1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #273 ウパニシャッドから仏教..
2024-12-08 46:35

#273 ウパニシャッドから仏教へ。ブッダが捉えた「縁起」という世界観

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回で一応ブッダ以前終わりということだったんですけれども、今回はその流れでなんかブッダの話も少ししてくれるよというような感じでした。
そうですね、ブッダというか正確には初期仏教みたいな感じではあるんですけど、
やっぱり今回せっかくフェルマン号とかリンネとかゲタツっていう、僕らからするとね、いわゆるちょっと仏教的じゃんって思えるような話をしたと思うんですよね。
そうね、完全に仏教ワードだよね。
そうそう、それがね、もともとウパニシャッドにあったんだよって話がまあ、原点でもあり、今回伝えたかったことでもあるんですけど、
それがなんかこう、仏教の方にってどうなったの?みたいな話もそうだし、実はね、そこからよくこのそれで哲ラジオに出てくる演技みたいな話ってあるじゃないですか、演技説とか、
仏教で演技っていう言葉があったときに、なんかそれって何なの?みたいな話を、今だったらもうちょっとちゃんとできるんじゃないかなと思って。
あれでもね、昔仲良くの話するけど、途中で諦めたからね、分かんなすぎて。
そうそうそう、そうなんですよ。なので、ちょっとそれを補足的にというか、流れ的にちょうどいいかなと思って、その演技っていう話と、
さあ前回ちょっとね、これもお伝えしたんですけど、よく仏教ってさ、諸行無常、諸法無我みたいなさ、
諸行無常はね、平家物語とかでよく聞くと思うんだけど、そういう言葉もあるじゃないですか。
一応それも仏教界のときにちょっと触れてはいるんだけど、やっぱりね、単体で取り上げても分かりにくかったなって思ってて。
で、今回ウパリシャットのね、アートマンとかグラフマンとかもこんだけ散々話したんで、ちょっとその流れも含めて、諸行無常って結局何だったの?みたいな。
えー、なんかそんな、何だろうな、仏教的には重要ワードなの?諸行無常とか。
そっか、ごめん、そこだよね。
なんか、仏陀の会とかでも、言葉としては聞いてて、そうだよねーみたいなさ、悟り大事だよねーみたいな話との関連で、
ふわっと仏陀とか仏教の世界観として丸々とふわっとその辺の言葉が紐づいてるだけで、その言葉自体ってイメージないんだよね、全く。
ごめん、言われてみるとそうだよね。ごめんごめん。
03:02
言われてみないでよ。
失礼しました。
そう、あの、確かに、仏教的にはって言っちゃうと、仏教もものすごい広いのであれなんですけど、
やっぱりいわゆる仏陀が教えたこととか、伝えたことの中で、その諸行無常であるとか、無我であるみたいなことって、ほんとにポンポンの根本みたいな、
そういう、基本だからこれをお題に仏教のいろんなことって考えられてるんだぜぐらいのことなんだよね。
なるほど。
もちろんね、諸行無常みたいな言葉は後の人が作ったものだろうけれども、やっぱりあらゆるものは無常であるとか、無常っていうことを知れみたいなことは、実際仏陀はもう言ってるらしくって。
はいはいはい。
なので、ごめん、今回ね、その突然諸行無常とか出すんですけど、いわゆる仏陀的な考え方を知るときに、それをつかんでおけばなんとなく仏教ってこういう世界観だよね。
こういう人間観だよねってことがわかるなと思ったんで。
あー、なるほどなるほど。
そういう意味での演技とか、無常とか、無我とか、そういう話をしたいと思ってますっていう感じなんだよね。
これは先にごめんなさいなんだけど、台本がんばって作ったんだけど、どうしても2つに別れちゃって。
結局ね、長い。
結局ね、2回目になっちゃうっていうふうに思ってるのと、演技の話はもうちょっとこれからしていくんですけど、
わかりやすい話とわかりにくい話を2つするんで、ここまではわかったとか、ここはわからんみたいなところも含めて、兄貴にも評価というかですね、フィードバックもらえると嬉しいなと思っております。
