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はい、そのです。おはようございます。 いや、こんにちはですかね。昼の散歩から
はんせい会です。
今日はオールデンウィークで、 じゃあ間の平日ではあるんですけど、僕はお休みとって
休んでますね、月曜日。 まあ家家族は
仕事だったり学校だったりあって、まあでも今日の夜からは 奥さんの実家に
帰る予定にしているかな。僕はちょっと予定があって、 明後日出るけども
まあまあ、 休みっていう感じですかね。
まあちょっとなんていうか、気が重たいみたいな話は前も 母山の時もしてたような気がするけども
まあ引き続きは引き続きっていう感じかな。 でも
長いお休みもあって割と 余裕を持ってね、過ごして
いるので、なんとなくまあそれに癒されたりとか
逆に
まあいろいろ 思ったりもしているかなという感じですね。
なかなか作業にいては、なんか
動く 気にならず、感じにならずというところはあるにはあるけども
落ち着いて自分を整えている時間だなという気はちょっとしてますと
いう感じかな。 まあね、なんかちょこちょこと
毎日 予定が入ってオンラインで会議したりとか
そういうのは割と ありますかね。今日の夜も
なんやかんやと
その会議の予定があって
話す時間が くるかなぁと
感じですかね。
なんだろうなぁ
まあなんか今日は主にはそのこの前話した長官の話をもう少し深振りして
行こうかなぁとは 思ってるんだけども
うーん そうね、共感っていうのは
一方で人に差をつけるっていう話だよねっていう話をしていて
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その 共感するっていうのは
まあなんか内と外っていうのを作ってその内側だと味方側だというふうに
感じるっていうことなので逆に共感できないっていうものを明確に区別するって いうことでも
あるよねって。だから共感を
深まる世界っていうのはお互い好きな人というか同調する人が集まっていって
同調できない人っていうのを遠ざけていくと 感じなんだよね。だから共感が満ちた世界ってなんか
割と柔らかい印象だけどまぁ実際には対立している社会というふうにも言えますねっていう
感じがあると。まぁ対立 共感できないっていうね
ところでまぁ対立まではまぁ 攻撃し合うってところはどうかっていうのはまた別の話かなと思うんだけど
ただまぁ
なんだろうね。まあ外側なんで関心を寄せないとか無視するみたいな感じには なるのかなぁと
そこなんだよね で
まぁ そういう意味でなんか共感を
善として あの良いこととしてなんか進めていくっていうのには注意が必要だけど
まぁそんでいうのも なんていうか
ある程度選び取って 進めていく
のかなぁとは思って
いて そのね
例えば100人とか言うとまぁなんというか 物理的には可能になったかもしれないけど例えば1万人とか人がいて1万人と等しく
仲良くするっていうのができますかって言ったらみんなまぁできない って言うと思うんですよね
で まあそういう意味で濃淡が出るのは
あのそういうものだと思うし濃淡があるから悪いってこともないなぁ 気がするとまぁ相手を攻撃するみたいな
対立をしたらその攻撃することによって 自分自身だったり自分たちの結晶を固めるみたいな
まぁちょっといかがなもんかと思うけども
ただ まあ共感する自分の内側身内に対して
よく反応して外側に対して最低限の 反応する
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みたいなことっていうのは別にそれでいいのかなっていう 気がする
だよね
で
まあその 個人同士の共感とか
まあ価値観に集まるみたいなものっていうのは今も進んできているとは思っていて その今まではなんか人が集まるときに
まあ地域の集まりだとかあるいは同じ経験をした だからある程度
なんていうのかなぁ 判断軸っていうのが
揃っている人たちっていうのを
あの
グルーピングされてたと思うんだけど
まあね インターネットとかあるいはスマホというパソコンに
使える機器を持って
自分自身を発信できるってなったときに まあなんか自分の価値観とかそういうものをベースにして人とつながるっていうのは
自然と言えば自然なのかなって思うし
まあ今ねじゃあその土地で仕切った 国っていうものだとか
あるいは同じ物理的な経験を持つ まあ学校だったりとか
あるいは
会社だったりとか っていう組織に対して
その組織の個人への束縛力に対して個人の まあ何らかその思いを通じる人の
強制力ってなんかやっぱり どんどん個人のつながりとかで判断する人っていうのは
多くなっていく と思うんだよね
まあそれはなんかある意味その
それぞれの人が成熟しないと まあ誰かの意見とか価値観を
押し付け
るというか受け入れそのまま受け入れてしまって まあ
その分そのなんていうのかな おかしな反応に
同調しちゃうというかまあこう他社に攻撃的なものに同調しちゃうようなこと っていうのもあると思って
まあねそれはなんか割とこの頃中では 特にねえっとテレビとか
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まあそういうネットの偏った情報でに左右されてしまった人 陰謀論に左右されてしまう人とかを生み出しても
いるんだけどでそれがまあ馬鹿にならない影響を与え始めている っていうのもあるにはあるんだけど
ただまぁ
そうよくもある子も共感でつながる 社会になっていくのかなと思う
だよねそれはなんか僕自身が今コーチングを しようとかまあコーチングでつながろうっていう人も
やっぱり何か価値観が 近い人
とか中で多分つながってその中で
まあ自分自身にも 駅があったのでコーチングっていうのを広めるみたいな
なんかそんな流れ考え をしてるなぁと
思って
はいるかなぁ
まあなんか今日もすごいふんわりした話で
なんか終始した気もするけどまあそういう意味だとね共感はなんていうか 正直なとこ断絶を生む
けどもまぁただ断絶を生むことが悪いんじゃなくて それはやっぱり偏りが出れば
正も負も出るっていうところでそれがなんていうのかな 責任を持ってちゃんと偏りを作る表現して
その偏りがある政府両面を受け入れて まあやれるようになるというのがまあは大きく言えば発達とか
責任を受け入れるっていうような なのかなぁと思って
そうね まあなんか
よく自由と責任みたいな話で日本的ななんか自由と西洋的な自由 責任を伴う自由というのがちょっと違うみたいな話もあるけども
まあなんかそれも含めてなんていうのかな 共感あえて価値観が
つながる人の偏りの中で生きるというふうに 変化していくと思うしまぁその中で生きていきたいなぁと思ってる
いうふうには思いますまあ うんわりした話だけども今日もこの辺で