1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #46 ヘーゲルが定義した「矛盾..
2022-10-02 42:56

#46 ヘーゲルが定義した「矛盾」とは。弁証法の土台を深掘り。

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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(音楽)
はい、それ鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回は弁償法、定義の弁償法ということで、その中身について教えてもらったんですけれども、
弁償法の凄さみたいなところで、結局その土台の部分でも矛盾とか対立、そういったものをしっかりと定義することは重要なんじゃないか、みたいなところ、最後の話がありました。
今日はその続きですね。
はい、今、兄貴が言ってくれた通りで、前回は弁償法というものについてお話したんですけれども、
一般的な理解で言うと、対立とか矛盾する2つのものがあって、それを乗り越えたり統合しながら新しいものを生むんだとか言われるんですけど、
ヘゲルからすると、それだけだと一歩足りないというか誤解だよ、みたいなことがあったりしましたと。
前回の言葉で言うと、その、まあ、語性的なというか、AがあってBがあって、みたいな話じゃなくて、なんかもうそもそも思考の次元が変わるんだとか、
そういう話をさせてもらったと思うんだけど、要は、いわゆるその、意識、思考の本当に次元が変わるというか、なんか世の中にあれもあってこれもあって、
なんか一方のものから別のものになる、それこそ前回もハンバーガーの話をしたんですけど、パンがあって肉があってこれをくっつけたらハンバーガーになるみたいな、
その、あれもあるこれもある、でも違うものになるとかじゃなくて、そもそも、なんだろうな、別の概念とか別の次元に飛ぶ、みたいなことが伝承法だよね、みたいなことを言っていましたと。
前回の言葉で言うと、それこそ、誤性じゃなくて理性で理解するのが伝承法だよ、みたいな、誤性から理性により高次なものに行く、みたいなね、伝承するのが伝承法だよ、みたいな話を、前回もあったんですけど。
(岡田)そういうことです。で、まあそれを言った時に、なるほどとは、言って思ってもらえたかもしれないんですけれども、よりそれを正確に捉えるとか、あとヘーギルの議論をしたことをより深掘っていうことで、
ちょっとヘーギルすげえっていうのを貫通いただくために、その伝承法の根底である矛盾っていう概念をちょっと深掘りしていこうかなと思いますと。
(西野)結局ね、肉とパンは矛盾じゃないでしょ、みたいな。だからちゃんと矛盾を発見することが大事だよ、みたいな。
(岡田)そう、そうです。ただね、ここ、哲学の難しいところというか、やっぱり理解せざるを得ないところなんですけど、やっぱり、じゃあヘーギルが「矛盾とはこうこうで」って言ってくれたら楽なんだけど、そういう説明ってしてくれないんですよ。
(西野)うーん、そうなんだね。 (岡田)うん。「矛盾とは真実の見姿である」みたいな、ちょっと言葉が違うけど、なんかそういう抽象的なことを言ってくれるんだけど、こうこうこうだよってことを言ってくれないと。
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(西野)それまでもヘーギルはやっぱり、構造というか、初期状態から始めて、こういう前提を得ていくと矛盾というものが見えてくるとか、矛盾という概念が必要になるみたいなことで説明していくよね。
(岡田)あー、なるほど。辞書的には説明してくれなくて、こういうふうにこういうふうにこうしてこうしてこうなった結果、これが矛盾という状態だよねみたいな話はしてくれてるというか、論理の中でそういう展開はしているみたいな感じなのかな。
(西野)そういうこと、そういうこと。なぜ世の中に矛盾というものが生じるのかとか、矛盾があることを前提としないところから話し出すんだよね。
(岡田)あー、なるほど。 (西野)うん。だから今日もちょっと話としては、なんだろうな、その初期状態から話すから、最初はフンってなると思うんですけど、ちょっと頑張ってついてきていただけると、あ、そういうことねってなってくると思うので。
(岡田)これが矛盾ですねって言う前の説明段階で、諦めないでくださいねって話してる。 (西野)そうそう。
(岡田)うわー、怖いね。 (西野)みんな最初は裸一貫なので、その裸一貫からちょっとちょっと服を着始めて、なんだろうな、その、身に着けていくというか、その、まずみんな一回裸になるってことが大事だから。
(岡田)なるほど、恥ずかしいとか、寒いかもしれないけどちょっと我慢してねみたいな。 (西野)そうそうそうそう。それはちょっと心もとないかもしれないんだけど、ぜひ頑張っていきましょうっていう感じです。
