00:00
(♪ BGM)
はい、スルテッドラジオ、今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
はい、前回までで
一旦レビィストロースの構造主義の全体像というか
雰囲気というのは見てきたと思うんですけれども
今回はレビィストロースがやった構造主義
見出したというか
その前段階のいろんな学問的な流れみたいなものを
教えてくれるというところでした
そうですね
何か、何か
そこは知らないもんね
何だっけ、造謡論とか面白そうだなみたいな話をしたのは覚えてる
はいはい
そうですね、第1回のレビィストロースの時にも
言語学とか造謡論という
そういったものが影響してるよって話をしたと思うんですけど
もちろんまず、前回はね
いわゆるインセストタブー
要はその近親相関の禁止みたいな感じで
同じ異性でも結婚できる異性と結婚できない
要は兄弟とか姉妹とか親戚とか
そういう人たちがいるよって話をして
そこからレビィストロースは
部族とか民族の基本単位である親族
親戚とか親族という構造を結婚
もちろんやっぱり女性というものもある種
軸に立ってはいるんだけど
女性の造謡とか効果安定観点から見るよって
そういう研究的なモデルをお伝えしましたと
さっき言った通り
この背景、要はこれ
モンスターは何でそういう研究をしようと思ったのかとか
そういう風にやった時にいけると思ったのかという前提として
ソシュールという人がやった言語学と
モンスという人が考えた造評論という考え方と
あとやっぱり近代とか現代の数学
数学もあるというか
数学はあんまりこれまで入れてなかったんだけど
数学的思考っていうのはかなり影響していて
やっぱりベビーストースの話だからいいかなと思ったんだけど
やっぱり何でそんなことを考えたのとか
そういうことやろうと思ったのって
やっぱり話ってすごく面白いところだなと思うので
そこに関して一話使ってお話したいとは思ってます
いいね
私前回も最後ちょっと長くなっちゃったけど
ほらなんか視点の話したじゃん
これが競争戦略だねとか言ったら
いや違うみたいなさ
そこの視点の違い
どうしても実存主義というか
個人的な視点から言っちゃうか
ミクロな視点から言っちゃうか
そのマクロな人間を全体としてまず
それこそ存在するんだみたいなさ
03:00
全体が存在するんだみたいな
そう言っちゃうと
別の手綱に引き寄せられちゃうから
それで人間っていう存在があって
そこからここに置いていく感覚
みたいなものの違いっていうものもあったんだけど
結構そういうところも絡んでくるのかなって勝手にね
そうだねそうだね
数学とか言語学って
規則とか一般的なところから具体的なものを
何ともさせていくみたいな考え方が結構強いから
そういう考え方も影響してるんじゃないかなとは思うんですけど
当然僕もその図様論とか
確か過去一回読んだことがあるんですけど
言語学とか数学はもちろんほぼ知らないわけですよ
はいはいはい
今回は八爪大桜さんっていう方が
初めての行動主義っていう本を書いてらっしゃるんだけど
1988年とかだから結構古い本ではあるものの
大きく批判されてるわけでもないし
大枠問題だと思うんで
そこからある種引っ張ってきているお話ですよ
っていうのを最初にお伝えしておきますと
はいはい
じゃあこの構造主義っていうものに対して
さっき言った造評論だったりとか
あと数学とか言語学
っていうものは前段階としてあるんですよっていうのは
この八爪先生がおっしゃってるみたいな話
そうだねある程度そこに関してはほとんどの人が
言語学と妄想の造評論っていうのは基本的には
影響しているというか
リビストロースの源流だみたいな話はほぼほぼあって
ただそれがどのぐらい影響しているのかとか
どの範囲までっていうのはやっぱり
いろいろそういう説あるみたいな話になっちゃうから
なるほどなるほど
それを今回は初めての構造主義っていう本から
あれ程度引っ張ってきているよみたいな話
そうそうそうそう
はいはい
っていうような感じでございます
なので言語学とか数学は確かいろんなラジオがあるじゃないですか
ゆる言語学
言いたいね
ゆる言語学ラジオで有名なものもありますし
やっぱり最近いろんなところで例えば
サルトルとか哲学のことを聞いて
それ哲学を聞いてますよって言ってくださる方もいるとは思うんですけど
逆でそういう哲学のところからそういうのに興味を持ちましたって方が
いてくださってもすごく嬉しいなと思ったんで
そんな意味も含めて
うんうんうん
そうね確かゆる言語学ラジオでのね
ソシュールってすごくなんかあの回面白かったからさ
あーやっぱそうなんだ
そうそうそううん
だから今日も楽しみだねそれがどうも
哲学的な視点からいくとどういう風に関わってくるのかなーって
そうですねOK
じゃあね早速3つもらいでちょっと
巻き決めてという感じでさらっとやっていこうと思うんですけど
06:02
最初にねそのソシュール言語学の影響って話なんだけど
ここではちょっと今日に関してはキーワードは
あの思維性
あの思維ってなんだろうな
思維的だとかって言葉って使うじゃないですか
うんうん
