1. 蛇頭ラジオ
  2. 第40回(夏の特別編2/3)「暴力」
2021-08-14 1:01:02

第40回(夏の特別編2/3)「暴力」

引き続きゲストとクイズ談義。【一部BGMをOFFにしました。】

00:05
はい、どうも。
はい、どうもー。
もう、もう、もう。
ゲストなじんでる。
ゲストなじんでるよ。
えーと、しぶです。
みねです。
野田しゅうです。
はい。
蛇頭ラジオ、特別編が。
なんか妙に嬉しい。妙に嬉しい。
妙に嬉しい中で、このようなご案内しなければいけない、ちょっと心苦しいんですが、
番組の冒頭ですが、一つお詫びを申し上げます。
申し訳ございません。
申し訳ございませんでした。
何も謝ればいいと思うみたいに思われちゃうから。
あのね、前回ですね、ベートーベンといえば豚か作曲家かと申し上げましたが、
私が豚でベートーベンって英語あるじゃんって言ったのは、
これ、ベイブーと勘違いしてましたですね。
申し訳ないです。
申し訳ないです。
ベートーベンは犬だというご指摘がですね、
私の横で腕を回したり昼寝したりしてたディレクターから入りまして、
放送後、前回収録後に入りまして。
申し訳ないです。
申し訳ないです。
大事ですね。
弟から長文のメールが届きました。
知識不足で。
知識なんだ。
知識なんだ。
知識だろう。
知識だろう。
ベートーベンは知識だよ。
ベートーベンは知識だよ。
そうですね、ベートーベンとホームズは犬だという認識です。
犬版の話。
どっちも犬版だもんね、確かにな。
人もいれば犬もいる。
なので、小僧ズシチェーンの小僧張りにお詫びします。
死がなおや、描くところのへずまりをね。
つかんだ、つかんだとするならば。
本当に小僧がそこまでやってたったら、そういうへずまりだなって思った話ですけど。
本文読んでみないとちょっとわかんないですよ。
小僧の神様、お前なんか握ってやるってお馴染み小僧の神様ですね。
ニューヨークに行く。
ニューヨークに行く。
ちなみにベイブはベイブ都会に行くがありますね。
ありますあります、すぐね。
謝罪終わり。
キリがない。
謝罪のキリがない。
俺を野放しにしとくとキリがない。
キリがない。
謝罪のキリがないんじゃないか。
ここで曲に行きましょうかね。
ないなあ。
ないんだ。
この世界には音楽がない。
ノーミュージックノーライフ。
ノーミュージックノーライフ。
もうダメだよ、この世界に音楽なかったら。
前回に引き続き野田周さんをお招きして、お招きして喋ってます。
前回の続き、前回どういうところで切れたかというと、
03:00
競技クイズの問題文の形式みたいなものが、構造みたいなものをなるべく統一されているように、
型書きドイツの作曲家みたいなとか、
別にすごい有名なものであっても、
作曲家とか数学者のとかってつけたりとか、
体現止めで切らないで繋げていくみたいな話をしたときに、
一つはそれはただABCとかそういうところが、
いろんな人から問題を集めるのであって、
それで一つの番組で問題文が変わっていると混乱するように、
一個の大会の中で問題文の構造が変わると混乱するので、
それがなるべくブレがないように、修正の手間を省くようにガイドラインとして、
ああいうふうに構造になってますって話してたところでした。
あとその中で、それでそういう要素もあるし、
はじめの方に前にのわしが言ってたと言えば、
みたいな表現を使わないようになってたりするのってのは、
統一感っていうだけじゃなくて、
問題文作成者と回答者っていうものの距離感を、
なるべくフラットにするっていう意図なのかなっていう話を、
ちょっとこの前のわしと話したときに、
意図なのかなというか、意図もあるかって話をしたような気がしてて。
しなかな?
なんかね、あれ?あれ?俺の記憶かな?