(岡田)うん、分かった。そこの覚悟があればついていけるかな、分かった。 (西野)そうね、そうね。で、実際にその、じゃあ矛盾っていうのがそのヘイゲイの伝言書法にとって、
(西野)「核だよね、そういうコアな概念だよね」っていうことは多分間違いないんだけれども、だからこそいろんな批判があったりと後誤解があったりするんですよね。
(西野)だからその、例えばその誤解、批判とかで言うと、そうやって結局ヘイゲイってのは矛盾じゃなくて、ただ別の概念。例えば「親と子」とか「上と下」みたいなのがあったときに、それを結局言ってるだけで、
(西野)そうやって矛盾じゃなくて、ただの相互依存関係じゃんみたいな話とか、矛盾風の表現で言ってる「疑似矛盾じゃん」とかっていう誤解も、批判もあったりしますと。 (岡田)うん、なるほど。
(西野)だから、そういう意味で言うと結構その、今の哲学界でもそうなんだけど、ヘイゲルの悪人がこれだみたいなのの合意というか、すごい確実なものって多分あんまないんだよね。
(岡田)うーん、なるほど。そのヘイゲル誤辞典みたいなのはないんだ。
(西野)ヘイゲル誤辞典は多分あるんだけど。 (岡田)あるんだ。そっちはあるんだ。 (西野)ヘイゲル誤辞典はあると思う。
(岡田)そっちの方が微口げんあったとしたら。 (西野)ちょっと一回検索してみようか。
(西野)今ちょっと調べてきましたが、ヘイゲル語辞典あります。 (岡田)あるんだ。
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(西野)カント語辞典もあります、確か。 (岡田)カントもあるんだ。 (西野)あります。
(岡田)ごめん、適当に言ったんだけど、あるんだ。ないんじゃないかなと思ったけど。
(西野)その内容やっぱりテキストをちゃんと読むとか、言葉をね、やっぱり定義するみたいなのが大事って、その一人の哲学で辞典が出るくらいなんで。
(西野)はいはい、そっかね。そこまで言葉が大事な学問だというか、すごいな。
(岡田)そうそうそうそう。やっぱり辞書で定義された方に思えても、やっぱり掴み切れないとか、そうじゃないものもあるっていうのが、たぶんこういった哲学の難しさであり面白さかなとは思うんですけど。
(西野)じゃあ今回何を基づいてその矛盾の話をしていこうかってなった時に、ひとつヘーゲルが書いた本の中に大論理学っていう本があるんですけど、その中でその矛盾の概念が考察されていて、それに基づいて書かれたいろんな論文があったんですよね。
(岡田)はいはいはい。 (西野)それが結構納得感高かったので、そこに沿ってちょっと説明していきたいなとは思います。
(西野)まず一番大事なこととして、これからいろんな例とかも話すんですけど、ヘーゲルの言う矛盾っていうのは、観念とか概念なので理性で捉えるものですよと。
(西野)直接的に存在する、観世、見たり聞いたり観世するものじゃないんですよっていうふうなことが言われるんですよ。
(西野)どういうことかっていうと、例えば丸と四角ってのがあった時に、丸は四角じゃないし、四角は丸じゃないっていうのはもちろんわかるじゃないですか。
(岡田)そこはなんか違うものだね、本当に。 (西野)そうそう。で、二つを統合した丸い四角っていうのも、実在は絶対しないというか、まあそういった概念として矛盾してるじゃないですか。
(岡田)そうだね。 (西野)うん。丸い四角って言われても、なんかバーンみたいな。 (岡田)ああ、そうなんだ。確かに矛盾してるねって少し言われそう。
(西野)でも、言葉にできる以上、観念とか概念としては存在し得るっていうふうに見出すのね。 (岡田)はいはい。理性で捉えられるってことは、理性上では言葉で語れるよね。
(西野)うん。そういうこと。だから、騙し絵みたいな感じで、実際にはないんだけど、絵の上でとか人間の思考の上では存在することができるよねと。
(西野)だから、矛盾っていうのは、さっき繰り返したんだけど、感性じゃなくて理性で捉えられるものだから、具体的に説明しようと思うとまず難しいというかできないものです。
(岡田)はいはい。 (西野)だからといって、存在しないし、人間の理性が勝手に作り上げた無駄なもの、要は観念的って言ったら、それこそ現実的じゃない無駄なものみたいな言葉、ニュアンスもあると思うんだけど。
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(岡田)うんうん。確かに。 (西野)そう。っていうものなんじゃなくて、この矛盾っていう概念自体が、世の中の物事の在り方を定めてるんだっていうところに行き着くのね。ヘーゲルは。
(岡田)はい。そうなんだ。ちょっとわからん。 (西野)ですよね。それの今日、もしかしたら2回に分かれちゃうかもとは思ってるんですけど、
