1. その、帰り道に振りかえり。
  2. 朝の散歩から。呪いと共に生き..
2025-12-13 11:57

朝の散歩から。呪いと共に生きるって話 from Radiotalk

サマリー

このエピソードでは、呪いと共に生きることの重要性や、個性としての凹みについて考察されています。また、冬の朝の散歩を通じて、自身の感情やメンタルモデルを見つめ直す様子が語られています。

冬の朝の散歩
はい、sonoです。おはようございます。
朝の散歩から反省会です。 というわけで、
今日は土曜日ですね。 今日も晴れて、
空は、雲はちょこちょこあるけども、 風も昨日よりは弱い感じですかね。
なんだろう、昨日よりはなんか冷えてる感じしないけども、 まあ冷たくて、
冬っぽい日ですかね。 なんか公園は割と時間もあるんでしょうけど、
ジョギングしている人がめっちゃいる感じで、 みんな週末の始まりっていうところかな。
自分は今日は、この後は、
息子の
学校の何か発表会、プレゼンテーション会みたいなやつと、
そのまま何か講演会みたいのに行くっていう。
で、一日、
一日近く出かける感じになりそうですね。
なんだろう、そうだなぁ、昨日はちなみに、
在宅で仕事をして、
ちょこっと、 作業を進めつつ、ちょっと予定よりは進めなかったので、
どっか週末で、 少しだけ仕事して、
作業の調子で合わせようかなって思ってますかね。 来週、
週明け月曜日は一応休みにしてて、
なんとなくに近いんだけど、休みをとってて。
でも月に、 1日ぐらいは、
まあ3日休みにしてもいいかな。 祝日とかね、ある日は月も多いんで。
まあなんなら、 まあでもそうか、それを言うと、
あれ? 12月もどっか休み、
ある気もするな。 じゃあ月に2回ぐらい欲しいのかな。
まあそうするとちょっと、休暇がね、 他使えなくなるとかありますけど、
ぐらいのタイミングかなと思いますね。 実際問題としては、
今って自分の、
スケジュールを決める材料が大きいので、 そこまで問題にならないし、
まあまあなんか、午後休とかと出してもらって、
まあなんか少し、 しんどい時とかは休めたりするので、
まあそんなに問題ないんだけどね。 何て言うか多分、
決まってるっていう状態がストレスなのかもしれなくて、 ズラしたりとかしてるのかな。
もう、 社会不適合者みたいな感じもありますね。
そんなこと言ってると。
とはいえ、
そこまで、 何て言うか、
いやでもどうなんだろう、わかんないな。 自分はそこまででもないって思ってるけども、
周りから見たらだいぶ対外だなっていう感じなのかも しれないっていう感じですかね。
まあそれでも、 働けるから良しとしましょうかね。
そう、ここも断捨離だね。 周りから見られていることに、
まあ一向でしないっていうところが、 大事なのかもしれない。
開き直っているのを結局、 気にしてるってことだけどね。
そうだなぁ。
今日はなんか散歩と、 休日の習慣なんで、
なんとなく収録したいなっていう感じだけども、 割と今週は、
何ですかね、 まあその誕生日の時の休みとかもあって、
なんか、 そんなに
うーんとなんていうの、 ガリガリやった感もなく、
まあ割と自分を見つめる時間も長く取った週で、
呪いと共に生きる
振り返りもしたなあっていうところですかね。
なんだろう、まあでもちょっとね、 その誕生日の興奮っていうか、
まあ生まれ変わるぞっていう興奮から、 少しずつ冷め始めてきているところもありつつ、
でも焦り切っちゃうと、何か繰り返しになるからね。
それをどうにか、 こうにかっていう感じはありますかね。
何だろうなぁ、 まあ多分直近のイメージに引きずられているのもあって、
そのね、最果てのスカーレット、この前見た時に、 すごいなんか、
あのメインの 舞台の一つが死の国っていうやつで、
で、それがすごくなんか、北欧神話の、
なんだ、ベルハラっぽい、 ベル、ベル、ハラ、なんだろう、
なんかちゃんとした発音なのかな、 まあね、なんか戦士たちが集まって、
まあその最終決戦の時までを、なんか戦い続けるみたいなね、
なんかところがあるんだけど、 その北欧神話でね。
すごくそれに、なんか近しい感じの世界観だなぁって思いながら見てたんだけど、
まあその、なんだろうなぁ、 子供の頃にその神話、まあギリシャ神話があって、
ギリシャ神話なんかすごく、いろんな神々がいて、 少し人間っぽいみたいなところがあって、
日本の矢をよろずの神様っていうのがいて、 キリスト教とかイスラム教のそのヤーベとか、
まあシュとかがいるっていう、 神教と他神教みたいなところの、
まあなんていうのかな、メタファーみたいなところから、
なんかまあ北欧神話は、 やっぱり主神がいて、いろんな神様がいるっていう世界なんだけど、
なんか厳しくて、
かつ、まあもしかすると単純にいろいろ自分の、なんていうか解釈っていうか、知ってることが混じってるせいなのかもしれないけど、
なんか一番気になるのはその戦士の国とか、なんか人間なんだよね、なんかね。
それで言うとこう、仏教の天国とか地獄とか、 あれ天国、
キリスト教なのか、なんかまあそういう人が行くところ、 リハンとかになるのか、仏教だと。
あとまあ仏教の場合、人がだんだん仏になっていくみたいな話もあるけど、 なんかね、すごく人が人として、
なんかずっといるみたいな感じが多分、 印象的だったんだろうなぁ。
で、まあ今でもなんかその世界観っていうのが気になったりとか、 まあ、
地獄っちゃ地獄なんだけど、誰かにひどいことされるっていうよりは、なんか自ら、
なんかこう、 罪に焼かれていくみたいな罪なのかな。
まあなんか、 祝福、豪に焼かれていくみたいな感じがすごく、
なんかしっくりくるし、まあ多分自分自身もそういうこと思ってたろうね。 なんか豪に焼かれ続けるとか、それが永劫続くみたいな
感覚が、
まあ、なんかね、多分自分の中にあるんだろうな。
そうだね、今朝は歩いてて結構いろいろそういうこう、
まあある意味メンタルモデルっていうのかもしれないけど、呪いだなぁと思って、 なんか呪いみたいなものに囚われてるけども、なんか共に生きること
もあるなぁみたいなことを 考えてましたね。
まあそういう意味だと、今日思ったのは、そういう呪いだったりとか、そういうものについての囚われてるっていう思いを手放して、
まあ共に生きるっていう、 抱えて生きるっていうことを受け入れるような
ことなのかもしれない。
まあそうだね。 それもやっぱり自分の凹みになって、
まあ個性っていうものになっていくのかなっていうのが今日の気づきでした。 っていうほどまあすっきりと気づいてるわけではないけども、なんか今思ったことかな。
そうね、呪いも共に生きて、自分の凹み、オリジナルになるっていうね、ところがすごく話してて、
印象的でしたね。
はい、そんなわけで今日も
1日、 頑張りましょう。
はい、良い1日を。
11:57

コメント

スクロール