ある種好き勝手にとか
日常的に言うと必然的じゃない
要は別にロジカルじゃないんだけど
なんかこう自分の思うがままにやっちゃうみたいなのを
思維的とかって言っちゃうんだけど
糸が絡んでいるものみたいな
そうですよね
それをえっとね
思維性って言うのはちょっと日常的には使わない言葉なんですけど
簡単に言うとその言葉の音とかあと文字とか
あと音とか文字ってさ
言葉である種表現するじゃないですか
うんうんうん
それとあと意味の繋がりっていうのは
必然性がないよっていうことなのね
必然性がないというか
ない
うんうん
でもうちょっとどういうことかっていうと
言語学に親しい人とか知ってる人だと
言葉の音とか記号っていうのをシニフィアンとか言って
意味される内容とか意味の方をシニフィエとかって言ったりするんだけど
そう例えばさ日本語の犬っていう
要は両方味の動物を意味する言葉があるじゃないですか
うんうんうん
犬っていう言葉が別にあの動物を示すっていうことに
必然性はないわけだよね
英語ではドッグって言われたりするし
うん
あと例えば犬と椅子ってさ
めっちゃ似てるじゃん言葉としては
まあ確かにねはいはい
別に犬と椅子は別に似てはいないじゃん意味として
まあ足4本あるけどね
それはさ言えるけど別に
まあ無理やりだね
犬と椅子が足4本であるってことを示してるわけじゃないじゃない
まあそうねじゃあ他の足4本のものが全部2文字でいから始まるかっていう感じ
別に似てないしね
馬とか犬もマルチーズとかあるわけで
別になんかこう
そこにはあの別に意味はないですよ
赤ちゃんも赤いから赤ちゃんって言ってるわけじゃないみたいな話が
多分あるわけじゃない
なるほどなるほどその見た目によってその
例えばあの4本足あるから動物は犬っていう風に
こういう風な見た目でこういう風な生態を持ってるから
犬っていう風になって
その2文字でイとヌを当てたみたいな
何らかの関係があるわけじゃないよねって話
たまたまだよねみたいなある意味
たまたまだというか誰かが勝手に名付けたでしょそれみたいな話
そういうことね
実は昔、昔とかその蘇州理以前の言語感だと
まさにそういうあのあらゆるものに
09:01
ラベルをつけたのが言葉なんだみたいなやっぱ考え方があったのよ
例えば山は山っぽいから山だとか
海っていうのは海らしさっていうものを持つから海って名付けるみたいな
そこがある種言葉とか音と文字と意味には
繋がりがあるんだっていう考え方が普通に存在してたのね
そこはなるほどなるほど
あるっていうことね
さっきのこいつ犬っぽいから犬っていうのは
それを恣意的に名付けてたよって話だよね
それは恣意的じゃない
恣意的っていうのは要は意味が関係ない話だから
あ、恣意的だと思ってたってこと?昔は
恣意的の言葉の使い方は多分違うと思う
そうなんだ
要は必然性があると思ったんだよね
要はさ昔の名前こそが
そのものの本体だみたいなもの考え方ってあるじゃないですか
ある種歴史的な考え方としてさ
ものの本当の名前を知るっていうのが
それを自述的に縛るものだとかさ
あのゲド戦記
ゲド戦記のそうそうそう
吐いたかって
知ってる人いるかも
っていうのは仮名で
ゲドっていう名前呼ばれたらやっぱその存在が捕まえてしまうみたいな
言語感ってあるわけよ
はいはいはい
だから犬が犬っていう必然性があるとか
もう犬っていう呼び方には
そこに結びつきがあるっていう風な考え方が
普通にあったわけだよね
なるほどなるほど
違う話がちょっとずれるよってあれだけども
その当時の人々の感覚としては
自分たちがそういう風に名付けたとかですらなくて
もうこれは犬であるっていう風に
ただただ認識してたぐらいの感じなのかな
普通の人はそうだろうし
言語学っていう観点で言うと
要はそもそも音と意味を分けるっていう発想がなかったわけよ
そう言語学的にもってことなんだね
逆に言うと例えばさ
いわゆるカメラになった時にゴロゴロゴロってなるとか
朝にチュンチュンってスズメが鳴くみたいな
そういう擬音語とかはある種自然の音を言葉にしたものだから
そういう言葉もあるはあるんだよね
これを幽遠的ってあの円があるって書いて幽遠的って言われたりするんだけど
そういう言葉もあるんだけど
犬とか椅子とか机とか山とか海っていうのはそういうのじゃない
って意味で言葉の根本には恣意性があるって話をしたんだよね
うんうんなるほど元々ね
そうそうそう
やっぱりこうした話を見るだけでも結構言語学も面白いよね
深いねすでになんかそうごめん色々ちょっとひっかき回しちゃったけど
12:02
なるほど色々なんかありそう
そうそうそう
とりあえずそういう手伝いをしたので手伝う話に持っていくんですけど
つまり言葉とか言語っていうのは
日本語なら日本語っていういわゆる体系とかシステムとか構造の中で
今で言うと50個
例えば昔だったらもっと数が多かったとかさ
地域によってはいろんな音があるとかっていうのはあるんだけど
一応日本語としては50個の音が区別されて
それが単語として組み合わさる
かつそれが別の単語と違うからその意味を持つんだっていう風に
要は消極的にしか言えないんだよね
犬は犬だから犬だじゃなくって
