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[音楽]
はい、アートテラーとにぃのそろそろ美術の話を。この番組は私アートテラーとにぃがアートに関わる方をゲストにお迎えして
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。今回は前回に引き続き、ワンストロークのデザイナー小間形愛さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
ということで、前半に引き続きよろしくお願い致します。この収録の間に、TOOTHのコードを買うというお買い上げさせていただきます。
お似合いでした。とってもお似合いでした。残り1点だったということで。残り1点なんですけれども、ちょっと受注の体制を整えたいと思います。
僕のせいで売り切れたってことにはしたくないので、この後受注、そうですので、俺らとお揃いになれます。頑張ります。
青ですよね?そうですね。ネイビーという表記ですけど、ブルーネイビーと言いますか、すごいいい色ですね。
この写真はもしかしたらホームページにも上がるかもしれません。ということで、どうですか?前半やってみて。
楽しく、すみません。緊張しちゃって、うまくしゃべれなかったんですけど。全然緊張感は感じなかった。聞き苦しければ申し訳ありませんという感じです。
後半はもっと気軽にやってください。ありがとうございます。よろしくお願いします。
これはゲストの方には毎回聞いてる質問であれなんですけど、いつから美術に興味を持っていましたか?
そうですね。美術。美術がデザインの、どうやればいいですけど。
そうですね。もう生まれた環境がすでに。確かに。
母がギャルソンのプレスで、父がデザイナーで、そういうものに囲まれてたんですよね。父とか母のコレクションというか。
でも、うちどちらかというと美術品っていうものよりかは、なんかもっと手のひらの上で楽しめるような本だったり、お着物、メキシコの民芸品だったり、小物がすごい多くて。
なので、美術品とかには実は結構疎かったりはするんですけど、変な世界、変な世界って言ったら申し訳ないんですけど。
なんかあまり知られてないような世界のアーティストさんのお名前とかは知ってたり。
子供の時から。
そうですね。不思議な。
でも、そういうのを言えば思ったのが、僕も板橋クイズ美術館の展覧会見てるんで、小川克美さん。
ありがとうございます。
その時に確かにおしゃさが展覧会だったのは娘が生まれて絵本をやるようになったって言って、こうやってこの人は一般のデザインから絵本をやったんだの話は全然聞いてたんですけど、あの娘さんと今喋ってるんだって。なんか俺変な気持ち。
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あの時は小っちゃい子のイメージだから、数年前の展覧会だけど、こんなに立派になられて。
いやいや、もう先日も紙会社の方が来られて、あのランドセルショーって言った愛ちゃんと、僕名刺交換してるんですか?みたいな。
もう恥ずかしくて。
そうそうそう。
特に小川さんの本のファンの方は私のことを娘のように思ってくださっていて、なので初めてお会いする方なんですけど、愛ちゃんっていう感じ。
そうかそうか。
もう父の活動を見守るとともに私の成長も見守ってくださってる感じで、本当恥ずかしいんですけど。
そうか。国民が足田真菜ちゃんを見守るぐらいの感覚なんだ。
そこまでとは言わないんですけど。
博球の愛ちゃんみたいな感じですよね。
あんなに小っちゃいとこから。
博球の愛ちゃんは多分同級生ですね。同じ年齢だったと思います。
そうか。あの泣き虫だった愛ちゃんが。みたいな感じのイメージで読んでる愛ちゃんが。
恥ずかしいですね。
その、リトルアイズシリーズっていうのがあるんですけど、このリトルアイズっていう愛が私の愛とかかっちゃってて。
これはもう意図的にかけてる?
そうなんです。意図的にかかっていて、それも恥ずかしポイントですよね。
でも、そういうのって細形だけじゃなくても色々聞くと、それが嫌でグレちゃってそっちの道からあえて行かなくなっちゃう人もいるじゃないですか。
いろんな作家さんの話とか。ちゃんとそこはあれだったんですか?
ありました。
恥ずかしかった時期もあったんですか?
後期ありました。親子対談っていうのが板橋区立美術館の小さなデザインを開催中にあったんですね。
その時に初めて皆さんにお披露目したお話で、相当受けていただいててありがたいんですけど。
実は、私が皆さんのイメージでは親子すごい仲良くて、お父さんに娘のために本を作っていただくなんてすごいありがたいことで。
もちろんそうなんですけど。でも、やっぱり私も反抗期ありまして。
小学校?中学校?
中学校ですね。思春期。学校から帰ってきて毎日絵を描くのが好きだったので、絵を描いてたんですね。
そうすると父が入ってきて、「あいちゃん、何してんの?」って言うんですよ。
「絵描いてるよ。見せたくないな」みたいな。
「今日学校どうだった?」って言う。
それが毎日毎日あるわけですよ。帰ってくると、「あいちゃん、学校どうだった?」
でも、話を聞いていい音したんですよね。
毎日提供するネタもないし、別に学校は特に普通です。
ある時、うるさいみたいに言っちゃったんですよ。
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毎日毎日しつこい、うるさいみたいな。
たまってきたのもあって。
父はガーンと立てこもり事件を起こしました。
引きこもりじゃなくてですか?