はいはい。まだハエトの主観だからね、そこはね。
まだ主観。これは主観なんだけど、いろいろ調べてたんですよ。
例えば演技とか、仏教的に言うと因縁とかっていう、日常的にも因縁があるとかって言うと思うんですけど、
因と縁って分解するとその原因の因とか、それによって起こるっていうふうな結果みたいな話なんで、因果とかと近い話なんだけど、
でもね、実はその仏家自身が演技っていうのは本当に難しい話なんだと。
もし演技をわかったとすれば、どういうことかっていうと、もうそれはね、完全な悟りを開いたのと一緒だよ、ぐらいに弟子に言ってるらしいんですよね。
だいぶあれだね、ハードな押し方のこと。
06:04
僕の主観でもそうなんだけど、仏家自身が弟子にそう言ってるらしいんですよ。
そんなレベルの話なのね。
そんなレベルの話。
なので、ある種分からなくて当然みたいなことではあるんだけど、
言葉で理解しようと思うと、こういうことだよねとか、
逆に言うと、なんとなく演技っていうことがわかると、
ルパネシャットの世界観のあらゆるものが繋がってるみたいな。
あったと思うんですけど、
それってこういうことでも言い表せるのね、みたいな。
そんな関係もあると思うんで、ちょっと今回それをお伝えしたいなっていうふうに思っております。
ちなみにね、今回のその話なんだけれども、
僕はそのいろいろ見て学んどってもそうなんだけれども、
日本で仏教を布教してる人たちってもちろんいっぱいいるんだけれども、
その他に、日本テイラワーダ仏教協会っていうのがあって、
全然僕はそこもちろん無関係なんですけど、
名前なんだけどこれ、スリランカのお坊さんなのかな。
アルボムレ・スマナサーラさんっていう人がいるんですよ。
80歳くらいのおじいさんなんですけど、
日本で結構いろんな仏教をしてて、
YouTubeとかで名前で調べたら出てくるくらいの人なんですけど、
その人がホームページにいろんなことをすごい丁寧に丁寧に書いてくれてるんですよ。
それこそ、語とは何かとか、仏陀は何を言ったかとか、
それこそ、今回言った演技とは何かみたいな話を含めて、
めちゃめちゃ丁寧に書いてくださってて。
テイラワーダ仏教っていわゆる、
よく言う定座部仏教とか症状仏教みたいな、
いわゆる初期仏教みたいな話なんだよね。
ああ、そうなんだ。
そういう仏陀の直接の教えっていうものを学んで、
それをみなさんに伝えてますよっていうふうな活動をしているところの、
ホームページとかYouTubeとかがいっぱいあるんで、
それを結構見たり聞いたり最近してるんですけど、
そこから取ってきたというか、参考にして、
今日の演技の話をしようと思っておりますよ。
さっきより分かりやすい話と分かりにくい話を2つ持っていきましょうって言ったんですけど、
まず分かりやすいところから話していくと、
演技とは何かっていう話を今日はしていくんですけど、
演技っていうのは現実的、
要は悟りの世界とかを一旦置いといて、
僕の日常を過ごす感覚で言うと、
09:00
いわゆる原因と結果の関係っていうぐらいの抑え方で言ったほうがOKなんですよ。
なので、いわゆる自然科学みたいな感じで、
薬を飲めば治るとか、
この熱を加えると鉄が溶けるとか、
そういうのあるじゃないですか。
それも演技だし、
あと論理的にAならばB、BならばCみたいな、
そういうのも演技だし、
うっぱりんショットでアートマンっていうものがあって、
それに善とか悪みたいなカルマがまとわりつくと、
生まれ変わるよみたいな話をしたじゃないですか。
それも演技なんですよね。
なるほど。論理的な考え方っていう意味でってことはね。
そうそうそうです。
そういうふうに広くくれるんだけど、
じゃあ仏教的に取り下げていくとどうなるかっていうと、
その4つのパターンがあると考えるらしいんですよ。
ごめん、その前にさ、
演技ってそもそもう、
うっぱりんショットよりは仏教の概念ってことでいいんだよね。
そうですそうです。
よりはっていうか、完全に仏教の概念ってこと?