犬とイスっていうそれぞれの言葉があった時に犬っていう単語には
あの四本足の動物を当てましょうとか
そういう風な考え方がそもそも言語の中にはあるよねっていう話なんだよね
はいはいなるほど
これを言語っていうのは差異とか違いのシステムだみたいに言ったりしますと
へーなるほどそれは結構発見だったんだね
もうあらゆる物事には物事には一対一でそういう名前
物と名前さっき言ったシニフィアンとシニフィエみたいな関係があるかと思いきや
そこはかなりそのもともとあるものではなくて結構勝手にやってたんだよみたいな
そうだねえっとね
でもあれか構造の話してるのかこれ
あれだよハヤトとの噛み合わなさって
これあれかも前回の最後と一緒で
人が何かいいものを名付けるみたいな
人種観からのものを見てるか
言語っていうものが
シニフィアンシニフィエみたいな
そういう名付けっていうものがどういう風に行われているのだろうかっていう
マクロ側構造側から見てるかの違いっていうのが
この噛み合わなさの原生なのかなって今思ったよ
確かにね
今思った
いやまさにそうだわ
人間は言葉を
っていうなんだ
全体の中で生きている存在なんだよね
言語がこの言語学的な考え方からすると
だから自分の目線から
そういう意味とか音があってとかってじゃなくって
そもそも言葉が先にあって
それを人間が後から獲得していくっていう感じだから
そうね兄貴の言う通り目線が違うね今ね
だからさっきシーセイっていうことを使った時に
それシーセイの意味が違うみたいな
なんかくだりもあったけども
これもそうだよね
多分その言語っていう
その中に存在する人間みたいな
15:01
それを使わせてもらってる人間みたいな世界観から言うと
そのシーセイの主語は言語全体みたいな
その生態系全てみたいな話で
その中で言語ってものはシーセイを持っていないよね
みたいな雰囲気ってあると思うんだけど
さっきの自分から言うと
人間が言葉を操る人間様が
シーセイ的に物言いに名前をつけてやってるんだぞ
そういう意味でのシーセイがあるなしみたいなのって
かめ合わないよね
みたいな話だよね
だからちょっとこれもずれちゃうけど
例えば犬と呼ばれてるものに対して
俺は猫だっていうことは個人の側にはいえるのよ
でもそれの個人の好き勝手なものは
言語っていうシステムには絶対組み込まれないんだよね
なぜなら言語の方が先にあるから
人にそうやってあがいたところで
言語体系は変わらないよねみたいな話だよね
こいつ猫って呼ぼうぜって言い出したとして
わーこれ難しいよ
いきなりかめ合わないからなんだろうなと思ったら
全然見てる世界違うじゃん
確かにね
いきなり言語学がソシュールだとかって言うと
なるほどね面白いな
僕も今そういうことかって思ったんだけど
全部それ違うそれ違うってどういうことだよ
立ってる立場と見てる方向が違ったらそれは違うよね
ありがとうありがとう確かに
なんか今日すごいかめ合わないなって思ったけど
そういうことだわ
昔思い出した
ギリシャやってた時の哲学の話の時代を思い出した
もう一回そこらで整理直すとしたら
そういうところからやりたいね
立ってる土台合わせたいね
それは面白いかもね改めて
ごめんごめんちょっと話脱線しちゃいましたけど
話を戻すと
言語っていう観点からすると
言葉とかもっと言うと単語には
音っていう領域からなるものと
意味っていう領域からなるものがあって
それはでも個別に存在してるわけじゃない
意味と音が組み合わさって単語ができましたとかっていう
そんなパズルみたいなものじゃなくって
そもそも言葉にはその両方の側面があるっていうのが
言葉なんだっていうことをソシュールは言うのね
かつそれはその違い
犬は犬だから犬だみたいなことを言えるんじゃなくって
それはイスとの違いで要はスとヌを
僕らが聞いた時に理解できるとか発音上違いを出せるから
18:04
そこに違いが生まれているっていう
その際のシステムが言語なんだっていう風なことが
ソシュールが言語学的にいい表したことですと
これだけでシリーズやってほしいわ
ちょっとわかんないできないと思う
それはゆるい言語
ラジオさん聞いていただいたら多分詳しいと思うけど
確かにね
そういう意味では話したことがあるんですけど
要は必然性がないみたいなことをずっと言ってたわけですよ
今日の僕は言葉には必然性がない
詩的な詩性だって話をしたんですけど
まさにこれが前回話したインセストタブー
何て言うと結婚できる異性
友達とか要は分関係の人と結婚できない異性
要は兄弟姉妹っていうの違いって
要はこれも必然性がないんですよ
なるほど
本質的には別に兄弟であろうが姉妹であろうが
男性は男性女性は女性だから
別に結婚というか子供を作ろうと思えば作れる
うんうん
それがたまたま親族関係にある
それが本当にたまたまそう思われたとか
たまたまそういう親族関係に当てはまってしまった
部族とか民族によってその範囲は違うので
つまりそういうインセストタブーの範囲が違えば
もしかしたら結婚できたかもしれない相手なんだよね
つまり結婚できないっていうのが
もともとそうだ生物学的とかじゃなくて
たまたま社会的に要は必然性がなく