立てこもり?
どこに立てこもり?
書斎のドア。
引きこもりです。立てこもり事件になっちゃうと、本当の事件になっちゃう。
人にしとってみなより引きこもりですね。
引きこもり事件か。引きこもり事件を起こしました。
書斎のドアを閉め切って開けないと。
そんなに落ち込んじゃったんですか?
ご飯の時間になっても降りてこない。
誰が家族が呼びに行っても、絶対に降りてこない。
それは自分の好きだった愛ちゃんにうるさいって言われたのがショックで。
はい。
おばあちゃんにこづかれても、謝りに行きなよって言われて。
しょうがないなと思って、コンコンって入って。
さっきはごめんなさいって言ったら。
もう口聞かないって決めたからって父に言われて。
やばいと思ったんですけど、もう一回。
すみませんでしたって言われたら。
じゃあ、いいよ。
どっちが子供かわからない。リトルカツミですよね。
リトルアイならリトルカツミになってしまって。
そんなこともありました。
それだけで済んだんですか?反抗期。
もちろん、そうですね。
もちろん私も化粧が濃い時代とかあって、つけまつげを。
もちろんの意味がわかんないけど。
もちろんご存知のような感じで言われても知らんし。
今日初めまして。化粧が薄いでおなじみですとか知らんから。
あるじゃないですか、女性に関わるんですけど。
お化粧を覚えると楽しくなってきて、濃くなっちゃう時期ってあると思うんですけど。
あると思います。
つけまつげがその時流行ってたので、2本くらいつけてたんですよ。上の目だけで。
2個とか3個とか切って自分でカスタムして。
つけまつげつけたりとかしてたら、化粧が濃い私の顔を父が見れなくなってしまって。
ありましたね。どこが目なのみたいな。
そんなそこまでではないと思うんですけど。
目は父の中ではあの愛ちゃんで止まってるんでしょうね。
たぶん読んでる人もその愛ちゃんだと思ってるからまさかその愛ちゃんがつけまつげ。
その絵本はつけまつげる辺がないですよね。
ないです。
そういうことは普通にありました?
全然皆さんが思われてるような。
そうかそうか。
すごい、もちろん仲はいいんですけど。
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全然そういうことはありました。
でもそのお父さんが引きこもったってのが良かったかもしれないですよね。
そこで極端だったから、娘の方から歩み寄んなきゃいけなかったり。
そこでお父さんがまだうざかったりしたら、もういいよいいよになっちゃったと思うけど。
そうかもしれないですね。
わかりやすく反抗してくれた。
確かに。
反抗してくれたお父さんが。
でもこれ娘さんがいらっしゃる方で今聞いてる人はヒントになったから。
押してもダメなら引いてみなみたいなことですもんね。
そうそうそう。
勇気出ましたって言われました。
この話を板橋美術館にした時に。
後に、小川さん家みたいにうちもそんなに娘といい関係が築けてるわけじゃないなってずっと思ってたんだけど。
そういう話聞けて勇気出ました。
どういう勇気だった?
全然ありますよ。反抗期ありますよっていう話を。
それはそうですよね。
でもその愛ちゃんがどうしてその着技は、その伝説のファッションデザイナーの道に行こうになった?
本当にずっと絵は好きで描いてたんですけど。
ちょうど父に反抗し始めた思春期の頃、中学生ですね。
なんとなく絵を描いてると、暗い子って思われちゃうのが嫌になっちゃった時があって。
すごい今思えば本当に弱いなと思うんですけど。
それで人前で絵を描くことをやめて、隠れて。
教室で描いてる子っていましたもんね。
そうなんです。まさにそんな感じだったんですよ。
それで人前で描くことをやめちゃって、隠れて。
家とか授業中そっと描いたりとかしてて。
そういうことをしてると本当に描かなくなっちゃって。
高校になったら全然一切描かない感じですよね。
好きではあるけど、描いてもキャラクターとかそういう系になってしまって。
絵からは離れてて、高校生になると進路選択あるじゃないですか。文系とか理系とか。
どうしよう、今まで絵描いてずっと好きだったものが自分の中では何もなくなっちゃって、文系理系言われてもわからんと。
美術大学ってなってももうやめてる絵描いてないしなぁみたいになってしまって。
進路すごい悩んだんですね。
実は普通の大学を一応他の人に友達に流されるように受けようっていう感じで、
予備校も入って普通大学に受けて勉強するんですけどもちろん、みなんて入らず。
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どこの大学行きたいかも全然なく、なんとなく雰囲気とか。
みんなの周りがやってるしぐらいの感覚なの。
その時、私にとって必要な時間だったと思うんですけど、実は浪人したんですよ。大学行かず浪人して。
それは受験もしたけど。
一応受験はしたけど、センター試験だけ受けて大学は受けなかった。
浪人して、予備校も行かなくなり、父の事務所の机を曲がりして受験勉強を続けたんですね。
英語の勉強とか数学の勉強とかしてて。
勉強してた場所が父の事務所だったから、デザインのスタッフさんと父がデザインのやりとりをしてるのを横で見ながら勉強するわけですよね。