完全に仏教の概念。
オッケーオッケーオッケー。
仏教に乗って発展した考え方、
発展っていうか生まれた考え方なんだけど、
演技には4つのパターンがあって、
1つにはAがあるからBがある。
例えば火があるから煙がするみたいな話ね。
2が、Aが生まれるときBが生まれる。
生まれる。
化学反応が起こるときに熱が生まれるみたいな、一緒に。
それもあるかな、それも確かに出すし、
あと3番はこれ逆で、
AがないときはBがない。
火がないところには煙が立たないみたいな話だよね。
あと最後が、AがなくなるときはBもなくなる。
2番の反対だね。
ガソリンがなくなったら車が動かなくなるみたいなさ。
そうね、確かに確かに。
順番に言うとね。
分かりやすい。
それも演技ですよと。
この4つのパターンはそれぞれあるんだけど、
これを突き詰めていくと、
要は全ての物事には原因があるっていう話なんですよね。
煙の原因は火だよねとか、
熱の原因は化学反応だよねとか、
歩くのはガソリンがあるからだよねっていう風に、
全て原因があるよねっていう風に突き詰めていけるんですよね。
12:02
タルトだよ。
あらゆる物に原因があるということは、
これひっくり返すと、
単物の根源なんてないっていうくらい見えてくるんですよ。
これは分かるでしょ。
今地球上にいる人間も辿れば一人か二人に行き着くみたいなさ、
そういう話だよね。
一つ何かはあるはずだって、
その人間もさらに辿っていくと何かあるはずだっていう、
終わりがないっていう。
終わりがない、無限に後ろに行っちゃいますよと。
さらに面白いのが、
原因って一つじゃない可能性っていうか、
むしろ一つではないんだよね。
目の前にリンゴがあるとするじゃないですか。
ある時に、リンゴなんで、
種があって花が咲いて実がなったんでしょうっていう風になると、
種が原因かっていう風になるんだけど、
当然リンゴの原因には、
お日様の光とか雨とか、
そもそも生えるだけ空間があったから、
リンゴが生まれたんだみたいな感じで、
いろんな原因というか、
リンゴが生まれるための原因というのを考えることができるわけなんだよね。
さっきのAだからBっていうよりは、
ABCDFGだからBだからZみたいな、
そういうだいぶ原因があるんだね。
そうです。
そういう風にどんどん遡っていくと、
宇宙の始まりとか万物の根源とかに行きそうなんだけど、
でも仏教的にはそれすらも何か原因あるでしょって、
要は止めちゃわないんだよね。
面白いのが、
何が原因かみたいなことは考えないんですよ。
何が原因かっていうか、
一番根本の根本の原因って何?っていうことはあんまり考えなくて、
それは別にどうでもいい。
要は最大の目的で、
生きてる中での苦しみとか辛さをなくすってことが目的なので、
別に自分の本当の根本の根本の原因が何かを知ると、
辛さがなくなるかって別にそこは関係ないよねって考えるんですよね。
すごい割り切り。なるほど。
割り切り。そこは問題にしません。
だからこそ万物の根源とかじゃなくて、
あらゆるものが影響し合って繋がって存在してる。
例えば当然兄弟っていう意味で言うと、
兄貴がいる後に僕が生まれてるってわけなんだけど、
でも僕がいるから兄貴は兄貴という存在であるっていう、
要は相互関係があるわけじゃないですか。
15:00
っていうふうな感じで、あらゆるものが繋がっているとか、
そういう中で存在するっていうことが演技の考え方なんだよね。
なるほど。
そういう意味で言うと演技ってそういうふうな、
万物の根源を想定しないんだとか、
みたいな感覚っていうのはわかるかな。
そこまではどういう世界観を想像してるかっていうのは、
想定してるかっていうのはわかった気がするね。
OK、ありがとうございます。
ここからが本番とかちょっと難しい方の話になってくるんだけど、
そういうような世界だとしたときに、
ブッダは演技っていうものに基づいて、
その世界って徹底的に考え尽くしてくるんですよ。
そうなんだ。
万物の根源みたいなものは追求しないとはいえ、
この世界観でこの世の中ってどうなってんだろうとか、
人間の挙動とか物事ってどうなってんのっていうのはめっちゃ考えてるんだね。
そうそう。
すごく現実主義なので、
現実じゃこの演技っていう考え方で見たら、
世の中どうなってんのってめちゃめちゃ考えるんだよね。
なるほど、なるほど、そっかそっか。
ウィンドウズとか立ち上げて、
プログラムどうなってんだろうっていうのを全部解析したみたいな感じだね。
そうそうそう。
ちょっと見てくるんだけど、
例えばたとえ話でスマナーサーラさんが挙げてたのが、
例えば暗い部屋に入りますよと、
なんかちょっとゾワッとしたとかってのがあったときに、
なんかお化けがいたかもとかっていうことがあったとしますよね。
っていうときに、
お化けがいるっていうのが自分がゾワッとした原因だよねっていうのでもいいんだけど、
それでいいんでしたっけっていうふうに考えるわけだよね。
はいはいはい。
お化けを探していくのもいいけど、
お化け以外の原因もあるよねとか、
いろいろちゃんと見ていくと、
きっとそれはお化けではないであろうっていうことに、
それだったらたどり着けますよねと。
っていうときに、
この演技っていう考え方でいくと、
お化けが原因じゃないかっていう人が演技の世界では生きてるんだけど、
正しい原因とたどり着いてないっていう意味で、
正しい知識がないっていうふうな感じなんだよね。
そうじゃなくて、
例えば別のこの原因の方が正しいってすることを、
より知識があるっていうふうに想定すると、
仏教って、
僕がさっき言ったように、
生きてる中で苦しむのが嫌だとか、
その辛さを無くしたいって思ってるわけなので、
生きてる中で辛いっていうことに対する原因ってなんだっけっていうのを、
18:03
決めて考えていきますよっていうのが、
仏陀がやったことなんだよね。
なるほど、なるほど。
それが実は徹底し合ったのが、
十二演技って言われてるような考え方なんですよと。
そうなの?