恣意的に生じているんだっていう考え方につながるんだよね
はーなるほどね
これは最初横展開って言った意味か
ヘビストロースが発明とかじゃなくて
どっちかというと横展開に近いよねみたいなのは
こういうことかこの概念
もちろんねそれをどう証明するかっていうときに
いわゆるこれもソシオリの言語学なんだけど
音韻論みたいな要は音の要素とか
そういうものを比較していって
言語っていうものを組み合わせていくみたいな
考え方も活かされているんですけど
それは複雑になりすぎるのでここでは省きますが
そういう当時の最先端の言語学であった
ソシオリの言語学を人類学に応用したっていうのは
ヘビストロースの功績だし
逆に言うと当時ソシオリの言語学ってそんなに有名じゃなかったというか
なんか一個そういう話があるよねって言われたんだけど
ヘビストロースがそれを使ったことによって広まっていったみたいな
21:00
そうなんだむしろそっからソシオリに目がいったみたいなように
そうそうそうそういう方向性があるんだよね
じゃあお互いそっかありがとうだねなんかウィンウィンな感じですね
そうねたぶんねなくなって
ソシオリがなくなった後にヘビストロースは
ヤコブソンっていう人を経由してそれを知ってるんだけど
ああ時代が違うんだ
直接の交流とかしてないはず
そっかそっかじゃあまあ共に同性を生きたライバル
仲間とかじゃなくてちょっと時代は前の人だな
みたいな感じでヘビストロースというか行動主義に言語学が
ある種姿勢っていうのを通じて影響してますよってのが一つ目の話で
なるほどはいで次ねモースっていう人の贈与論なんですけど
これもあのいろいろあるんですけどすっごい省いて一言で言うと
要はあの価値みたいな話だよねこれ贈与っていわゆる価値っていうことを結びついてるんだけど
普通は価値があるものを贈与とかするとか交換するとか人にあげるっていう考えじゃないですか
うんそうそうだよねお金お金っていう価値があるものを渡すから相手の喜ぶみたいな
いいねちょっと話は後でするんだけど逆でこのモースが言ったのは贈与される
要は贈られるから価値があるんだっていう風に逆転させるのねそこ
これもあの結構原住民とかのそのね蔵交換っていうなんか儀式というか
なんかそういう風習があって蔵ってカタカナの蔵交換であと交換っていう話なんだけど
まあすっごいわかりやすく言うとあの現代風にね要は宝石とかブランド物バッグとかあるじゃないですか
これめっちゃ高いじゃない基本的にそうねこれはなんで高いかっていうと
それそのものの実用的な価値があるからじゃなくて要は贈り物っていうそのことによって価値を持ちますよと
よっぽどさお金持ちじゃない限りさ例えばビトンのバッグとかちょっとビトンが今いくらか知らないけど
でも要は自分に買う場合でもさえばご褒美とかステータスとして買うはずじゃない
要は物を入れたいからビトンのバッグを買う人は多分いないと思うのよ
その機能的側面だけじゃないよねって話ね
それならさ別に100均のよくわかんないさカバンでもまあ本来いいかもしれないじゃない
そうじゃなくて要はそれが自分にとってのご褒美としての贈り物であるとか
それを身につけていることで他の人に自分はそういう存在というのをアピールできるみたいなところで要は買うわけだ
つまりそういうものとして価値があるんだ宝石とかもそうなんだけど
24:05
つまり贈与とか誰かに何かをあげるとかあるいは交換するお互いに与え合うっていうのは交換だから
そういうシステムがある場所には必ず価値っていうものが生じてくるんだと
あとからねついてくると価値がね
価値があるから交換するんじゃなくて交換が成り立つから価値が生まれてきて
かつそれなんでかわかんないんだけど人間社会っていうのは根本的に交換っていうのが行われている
だから交換されているものは価値あるものなんだっていうふうなことが起きてくるよねっていうのをモースは指摘するんだよね
はいはいはいなるほど
で面白いのはさっきまさに兄貴がお金とかって価値があるものって言ったんだけど
お金に本当に価値があるかっていうと実用的な価値はないじゃない
要は紙切れじゃん
うんうんうん確かに実用的ってあれでしょ
鬼神にするとかそういう意味で
そうそうそうそう
でもできるしみたいな話で
ただ逆にお金に実用的な価値があったら流通しないっていう買い方が生まれるんだよね
はーなるほどね
確かに鬼神にして倒しちゃったら鬼神にして消費しちゃうよね
そうそうそうそう
全然交換せずにね
世の中に紙っていうものがお金以外紙幣以外全部なくなったら
多分紙幣の紙としての価値が爆上がりするはずなのよ
なるほどなるほど紙としての
紙としての例えばねありえないんだけど
まあみたいな感じがあるので要は昔だと貝殻とかもそうなんだよね
貝殻がさお金だったみたいな時代があったじゃない
うんうんうん
うんっていう時に別に貝殻自体には価値がない
もしかしたら器にできるとかあるかもしれないけど
うんうんうん
でもそういうことではなく実用的な価値がないから
別に自分の子に留めててもしょうがないので
人にあげるみたいなことがあって
それを人にあげるからこそ
それに価値が生まれるっていう
そういう循環があるんだみたいなことを