今まで予備校で勉強してたのが、環境が変わって。
そういうのを見ると、面白そうだなっていうのがまた湧いてきて、やっぱり自分はデザインに興味あるなと思って、
父にこの世界面白いなって思っちゃった。
父は特に私の進路に何も口を出したことは一切なくて、こうしろあしろって言ったことは全くなくて、
あいちゃんが決めたんだったらいいよ、じゃあそういう方向でやってみようかって言われた時に、
おすすめしてくれた学校っていうのが、東京芸大か桑沢街って父に言われたんです。
もちろん、玉火とか武蔵とか、そういう私立の大学の選択もあったと思うんですけど、
桑沢は現場に近いと、より近い。
実際に現場でデザイナーさんで、お仕事をしがてら講師を務めてる先生がたくさんいらっしゃる。
特に夜間の質がすごい高いっていう話はされたりとかしてて、
現役バリバリの先生が日中の仕事を終えて、夜教えに来てくるみたいな話があったりとか、
中間部や科目レベルはそういう差はないと思うんですけど、
先生はそういう意味ではいい先生がたくさん母さんにはいるっていうふうには父から聞かされて、
美術の予備校に通って、芸大と桑沢を受験して、芸大はもうさすがにハイレベル過ぎて落ちてしまったんですけど、
芸大だとしたらどの科目に行こうとしたんですか?
芸大でもデザインの方に行こうとしてました。
桑沢デザイン研究所だといくつか科があるんですか?
そうなんです。中間部と夜間部で科が違いまして、中間部の方は総合デザイン科から始まるんですね。
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1年時は総合デザインといって、いろいろファッションとかスペースデザインとかプロダクトデザインとか、
デザインに関するいろいろなものを1年時で勉強して、2年時でどの科に行くかを選択するというところで、
中間部は3年生で、夜間部は2年生なんですね。
夜間部はすごくお細形の先生が、面白い先生がたくさん来てるという話はあったんですけど、
3年間きっちり勉強できる自分は時間があるなと思ったので、3年生に活かしていただきたいという話をして、
中間部を受験したというような目です。
その段階ではファッションって決めてたわけじゃなくて、まず1年目はある程度学んで、ファッションに決めたきっかけはあったんですか?
実はさっきトニーさんに話を振っていただいた、父への反抗ではないですけど、同じ業界ではあるじゃないですか。
それで、総合デザイン科1年生の時に、グラフィックデザインの授業の時に、自分は普通に授業を受けてたんですけど、
お友達が「もしかして、コマちゃんのお父さんって、駒形克美さん?」って言われたことがあって、それで「まあそうだよ」って言ったら、
それで、自分も周りも関係が変わったような気がしちゃって、周りは別にそういう目はなかったと思うんですけど、
自分の中で「コマちゃん、克美の娘」って思われていると、ここでいい作品を出せなかったらどうしようとか、全然違う方向で出さなきゃいけないのかなとか、
もう人の目を気にしちゃったんですよね。
本当は気にしなくていいのに、ちょっと意識失礼になっちゃったんですね。
それで、どうしたもんかみたいな、公表っていうのがあるんですけど、みんなの課題のやってきた作品をカフェにかかって公表するんですけど、
それも見られたくないから遅れて出したりとか、学校もあんまり真面目にいかなくなっちゃって、
小川さんの一年生、「コマちゃん、学校着なよ」とか言われて、本当に申し訳ない学費を親に払ってもらわれながら、本当にひどいあれだったと思うんですけど、
そんな中でファッションの授業があって、総合デザイン科の中で、その時にファッションの時、自由になれた気がしたんですよね。
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父の呪縛から問われたという。誰もそんな風にはしてないんですけど、勝手に自分で思っちゃって。
自由に考えられて、デザインが考えた時、すっごい楽しくて、でもグラフィックはやっぱり好きだったんですよ。
本当に悩みました。今日進路選択の表を出す、グラフィックかファッションか、一応どっちも書いて、両手に1枚ずつ持って、ジムの前で何時間も悩み、最終的に出したのがファッション。
そんなギリギリまで。ギリギリ最後の最後まで悩みました。その最後の決断は?
やっぱり自分の中で自由に楽しかったという記憶がどうしても強くて、こっちへ行こうと。
でもそれって一回行っちゃったら戻れないもんなんですか?やっぱり嘘嘘ってできないもんなんですか?できないですね。2年で入っちゃったら3年もそのまま自動的にその日になる。
でもそこからは後悔はなかった?良かったですか?ファッション行って。
はいですね。楽しかったです。ファッション。向いてる向いてないは分からないですけど、何回もミシーも壊しましたし、先生に怒られてもしかして向いてないって思いながらやってましたけど、お友達にも恵まれ楽しく過ごさせていただいて。
前半の時に男性のファッションに興味があったっていうのは2年目からファッション会に行った時から男性ファッションには興味があったと思う?