競技だから、章ではなくて競技だから。
それはその話でしたね。
競技であるから、あくまでこれは別に競技としてやってるんで、
問題文の中で、そういうと言えばとか、
なんかそういうふうな言い回しみたいなもので、
視聴者を意識しなくていいというよりは悪くかもしれないし、
その視聴者っていうのの知識、知ってる知識の度合いに応じて、
どこまでフレンドリーにするかとか、
フレキシブルにするかとかっていう観点っていうのは、
逆に競技においては邪魔になるって話が、
前にしたかなと思っていて。
競技として一番大事なものは、競技としてフェアであること。
競技者は同じ条件で戦うことができることで、
観客はその競技を見ているので、
順番的には2番手、3番手なわけよね。
ただクイズ番組とかクイズショーということになると、
まずは視聴者に向けて見てもらわないといけないので、
回答者は2番手、3番手になる。
06:03
そういうのと順番の違いみたいなものがあって。
なんであればクイズ番組、クイズショーっていうものにおいては、
参加者、回答者にとってフラットであることすら、
そんなに必要ではないっていうこともある。
回答者にとってフラットである必要は。
複数の回答者にとって、回答者が複数にいたときに、
その全員に対してフラットになるようにって意識をしなくてもいいってことですか。
そうね。それもある。
これね、ちょっとね、まだ頭の中でまとまってないね。
でもやっぱりこうなんていうんですかね、
問い言えばみたいなことを聞くときに、
それを知っている人はそこの問い言えばの前の段階で、
問い言えばで推して答えられる人がいるし、
いない人も、さっぱりわからない人も同じ回答席にいるかもしれない。
でも問い言えばっていうふうに聞くっていう。
問い言えばに関しては視聴者に向けて、
視聴者が何の話かわからないっていうことがないようにってことですか。
そういうのを出あるだったり何とかだったりっていう風な形に寄せるというか、
競技としての問題の構造っていう風なやつと、
章としての問題の構造とか変え方っていうのが違うんだなっていうのがありますね。
この間話した話で一個多分出てないっていうか、
大事な話があって、
競技クイズの問題とか形式とかルールっていうのは、
競技者にとって全員フラットでフェアであることが求められているし、
回答者もそれを信頼して答えを出す。
ボタンを押して答えるからすごいポイントの推しが生まれたりする。
そうですね。
これで例えばバラエティ番組の文脈ですごいところで押して、
ですがって言われたりするかもしれないじゃん。
バラエティ番組だったら。
司会がトンネル座ったらそうなるかもしれないし。
そういう場においてはその信頼は生まれないので、
同じような文章の始まり方であっても、
例えばABC的な問題が5割入ってて、
09:04
でもそうじゃない問題が5割入ってたら、
同じ問題でも同じポイントでは押せなかったりするよね。
そうですね。
そこってやっぱり出題者とか出題スタッフに対する信頼によって、
信頼とか価値観の共有によって、
ボタンを押すポイントって変わってくるんだなっていうことが一個ある。
価値観の共有が大きいなって感じがする。
それはこの前の話で話したときに、
なんで話したんだっけな。
その問題がさっきの問題文の構造の話とか、
極めるべく競技としてのところでちゃんとしているかどうかっていうのを
思考していっていく結果、
僕から見たこの振りで、この聞き方でこれはないみたいな話とかが出てくるのって、
出てくる話って、僕にとってはめちゃめちゃカリカリにチューンナップした車っていうのが
曲がりきれるカーブっていうのを、
コース設計者もそのカーブっていうのをちゃんと整備するとか、
設計するっていうことが成り立っている上での最速タイムみたいな、
F1みたいなね。
おだしょー 裏もやの例えだね、いいね。
おだしょー 問題文をなるべくそういうふうに、
ぶれのないようにするべき、したほうがいいっていうふうに作る側も考えたり、
答える側もここでこういうふうに落ちないっていうのはちょっとおかしいとかっていうふうに言ってるのが、
おだしょー ここで車をクラッシュさせには来ないだろうっていう心配ですね。
おだしょー 最速のレースのためのコースを用意する以上、