このモースの同様論とか倉庫感っていうところから
見出した発想として言うんだよね
そうなんだはいはい面白いね
これめちゃめちゃ面白い話だから
ぜひ興味のある方は調べてみていただきたいんですけど
さっきのお金に価値があるのかみたいな
貨幣論とかそういうところにもつながる話だし
うんうんうん
これはねいわゆるレビストロースの話につなげると
彼はどうしても女性っていうものをモデル化して
女性が贈与とか交換の対象になるっていう話だったんですけど
当然男性にも女性にも実用的な価値があるわけじゃなくて
要は働き的となるとか
誰かを助けるとか
親になる子供を産むみたいなことが出てくるんだけど
そうするとどの部族とかどの人たちも
27:03
要は男性も女性も基本的には外に出したくないって思うわけ
そりゃそうだね確かにね
一人減るってことはさ
要は一人分の働き手が減るってわけだから
確かに機能的価値大きいよね人間ってね
そうそうそうそう
ここで出てくるのが隠蔽とタブーですと
要はつまり結婚できない異性みたいな仕組みが加わるとどうなるかっていうと
当然その部族の中で要は
この人と子供を産むっていうことが実用的な価値だとした場合
あんまりこれを本当に言うと
現代的な感覚からするとちょっとひどい言い方ですけど
それは男性も女性もそうだよね
っていうのが価値が失われてしまったときには
部族を維持するとか
その集団を発展させるっていう意味での
実用的な価値っていうのがあえて失われてるんだよねここで
まあそうねそういうルールになっちゃったからね
さっき言った通りで要は実用的な価値を減らすことで
あえてそういった人間っていうのがゾルを対象にすることができる
結果的にそれがだから交換の対象になって
そこに価値が生まれてくるっていう
交換するものとしての価値っていうのが
そこに生まれるんだって話をするんだよね
はぁー
すごいね着眼点というかその
法則を理解
はいはいはい
だから実用的な価値があるものはやっぱり交換対象になりにくいんだよね
それを成り立たせるのが可変だみたいな話もあるんだけど
いやすごいし
そうだよねこれ自分たちの部族からすると
例えば子供を産むっていうルール
結婚したらダメっていうルールによって
一部の機能的側面の価値が低くなっちゃう人が出てくる
で向こうにもそういう人が出てくるんだけれども
逆にだからこそ
けど向こうの部族ではその機能があるとみなされるっていう
価値が増大するっていう
そこ逆転現象も別の方
交換相手の方には起こっていて
そうそうそう
っていうルールがなんかできてるねって話なんだねそれ
まあそうだねそっちはというよりは
それをやっている部族とか民族が
やっぱり残っている
っていう歴史的な事実として
本当の意味で
誰とも交流せず
自給自足で無人島的なところで生きているみたいなことっていうのは
やっぱりなかなか成立しない
なるほど結果としてそういう人たちがそのシステムが
機能してるじゃんっていう風になってるところ
そうそうそうそう
現状ね
それを突き詰めてみていくと
30:01
もしかしてインセスタタブーってそのためにあるんじゃねみたいな
ことに気づくのがレディストロースなんだよね
はいはいはい
なのでこれもね着想とか着眼の一つっていう感じなんだけど
最後の数学に関して言うと
数学だって僕は本当に全然知らないので
本当に受け入れるというかね冒頭にあげた本の話なんですけど
そもそもその構造主義の構造っていう言葉自体が
数学の文脈が出てきてるらしいのね
どういうことかっていうと
いわゆる図形とかの幾何学みたいな
数学的な学問というかその範囲があるんですけど
図形として正方形って皆さんちょっと頭で思い浮かべてほしいんですよね
正方形
正方形って要は正面から見るとさ
全部の線が4本あって全部の線の長さが等しい
全部直角みたいなさそういう四角形じゃないですか
うんうんうん
それをちょっと視点を頭の中でずらしてみてほしいんですけど
ちょっと斜めから見るとか
ギリギリ真横からちょっと上みたいなので見ると
3Dで見てみろよってことですね
3Dで頭の中でちょっと動かしてみた時に
ちょっと長方形っぽくなるとか大型っぽくなるみたいな感じで
図形そのものは本当は正方形で変わってないんだけど
見方を変えると
要は形が変わるっていうことが起きますよね
なるほど
そうなった時にも変わらないものがあって
これはつまり4つの線からなる図形だっていう性質は変わらないと維持されるんだよね
うんうんうん
実はこの見方を変えたいとか色々としても変わらない
この4つの線から囲まれた図形っていうものを通学的な文脈で構造っていうのがあって
そうなんだ
この構造では正方形とか大型っていうのは同じ構造を持つ四角形って隠れるんだけど
丸とか円はそうじゃないよね
要は4つの線分って読むのが成り立たないから円の中には
なので四角形と丸っていうのは構造的に違うっていうのはここでは言えます
はいはいその2つを見た時にってことね
そうそう
ただここに定義を拡張すると実は1つに隠ることもできて
要は1つの点から始まってぐるっと一周できる
線に囲まれるものみたいな構造を見出すと四角も丸も1つの構造で含むことができて