2年ファッション会に入って初めの頃はレディースだったので基本的に、レクアサーはメンズがなかったのでみんなレディースを学ぶんですよね。
そのままレディースやってたんですけど、メンズなんで描き始めたんだろう?全然始まり覚えてないんですけど、メンズのデザインが描いたきっかけがあったと思うんですよね。
その時に自分じゃない誰かを想像しながらデザインするのがもうすごい楽しくて、今まではレディースってどうしても自分がなんとなく着たいものとかを入れちゃってたんですよね。
でもメンズはそういうものから解き放たれて、またそこで自由になった。
もともと男の子になりたくて、男の子に憧れてたので、そういう憧れも入れつつ、先生からは面白いって言われたのは、違う性別のものをデザインすると面白い、固定概念にとらわれてない。
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自分は女性だから女性としてとか、そういうことがなく、とらわれないデザインが面白いって言っていただいて、特に今男と女とかって色々難しい、いろんな選択があっていいと思うんですけど、そういうものから自分も解き放たれて、別に女だからって女らしくしなきゃいけないと思わないし、
自分もメンズ服着たっていいじゃんって思って、自分自身もメンズ服着るようになって、
そこから着るようになったの?
そうですね。まずデザインがで、メンズ楽しいって思ってから自分自身もメンズ服どんどん着るようになりましたね。
今はそうでもないですか?今も着ます?
着ます。全然着ます。
全然着ます?
はい、全然着ます。
どういうのが好きなんですか?普段着る?
やっぱりブカッとした、タイトな服も好きな時あったんですけど、女性みたいな感じのいわゆる。
10年前とかは、10年15年ぐらい前はそうでしたよね。
僕大学生の時にトルネードマークとかが流行って、パツっていうタイトなのが流行る時代だったじゃないですか。
そうですね。私、学生の時は80sがまたリバイバルしてた時で、ボディコンの時代、H&Mとかが、
ザラとかが日本に上陸したぐらいの時で、ボディコン肩パッド、パワーソルダーみたいに言われてたのがまたリバイバルで着てて、
その当時は自分もタイトスカートとかそういうのを履いてて、髪の毛も長くて、巻いたりとか、つけまつげも2枚つけてて、
その頃か。
もう父に目を合わせてもらえない時期ですよね。本当に。恥ずかしい。
そういうこともあったんですけど、そこからまたガラッとメンズの服を着き始めたりとか、
メンズの服を急に着き始めた時こそ細かった。かつみさんはどういう、それまでは肉を着けてたのが急にメンズだぞって、それもそれで結構な感じだと思うんですけど、そこは大丈夫だった?
父はですね、結構海外での出張が多くて、あんまり実は会えなかったんですよね。
桑椿の時もそうですけど、あんまり、
そんな衰きはなかったんですか?
会うたびに何か変わってるので、私がもう別に。
変わってる方が普通になっちゃった。
なのかな?
そうですね。でも父が何か私にこうしなさいとか、あしなさいって言ったことはあまり本当にない。ただ目を合わせないぐらい。
特にそれをつけまつげ外しなさいとか、そういうことにはならないですね。
横取りで言うときは引きこもっちゃうから、どっちか知っておりますよね。
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すごいありがたいんですけど、人を変えようとしないんですよ。そこがありがたい。ただ自分が引きこもるか、目を合わせないかですけど。
それは何も言われず。
でも一度一度話をさせてもらっていいですか?桑椿さんで、岡田さんでファッションやってて、メンズファッションで、そのまんまもう卒業とかも、発表とかはどうですか?メンズばっか発表したんですか?
もうメンズで行くって決めて、卒制もメンズ3体で行ったので、メンズ化がないので、桑椿は先生もびっくりしちゃって、どうしようみたいな感じでしたね。
卒制でメンズ作る人いなかったんですか?それまで。
だからもうお前が初めてだって言われて、メンズ服、3体とか5体とか皆さん卒制で作るんですけど、その中で1体ぐらいはメンズ入れる人もいるんですけど、
全部メンズ服っていうのが、お前が初めてだよどうしようみたいな感じでしたね。
でもちょっと貫いて、自分でメンズの服のパターンも、本を読みながら自力で頑張って引いて、また引いてやって、就活もメンズで。
ちなみにその時に作った卒業の服とかって、あれはどうなるものなんですか?
卒業制作で絵画の人とかって結構、芸大だったら買い上げになったりとか。
そこまでの人物じゃないので、お買い上げいただいたことはないですけど、あります、大事に。
大事にとってはありますね。捨てられないですね。
今からもう10何年ぐらい前のものっていうのか。
あります、あります。
それは袖通したりしたんですか?モデルさんに合わせてモデリングして、サイズもサイズもとって作るので、
もう自分には全然サイズは全く合わないものなので、着たりはしない。
そう言われてみれば、着たくせに着たことあるかな。
1回もないです。
1回あるぐらいですね。これは日常では着ない。
でもそうやってファッション化でた人ってみんな持ってるんですかね?