その中で、なぜヘーゲルがそこまで矛盾っていうものが、世の中の物事の在り方を定めているとか、そんな大事なのだと言ったのかっていうことを、ちょっと話していきたいなって思っています。
(岡田)わかりました。まあそうだね。だって、この下手したら空論じゃないかみたいな理性で話をしているのに、そここそが物事の在り方を定めてるか決めてるかって。結構難しそうだけどね。
(西野)そうね。普通に考えてたらやっぱりわからないんで、一回裸になる勇気が必要ですと。
(西野)その議論をせんざって、いろんな概念を提出していくんだけど、ヘーゲルは。まず1個、最初の段階は「同一性」っていう概念を立てて、次に「区別」っていう概念を立てて、そこから「矛盾」っていう概念が出てくるよっていう風に話を進めていきます。
(岡田)はいはい。この3つの言葉はとにかく「同一性」、「区別」そして「矛盾」に至ると。
(西野)そうそう。で、なんでまずこの「同一性」って話からしていくんですけど、「同一性」っていうくらいなんで、何かが同じだよとか一つだよみたいなことっていうのはなんとなくイメージできると思うんですけど、
(西野)これは何が同じなのかっていうと、いわゆるヘーゲルの言葉で言うと「自己自身への単純な関係だよ」っていう風に言われますと。ちょっとわかんないと思うんで例を挙げると、
(西野)例えば「リンゴはリンゴだよ」っていうと、正しいじゃないですか。でももし僕らはリンゴが何かを全くわからなかったら、この言葉に含まれる情報量ってゼロなんですよ。
(岡田)確かに確かに。赤ちゃんにね、確かにな。リンゴを見たことない赤ちゃんに「リンゴはリンゴだよ」って言っても、はてなら。 (西野)そうそうそうそう。「何言ってんだこいつ」みたいな感じで多分なると思うんですけど、
(西野)ただ、この「リンゴはリンゴだ」みたいなことで言うと、リンゴは全く何かを説明できないっていう意味では、リンゴの本質については何も言ってないですよねと。
(岡田)あー確かに。そこは確かになる。 (西野)そうそうそう。だから、この「リンゴはリンゴだ」っていうのは、まさに純粋や同一性。だってリンゴはリンゴでしかないんだから、これ以上なく同一なものなんだけど、
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(西野)でも、例えばリンゴの本質とか、リンゴとは何かとかって考えようと思うと、これだけでは何も言えないっていうか、何の情報もないですよと。
(西野)だからこの意味でヘーゲルは、この同一性みたいなものを、絶対的否定性、つまりは空虚で無内容なものだよねっていうふうに表現しますと。
(岡田)なるほど。 (西野)だから、そもそも具体的なものでやっちゃってるからなんだけど、例えば「正義」とか「自由」とかっていうそういう概念みたいなものを扱おうとしたときに、
(西野)自由とは自由であるとしても、結局そうやって何も言ってないよねとか、結局それって自由っていう概念が一歩も進んでないことになるから、
(西野)結局その一番最初の自由っていう存在がある、存在という概念がある状態だと、結局何も生み出せませんというか、何も情報が増えませんっていうのが一番最初の裸の立ち位置なのね。
(岡田)はいはい、なるほどね。そっかそっか。確かにリンゴだとわかりやすいけど、そういう自由とか正義みたいな概念の話でも同じってことか。リンゴだったら目の前にこれリンゴだよって言って赤ちゃんは覚えていくだろうし、
(岡田)一方で自由とか正義っていうのも、ある意味赤ちゃんにこの状態が正義だよとか、アニメとか見せながらさ、アンパンマンが正義だよとかって教えたりとかして、
(岡田)正義の見方ってこんな風なんだっていう風に、正義っていうものは正義は正義だって形作られるというか、そういう意味ではリンゴと同じだもんね。
(山本)そうそうそうそう。ただ結局さっきお伝えした通り、本来矛盾っていうのは理性で捉えられるものだって感性じゃないですと。
(山本)でもやっぱり僕らは理性だけで物事を理解するとかできないから、実際リンゴみたいにアンパンマンとかリンゴビルの中でいろんなことを学んでいくんだけど、
(山本)本当に矛盾っていうものについて考えようと思うと、そういう具体的なものを全部捨て去って、あるものの本質っていう概念に立った時に、その概念だけあっても何にも進みませんよねっていうことが今最初の立ち位置だね。
(岡田)なるほどね。自分たちは何も知らないですよとか、その言葉を言葉で理解しようとしているうちは、むしろ理解できないところに立っているんですよっていう立ち位置から始めましょうっていう話をしているんだね。
(山本)そうそうそうそう。そういうこと。
(山本)この同一性っていうのはゼロポイントに立った後に出てくるのが区別っていう概念だよっていうふうにヘーギルは言いますと。
(山本)この区別は実はさらに2つに分かれていて、その「再生」「再」だから「違う」っていうことと、あと「対立」っていう2つに分けられるよっていうふうに言うんだけれども、どういうことかっていうと、