そこにはただ線いわゆる1本の線とかバッテンとかってのは含まれないよねみたいなことが言えるようになります
つまりその構造というのを特定すると表面的には違う四角と丸とか正方形と大型とかっていうものを同じくらい扱えるんだよね
33:04
はいはいはい
っていうのが数学的な構造って話らしいんですけど
これをリビストロスはまさにこれも隠蔽図に応用してるんだよね
どうやら何応用したんだこれ今の話はさ分かったけど
つまり部族によって見た限りではその隠蔽図の範囲っていうのは全然違ったりするわけよ
親戚同士はダメってとこもあれば親戚のさらに近い家族もダメみたいなことがあったりとか
あとはちょっと前回も言ったように要は親子関係
これはちょっとごめん隠蔽図の話はずれるんだけど
親子関係でも要は親と子が口を聞かないっていうのが正しいっていうところもあれば
親しくするのがいいみたいな例えば横仲もあるみたいな時に
その共通的な構造とかそこに潜んでおくって何なのっていうことを考えるんだよね
なるほどねどこで括ってやろうかって話だね
そうそうそうそう
それもどっちかっていうと要はそれを列挙するだけだったんだよね
A部族はこういうインシスタブルがあるB部族はこういうインシスタブルがあるっていうふうに列挙して
それである種フィールドワークとか人類学的な研究が成り立ってたんだね当時
その紹介みたいなね
そうそうそうそうこういうパターンがあるこういうパターンがある
でこことここが似てるけどなんか違うよねみたいな感じだったのを
共通の本質っていう構造まさに構造があるんじゃないかって想定して
それを実際に彼は数学的に一定証明するんだよね
なのでやっぱりそういう自然とか数学といったいわゆる論理的なことだけじゃなくて
社会とか民族なんてすごい人間くさいわけよ
そういうことの奥にもいわゆる本質だったりとかいわゆる共通項みたいなものっていうのがあって
それを捉えることでそのいろんな見た目には全然違うように見える現象にも
共通のまさに構造とかシステムとかそういう繋がりっていうのを生み出せるんだよっていうのが
ビビス・トローザがやったこと
確かにこれ全部絡んでるね確かに
そうなのよ
はぁーすごいなぁやっぱその視点ではね
一番最初からこんがり上がってたけれども
やっぱその全体からここに迫っていく視点というか
最初はゆる言語学ラジオの話だったけれども
ソシュールの回ですごく面白かったというか印象に残ってるのが
プールの例えがあって
36:03
言葉とかをどう作っていくかというときに
ごめんちょっとうろ覚えなんだけれども
例えばこれいろんなレイヤーがあると思うんだけど
最初あった例えば動物みたいなのがあるとき
まず動物っていう風に
一個プールでやっちゃうといきなりもうクリアれてるんだけど
動物っていうプールをまずありますと
その中にどんどんプールにコースのラインをどんどん足していって
割っていくイメージなんだと
例えば動物ってあったときに
一個線をパーッとやると
例えば哺乳類と爬虫類みたいな
そこで一個線を引くと荘的流
もう一個線を引くと魚類とかさ
さらにその中でサンマ、サケ
どんどんそうやって一個一個分けていくイメージなんだみたいなのがあって
それが今回聞いた全体からここに迫っていくというか
どんどん分けていくというか
どんどん相対的になっていく
プールも動物のプールがあるだけじゃなくて
植物のプールもあればだったりとか
最後の数学の構造の話でいうと
さらに多分動物のプールと何かのプールが
意外と重なっちゃってたりとか
そういうのが延々となされている営みなのかな
みたいなのを思い出して
それやっぱりさっきの犬側からは
いかない視点だよね
自分が犬だっていうところから
動物っていうふうに物事をくくろうとは思わないし
くくれるわけないし
それをやっぱりレビストローサーがこうやって
その視点を持って
すごく的な構造という人もあったし
さっきの価値だよね
価値あれすごいなと思ったけどね
面白いよね 造詣論
交換されるから価値がある
でも確かにブランド
いわゆるブランディング
ハイトンマーケティングやってたと思うから
分かると思うけどさ
ブランディングみたいなものって
まさにそういう営みだよね
それを人為的にどう作ってやろうかっていう営みじゃん
確かに
物に価値をつけていく
価値を増やしていくか
まさにいいなと思って
でもそれをこうやってね
価値があるから交換されるんじゃなくて
交換されるから価値があるんだみたいな
結構ブランディングとかの
結構真髄というかさ
かなり本質的な部分を
言い得てみようだなみたいなさ
部分もあって
すごい発見があったというか
面白いなと思った
やっぱりこの辺りはすごく
39:00
マーケティング論とかそういったものに
応用されてて
ダイヤモンドとかまさにそうなんだよね
ダイヤモンドはさ
名前は知ってたけど
永遠の輝きっていうさ
やっぱりコピーをつけて
愛の象徴っていう
意味を持つことによって
価値が高くなったわけだけど
ダイヤモンド自体にはさ
実用的な価値はないじゃない
基本的なものを削るとか
硬いっていう
価値で別に何百万もするわけじゃないから
そうだね
めっちゃ硬いって言われてるもんね
