こんな暮らしがあるんだって、この本を読んでそのディテールに気づかされる部分はあったんですけど、なんか言われてみればその子の想像を働かせてみることってできたはずだったのに、
なんか想像もしてなかったなっていうことを思わされたのが一つと、とにかくその描写の緻密さがすごいので、本当に生活を追体験するようなレベルで読めることの驚きというか、
あんまり自分が想像しなかった、想像できたはずなのに想像してこなかった暮らしが見えてくることで読み進めてしまうパワーがすごいあったりとか、
たまたま街ですれ違った人とかが本当にタバコを拾ったりしてるのを見ると、本当にいるんだって言ったら変ですけど、そこへの視野が一個持てるようになったみたいなところがまずありました。
あとこの小山さんはノートを本当に何十年も書き続けてるみたいなところがあって、結構自分で何かそういう文化芸術的なというか、
物書きを志していたみたいな記述も所々に入ってきて、そういう公園での生活とかってやっぱりとても快適なものというか、
幸せ、一般的な幸せとは書き離れているもので、同居する人とか周りの人からの暴力とかひどいことをされたりすることも書かれてるんですけど、
なんかその中の毎日でも本を読むこととか、喫茶店に行って3時間ぐらい自分の過去のノートと対峙したりとか文章を書くことの中にはすごい幸せというか、
大事な時間として繰り返し繰り返しその喫茶店の描写が出てくるんですよね。
これ自体がこうやって世の中に出版されるっていうのは本当はある種奇跡的な積み重ねによって生まれたことだと思うんですけど、
おそらくその自分にとって大事なこととして書き続けることによって本人自身が救われてた部分もあるんじゃないかなみたいな描写が、
というか後書きみたいなことも書いてあって、なんか辛いこともたくさん書いてあるんですけど、
沢山さん自身が自分のことをあんまり卑下してなくて、悪いことは悪いこととしてお金がないとか悪意が降りかかってくるみたいなある種客体化して書いている部分があって、
本当にそのノートの書かれている最後まで自分を卑下せずに良きことは良きこと、辛いことは辛いこととして書き連ねていることがすごい印象に残って、
表現も結構文学的なというか独特なリズムがあって、生々しい生活ではあるんですけど不思議と最後まで読めてしまうみたいなそういう独特な本でした。
日記が誰に読まれるとか、このポッドキャストとかもですけど、一人で続けることに何の意味があるねんみたいなことを思われるかもしれないが、
少なくとも自分にとってはプラスになっているもので、より広がることはあったとしても別にマイナスにはなり得ないよなということを改めて感じられたので、
何かを日記を書いたりとか物事を続けている人にとってはすごいプラスになるような本なのかなってことを思いました。
読みながら思い出したことが映画パーフェクトデイズのことなんですね。
前にもちょっとお話ししたんですけど役所工事が演じる人が東京都のトイレ清掃員として毎日を過ごしながら、
朝起きて清掃行って昼ご飯を食べて帰ってきて本読んで寝るみたいなすごいシンプルで疾走なルーティンを続けていく映画なんですけど、
その中でちょっと昔の家族とかの関わりとか近隣住民との関わりみたいなやつがあって心が揺さばられていくみたいなそういう話なんですね。
決して裕福ではないけどその生活の中に喜びとかを求めているとか感じているみたいな描写がちょっとこの小山さんノートの中と通じる部分があって、
パーフェクトデイズへの公開後の反響とか色々見てると東京の公衆トイレをやり始めた会社がどうかだとかこれはプロモーションムービーなんじゃないかみたいなこととか色々書いてあって、
もちろんそういう側面は多分あるとは思うんですけど、なんかそのいろんな背景とかやりきれなさとかも含めて役所工事の顔が最後にすごいもちゃもちゃするっていう笑顔と苦しさと何かとみたいなやつがギャーって詰まって出てきたことに全部乗っかってるなって僕は思ったんですよね。
そこが僕はなんか全部のアンサーになってると思ったんですけど、まあそういう映画で描かれるようなもののフィクション性みたいなものへの限界というかそこの数割の悪さを感じている人たちがいるみたいな意見とかを見て、でもそれってすごい難しいなと思うんですよね。
なんかその本当に体験したことしか書けないのかってなったらそこのハードルですごい上がるし、創作物全体への問いかけというか限界を認めたくないみたいな感じになっちゃうのは、なんか一つは割り切りというかが必要なのかなと思ったんですけど。
もしあの映画がフィクションだとするならば、今回のかやまさんノットっていうのはめちゃめちゃノンフィクションそのものなんですよね。