SPIとかもまともに受けたこともない
ような人間が
大学4年の5月に
急に俺教員やめるわ
教員になるのやめるわって言うんですよ
ここのネジがどんぐらい振っ飛んでたら
そうなるんだって話だし
ましてや念のために忘れないように
僕は社会人になってから
2ヶ月で僕上司の
そういうさっきの上からの命令に
従えないというものの
板挟みと副業とか
こっちをもっとやりたいもっと頑張りたい
っていうものの心の葛藤で
普通に病むぐらいまでいって
退職代行を使ってますからね
今はねもう無理とか
流行ったりとかして退職代行って言葉が
一般化して
遊びで使う人とかいろんな人が出てきてるような
時代ではあるんですけど
3年以上前ですからね
3年以上前
何にも流行ってない頃に
本当に辞めたくて使ったっていうのが
弱みと強みの探求
退職代行なのでもうその時代
普通じゃないじゃないですか流行ってきたから
使ってるとか逃げたいから使ってるとかじゃなくて
本気で次の人生のために
使ってるみたいなそんな人間ですよ
もう僕を普通の
人間だと思う
と思わない方がいいし僕のこうやって
言ってるものとかね僕のこうやってやってること
だからこそ多くの人が僕を
ステレオタイプにはめ込もうとするのも
違うだろうし
逆に僕は
そこのずれちゃってる価値観だからこそ
そのステレオタイプの方の
理解も必要なんだろうなとも思ったりする
うん
というような
弱みって人にとっては強みだったりするし
強みって人にとっては弱みだったりするよね
普通と比較の影響
っていう話でした
なぜか弱みは自覚しやすいのに
強みってなかなか気づけないんですよね
いや本当そうですよね
すごいです最近知り合った方も
高校くらいから日記や思いを書き続けて
さらにリールに出しており
そういう方
見たことなくてびっくりしました
その方の生き方も情熱あふれてすごいと思いましたが
ソウトさん熱量すごいです
体食代行を使ったの知っていたんですが
経歴はそうだったんですね
今体食代行
過去使ったことあるって僕が言っても
あのねってなっちゃうんですけど
僕が使ってた時期や経歴を考えておいてほしいんですよね
3年以上前ですからね
うん
もう無理とか何が何だかよく知らないですよ
何のサービスかとかも覚えてない
っていうようなぐらい
過去の話なんですけどね
普通って何でしょうね
捉え方が一人一人違うし時代とともに変わりますね
本当そうですよ
本当に思いますね
普通って何なんだろうなって思うし
でも少なくとも僕は
世の中の一般化されたものに対しては
すごい逸脱しているなっていうのは
いろんな価値観や考え方を
持っていてもそう思います
うん
普通こうでしょとか
なんかね
他人と比べられるのがすごい僕自身
やっぱり嫌いですもんね
僕は僕でしょ俺は俺だろみたいな
そう
どんな場合であれ
お前がなんでやんねんで他の人はやっていたぞ
とか周りはこうしていたぞ
って言われるとそれを言われれば言われるほど
僕はすごい
嫌になるんですよね
違う人と俺を比較するんだろうって
俺は俺だけだって思っちゃう
これって強みだけど弱みですよね
改めてこうやって考えてみると
うん
なんかなんて言ったらいいんだろう
比較されること
ある意味僕自身
比較が必要ないって思ってるし
僕は他人と比較する気もないし
自分は自分俺は俺っていう
生き方だからこそ
誰かが自分のことを
他人と比較してくると
すごく嫌な気持ちになっちゃうんですよ
うん
〇〇さんよりすごいですねって言われると
それも気持ち悪いなって思っちゃうし
〇〇さんはできて
いたのにお前できないよね
って言われるとものすごく
これ別に
普通の人からしたら
一般的な人からしたら
比較とか〇〇さんよりすごいよ
とかそういうものって承認欲求
になったりとか
みたいな世界とかになったりすることもあると思うので
人にとってはプラスの可能性だったら
あり得るものじゃないですか
僕からしたらこれはめちゃくちゃの弱みなんですよね
強みでもあるけど
人のことも比較しないし僕はだから
誰かとかみんな見てる
生徒一人一人もそうやし
こういうところで話してる一人一人もそうだけど
誰のことも
そのことしか見ないんですよね
誰々よりとか
誰々に比べてみたいな風に
見るつもりもないし
だから僕自身の人生の生き方の軸で
比較という軸に
僕が今存在してない
ある意味それは昔
比較でずっと生きてきたからこそ
それが嫌だっていう強烈な価値観が
存在するからこそだと思うんですよね
そのせいで人からそうやって言われるのも
すごい嫌なんですよね
あれだれは前はこうだったよ
とか
前のこの人はこれを知ってたんだから
君もそれをするよねみたいな
なんだそれみたいな
俺は俺やろみたいな感じに
思ってしまうみたいなのは強みでも
弱みでもあるなって思う節は結構ありますよね
弱みと強みは表裏一体
ポジティブに見るかネガティブに見るか