やっぱりそれが
意味というかマーケティング的な
発想だよね
みたいな話もあるし
さっきヤニキル言ってくれた通りさ
その小鯖っていうのは
まさに違いというか
差異をつけていくものだっていうのは
まさにさっきのプールの
中にあるんだけど
やっぱりその根本には構造がある
ってなった時に
元にちょっと言ったんだけど
レビストローズは人類学とかの
研究から神話学の
研究に進んでいくんだよね
はいはいはい
でも神話っていうのも
見た目には全然違う
要は日本のイザナミとイザナミがいて
みたいな話と
要はその
新約聖書とか
新約聖書とかのキリストがいて
みたいな話っていうのは
全然違うようにだけど
でもその奥にある構造って
実は一緒なんじゃないか
とかそれを取り出せるんじゃないか
っていう着想なんだよね
なるほどなるほど
で実はそこからは面白くて
ちょっと今日はそんなに
話はできないんですけど
要はそうなると
何が起こるかっていうと
それぞれの特徴
というか一つしかない神話
要は聖書とか
要は古事記とか
コーランとか何でもいいんだけど
それぞれが独自の価値を
持っているのが同じ
神話の構造によって成り立っている
っていう形で
要は個々的な価値っていうのを
ある種奪われちゃうのよ
あーはいはいなるほどね
はいはいはい
これだけ構造この構造が成り立っていて
それの派生物だよねみたいな感じ
それぞれ慣れちゃうから
実はこれが
聖書とかテキストとか
っていうことの問題に
繋がっていくんだよね
書かれたものって価値があるのか
みたいな話とか
それまではバイブルだから
それがもう神だみたいな
発想とかがあるわけよ
キリスト教的な世界の中で
だからその聖書と向き合うっていうことが
神と向き合うことだみたいな
発想っていうのが
この構造主義的に
いわゆる
差異の違いだから別に聖書にも
例えば古事件にも違いがないとか
言われちゃうわけよ
うんうんうんそうだね
サルトルもやられたやつね
そうそうそう
42:01
であれ?
聖書ってどんな意味があるんだとか
例えばそういうことにもどんどん問題が
発展していくわけなんだよね
あーやっぱそれは問題なんだね
まあ問題だと思う人によっては
意味を剥がされた
その時に
どうなるかというと
一般化され過ぎちゃった時の問題ね
そうそうそうそう
だから
雑談とかでもやりたいなと思うんだけど
僕はすごい構造主義やっぱ好きだし
いいなとは思うんだけど
やっぱりさっき言った
全ては差異であるとやっぱり
二元論的な発想
区別をどんどんつけていく
みたいな発想がやっぱり行き着く先は
前回から前々回やっぱり言った通り
区分主義とか
ニヒリズムとか神一人だなってやっぱ思うんだよね
なるほど
うんうん
多分それはやっぱりその構造主義を
アーレスのリクルートしているポスト
構造主義的な人たちの感覚にもやっぱりあって
やっぱり全てが構造だっていうと
じゃあ人間という一人一人ってどうなるんだみたいな
やっぱり実論主義的な問いがまた出てくると思うし
まあそうだね
だしそっかここまで聞いて思ったのは
その構造主義のさ
怖さみたいなのもあるんだけれども
レミストロースって結局さ
なんか
例えばサルトルとかやっぱり色がついている
マルクスが云々とかでさ
人間こう言っているべしみたいな
やっぱりそういう厚さみたいなさ
でもその厚さを取り去るから
構造主義のさ一般化されて
あれ何だったんだって
冷静になっちゃう瞬間が来ちゃうと思うんだけど
そのレミストロースひるがえって
この人はさ
なんかそういうのがあったの
なんか今言ったさ
結局全部一般化されて
聖書・法蘭も
例えばその仏教の経典も
全部同じじゃんとかって言われちゃう
その悲しさ
その厳しいな感覚ってあると思うんだけど
確かに
レミストロースはそこについてさ
なんか
自分の熱量みたいなの
持ってたのかな
それともただ単に研究バカみたいな人がいたのか
なんか気になるな
そこはちょっと
確かに僕も分からないけれども
やっぱりある程度冷静というか
世の中的には
構造主義を使っていろんなことできんじゃん
っていう流れになってきた時にも
彼は淡々と神話の研究をしてたみたいな
説明は読むんだよね
やっぱり研究者としてやってらっしゃったというか
罪だね
そうこうやって聞くと
なかなか罪づくりな
そうですね
へぇー
だってねなんか言ってほしいよね
この結果
サルトラこう言ったけど
自分はこういう風にやった方がいいと思うって
言ってほしいけど
ただまあこういう視点から
物事を見るっていうことを
45:01
徹底したと
スタンスを取ったとすると
やっぱその一つの
ポジションというか
取れなくなっちゃうのかな
取っちゃダメっていう風にね
どこでもプラットになっちゃうのかな
まあそうだねあんまりこう
社会的な主義主張みたいな感じ
よりはまあもとでやっぱり
戦争も経験されて
やっぱりアメリカに亡命して
ユダヤ人として生きたみたいなところもあるとは思うから
あんまりその自分
らしく
発言するとかそもそもできないみたいな
時代背景もあったかもしれないですけど
まあそれは全然
想像とか妄想だけどね
うんうんうん
もしかしたらめっちゃ