十二演技って言葉自体聞いたことある人もいると思うんですけど、
十二個の演技で十二演技なんだけど、
それがいわゆる生きている辛さっていうものの原因を、
時強いで突き詰めて考えたら、
十二個にまとまりましたっていうふうな話なんですね。
なるほど、なるほど。
だからその、お化けだっていうのは一番たぶんしょぼいというか、
十二演技的には全然しょぼいよみたいな、
もっと深みあるんだよっていう、
そういうツールでもあるのか、ある意味ね。
ツールだったりとかそういう概念というかね、
そこにたどり着くためのね。
そういう概念だし、実際にブッダが、
ブッダよりも少し後に生まれた考え方じゃないかみたいなのもあるんだけど、
少なくともそういう初期の人たちが考えた結果、
十二個でまとまりましたよっていうふうな教え。
へー、はいはいはい。
ここから十二演技って何って話をしていこうと思うんだけど、
これが分かりにくい話で、
なんでかっていうと、後半、
僕らが生きてる世界を超えちゃうんですよね。
え、そうなの?超えるんだ。
それこそ前世みたいな話とか、生きてる生命、エネルギーとかじゃないんだけど、
そういうものが含まれてくるんで、
なかなかそれは、まっすぐには受け取りにくいとは思うんだけど、
自分ってどうしてつらいんだろうって思って、
その本当の原因何かって考えていくと、
現世を超えるんだね。
そう、現世を超えちゃうの。
当然ね。
割と軽く超えちゃうんだよね。
へー、ほいほいほい。
そういうのも含めて、
でもこんなことを考えたんだ。
しかもそれが演技の世界観に基づいているんだってことを
感じていただきたいっていう思いで話していくんですけど。
なるほど、ごめんごめん。
ここで言葉の正義じゃないけれども、認識をチェックしてほしいんだけど、
演技っていうのが世界観だよね。
物事のAはBであるみたいな、
演技の関係みたいなのを4つに。
この世界観でこの十二演技っていうのは、
この演技っていう世界観の中で、
自分たちが生きているのがつらいと、
その本当の原因がお化けじゃないんだぞと。
本当は何なのっていうところを知るためのものが十二演技だから、
21:04
あらゆる、もちろんそれがわかれば、
いろいろ応用がきくと思うんだけども、
かなり限定したというか、
その考え方みたいな話なんだね。
十二演技っていうのがね。
もうそこから忘れてるというか、わかんない。
知らなかった。
そこちゃんとやっぱ使われてなかったのと、
限定したよりは、それが全てっていう感じなんだよね。
その仏教的な考え方からすると。
苦しみから逃れるからみたいな。
苦しみから逃れるから。
苦しいってのは結果なわけじゃん。
なんでっていう原因をとどっていって、
さっき言った通り、AがなくなればBがなくなるっていうことは、
その原因がなくなれば、生きてる辛さっていう結果もなくなるはずなのね。
まあそうだよね、原因を取り除けばっていうね。
なので、Bとしての原因って何っていうのを突き詰めたときに、
十二個できましたっていう話なんだよね。
なるほど。仏教的にはど真ん中の考え方ってことね。
ど真ん中。
本筋ですよ。
だからこそ、そんだけ十二縁起、十二縁起っていう言葉が出てくるんだけど。
わかりました。ありがとう。
早速ね、それを伝えていくんだけど、
まず、結果や原因にっていうふうに話をしていきますと。
最初の結果でいくと、
まず一番解決したいものは何っていうと、
それを置いて死ぬこと。
なので、老死っていうふうに置くんだよね。
要は、やっぱり人間の空心で基本的には死ぬことを避けられない、
そういう運命作られた生き物であるっていうことじゃないですか。
なので、死の恐怖とか置いていく恐怖っていうものを、
まずは結果として置くんだよね。
じゃあ、なんで我々置いて死ぬの?って言われたら、
なんでだって考える?