そして評価するような言葉
たとえ褒め言葉でも評価されること自体が
なんか自由を妨げる
そうそうそう
だから比べるのはいつもの過去の自分
いやほんとそうっすよね
ソウダさんのそのスタンスに助けられてます
けどね
だから僕はフォロワー数が多いからとか
なんか稼いでるから
その人を引き決めするとか
そういう風に見ることはない
必ずその人っていう子でしか
見ないですね
だからそういうので一個一個
見続けるというか
一人一人を見たいなって思ってる
これも人によっては強みかもしれないし
人によってはこれは大きな弱みになるかもしれないなって
僕はすごく思う
すごいですねほんと
私も普通ってなんだろうと今の仕事やって
8月にめちゃくちゃ怒られて考えさせられました
圧があまりすごかったので
でもそのことがきっかけで
弱い自分を改めて見直すことができ
かなり成長でき来月仕事辞める決意ができました
おーすごい
だからこそ
仕事を辞めるっていうこととかも
人にとってはいいことかもしれないし
人にとっては悪いことかもしれない
これってもう
本当に人それぞれですよね
全てが例えばなんだろうな
離婚するとか一つ離婚
って言葉インスタではねすごい人気
なワードですけどじゃあ離婚するっていうのは
なんだろうね
本当にいいことなのかそして
本当に悪いことなのか
これって誰かが
評価したりとか誰かが決めつけること
でもなんでもないじゃないですか
離婚することは
おめでとうと捉える人もいれば
なんで離婚なんかする
って捉える人もいれば
ポジティブに捉えるのと
ネガティブに捉えるこんな一つの事象で
この二つの両軸が展開されてしまう
ような時代
ですよね
それってベクトルがどこにあるかじゃないですか
子供のためを考えたら離婚なんて100億パーしない
ほうがいいわけだし
でもその夫婦関係ってものを新たな
スタートの道を切るんだったら離婚っていうのはむしろ
おめでとうこの縛られたものを
抜けていく妄想
会社を辞めるもそうじゃないですか
人によってはそんな会社をなんで辞めんの
っていうようなネガティブな
評価の人もいれば
いやいや会社というのを辞めるっていうのは
本当に勇気ある人しかできない
素晴らしい決断だよって捉える人もいる
だから
世の世にとっての
何かの正解不正解なんて
本当に人によって
その評価なんて無限大に変わってしまうんだな
ってのは改めて思いますよね
これは正解だ
っていうような
誰が見ても客観的な正解って
それは
本当に数学だけだと思ってるんですよね
客観的な正解って
本当に数学これこそ数学の世界だと思ってるんですよ
1たす1が
2であることってのは
真理として
必要十分条件で証明されてる事実なんで
誰がどう見たって
1たす1は3になんないんですよ
客観的な事実として1たす1は2なんで
っていうような
数学的事象以外
人によって評価が変わってしまうと僕は思ってるんですね
そう
っていうのがすごく感じること
だからある意味
だから僕は数学って
そういう面で数学の勉強とか
嫌いでしたけど
数学というものの美しさ
そしてその真理という面においては
すごく合理的だなって思うんですよね
世の中
何かの物事をさっきみたいに
弱み強みとか
っていうものって結局人による相対評価で
いくらでも変わってしまう
もの
評価の相対性
一生懸命朝から晩までやって
もうその深夜まで
めちゃくちゃ本気で頑張ることを
ゼと捉えてる人間にとって
今の世の中の風潮って
めちゃくちゃネガティブなわけですよ
ブラック労働がダメだから
所定労働時間外はダメだ早く返せ
っていうのって
ブラック労働でもいいから
自分の成長や成果とか
本気になれるために
全力で頑張りたい人からしたら
めちゃくちゃネガティブなわけですよ
これって逆の叱りで
ブラックで成果を出すために
何だってやれっていう環境下によって
自分は早く帰ってワークライフバランスが
っていう人にとっては
その環境がネガティブになるじゃないですか
これぐらい
表裏一体なんですよね
っていうものがすごくある
だからそれぞれの場所環境
状況において
さっきの正解不正解なんて
ずっと表裏一体性になっていくから
自分っていう環境をどこに置くかって
めっちゃ大事だと思います
周りの評価なんて
どうでもいいけど自分自身というものの
生き方やそのライフスタイルってものが
自分にとっての
一番大切に思える
大切な価値観に沿うもの
っていうところにちゃんと身を置く
そしてそこで決められた
適切なものに応じて
前を向いて
進んでいくってことが
すごく大事なんじゃないかなって改めて
思います逆に
さっきみたいな数学的に証明されてる
真理ってものが存在するわけですよ
世の中には
その真理は絶対なのでそれはねじ曲げようと
しない方がいいとは思ってます
絶対的な真理
これは悪いですと
お国様で決められていることとか
それを価値観によって