政治的な主張とかしてるったら
教えてほしいんですけど
はいはい興味深いね
うん
やっぱりそこはなんか少し
一線引いてとか研究者として
こういうのやってらっしゃったみたいな感じ
のイメージかな
なるほどなるほど
勉強したとか
それを使った人たちがさっきのような
虚無主義的な感覚をちょっと持っちゃったね
みたいな
使えるねみたいな感じ
まあそういう風にやっぱり行き着くよね普通に考えたら
だってさ全部さ分割してさ
ラベル付けというか
なんだあの全ては歳だ
ってなった時にさ心理もないし主体もない
みたいな途中で言ったと思うんですけど
そういうの解体したっていう
結局何のために人間生きてんのとか
心理がない中でも
それを学問的な営みとしてやる意味って何?みたいなことに
やっぱりどうしても問いが出てくるじゃないですか
まあそうだね確かにね
うんうんうん
前回からもう言った
俺のこのあの子を好きっていう感情は一体
何なんだみたいな話になっちゃうよね
そうそうそうそう
だからねやっぱり
そういう意味で言うと
やっぱり大事なもの
いや二言論的じゃないものだと
僕はそれを思ってるんだけど
うんうんうん
人間の心とかさやっぱり幸せとかさ
そういうものは扱いにくい
そういうものでも解体できちゃう
のがやっぱりこう
ある種行動主義的な発想かなっていう風には思いますよね
なるほど
そっかいやーなんか行動主義って面白そうだなと思ってさ
ニーチェサルトルとかってきて
別にどうなるんだってめちゃくちゃさ
期待してたけれども面白いね
そのニーチェとかサルトルで
なんか熱くなった
そうだそうだみたいなさ
西洋的価値観というかさ
実動主義的こうやって頑張って生きてくんだみたいなさ
世の中を前向き
前向きというかさ
自分で作ってくんだみたいなさ
はいはいはい
こう寸に冷ましてくれたね
そうね
やっぱり両方大事だと思うのよそれはね
僕はどっちかっていうと
実動主義とかそういう人間
自分自身が世の中を作っていくとか
その生きる意味を作っていくっていう
価値観を僕自身が持っているから
48:01
うんうん
割と構造主義的な考え方には
あんまり心からなじみはしないんだけど
やっぱりそういう発想とか
そういういろんなものの背景とか
奥には構造っていうか
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
そういう思いがある
面白い
聞いた後の感覚っていうのは
また前回とかとされているところと
違って面白いね
違って面白いね
思ってよかった
言語学、造評論、数学みたいな
思ってよかった
思ってよかった
思ってよかった
思ってよかった
思ってよかった
思ってよかった
思ってよかった
哲学っぽくなさも感じた
僕はちょっと思ったんだよね
哲学の伝統的な流れの中で生まれたというよりは
哲学の伝統的な流れの中で生まれたというよりは
デビューする時代はもちろん哲学にすごい詳しい
デビューする時代はもちろん哲学にすごい詳しい
まさにそれで資格を取った人だけれども
いろんな当時の先進的な発見とか
いろんな当時の先進的な発見とか
考え方とか
世界観とかっていうものをやっぱり
ブレンドした時に
新しい発想ができた
新しい発想ができた
やっぱりそういうものとして
行動主義を捉えた時に
行動主義を捉えた時に
すごい豊かだなとか面白いなっていうことが
少しでも伝わっていたら
良いなという感じですね
そうだね
面白かった
哲学そのものを
相対化しちゃったみたいだね
その哲学の中で
プールの中で遊んでた人たちを
外から
あの人たち何やってんのって
ちょっと引いた目で哲学そのものを
ちゃんとプールの中で
遊ぶ楽しさも知りながら
外から
手入れつけたみたいなね
あの人たちこうやって
遊んでんだねみたいな
ちょっと冷めた目線みたいな
それがやっぱ
これだけの知見に
裏付けされている
本当に面白いなと思った
良いな
ちょっと虚無主義
ちょっとニヒリズム的
感覚もちょっと
芽生えてきちゃうから
そうだね
次回は雑談会だったり
今後も多分
この話に踏まえてみたいところも出てくると思うし
次回はどんな感じになっていくんだっけ
次回は
いわゆるポスト構造主義みたいなところの
思想がって言われている
ジャック・デリダって人を
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扱おうかなと思っていて
じゃあこのままポスト構造主義
ではね
このままいこうと思います
その後東洋にもう一回戻るか
もう少し現代の方まで
突き進むかというのはちょっと
考えているんだけど
まあふっさるまで戻るかとか
ちょっとその辺は話しながら
考えていきたいなときには思っています
うんうん
わかりました
じゃあ一旦ね構造主義レビストローサー
今回で終わりということで
ちょっと雑談会挟みながら
今度はポスト構造主義
すごいね
行き着いてみたいと思います
じゃあ次回も引き続きよろしく
お願いします
はいお願いします本日もありがとうございました
ありがとうございました
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