捨てられないって言いますね。課題で作った一番最初のシャツですらも捨てられないですね。
皆さん言いますね。
パフィってあるんですか、大事に。
うちの主人もシューズ、過去は違うんですけど、靴の専門でって言って、今彼もアパレルなんですけど、
彼も最初作った靴は捨てられないって言ってました。
へぇ~、そういうものなんですか。
皆さん多分思い出は…。
自分なんて普通に別に美術系じゃないので、大学の時代からレポートなんて、多分とっくに捨ててある。
いや~、なんだろう。
何なら1年目、2年目にもその日に捨ててるぐらいじゃないか。
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本当ですか。自分が作った時間が長いので、子供みたいな感じ。
そうなんだ。
恥ずかしいですよ、デザイン家とか、今自分思いますけど、でもやっぱ捨てられないですね。可愛く思いますね。
そういうものなんですね。
子供たち。
初めての子供みたいなもの。
初めての子供たち。
へぇ~。
そう思いますね。
そのままデザイン…。
そうですね。
モンワード菓子山さんに…。
そうです。モンワード菓子山の新四福のデザイナーになりまして、その時も、メンズなんでほとんど男の子の死亡者が多かった中で、私ともう一人、その年2人受かったんですよ、メンズデザイナーで。
その2人とも女の子なんですよね。
へぇ~。でも先輩とか女の人あんまりいなかったんですか?
みんな男の人ですね。
結構異例の年だったんですか?
そうなんですよね。その同期とめちゃくちゃ今も仲良くて。
へぇ~。
不思議ですよね。
へぇ~。どういうものをデザインしてたんですか?
そうですね。モンワードでは最初は雑貨、バッグとか靴下とか、帽子とかやらさせていただいて、あとはショートパンツとかカット装ですね、ポロシャツだったりとかさせていただいてたんですけど、
そうですね。今思えば今につながるエピソードもあって、桑沢のファッション化って、全然イラストレーターとかフォトショップとかそういうデザイナーさんが使うソフトも使うんですね。
当時多分珍しかったかもしれないですね。今は他の学校さんはわからないんですけど、
例えばファッションの学校だったらミシンとかそういうパターンの授業がメインだと思うんですけど、桑沢ってもともとが、ファッションから始まりはいる学校なんですけど、
グラフィックとか他のスペースとかプロダクトに強い色々やってるデザインの学校なので、それなりにそういうソフトは私も使えて、
デザインに対しての考え方の講義とかすごく多くて、ファッション以外の分野のデザインも全然勉強するんですよ。
ファッション化になって、イコンも全然あって、
オンワード入ってしばらくしたら、私がイラストレーターとかそういうソフトを触れることで、割と使っていただいて、グラフィックを担当したことがあって、
ディーエムとかは?
始まりは、ベルトのバックルに刻印するグラフィックだったりとか、作ってほしいとか、
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あとは、下げ札のデザインをしてほしいとか、ファッションじゃないそういうお願い事もされて、
ある時、全国の営業さんと、デザイナーと企画のチームと、勉強会みたいなものがあって、それに使う資料の表紙をやってくれって言われて、
先輩のデザインに加えて、タイトルを入れたんですけど、そのタイトルを、横いっぱいバンって大胆に配置したんです。
そしたら、先輩がすごい気に入ってくれて、今までにない資料でデザイン線に、
車内プレゼン用のってことですよね。その先輩がすごい喜んでくれて、
お前、グラフィックいけんじゃねえかみたいな話になって、そしたらTシャツがあるんですよ。
Tシャツのグラフィックのデザインをやってみてって言われて、今まではこういうイメージって絵を描いて、
取引先さんにいらっしゃるグラフィック担当の方がデザインを起こしてたんですけど、それを自分が担当することになったので、
先輩と話して、その場でグラフィックを起こして、こうじゃない、ああじゃない、ああだ、ああだっていう話を、
内部でできるようになって、それがきっかけで、グラフィックTシャツを任せていただいたことが、
今思えば、こうですね、ありました。
ファッションデザイナーさんとちゃんと喋ったことないから、今日も真摯なんですけど、そうやってデザインするじゃないですか。
それを長い人生の中で、街中で見かけるときはあるんですか?着てる人。
着てる人?私のやったものを着てるのは見たことないけど、
先輩がやったやつを着てる人は見たことあります。
それやっぱりテンション上がるんですか?
上がります。上がります。
うちの着てるの見たくなる。
それも、すごい上がります。
あっ、それもしかしてこのブランドですか?それ私がいたブランドなんです。
言いたくなるんですか?
言います。
言うんですか?
言っちゃう。
あ、水知らずの人?