コース設計者はそこのコース設計っていうのには最新の注意を払うべきであるという、
ここで突っ込んじゃって曲がりきれないようなカーブを作るんじゃないっていうふうに言われたりするってことだなっていう世界だなって思って思うんです。
おだしょー その時に僕がそのレースに参加したいですかって言った時に、参加した時に他の人とクラッシュしちゃうかもしれないんで、
僕はいいですっていう、そういうことにはなるんですけど。
おだしょー みね君はそこは関係なく出るって言ってた。
みね君 自分の車で出ますね。
おだしょー 自分の車で出ますっていう話をしてて。
それがどういうことなのかなって思ったら、さっき野田集から信頼関係って聞いて、これが信頼関係かとは思いました。
野田 そういう意味で言うとちょっと話これもずれるかもしれないんですけど、あまり自分はそういう信頼というのは置いていなくてっていうのが、
12:01
そこはコース設計者より自己責任だと、自分に関しては自分のハンドリングテクニックとかで何とか超えていこうと考えるから。
おだしょー みね君はどんなコースであろうとも、自分のドライビングテクニックでやれるところまでやるっていうんで参加する人で。
三沢 全コース初見でやってる感じでしょ。
おだしょー そうですね。だからある意味そこと結びつくのが、自分がクラッシュしてもそんな気にしないんですよね。
三沢 ここまで来れたね。
おだしょー そうそう。そうなんですよね。そういうところにもつながってたりしますよって、これは余談なんです。
三沢 みね君のスタンスの話で、僕はそれでその時のカリカリチューンで、でもやっぱりすごい早い。
やっぱりそういうコーナリングとかについてはすごい早いので、学生、今やっている子たちは。
おだしょー 早いですね。
三沢 そこのスピードとかそれをすごい何回も何回もコース走ってやってるので、結局バラエティっぽい問題が混ざっていても、
そういう問題は抑えてとっていって最終的に勝っちゃうんじゃないですかって話を僕前したんですよ。
クイズの大会でちょっとバラエティ要素もありますよ、問題文にちょっと変わった問題もありますよっていうような問題って、
それこそ別に全部が全部10割競技的なものを求めて試行してクイズを作ってる人でも、
結局その中の何割かが滲み出ちゃう、そうじゃないものが紛れちゃったりする。
かたやバラエティというか、そんな別にそういう競技ではなくて、みんながそういうじゃない人も参加できる大会ですよ、企画ですよって言っても、
でもやっぱり自分、クイズいろいろ触れてる中で競技の中でも出てる問題を同じようなものを持ってくるパターン、何割か入ってくるパターン。
グラデーション前であるから、5割5割もあれば7割3割もあるし、9割1割もあるしっていう、いろんな企画とか大会がある中で、
それでもちょっとでも競技クイズで出てる問題っていうのの要素が割合が多い大会だったら、
結局そこの部分は全部推し勝って正解して、そういうのをいっぱいやり込んだ人が勝つんじゃないの?って僕は前のラッシュに話をしたんですよ。
で、そうではないんじゃないかっていう話を。
そうそう。で、それはなんでそうじゃないんじゃないかっていうのは、さっきのどの問題でって一問一問で突っ込みの切り替えをそんなに高精度にするわけじゃなくて、
全体の流れとして、こういうふうに突っ込んでいったら、でも正解できるっていうのの全体の中の信頼があって、
だからABCにおいてはあれぐらいのスピードでみんな押してやっているんだけど、
途中でそうじゃない問題が入りますよっていうふうに実感したり、他の人のラウンドを見て、
15:06
あ、こういうのも入るんだと思ったら、一問一問に対してのアクセルのかけ方って変わるので。
全く知ってる問題と同じ振りが飛んできたところで、でもこれ変化するんじゃねえのって思って押せない。
あるいは同じように押して誤答化されてしまう。
よくそういうパターンは見るけどね。
そういうところを見ると同じペースでは押せなくなりますよね。
よくそういうバラエティ系の企画で、
これはこの振りだったらこうなるっていうのは絶対だと思っている赤い子が、
そうじゃないんですよって言われて、なんでだよって、
みたいな感じで負けていくところってあるじゃん。
そういうパターンが沈むときにはすごい土沈みする。