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(山本)例えばその「違い」みたいな話で言うと、目に見えるものって分かりやすいと思うんですよね。
(山本)例えば、リンゴがあって、そのあたりにパンがあって、肉があって、っていうふうになると、それぞれ別のものだよねっていうふうに思うことができるよねと。
(山本)さっきの自由みたいな話も、自由と何が並ぶかって分からないけど、自由であるものと自由でないものとか、あるいは不自由であるものみたいなことを考えることができるよねと。
(山本)そういうときに、ある種、互いに関係しない区別として表現されているものが「再生」「違い」ですと。
(山本)一方で、その「対立」っていうのは、例えば「南北」とか「上下」とか「親子」とかの片方を説明するのに、もう片方の存在が必要である場合のことを言いますと。
(岡田)はいはい、なるほど。はいはい。 (山本)例えば、上と下って、当然、普通に立ってたら、天井が上で床が下だけど、逆立ちしたら逆だよねとかってあるじゃないですか。
(岡田)はいはいはい。 (山本)みたいな感じで、同じ区別なんだけど、りんごとパンと肉っていう違いと、上下とか親子っていうのは属性が違いますよね、みたいなことを言ったりしますと。
(岡田)はいはい、なるほど。 (山本)ただね、そのヘビルにおいては、その「再生」、その「違い」っていうのも潜在的な、だから要は、いずれ対立になるというか対立性を含んでいるというふうに言われていて。
(岡田)うーん、そうなんだね、はいはいはい。 (山本)うん。例えば、ここでまたハンバーガーの例を出すんですけど、例えばパンと肉って「再」、単純な違いじゃない。
(山本)でも、ハンバーガーにおいては、パンっていうものがバンズっていう特殊なものになり、肉がパティっていうまたさらに特殊なものになり、パティとバンズがあるからハンバーガーであるみたいな、そういう関係性とはできてきますと。
(岡田)うーん。 (山本)なんとか伝わる?ここ。 (岡田)いや、伝わんないな。 (山本)伝わんない? (岡田)えっと、肉とパンがバンズとパティになった時に、それは対立してるのかな。
(山本)互いを規定する?規定するっていうのも、なんか初めて出てきた言葉だな、今回。 (岡田)確かにね、そっか。対立っていう言葉も、多分いわゆるいがみ合っているとか、戦い合っているとかっていうことではなく、お互いの存在が関係し合っているとかもっていうと、
(山本)例えばAとBがあった時に、AがBによって規定されるとか、その存在が確立するし、BもAによってその存在が確立するみたいな関係性にあることを対立っていうふうに言うよね。 (岡田)なるほど、相互に依存しているものも対立と呼ぶ? (山本)そうそう、そんな感じ。
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(山本)はいはい、なるほどね。そうなると、その構成要素であるバンズとパティンっていうのも、このヘイゲルの言葉で言うと対立っていう概念に含まれるよと。 (岡田)そうですよね、そういう意味です。
(山本)で、言うと、ごめん、ちょっとアリアストリかもしれないけど、最初の「才」の方で、最初の「りんごパンにいく」っていうふうな感性で理解できるもの、というか、目で見えるものと、さっきその「自由」「不自由」みたいな話をしていたけど、
(岡田)「自由」と「不自由」っていうのは、これはどっちになるんだ?これ対立な感じがするんだけど。 (山本)いいところに引きがつきましたね。
(山本)「自由」と「不自由」で言うと、いわゆる「自由」っていうのがあって、それ以外のものを「不自由」だっていうような関係じゃない?
(山本)言っている通り、これは対立なんだよね。で、なんで僕がさっき「自由」と「不自由」みたいなことを言ったかっていうと、その「自由」っていう概念を規定するときに、
(山本)例えば「正義」みたいなものを思うと、その関係性って、正直、分かりづらいと思うんですよ。だから、目に見えるものは比較しやすいんだけど、
(山本)「自由」っていう概念と何を並べていいかって、正直、イメージしづらいと思っていて。 (岡田)はいはい。
(山本)なんで僕、あえて「自由」と「不自由」って言ったんだけど、確かにこれは「再生」というよりは「対立」。
(山本)自由な状態、例えば、自分で「職業選択の自由」とかって言うけど、好きな仕事につけるみたいなことが「自由」だし、それができない、くぐられた仕事にしかつけないんだったら、それって「自由」であるっていうのは、
(山本)仕事につけないっていうことでお互いを規定している。みたいな意味で、対立構造だなって思います。
(岡田)例えば、「限定」とか、そういう言葉があったとするとそれは「再生」なのかな?もしくは「自由」と「正義」の方が「再生」?