そういうもんだって思っちゃう。
そういうもんですって。
原因じゃないです。運命を受け入れすぎていく。
あえて考えないってあるかもしれない。
ちゃんとご飯食べてないとか、運動が足りないとか。
いろいろあるじゃないですか。
でも、仏陀というか仏教の人は次で直接言うんですよ。
それは生まれたからだと。
なるほどね。いきなりそこなの?
そこなの?
展開が早いよな。
生まれなきゃだって死なないわけじゃないですか。
待って待って。これ12演技ってさ、これを12回やっていくっていう意味?
これを12回やっていきます。
24:00
生まれたから死ぬんだよっていうのが1個目なの?
1個目です。
ご飯ちゃんと食べてないとかじゃなくて。
ちゃうちゃうちゃう。そういうのがなくて、
11番では2個目が生まれないです。
あと10個は生まれないためには、
生まれる原因って何?っていうのを探っていく。
え、だからそれで言うと因果因果、縁起縁起みたいな感じで、
12がまず今苦しいですっていうのが12みたいな話。
大いに死ぬのが苦しいですっていうのが12。
12で、11がそれなぜっていう11が生まれたからですよ。
11ってことで。
そうです。
OKOK。じゃあ12回だとビルを今上から下がっていってる感じですね。
そうそう。上から下がっていってる感じ。
今12回から10回に降りました。
OKOK。だから何で苦しいの?12。
生まれたからよ?11ね。OK。
そうです。
で、次。何で生まれるの?が10回。
お父さんとお母さんがいるからよ。
あのね、そう。
もうこっからちょっと厄介なんだけど。
もう厄介なんだ。
もう厄介なんです。
もう厄介なんだけど。
個別の存在を超えてるんですよ。
なので、今は何でこの人生生きてるのが辛いのっていうと、
自分が死ぬからだってだいたいやっぱりなるじゃない。
自分の人生なんで苦しいんだけど、
この10回くらいから自分っていう存在とかを超えた感じで聞いてほしいのね。
早いね。OKOK。
個別の存在じゃなくて概念的なものとして聞いてほしいんだけど、
じゃあ、何で生まれるの?生まれる原因なーに?っていうと、
これは存在というものがあるからだって話をするんだよね。
早いなー。うん。OKOK。
これを、ある、有って書いて有って言うんだけど、
つまり、存在というものが子供から亡くなれば、
生まれてくることもないじゃないですか。
なので、存在というものが生まれてくることの原因だっていう風に10回で言っちゃいます。
言葉ではなんとなくわかるよね。
わかる、うん。
今回の無我ってブッダが言ったよねみたいな話で言うと、
やっぱりそういうアートマンとかブラフマン的なある純粋な有みたいなもの、
もうすでにここで批判し始めてるんじゃない?
それがあるのが原因だみたいなね。
あると思ってるのが原因か、だからブッダ的にね。
そうですそうです。OKです。
ありがとう。じゃあ次、9回に下がりますよ。
じゃあ、物事が存在するのはなーぜ?って言うんだけど、
これを言葉では、執着してるからだって言います。
27:03
それを取るって書いて主って言うんだけど、
何かに執着すると存在として定着するっていう風な考え方なんだよね。
ほうほうほうほう。
これはウパレンシャトーだけど、
例えば善とか悪とかっていうものもそれにとらわれてると、
やっぱりそれがまた次の輪廻で生まれ変わっちゃうんだけど、
善とか悪も超えると、
要は純粋なアートマンとしてブラフマンに変えていくとかって話をしたじゃない?