水知らずの人?
水知らずの人?
あ、でも言ったことあるな。
街中で急に知らない人から、それは私がデザインしたんですって言われる。
それは怖いよ。
服はないですけど、お友達のご主人が着てて、そういう時はありますけど。
たまたま着てて?
たまたま着ててとかは多いので、
それうちの、私の前に行ったブランドのチーフがデザインしたシャツですとか。
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でも声かけしたのは、本ですね。
1ストロークの本を買ってる方を見て、
すみません、さっき買った本、なんで買ってくださったんですかって話しかけちゃったことがあります。
市場奥さんみたいな感じで。
申し訳ないですけど、嬉しくて。でも本当それぐらい嬉しいです。
そういうもんな。
めちゃくちゃ嬉しいです。
今までいろんなアーティストが出てきてくれたけど、それって作家さんは作品1点ものだから、なかなか違う感覚ですよね。
手に取るプロダクトとまた。
そうですね。
だって作家はその場で買ってくれるから、多分そういう思いかけない出会いはあんまりないじゃないですか。
そうですね。
最近うちにも若手のデザイナー、それもくわさんの出身の子なんですけど、入ってくれて、
彼と一緒にデザインを頑張ったものを実際に持ってる方を見かけた時は、彼もすっごい嬉しくて、私も泣きそうになっちゃって。
ポスターのものを使ったファイルなんですよね。A4サイズくらいのファイルなんですけど、それを持って歩いてるのを見た時は本当嬉しいです。
嬉しい。
だから僕らも知らず知らずにそう思われてるのかもしれないですけど、だって絶対デザイナーが作ったものなのじゃないですか。
ステーショナリーだろうが服だろうが。
嬉しい嬉しい嬉しい。
じゃあどんどん街中出たほうがいいんですね。
多分話しかけたくなってるぐらい嬉しいと思う。
それはちょっといいことを聞きまして。
あれですよね、絵本の話も出ましたけど、今は書籍もファッションだけじゃなく、結局戻ってきた感じですよね。
そうですね。本当に自分としては父の作品を残すっていうことと、父のサポートっていうことを考えてたんですけど、そろそろ自分のことも考えていいんだよっていうふうに父にも言っていただいて、
そうか、自分のこともちゃんと考えなきゃいけないなって思って、トゥーズを母と始めさせていただいたり、絵本を書きたいって思うようになったのは、そういう背中を押してくださったっていうことがきっかけでありますね。
今、万事彫刻展美術館の岡野さんにお声かけいただいて、ほっとする手を私が絵本を出させていただいたのを岡野さんが気に入ってくださって、
ちょうど岡野さんがイタリアのオメロ美術館の館長のご夫妻、お二人が、二人とも目の見えない方で、
彼女たちが、ご夫妻が世界中を旅行して旅して回った時に、いろんなものを触って旅するんですけど、唯一触れなかったのが美術作品、美術館だけがその作品に触れることができず、触れることができないっていうのは自分たちにとって見ることができない。
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で、岡野さんが、彼女たちのドキュメンタリー映画を今制作中で、そのご夫妻が目の見えない方も触って楽しめるための美術館、オメロ美術館をオープンさせて、その映画を今制作中だと思うんですけども、
その映画に関しての本を、藍さんのほっとする手を見て、ぜひお願いしたいなと思いましたっていうお話を岡野さんにいただいて、
今、オメロ美術館、岡野さんの映画の「手で触れてみる世界」っていうタイトルの映画なんですけど、この絵本も制作中で、
映画を撮るみたいな、ドキュメンタリー映画を撮るのはこの前からあったんですけども、それとはまた別に絵本ができるんですね。
そうなんです。そのドキュメンタリー映画についての本を今書かせていただいてて、自分としてはすごくありがたくて、そのお話が、
自分がイラストレーターとか作家としてって全然思ってなかったんだけど、岡野さんとか父とかの後押しで、そういうお仕事につながってきていて、
自分としてはすごい楽しく取り組ませていただいているので、本当にありがたい限りでそうなんです。
今その「手で触れてみる世界」の映画の絵本なんですけど、日本語だけではなくて、英語とイタリア語の3カ国語で制作中でありがたいなと。
ありがたい。
これは楽しみにしている。
これはいつ頃予定をしているんですか?
上映自体は11月上映予定なので、それに合わせて。
これ後でイラストで書いてる?
イラストと自分の方でもお話を、岡野さんの映画を元に、外容みたいなパンフレットみたいな絵本にしたくないなと思って、ちゃんと絵本にしたいと思って、
ストーリー性も交えながら話の方も考えさせていただいて、もちろん岡野さんのディレクションの元なんですけども、そういう本が今制作中なので。
楽しみですね。
ありがとうございます。
ちょうどそのバンジー彫刻展、美術館でもホッとする手の展示を。
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そうですね。これがまだ11月、12月まで展示している。
12月25日まで展示されているので。
いい展覧会ですからね。
そうなんです。本当に早々メンツの中に、うちの父と私が参加させていただいていて。
しかもホッとする手の中に娘さんも出て描かれているから、親子3世代、小間型3世代が揃うっていう。
恥ずかしいんですけども、本当に。でもすごい素敵な場所なので、バンジー彫刻展、くれまつと岡地太画も本当に天国があったらここがいいと思うぐらい。
そんなにですか?