(山本)お互いの関係を意識していない間では、全部が「再生」になるんだよね。
(岡田)そうか、相互依存でもないし、別にそういう、いわゆる、うちらが理解している対立、反対言葉みたいなのでもないってことは「再生」?ただの「再生」?
(山本)そうそう。これはさっき言った通り、まだみなさんパンツ一枚履いたぐらいなのね。
(山本)だから、例えば、ハンドルとブレーキとミラーとかがあったときに、僕らはそれを聞くと「連想ゲーム」で車って思ってしまうと思うんだけど、
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(山本)でも、要はその同一性から一歩進む段階でいうと、ハンドルがあり、ブレーキがあり、ミラーがありとしか認識できないのはどうか?
(岡田)これむずい。そっか。ごめんね、途中だけど、「再生」っていう言葉と対立っていう言葉ですら、さっきの話で言うところの自己否定性みたいなものを備えちゃってるんだね。
(山本)今さ、ハンドルとブレーキとミラーって言ってくれたけど、これは基本的には再生だと思うんだけど、
(山本)ただ、車っていうものを認識しているうちらからすると、もう車を構成する要素になっちゃうから、対立っていう相互依存の概念を入れてもいいじゃんって思った。
(岡田)うん、そうだよね。 (山本)っていう意味で、すごくこの再生と対立っていう言葉すらも、かなり相対的な概念なんだなっていう。
(岡田)そう。 (山本)だから、そういう意味でさっき「上げ足取りかもね」とは言ったんだけれども、
(山本)そういう意味で上げ足を取ろうと思えば取れるかもしれないけれども、そこは相対的なものであるっていうふうにすると、
(山本)今やっぱりこの再生と対立の説明ですら、とりあえずこの矛盾っていうものにたどり着くための手段だから、こういうふうに理解してねっていう、
(山本)例えば無視の一つみたいなレベルで理解しないと。 (岡田)そうだね。 (山本)うん、と思った。ごめん。ごめんというか、なんか聞いてみても、むちろん良かったなぁ。
(山本)でも、今話せて良かった。さっき言った通り、僕は皆さんが裸なところを一歩一歩進んでいきますと。兄貴は今階段の上から見ちゃったんだよね。
(山本)要は車っていう、統合されてるとか全体性を思った中で、ハンドルとかミラーっていうのを考えるから対立してるじゃんとか関係してるじゃんってなるんだけど、
(山本)あかまでも、ハンドルの同一性とブレーキの同一性とミラーの同一性しか知らない人は、それの関係性っていうのは想定できないんですよ。
(山本)何言ってるか分かんないかもしれないけど、その地点に立つと、それが関係しているっていうことはまだ生まれてこないんですよね、再生においては。
(山本)なんとか伝わる? (岡田)大丈夫。この例ですら仮染のものだっていうことを理解した。 (山本)仮染、全部仮染。だからもう、僕はヘゲル読んで改めて仏教的だなって思ったんだけど、言葉にとらわれちゃダメなのよ、完全に。
(山本)面白い、よかったよかった。ごめんね、ちょっと話の流れは… (岡田)聞いてもらって、よかったよかった。もう一回言うと、特別の中に再生と対立があって、その同一性から一歩進んだ地点で言うと、
パンと肉は差異です、違いです、何も関係してないですと。ここにもう一歩進んで、対立とか関係性とか見えやすそうとか、ハンバーガーとの想定すると、パンっていうのはバンズっていう特殊なものになり、肉はパティっていう特殊なものになり、
24:18
バンズとパティが関係しあったり、お互いを定義しあったりするっていう地点にたどり着きますと。だから対立っていうのは、さっき説明したことに近いんだけれども、あくまでもその同一性っていうところが始めるから、
ある同一性を持つ2つのもの、要はその同一性っていうのはさっき言った通り、例えばリンゴはリンゴであるって、何の情報も増えてないよねっていうことなんだけど、そういったものが2つ、
相並んだときにその同一性と再生が統合されることだっていうふうに言うの。これも例だから誤解を招くことを承知で言うんだけど、例えばハンバーガー、これまではパンと肉で話したけど、
ハンバーガーの中にもいろんなハンバーガーがあるじゃないですか、例えばフィッシュバーガーもあればつき身バーガーもあればベーコンバーガーもありますと、それぞれ独立してるじゃない、存在として。
ここで仮に問うわけで、ハンバーガーの本質とは、問うたとすると対立関係が生じますよね。対立っていうのは、要はじゃあハンバーガーって肉でもいいの、フィッシュバーガーって魚だけどこれもハンバーガーなのとか、
肉の形ってパティじゃなきゃダメなの、ベーコンでもいいのとかっていうお互いに、お互いを規定するような関係性とかが生まれてきますと。