ほうほうほう。
なので、この執着するっていうのがこの存在の原因なんだよっていうのは、
ちょっとウパレンシャトー的なんだけど、
仏教としてそれを取り込んだっていう風な話なんだよね。
考え方としては似てるよねっていう話ね。
そうそうそうそう。
なので仏教って執着を落とせとか、
執着するだとかっていうのはこの辺なんだけど。
で、今9回まで来たのかな?
次8回だね。
次8回で終わりますので、
今度は執着の原因って何?っていうと、
これが欲求だって言うんですよね。
欲があれから何かが欲しいとか何かに貰われてしまう。
これを従元義的には愛って言うんだよね。
漢字的にはラブの愛でいいんだよね。
漢字的にはラブの愛なんだけど、
僕らが普段使ってる誰かを愛するとかっていうよりは欲求とか欲望みたいな話を言います。
欲求はどうして生じるかと。
7回ね。
7回言いますと、
一気に2回分下ろうとするんだけど、
欲求では何で起きるかっていうと、
何かに触れてそこに思いが生じるからすると考えるんだよね。
何かを見ますと言うときに、
それがきれいだったら欲しいとか、
汚かったら透けたいとかって思ったりするわけじゃない。
欲求は何かに触れる、見るとか聞くとかっていう話と、
そこから思いが生じるみたいな1つの段階があるよっていう風に言うんだよね。
思いみたいなものを受ける、受。
触れるみたいなことをまさに触るの意味で、
触っていう風に言うんだよね。
触なんだけどね、読み方的には即って言います。
欲求の原因として何かに触れて思いが募るみたいなことがありますよっていうのが、
30:01
7階と6階の話だね。
だからこれ下ってるから、
順番に言うと欲求ガールドはなぜっていうのは、
きれいだと思っちゃうからとか汚いと思っちゃうからっていうのが7階で、
じゃあなんでそう思っちゃうのっていうのが6階で、
見ちゃうからとか触っちゃうからとか匂いするからみたいなのが6階っていう、
だいぶ細かく分けてるね。
最初の何でオイルの汁の奥から生まれたからだよとはちょっとだいぶ細かいけど、
ただブッダとかに言わせると、
たぶん同じような感覚で下ってるんだろうね、これはね。
たぶんそうだと思う。
ある種の認識が、正直言えば何かに触れる見るとかっていうのは認識するってことだから、
そういう認識をするっていうのは即っていうふうな話の6階です。
じゃあ認識が成り立つ2話っていう話をするんだけど、
これも結構ね、実はイメージしにくいとか、
僕も正しく言えてるか分かんないんだけど、
10階くらいで存在とか超えたっていうか、
存在が問題ないってこと言ったじゃないですか。
なんかもう現世とか超えてるよね。
そこを超えてるけど。
そこを超えちゃったんで、
何かを認識するとかって普通に考えると、
それは目があって脳があって神経があるからとかって言うんだけど、
そういうのももうちょっと超えてるはずなんですよ、考え方的には。
そうだよね。物理的なものはもうすでに特に超えてる感じだよね。
そこは大丈夫だな。
とはいえ、何かが認識をするには、
いわゆる身体的な働きとか、
心的な働きっていうのは必要だよねっていうのがあって、
それを五感プラス心みたいな感じで、
6所、6つの所。
いわゆる五感プラス心みたいな感じで言うんだよね。
なるほど。さっき6階のソックだよね、触るっていう。
そこで見るとか聞くとか、
臭いって話をしちゃったけれども、
その話はこの5階でしてるわけね。
そうですそうですそうです。
そういう期間があるよって。
で、そこが今5階で4階に下がったときに、
何でそういうふうなものが働くかっていうと、
全然目だけとか耳だけあっても、
聞いたり見たりっていう働きは起こらないわけじゃないですか。
目玉がひとつ転がっても何かそれが見てるわけじゃない。
カメラのレンズだけあってもって話ね。
そうそうそうそう。
なので、それがちゃんと繋がって、
33:02
そういう働きを生じさせている状態。
そういうものが認識のためには必要だっていうところで、
それを名前の名と色っていうので、
藐識っていうふうに呼ぶんだよね。
そういうふうな繋がってとか、
それが働くような状態になっているってことが、
認識の原因だっていうふうに考えます。
わー、なるほど。
ここまで4階できて、あと3つなんだけど、
ここからは本当にちょっと抽象が高すぎて、
説明するのも難しいんですけど、
さっきみたいに体とか心が働く状態になっている、
その原因っていうのが、
原因っていうのがわかんないんだけど、
それの元になるのは、そもそもの認識作用という概念。
あー、ほうほうほう。
これまでは言ってもまだ、人間がとか体がみたいな話をしてたんだけど、
そもそも認識するという概念自体があるじゃないかと。
ということを、意識の識っていうふうな話で言うんだよね。
おー、識。はいはい。
で、なんでそんな認識するっていう働きが生まれるの?