大好きです。
いい場所ですけど、天国なんで。
天国があったら私はここがいいと思いますね。本当に。
お花も素敵だし、緑もたくさんあって、子供たちも遊べて、アートにも触れられて、ご飯もおいしいし。
確かに。
本当に最高で、よくプライベートでも友人家族と一緒に行ったりとかしてるんですけど、まさかここで自分の作品を展示させていただけるなんて本当に夢のようで。
岡野さんにはそういう感謝しかないですね。
そのおかげで今回キャスティングしたら、それは断れないですよね。岡野さんにキャスティングされたら。
ありがとうございます。道を開いてくださったような気がしていますね。
今後、これが夢が叶ったとして、これやってみたいなとかはあるんですか?
イラストの仕事って全然意識してなかったんですけど、本当に岡野さんがくださったりとかで楽しく思えたので、イラストレーションの仕事をやっていきたいなって思っちゃってます。
どういうものかってことによって変えていくんですか?ある程度作風というか。
そうですね。伝えたいことをやっぱり一番最初に考えて書くので、こういうタッチで書こうって決めてからではなくて、最初に何を伝えたいかによって書こうっていうのを決めるっていう感じですかね。
なるほど。
そういう手数的なものは普段から用意しておくものなんですか?そういう時用にハードタッチでも書けるようにしとこうとか。インフットどうしてるのかなって。
実はいろいろ試したこともあったんですね。いろんな画材で絵を描いてみたりとかしたんですけど、自分にとって一番描きやすいっていうのを大切にしていて。
なので、引き出しの多さはもちろん必要なのかと思うんですけど、自分との相性のいいペンだったり紙だったりは意識して用意してますね。無理しない方が。
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なるほど。でもやっぱり今の方で楽しいかっていうのは大事にしてますね。
そうですね。伝わっちゃうと思いますね。描きづらさとか、味出してやろうみたいな感じって伝わっちゃうと思うんですよね。
それは自分自身じゃなくて他の人がやってるもんでも、デザイナーから見た時にこいつデザイナーだけど出してきてるなとか、にじんでるなって思ってる時あるんですか?
自分はこういうのもできるし、ああいうのもできるっていうのを出しすぎちゃうと、結局何が伝えたいのっていうの見失ってしまうし、それって自分を出すことではないので、デザインというものは。
デザインで言えば、自分がっていうことじゃなくて何を伝えたいかがやっぱり一番なので、そこが伝わってこなかったり、見た目のかっこよさだけで、結局何が言われているのかわかりづらいっていうデザインは避けたいと思ってますね。
お父さんのデザイン以外で、日常に溢れているパッケージとかも含めて、デザイナーから見て、このデザインすごいんだよって思うものがある。
ヤクルトの容器がすごいとか聞くじゃないですか、デザインで。
アイさんの中で、特に日本人が日常で見ている中で、あのデザインは優れてるなって思ってます。
カッコイイ。花椿のデザインも含めてですか?やっぱり、池田井の志生堂さんのデザインはカッコイイ。カッケージも含めて?カッコイイですね。美しいですし、洗練されてますよね。
志生堂っていうブランドを仕上げたデザインだなって思いますね。
そういうものなんですか?