これそうだね、さっきの階段を踏んでないと難しいね。 そうか。 そうだねそうだよね。 これってあれだもんね、例えば肉のハンバーガーとフィッシュバーガーは、これ喧嘩してるわけじゃなくて、
ハンバーガーとは何かと問うたときに、ハンバーガー肉のじゃないとダメだよって言ってるわけでもなく、肉のやつもフィッシュバーガーもハンバーガーと呼ぶんですよねにすれば、そこにはある意味相互依存というか、ハンバーガーという本質を構成する二つの要素というだけだし、
肉しか認めないとすれば、フィッシュはすませんみたいな話っていう意味の対立ってことで、どっちに転ぶかまだ分からない状態。 分からない状態、それを決めるのは次の状態だから。
今はまだそれがお互いに関係し合ってるとか、お互いに規定し合ってますよねっていう状態で、すごい緊張関係が出始めましたってことだよ。ハンバーガーとフィッシュバーガーとベーコンバーガーは、どっちがハンバーガーなんだみたいな。
はいはいはい、どっちがハンバーガーなんだみたいな、みんながお互いに疑心悪気になってる。 ドキドキしだす。
27:08
でも本当その通りで、だから最初に同一の段階で、ハンバーガーはハンバーガーであるって言った時の言葉と、ハンバーガーはフィッシュバーガーだり、月見バーガーだり、ベーコンバーガーであるって言った時の再生、違いっていうのを加えて、
ハンバーガーとは丸々だっていうことを言おうとした時に、ここに対立とか相互の関係が発生してきます。
対立って言葉やめてほしい。
そうね、多分ね、原点同一語かな?とかの意味だとまたちょっと違うのかもしれないけど、でも対立っていう緊張関係とか、お互いに依存し合ってるとかっていう意味ではそういう言葉ではあるんだよね。
うんうんうん、確かに確かに。
で、またさらにここから面白くて、ヘーギルによると、物事が対立の段階、同一性に来て、区別の中でも再生を超えて対立に来て初めて肯定的なものと否定的なものが出ますっていうふうなことを言う概念として。
だから対立の第一段階においてはまずハンバーガーっていうものが肯定的なものとしてあり、それをある種、ハンバーガーで言うと僕らはパンがあってパティの肉があってみたいなものを想像するじゃない?
そう、一般的にはそうだね。
そう、一般的に。でもそこに否定するものとしてフィッシュバーガーとかベーコンバーガーが存在するんだけど、それあくまでも横並びになってるだけ。で、対立の度合いとしてはまだまだ弱いですよ、まあそういうのもあるよねみたいな。
うんうん、対立の度合いっていう言葉使うんだね。
対立の段階がいくつかあるよっていうふうに言うんだけれども、今のが第一段階、要はまあ違い性、再生よりは少し関係してるんだけどまだ弱い横並びの段階と、その次の段階としてこれらの存在とか対立はしてるんだけれども、
メタ的に見るとあくまでもそれぞれがそれぞれに対して対立してる。要はベーコンバーガーとフィッシュバーガーがお互いに対立しているだけで、どれが本当のハンバーガーだとかどれが本当のハンバーガーじゃないとかは言えない状態。
さっき兄貴が言ってくれたような状態なんだけど、っていうと、この段階では肯定的なものと否定的なものが入れ替え可能だみたいな話をするよね。
確かに確かに確かにそうだね、お互い喧嘩して勝った方が本物のハンバーガーだって状態だもんね。
そうそうそうそう。
まあ例えばね、一個しか決めないとしたら。
でもどれが本当のハンバーガーだとかはまだ決着しないんだよね、この段階では。
そうだねそうだね。
30:00
で、じゃあなんでこれらの各種バーガーがお互いに否定し合うかっていうと、実はそのお互いに否定し合っている、フィッシュバーガーがベーコンバーガーを否定してとかだけじゃなくて、
実はその同一性のハンバーガーはハンバーガーであると最初の本質のところが、今の世にと言うと、そもそもその同一性って絶対的否定っていう、要は内容が何もない空虚なものだって話だったじゃない。
つまりそこが空虚で何かよくわかんないのに、そのハンバーガーという概念があるとかそれに基づいて対立しているから。
はいはいはい、なるほど。
本当はないものの下で対立するっていうよくわかんないことが起きてるよねってことだよね。
そっか、そこを決着するルールは存在しないですよって最初に言っちゃってるもんね。
お前らなんで喧嘩してんの?みたいな。
そっか、あの、すんごい真面目に野球やってて、点数取ったら勝ちだと思ってたけど、実はそんなルールは存在しないよみたいな。
俺たち何のためにこの球打ってるんだっけ、投げてんだっけみたいな話だよね。
そう、そんな感じ。
だから実はあれが何もないじゃん、そこに。でも対立してるじゃんみたいな。