それは競技クイズってこうだって教科書に書いてあったけど、そうじゃないだったら学校で教えてくれよみたいなことだよ。
さっき競技のところがベースになって、そこから積み上げる形になっちゃってるって言い方を私したんですけど、
なっちゃってるっていうのはそこのベースのところが競技クイズの範囲に、
その教科書の範囲になっちゃってるっていう意味で言ってた感じですね。
クイズ全体というよりも。そことつながってきます。
今、学生がクイズ始めてクイズやるとしたら、
基本的には競技クイズを勉強してABC的なものを目指していく流れにあるだろうから、
それを基本的に勉強するわけよね。
勉強するし、みんなもその価値観でやっているわけで、
そうでない大人の人とかがやっているクイズに入って、
そうじゃないところがあったときに、それを受け入れるのはどうなんだ、難しいだろうね。
面白い。難しい。
それがその企画とその企画をやっている人と、
雰囲気によるけど、受け入れられる感じの人とそうじゃない人といて、
やっぱりそれってコミュニケーションなんだよな。
それさらにちょっと言うと、下手したら中学生とかじゃないですか。
18:05
そこまで成熟するのってそんな簡単なことではないですからね。
そうだよ。
その話で、確かこの前、クイズの暴力性的な話をちょっとしたような気がしていて、
なんていうかね、そのおじさんたちがやっているクイズっていうのに、
別に競技クイズっていうのを標榜して、そういうふうな、
そうじゃないじゃないか、自分の読んだ教科書にないやつが出るじゃないかっていうので、
それは文句言いたくなるとか不満になるって気持ちも分かる。
分からんでもないし、
そう言ってんのにそういうんじゃないのが出てきたっていうのは一つあるし、
これも一つのそういうクイズなんだってなれば、
それは次の経験でも、分かった、そっちも対応していこうとかって話になるかもしれないし、
競技って言わないでクイズですって言って、
そういう競技じゃないクイズの場に行ったときに、
全然押せないな、勝てないなとかっていうふうになるみたいなのがなったときに、
なんていうのかな、
これはちょっと話、飛躍させるけど、
なんでおっさんたちがやってるクイズに勝てんわっていうのがあるんだよね。
僕、中学校からクイズ始めてるのね。
問題集的には小学校ぐらいから読んでたけど、
小学校ぐらいからクイズの問題集すごい読んで、
中学校の時もずっとクイズの問題集読んで、
中学とかでクイズワークに入るわけ、社会人のクイズワークにやって、
問題集出るような問題は押せたりするんだけど、
そうじゃない問題、芸能問題とかスポーツ問題とかが出て、
分かんないのもね。
後から思うと、だいたいスポーツ新聞から出てるんだよな、そういうのって。
ああ、当時は。
スポーツ新聞文化ってあって。
ああ、なるほど。
私ちょっと話聞いててさっき思ったのが、
今、例えば教育イベントの文脈でそういう教科書ってあるけど、
昔はテレビ番組がそうだったんじゃないかってちょっと思いながら聞いてたんですよね。
それはそうですね。
スポーツ新聞もですか。
だからそのあれですよね、仲間うちで問題作って問題を出していくっていうのに、
大人の人たちが、社会人とかが作っていくっていうのをネタ物として、
21:01
スポーツ新聞なりがあって、
競馬競輪とかね、競艇とかの問題がたまに出てきて、
死ぬかよっていうふうになっちゃうところはあったりした思い出はあるのよ。
最近で言ったら、そういう、なんていうんですかね、
あれ、だから、
最近で言うとね。
生活から作る問題とかっていう、
なんかその主催がもう40代とか30代40代とかっていうのは主催で、
そこの人の興味範囲から問題が作られる。
田中さん、ウィルカ。
そんな別に思想で寄ったりはしないんですけど。
そういうふうなところで作られる問題みたいな、
そういう人が興味を持っている切り口。
モノシリーズとかはそれぞれがその問題集じゃなくて、
それぞれの生活の中とかそれぞれの興味範囲の分野から問題を出して持ち寄りましょうっていうものじゃない。
そうですね。だからあれは。
モノシリーズとかね。
重なるか重なないかがすごい大きいんですよね。
自分の情報の及ぶ範囲が。
で、これは名前出したっていうのが、この前話したときに出してたやつは。
はいはいね。勝ち抜け杯?