うんうんうん。
これって、ウパリシャットで言うと、
ブラッハマンと一つになると意識とかも超えちゃうとかって言ったじゃない。
うんうんうん。
だからブラッハマンの世界はこの認識作用がないんだよね。
あー、そっか。なくなるというか、確かにないね。
ない。なので、今2階くらいまで来てるんだけど、
その2階は何かっていうと、
これがね、いわゆるエネルギー、
エネルギーって言っていいのかな?
そういう何かをしようという意欲とか、
まさにこれがカルマなんだけど、実は。
あー、そうなの?
物事がそのようになる力みたいな、
そうとしか言えない働き用は生まれようとか、
あとは、ウパリシャットの時にブラッハマンが、
自分は熱になろうとか水になろうとかって言って、
世界が生まれようとかって話をしたんだけど、
そういう何かになろうという働きが、
その認識作用の原因なんだっていう風に言うんだよね。
うわー、もうここはむずいね。なるほど。
ここはちょっと無理だよね。ごめん。
僕もうまく説明できてなくて申し訳ないんですけど。
だから、なろうとか意欲みたいに言っちゃうと、
36:02
人間が考えるとか思っちゃうみたいなところに引っ張られるんだけど、
そうじゃない?もう人間の話超えてるし、
そう、超えてる。
いわゆるさっきの3階の式の話、
すでにかなり一般化された概念が、
順番に上っていくとその式があるから、
みたいなものがあってしまうから、
その次のいろんな語感みたいなものを統合して、
何かを感じちゃうものを生まれてるみたいな4階だったと思うんだけど、
そういう感じでもね、逆に上っていくと。
そう、上っていく感じ。
どんどん下ってるから余計分かりづらくて。
そういった式が何である、なぜっていうのを下ると、
もう意欲になろうとしてる感じみたいなね。
でも、何かしらのエネルギーがあるから反応しちゃうでしょっていうんで、
まあまあ何とか無理やり分かんなくなる。
ありがとうございます。
これが2階ね。
やっと1階に着きましたと。
その成ろうとするエネルギーって何で出てくるの?
それがブッダさんは、それが無知だからだと。
無知?
無知。
要は正しい知識がないからだっていう風に言うんだよね。
嘘?そこに行くの?
なんで最後なんか人間っぽいの?一人の。
そこはね、やっぱりね、難しいっていうかなんだろうな。
当然、これだけをただただ信じろって言っても難しい、無理だと思うんだけど。
これもね、要は無知とか本当の答えって無明っていう、明るくないっていう話なんだけど。
要は何も分からないとか、いわゆる混沌とかカオスみたいな感じでも近いんだよね。
これめちゃくちゃ俗っぽく解釈していい?今の話。
やってみて。
その物事について知らないから苦しんでるつもりかもしれないけど、
全部自分と関係ない外部のものに全てコントロールされちゃってるんですよ。
無知が故に。
39:03
そこを、ある意味無知じゃなくて、知る?ある意味ハックできる。
そこをハックすると、いろんなものが全部自分の思い通りになりますよっていう意味でコントロール可能になる。
っていう意味ではなんか分かる気がする。
そうだね。それが捉え方としては全然正しいと思う。
仏教的な話あると思うんだけども、やっぱりこう、何だろうな。
何か言ってる通りで、上ると下る、両方あるんですよ。
本当は上るから言うことが多いんだよね。
そうなの?