うん、そこは本気になるよね。勝てると思っちゃうというか、勝たなきゃと思っちゃう構造が存在してそう。
面白そう。
っていうところがあって、なので本当は何回もわかんないんだけど、存在とか概念同士が対立してるみたいな状態が、この第二段階の対立ですと。
はいはいはい。
実はそのもの同士とかが対立してるみたいな話は、あくまでも現実世界の話、いわゆるその、誤性レベルの話なんだけど、
さらにその今の第三段階の対立として、概念に持っていくと、要は、
同一性と多様性の対立っていうものと、再生の、要は違い性の対立っていう、両方を含んだ対立っていう構造が出てくるよねっていうね。
つまり、横のフィッシュバーガーだ、ベーコンバーガーだ、ツッキミバーガーだっていう対立とが違いと、
そもそもハンバーガーっていう一個のものが、実はフィッシュバーガーもベーコンバーガーもあるっていう、
「た」、「いち」と「た」の違いがあるっていう、横同士の違いと縦の違いの2つの構造があるよねっていうことを言い出すのね。
これはあれか、さっき言っちゃった野球でいうと、点取り合戦をしているっていうのが、これ再生だね、の話で、
結局ルールなんだっけみたいな話をしているのが同一性のところみたいな話。
近いのかな。
近い。だからAチームとBチームは戦いあって、俺らが良い点を取ったぞって言うんだけど、
33:01
AチームとBチームもそもそも野球とは何かとか、このゲームが勝つ条件とは何かっていうことを知らないみたいな。
状態が全体としての対立っていう球場を見ている観客ってことはあるのかも。
そういう感じ。とか野球という概念そのもの。
俺を定義してくれって野球っていう概念を言うんだけど、でも誰も定義できないから野球という概念が揺れを受け続けるみたいな。
そんな感じ。
これは実はヘイディルの弁償本の時にもお伝えしたんだけれども、感性、感覚的知性か、というものが知性とか合成になっていくみたいな話の中で、
知性は最初は目の前のものを1個だと思うんだけど、いろんな属性を付与するっていう多性、多くのものがあるっていう性質を付与するっていう、
だから一と他がものの中で矛盾するというか、混乱するみたいな話をしたと思うんだけど、そこと近い構造があるんだよね。
はいはい。
もうそもそも規定されていない存在自体なものを知性が捉えた時に、その一側面を固定させるのが知性だよみたいな感じだったもんね。
そうそう。
だから、例えばハンバーガーでも自由でも何でもいいんだけど、本来1個のハンバーガーっていうものは当然1つのものとして規定できるはずなんだけど、
イデアがあるはず、ハンバーガーのイデアがあるはず。
ハンバーガーのイデアがあるはずなんだけど、そのハンバーガーのイデアっぽいものに基づくフィッシュバーガーもベーコンバーガーもハンバーガーだった時に、一性と多性っていうものが矛盾というか、矛盾あるってことは対立するんだよねやっぱり。
これプラトンのイデアの時にハエットが説明してたさ、動物のイデアは矛盾するみたいだね。人間、いわゆる4本足の動物と2本足の動物ってなった時点で動物のイデアは崩壊するというか、定義不可能みたいな話だったけど、それにちょっと近い感覚が今。
そうだね、そうそうそう。だからそういう意味で対立している概念同士がお互いがお互いを、まさにここに来て排斥するっていう、お互いに退け合う運動が出てきます。
だからハンバーガーで、フィッシュバーガーが俺はハンバーガーだっていうと、肉っていう概念がどっか行っちゃうし、ベーコンバーガーが俺がハンバーガーって言うと魚っていう概念がどっか行っちゃうとか、あるいはハンバーグっぽく肉を成形するっていう概念がどっか行っちゃうみたいな、
っていうことが起きます。だからここまで来て初めて、その横並びにそれぞれのものがあるんじゃなくて、全体の中で他者を通じて自分を共通する。
36:08
要はフィッシュバーガーと魚だからベーコンバーガーの俺こそが本物のハンバーガーであるとか、みたいなことがハンバーガーの中で起きます。みたいな感じで、その概念同士がこうやって自分を主張しながらとか相手を否定しながら、
散りづけ合ったり自分を主張したりするっていう動きがここに来て出る。これを対立の第三段階だみたいな意味だね。
はー、なるほど。はいはいはい。面白いね。なんかわかった気がする。
だからヘイゲルの考え方に従っていくと、世界が大混乱するのよ、なんか。めちゃめちゃ喧嘩してるでしょ、概念が。
うん、そうだね。喧嘩するし、確かにあらゆるものにこれを、これをやっていこうとしたらやっぱり崩壊するだろうけども、今回の趣旨が矛盾とは何かということを説明するということに考えると、すごくゴールに近づいている気がする。
あー、そうだね。そうだね。
この段階はまだ矛盾ではないの?この三段階目がこれが矛盾ですよ、みたいな話ではあるの?