あ、そうそうそう。
はい。
勝ち抜け杯とかに出る、行くけど、
すごい強いのに、大学生とかで競技クイズの中ですごい強いんだけど、
勝ち抜け杯で先まで、
あ、意外なところでそこまでで終わるかっていうようなところがあったり。
あるでしょうね。
やっぱりベテランが強いじゃない。勝ち抜け杯って。
そうですね。
モノシリーズとかは、勉強してもすごい強い人に勝てなかったりするじゃない。
そうですね。
勉強が生きるものではないんだから。
はい、そうですね。
じゃあ勉強して勝てないんだったら、何だよっていうことになるじゃん。
まあ、そうです。
人生経験が必要ですってなったら、無理ゲーじゃんってなるよね。
っていう観点が面白かった。
あ、そうか。僕にはすごい面白かった。
じゃあやんねえよって。
っていう観点が、
ミネ君ちょっとごめんね。
多分ミネ君が思ってることは最後にミネ君、何を言わんとしてるか分かるんだけど。
分かるか。
どうかな。
僕がクイズの暴力性の話を前にユリイカとかで読んだときとか、
この競技クイズとかクイズの暴力性とかっていう話を見たときに、
24:07
僕は競技クイズだって別に競技である以上は競技は暴力じゃんと思ったんですよ。
勝ち負けが確実についてしまうというところでは。
しかも競技クイズは勝利を志向するんだから、
勝利を志向しているってよっぽど暴力的じゃないかって思ったんですよ初め。
競技クイズの暴力性の中で。
そう思ったわけですね。
さっきの人生経験がどうこうって言っているのは、
人生経験やら何やらを反映させたクイズっていうのは、
人生経験の何かによって差が生まれてしまうっていうところにおいて、
よっぽど確かにそれはクイズの暴力性で、
実存に対して問われるっていう意味の暴力性っていうのはすごい強い。
クイズに負けるクイズ、たとえ一問のクイズを取り出したら知ってる知らないで、
それで完全とした差がつけられてしまうっていうのが一つの暴力性だし、
競技クイズで努力の差とかが問われてしまうことによって、
勝ち負けが勝ち負けのみでなくて、
それまでの努力すらも否定してしまうような暴力性っていうのが一つあるわけね。
さらにこういった人生経験が問われるクイズということになると、
勝ち負けが人生の否定にまで及んでくる可能性があるという、
形式上の勝ち負けの外に及んでくるところが暴力性っていう言葉の意味だと思うんだけど。
僕はその三つの暴力性みたいなものをちゃんとあんまり整理できてなかったので、
ユニーカーを読んだ時とかには、徳久さんの書いてることは結構実存の暴力性の話をしていると思っていて、
伊沢さんとかは競技クイズで暴力性を彫刻するっていうのを乗り越えるみたいなことを言って、
読んだ時に僕は、競技である以上それは暴力なんじゃないかな、
さっきの勝ち負けの点での暴力があるから、
そんな暴力性あんまり乗り越えられてないんじゃないかなっていうふうに思ったのが、
昔確かに抱いた記憶で。
なんだけど、でもさっきの野田集の話を聞いた時に、
やっぱりそっか、確かに人生経験がどうこうって言われるよりは、
競技クイズとはある種、勉強をちゃんと頑張るっていうことで、
しかも、報われる報われないはあるにしても、
勉強なんで、自分の人生とはやっぱり切り離して考えられるんで、
27:04
そういう意味では、よっぽどクイズ、
自分の経験とかから出すクイズよりは、
暴力の至る範囲っていうか、行き着く範囲が抑えられるなって思って、
だから競技クイズってみんなやるのかなっていうか、
の方がやってて、やれるのかなっていうふうな考えにも至りました。
それはもうさっきの、一番初めにした問題作るモチベーションの話の時に、
被ると嫌だっていうのと、被る方がむしろ歓迎するっていう話っていうのも、
そこにつながるなっていうふうに思ってて、
実存なところだと思って、クイズの実存としてクイズを作ったり、探したり、見つけたりとかってやってるのと、
あくまでこれは競技の勉強なり、そういう中での出るか出ないかっていうのを、
客観的に問題を置いて作ってるっていう意識の違いなのかなと思った。
伊沢の語力性の彫刻が、あまりちゃんと読んでないんで、わかんないけど、