土の師匠、長井和正先生だったり、あの当時のデザインを見ると、心が燃えたぎるというか。
もちろん今も素敵なデザインがたくさんあるんですけど、当時のデザインって見ると熱くなるんですよね。中の力が、熱量が伝わってきちゃうというか。
今ってパソコンでチャチャっと簡単にできちゃう。簡単にシミュレーションできちゃう。でも当時ってそういうものがなくて、自分の想像力で、例えばこれを色指定して、こういう見え方になるっていうのを
先々想像しながら作らなきゃいけないのと。
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そうか、画家って違うわけですもんね。その場で絵の具で塗れるわけじゃないから、出力することまで考えてる。
もちろんシミュレーションは絵の具だったりを使ってされてると思うんですけど、実際の印刷ってなると色指定だったりがあると思うので、そこに対してのシミュレーションの手数が今よりは段違いで多いと思うんですよ。
絵の具を指定もしっかり。ロゴマークなんかも手書きなので当時。
なるほど。そうかそうか。
なんかわからないですけど、そういうのを知ってなのかわからないですけど、力強さはどうしても感じますね。
長井さんっていうと、例えばロゴだとあれですか?東電やったりとかJAAやったりとかされてますけど。
一番お好きなアートワークというか。
長井先生だとポスターデザインが本当にかっこよくて、作家性がすごくあるデザイナーさんだなというか、作家に近い、本当にアーティストに近いデザイナーさんだなって思いますね。長井先生のそういうポスターとかデザインとかを見ると。
この配信のとき、東京国立近代美術館の常設展で長井さんルームができてますよね。ポスターコーナーができてて、すごい見ごたえありますよね。
やっぱり広告デザインって広告なので、その広告期間が終了すると見ることができなかったりすると思うんですけど、長井先生とか横与忠則さんしかに、そういうデザイナーさんのポスターのデザインが展示されたりとかしていて、
やっぱりそれってすごいことだなって思っていて。
期間が終わってるのに、だからもう今広告する人がないものなわけですもんね。
そうですそうです。広告する必要がないのに。
本来の役割はもう終わってるわけですよね。
そのデザインがやっぱり素晴らしくて、そのデザインを展示してるっていうその凄さを目指したいなと思いますよね。かっこいい。
そうかそういう目で見たことなかったけど、そうですね。言われてみたら。
そうですね。オリジナリティもやっぱり全然違いますし、でもやっぱりコミュニケーションできてるっていうのが、もうすごいですよね。
当時のデザイン見ると、小池和子さんの展覧会もこないだ見させていただいたんですけど。
アーサー31でやったんですかね。
そうです。無印良品の広告デザインに始まり、やっぱりすごい力強さ。この力強さって何なんだろうって言葉にできないんですけど、
48:11
なんかわかんないけど、今の私たちの生きてる時代のものって薄い感じがしちゃっていて、
それってそのプロジェクトに携わるまでの時間だったり、コミュニケーションの量だったり、シュミレーションが足りているかどうかとかそういうことが、
シンプルなデザインなんですけど、その中に、木というかエネルギーが詰まって見えるんですよね。
だから私たちすごい便利で、何でもスピーディーな世の中だけれども、そこのコミュニケーションの時間っていうのは削っちゃいけないなってすごい思っていますね。
シュミレーションするにしても、何でもパソコン上ですぐデザインをあっという間に起こせちゃうんですけど、
父には必ずスケッチをして、パソコンでデザインをしちゃうと、パソコンはあくまでもシュミレーションするためのツールとして使う。
でも自分のイマジネーションをパソコン上でしちゃうと狭まってしまう。
パソコンで表現できないことを想像できなくなってしまう。
パソコンの範囲内のことしかできなくなっちゃう。
なので必ずデザインをする前はパソコンで絶対にシュミレーションを始めないで、絶対にスケッチをする。
そのスケッチを積み重ねていくと、その時間をかけて今までスケッチしていたことが短時間で引き出しが増えてパッと出せるようになる瞬間が来る。
だからそのスケッチは量も時間も無駄にならないから、絶対にスケッチをするようにという教えがあって、それはみんな守っています。
かっこいいけど軽い感じがするっていうのはもしかしたら何かそういうものなんでしょうね。
この話を聞いたから、ワンストロークって名前だけど、決して人手描きになるまでの後ろのデッサンはすごいんだなってわかりました。
すみません、ワンストロークの未来答えられない。
生まれてはあえてワンストロークって言ってるんだろうなって気がしますよね。結局こういうのだと裏でいっぱい描いてるんだけど、そう見させないで最終的にアウトプースは一筆描きぐらいのものなんだろうなみたいな。
今後そのように言わせていただければ。
これなんで僕が言ったこと?いやでもデザイナーさんの話をちゃんと聞きたいのに。
51:05
いやいや、全然私なんて。
でもだからまずは絵本を楽しみにしてます。
ありがとうございます。そうですね、頑張ります。
今の思いで描かれて出来上がる絵本がどうなのかなと思うし、多分それ買ったら多分漏れなく愛衣さんが描いたの私ですってついてくるんだろうなって。
ちょっと追いかけて捕まえて、なんでその絵本買ったんですかって。
っていうことまで伝わりましたので。
怖いですね。
怖いけど、すぐバックにしまう。買ったらバックにしまっていただければ。
私に見つからないように買っていただければ。
見つけてほしい人は見せ開かすように街中で歩いてください。
絵本が愛衣さんが近寄ってくると思います。
改めてこの場所をもう一回言ってみます。
ワンストローク、ギャラキン、世田谷の住所を言ってください。
大丈夫です。
鶴巻。
はい、世田谷区鶴巻。
ありますので是非是非こちらに遊びに来ていただきたいと思います。
ありがとうございます。
ということであっという間の収録でしたけれども。
ありがとうございます。
うまく広げていただいて。
楽しかったですし、また是非是非遊びに来ていただきたいと思います。
それまでに力をつけて。
十分でございます。
今後ともよろしくお願いします。
よろしくお願いします。ありがとうございます。
はい、ということでこの番組は不定期配信です。
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感想はハッシュタグ、そろそろ美術の話を。
今後聞きたいテーマやゲストはバフに入っていますまでお願いいたします。
ありがとうございます。
この曲は、この曲の中で一番好きな曲です。
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