要は一回最初にあるのが無知です。
無知だからこそ何かをしようとか何かを起こさねばっていう風なエネルギーが起きるんですっていう風に一回から上っていくっていう話は結構多いんですよ。
ああ、そうなんだ。
ただ、僕ら普段生きる人よりは、いきなり無知ですとか知らないかって言われても、何について知らないかが分からないじゃない。
確かにずっと、11回ぐらいが分からなくなるかもね。
あれどこの話してたの?現世の話?それとも概念上の話?みたいなのが混同してるかもね。
そうそうそうそう。
逆に今回、おいて死ぬっていう12回から育ってたんだけど、そのぐらい途中もごちゃごちゃしたじゃん。
そういう概念だよねとか、よく分からん。人の一人のことを言ってるのか、全人類のことを言ってるのか分からんって感じはすると思うんだけど、
そういう大きな話の中で、無知っていう細胞、この無明を持つときに、
世の中の真理というか、なんだろうな、
まさに何か言ってくれたように、僕らが生きている世界で必要だったら本当にちっぽけで、
外に目を向けないと、このおいて死ぬとか、産まれる辛さっていうのが乗り越えられないでっていう話なんだよね。
最初ハイドが言ってたけど、演技の世界観っていうのが、いわゆる万物の根源を知るって方向には働かないっていう感じで、
なんだろうな、あり方みたいな感じがしてくるよね。
無知っていう状態が演技を、演技フィルターがないっていう風に捉えると、逆に言うと演技っていう概念をインストールすると、
今、万物の根源は知らんけれども、今目の前にあるものが一体何なのかっていうのは、もうわかるというか、
42:11
そういう状態に達するから、ある意味自分が苦しいとか楽しいとか、そういうのも全部コントロール可能みたいな状態に去ってなりそうっていう意味で、
悟った人しかこの演技はちゃんとわからないみたいなのもわかる気がするよね、意味としては。
そうね。さっきブッダが演技を知るってことは、悟ったも同じだ、みたいなことを言ってたと思うんだけど、まさにそういうことなんだよね。
だから僕も今、言葉では話してて、もちろん言葉で話してもわからないんだけれども、
言葉できれいに説明できたからわかったかって、そういうものでもないんだよね。
本当の意味で演技を知るっていうのは、それこそもう意識もなくなるとかさ、何事にも執着せず、本当にあらゆる知識が自分にある状態になると、それは途方もないよね。
ただ、根本は演技っていう、AならばBがあるとか、AがなければBがない。
要は、生まれておいて死ぬっていう辛さをなくしたいなったら、無知っていうものをなくせっていう根本原因だからっていう。
そこはすごいシンプルなんだよね、構造は。
うわー、はいはいはいはい。
はい。
すごいね。
すごいなって思ってもらえてればいいんだけど。
いや、多分あれだよね、だいぶもう2年前くらいかもしれないけれども、12演技の話をした時よりは、やっと1回たどり着いたもんね、今回ね。
そうね、そうね。
前回たどり着かなかったもんね、多分ね。
たどり着かなかった。言おうと思ってごめん無理だってなったから。
こっちもわからんし、みたいなね。
なので、ちょっとね、とはいえこれも、今ね、兄貴と僕は少し台本を見ながらね、言っても喋ってるから、見てるから、なんとなくわかると思うんだけどね、聞いただけで、
いや、何回だよとかってなっちゃうのが遅いと思うんで、もしね、もうちょっと知りたいとかって方がいらっしゃれば、Googleとかで検索すれば出てくるものもありますし、
他なんかで質問とかも、もしいただければ、補足できる部分もあるんじゃないかなとは思ったりするんで。
せめて今自分も見てるけれども、12演技で調べると、この1、2、3、4って、この12個の番号と言葉出てくるから、それ見ながら聞くだけでも、今何回の話してるんだ、みたいな。
自分の回数がわかるだけでも、耳だけだと結構きついかも、これ。
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先に言っといたらよかったですね、それはね。
という感じで、すいませんというか、だいぶ長く話してしまったんですけど、
やっぱり演技って話をしたんだけれども、もう1回だけ、このブックの話をさせてほしいんですよ。
それがさっき言った諸行無常とか諸行無我っていう話なんですけど、
演技っていうものと諸行無常とか諸行無我っていうのは、別々のことを言ってるんじゃなくって、
実は同じことを別の切り口で語ってますみたいな感じなんだよね。
はいはいはい、そうだね。
それが逆にわかって、改めてもう一度は、自分自身が仏教、ちょっとわかったかもっていう感じになったので、
ちょっと趣味っぽい感じもあるんですけど、改めてその仏教が面白いなってなったところを皆さんにお伝えしたいなと思って、
この諸行無常とか諸行無我みたいなあたりの話を次回させていただきたいなと思ってますので、
なるほどなるほど。
そこをぜひお使いいただけたら嬉しいなと思っております。
では次回キツウキ仏教の概念を楽しんでいきたいというところで、キツウキよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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