多分伊沢の思ってるのは、勝ち負けをおびただしく重ねていくことによって、
その悲願に行くっていう感じだと思うんだよな。
そうですね、それもありますね。
伊沢のやつ、僕もちょっとちゃんと前に読んだ記憶が薄れてきてるんで。
よし、じゃあみんなちゃんと読もう。
もう一回読み返そうなんですけど、一つはクイズっていうのが、もともとだからそれが知ってる知らないみたいになっちゃう。
知ってる知らないみたいになるっていうのは結構暴力的だよね。
でも知ってる知らないっていうふうにみんな思ってるけど、
実はクイズをやってる人たち、空気クイズやってる人たちは、別にそんな知ってる知らないっていうようなものじゃなくて、
実像の話じゃなくて、テクニックだったり公文だったり、そういったところで知ってる知らないのをやっているに過ぎないですし、
それも1回1回の勝ち負けっていうのは、そんな大きい一大イベントではなくて、
何回も何回もやり込んでいるので、別にそれ一個一個に対しての重大性ってのはそんなないですよ。
まさにそれは日常の1ページでただやってるだけですよっていう。
っていうので、暴力性っていうものを彫刻する。
クイズノックでやってるのは、みんながクイズって言ったときに、これ知ってる知らないって言われてるようで、知らなかったら恥ずかしいとかなんとかって言ってるので、
そんなことなくて、もっと知ってるように見えてこういうふうにやってるだけですよ。
30:01
ただただパズルだったり、言葉としてこういうふうにいじってなんとかしているっていうぐらいのものの表層的に扱えるもんですよ。
だからそんな知らないとかって時に傷つかないでくださいっていうふうなことを啓蒙してるんですね。
みんな全然勝ったり負けたりするし、もちろんその中でこいつやっぱすげえなって。
山本はやっぱり強いなとか河村の考える企画がすごいなみたいな浮かび上がってくるものはもちろんあるんだけれども。
でもやっぱりみんな勝ったり負けたりはするっていうことだよね。
っていう日常化するとか遊戯化するとか形式として表でちゃんとそれを形式自体を種をみんなに明かすことによって。
種がわかんない状態でクイズを聞かれて答えられないとかって言って傷ついているっていうような視聴者的なテレビの視聴者的なぐらいの人たちに対して種明かしをすることで痛みを軽減しているっていうのが一般なんですね。
僕はそれででも競技って言ってじゃあそれはやるクイズプレイヤーの側になった時に。
でもみんな競技やってるからそれ競技やっぱり勝ち負けで勝利を志向している以上やっぱりどうしてもなんかずっと勝てないとかなんかずっと負けるとかなんかなんとか答えられないとかって暴力的にはなるよなっていうふうに僕は思いながらそれを読んだんですよ。
勝ったり負けたりが負けたり負けたりになるとやっていけないところがあるよね。
だからそれだったらコミュニケーションとかをしているクイズの方が何歩か勝利を志向しないクイズでも別に何歩かいいんじゃないのっていうふうなことを思ったんですけど。
ちょっとそれはさっき俺が言おうとしたことと重なってて、これ結構自分の根っこのところと重なってくるんだけど、
私が競技クイズのあり方とかそういう積み上げとか、
絶対に否定なんかできないよなって思っている理由がまさにそこにあって、
自分は一切そういうのをやらない人間だけど、それはたまたま自分が、何なら自分の力じゃないわけですよね。
親の生活基盤とかさ。
親の生活基盤とか、たまたまこういう家に生まれてたまたま自分が親御友達を産んでいくことがあって、
親御友達を産んでいくっていうのががなわけにはいかない。
つまり、誰が自分の力を持っているのが自分の成長。
なので、私は実はそれをよく考えいろながらやっていきたいと。
おだしょー どっちやねん めちゃ めちゃ真面目に聞いてましたよ
しばやん 親の生活基盤とか たまたま こういう家に生まれて
たまたま自分の迷いたいだけ迷って 大学も長く行ったりしたし その
間 ちゃんと勉強してる人たちは 勉強してて そこでさらにクイズ
をやって対抗しようとしてると 積み上げによって勝とうとしてる