それは違うよっていうのにはならないじゃないですか
意味わかりません
数学として
客観的に誰がどうみてもそれは
ダメだろっていうものって世の中にありますよね
例えば人を殺したら
誰がどうみたって悪じゃないですか
究極の話ね
人を刺しちゃいましたみたいに言って
浮気と不倫の価値観
それで価値観で一人それぞれで
違うでしょって言ったら通らないですよ
そのために法律っていうのが存在するんで
だから僕はよく言うのが
本当にダメっちゃダメですよ
僕もする気もないし
する気もないしダメだけど
人に対してそこをお前絶対やめろ
意味ねえよとまで強く言わないのは
浮気っていうレベルは
僕はする気もないけど
人がやってるのをみて
お前絶対ダメだろと思わないんですよ
これって別に法で縛られてないから
それは人の価値観だろって
思っちゃうんですね
究極の話
人によっては浮気なんて別にいいやんって
マジで思ってる人って世の中結構いるんですよ
これってステレオタイプの一般化したら
浮気なんて絶対にダメだみたいな
不倫レベルでアウトだっていう人が
ほとんどそれも気持ちがめちゃめちゃ分かるんだけど
世の中は事実
浮気したって普通でしょ
それでもその人のこと一番と思ってるよとか
マジで言ってる人もいれば
一人一人が大事なんだとか言ってる人もいるわけですよ
でもこれって法で縛られてるものでもないし
決まりがあるものでもないから
究極の話ね
それってさっきの言った人それぞれの
世界になっていってしまう
どんだけ言っても浮気を止められない人って
めっちゃいるじゃないですか
それって男性女性限らずですよ
その人にとってはそれが正義なんですよ
強みでも弱みでもある
だからもうしょうがないじゃないですか
ただ結婚しましたってなったら
それで行われる
そういう行為は不倫じゃないですか
この不倫っていうのは明確に
法律で定められてるものなんですね
これは客観的に見て
アウトなんですよ
っていう僕の価値観ですね
これ分かる人
難しいと思う
僕はある意味そういう面では合理的な数学として
見てるというか
不倫は究極の話
浮気は究極の話ですよ
僕の価値観では浮気良くないなと思ってるし
する気もないけど
究極のレベルで法で決まってないから
ここはもうそれぞれでしょ
俺はダメだと思ってるけど
お前もダメだろとは思わない
別にそれはもう
狩猟再生民の時代の
この一夫多妻制みたいなのが
はびこった人間たちの
なれの果ての子孫が
今の僕らなんだから
そりゃしたくなるよ
っていう風に思う
別にそこに関して他人が
ダメだろとまでは思わない
勝手にすればっていう感じ
だけど
不倫っていう結婚という
法律的に
戸籍上として
使った状態は
明確に民法として
明確にこれは
不抵抗に当たりますと
罰則が与えられますってなってんだから
これはもう不倫するのも
しょうがないでしょみたいな風には
ならないよねっていう話
これが客観性と
主観性の価値観の違いだなと思ってます
弱みとの向き合い方
かわいそう落ち着けてくる人が
とんでもなく
嫌なのも同じなんだろうな
自分に悪引きシール貼られた感じする
本当そうですよね
かわいそうってお前が見てるのは
かわいそうだろみたいな
客観的じゃないものって
意味がないですよね
自分はこう思う
思いとかを
仲がいい人に対して
自分は素直にこう思ってる
って思うは構わへんけど
それを強制したり縛ったり
それでお前はダメなんだみたいな
レッテルを貼るところまでは違うよね
かわいそう
かわいそうとかって言葉も本当にそうですよね
えーそういうことになっちゃったね
かわいそうなんだけど
って言ってる
お前は一体どこの立場で言ってるんだよみたいなやつですよね
あるあるだと思うんですけど
今日の話は
ちょっと難しい倫理的な
話だったと思うんですけど
だからこの弱みと向き合うということ
自体が別に悪いこと
じゃないんだよっていうことです
この弱み
っていう言葉の定義ってものは
正直そんなになくて
人にとって強い言葉かもしれないし
もしかしたら別の人にとっては
弱い言葉かもしれないし
っていう
っていうので
自分にとって強みなきゃ弱みなのかって
難しい強みだと思ってるものが
弱みの可能性もあるし弱みだと思ってるものが
強みの可能性もあるから
そういうものと素直に向き合っていくことが
成長への道だし
そういうところに対して他者からの
何かとかに影響を受けないで
自分がどうするかっていうものを
ちゃんと見ていくってことが
僕にとっては
すごく大事なんじゃないかなと
いうふうに
素直に思ったという話でございました
はい
子供がかわいそうとかそれこそ
一場面しか見てないので
だからこそ自分が多角的に見るよう意識していく
そういうのがめっちゃ大事だなって改めて思います
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