えっとね、まさにそこはすごくいい観点で、この第三段から対立に至って矛盾の、なんだろうな、卵が出てくるというか、矛盾に繋がるきっかけがここから出てくるよっていう風な言い方をしてるんだよね。
そっかそっか、まだこの状態?このお互い自分を強調するためにさ、お前はハンバーガーじゃない、じゃフィッシュバーガーをさ、ぶん殴ってるみたいな状態っていうのは、まだ矛盾ではないんだ、これ。
そう、まだ対立なの。
これまだ対立?
これまだ対立。
へー。
なぜかっていうのが、その次なんだけど、ここに来て、新しい概念、さらに新しい、しかもめちゃくちゃ難しい、よくわかんない概念が出てきて、それが、これまでの排斥するとか、まだ対立かだったらいいじゃん。
これ出てくるのが、即かつ対自的に肯定的なものと、即かつ対自的に否定的なものっていう概念というか、言葉が出てくるのね。
ちょっと漢字説明して。
即だから、砂町とか時間を動かずにとかって即、即劣の即だよね。かつは、&。かつ対自的、だから自分に対して肯定的なものと、同じ形で否定的なものがあるよ、みたいに言って、それぞれが対立してるよ、みたいなことを言うのね。
でもここまで来るとちょっとわかりづらいし、ちょっと今日の話もすでにわかりづらいと思うので、ちょっと一回見て、次またちゃんと説明しようかなと思います。ここは。
39:00
(岡田)了解です。
(山本)ごめん、わかった気になってすいませんでしたって感じで。
だから、ヘーゲルが難しいみたいな話も、僕もまだ全然理解できるって正直思ってないんだけれども、いわゆるゼロポイントから始めて、リンゴはリンゴである、もっと言うとヘーゲル的とか論文とかでは、XはXであるみたいなもっと抽象化した言葉で言われてるんだけど、
XはXであるんだけど、そのXっていうのは全く何も情報量がないとか存在していないとか空虚であるみたいな、その地点から考えを進めていくとこうなりますよねっていう、なんか理解がやっぱ必要なんだよね。
逆に言うと僕らはもう、いろんなものを統合したりとか、関係性を結びつけちゃったりとか、そういう思考にやっぱり基本的にはそれで生きてるから、そうじゃない空っぽの、確かに赤ちゃんみたいに目の前にあるリンゴとみかんと果物、あ、違う、梨が、
それぞれ全く独立した存在としてそのものとしてあるよねみたいなやっぱり感覚ってなかなかなりにくいと思う。やっぱり果物があるよねって言っちゃいたくなるじゃん。
うちらはね、もうそういうふうにカテゴリーするように、しかも教えられてるというかね、自分たちで別にそれを掴み取ったわけじゃなくて。
そうそうそうそう。だからそこが面白くって、やっぱり人間って普通にすると、みかんはスッパイシーとか、リンゴが甘くてとか、水々しくてとかっていうのもわーって一気に考えちゃうんだけど、そう考えた時点で負けというか、
こういった実学的なことをちゃんと理解しようと思うのも障害になっちゃう。ある意味そうだよね、みかんがスッパイとか、ある意味ステレオタイプなものっていうのは、
もしかすると、今やってるこういう対立とか、無知性、それを乗り越えた末に一応一般的にそうだと言われてるものを理解してるというか、感性で覚えてる一切ないみたいな話。
ある種、この知恐とか知性を退化させて、もっと素朴な知性で考えた時に、こういう風に言えますよねみたいなことを、ヘイゲルがやっぱりやってるんじゃないかなと思う。
それはやっぱり当時の難しいことだよね、たぶんね。
そうだと思う。
別にヘイゲルが時代切れた人みんな赤ちゃんだったわけじゃないもんね。
そうそうそう。むしろこういう考え方をそもそもしてない。考え方を相対化することすらやっぱり難しいというか、当時やってないから。
大発明というか、大立学者あるゆえんってことか。
そうだね、そうだと思う。
42:00
なので、ちょっと最後雑談になっちゃったんだけど、今は矛盾というのをたどり着くために、同一性というのをやって、区別というのをやって、その中の再生と対立の第二段階まで来たから、次はその第三段階との矛盾について話していこうかなと思います。
次の階段に進みたいと。
これみんな聞いてくれるかな、大丈夫かな。
たしかにね。でも面白かったと思うよ。でもね、いいんじゃない。たまにあるこういうイデアとか、空とかとちょっと近い、ちょっと概念難しいかいっていう感じで、面白いかなと思うので。
また次回もどんな発見があるか矛盾にたどり着きたいと思うので、また次回もよろしくお願いします。
はい、お願いします。ありがとうございます。
(♪ BGM)
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