33:00
と だから自分の立場は絶対的 だとか 思うもんじゃないなっていう
のは常々思ってるんですよね それこそ暴力性を帯びるわけだ
おだしょー ああ そう思っちゃう とね
しばやん そう 言い方によって はやることもやらずに 好きなこと
ばっかりやって 好きなものを見て それで積み上げだって言ってるんだ
から 反則なんですよ 私がやってる ことは 身をによってはね
おだしょー 身をによってはね
しばやん うん で そこに対して そういう生活
の人に負けるのって理不尽だなっていう のが結構あって
おだしょー ああ
しばやん うん
おだしょー なるほどね
しばやん そう 何だろう 食いたい だけ餌を食って 体が大きくなった
生き物よりも ちゃんとボクシング を身につけた人類と競うんだから
人類はそれはボクシング身につけ たほうがいいよっていう
おだしょー うん うん うん うん
しばやん うん
おだしょー そういう
おだしょー 花山に負けたときどう 感じるかみたいなね
しばやん そう そう そう そう
おだしょー ピクルに負けたときどう感じる
かみたいなね
しばやん うん うん
おだしょー 競技的な部分っていう のは一種の手段だと考えていて
クイズによって その暴力性を乗り越える ためのね さっき言った
しばやん うん
おだしょー うん
しばやん そういう意味でなんか うん
結局小さい範囲での話 これはスラム ドッグメディアの話とかのほう
に寄っちゃうんだけど なんか うん
競技的なものってそういう意味 でも存在価値があるんじゃない
かなとは常々思ってます
おだしょー ああ そうなんだ なんか僕はね
三瀬くんは
三瀬 うん
おだしょー 挑戦としてるって さっき初めに
言ったのは
三瀬 うん
おだしょー そうは言っても
三瀬 うん
おだしょー 結局全部
三瀬 うん
おだしょー 知ったことレベルでしょ
三瀬 うん
おだしょー クイズにできるレベル の
三瀬 うん
おだしょー 知っていることか知らん
三瀬 うん
おだしょー 見知った
三瀬 うん
おだしょー クイズの形にできるレベル
三瀬 うん
おだしょー 表層的な話でしょ
三瀬 ああ
おだしょー 競技にしたって人生経験 にしたって
三瀬 うん
おだしょー 単なる上に乗っかっている情報
に過ぎないことで
三瀬 うん
おだしょー ことなんで
三瀬 うん
おだしょー 別にそれをやっていようが
頑張って身に付けたり何だりから 自分が知っているなんとかしよう
三瀬 うん
おだしょー それを答え知っていよう
が知らなかろうが答えられよう が答えられなかろうが
三瀬 うん
おだしょー えっと大した
三瀬 うん
おだしょー 実存においては大したものではない
ですよ
三瀬 あっ
おだしょー ということを言うのかなって
勝手に思って
三瀬 ああ
おだしょー いやでもさ何だかんだで野球
で言うとさ何か丸い玉をさ革張り の丸い玉をさ棒で跳ね返してさ
三瀬 うん
おだしょー 客席入れるのはやっぱすごいこと
だよ
三瀬 ああなるほど
おだしょー うん
三瀬 だそうかじゃあ僕は後悔した
おだしょー うん
三瀬 いやでもやっぱり実存というか
三瀬 そうミネ君が思っていること
ってやっぱ最終的にはこれ別に 知っても知らなくても別にいや
そんなただ一つの要素じゃないか っていうふうに思っているかな
とは思っていたんだが
おだしょー そういう部分もあります
三瀬 ありますけど
おだしょー うん
三瀬 それをするために行っている 行動っていうのはどんな行動であろう
とも実存
36:00
おだしょー うん
三瀬 そうですね
三瀬 に関わるので
おだしょー うん
三瀬 それはやっぱりそれがえっと 報われないっていうのはそれぞれの
実存に対してやっぱ傷つくこと だろうなと思うから
おだしょー そうそう
三瀬 それぞれの行動に対して はやっぱ敬意を持つ
おだしょー そうですね
三瀬 うん
三瀬 っていうことね
おだしょー そうですね
三瀬 ミネ君としてはその自分の その持ってたりその持ち合わせ
た知識を測るもの差しにとして クイズ大会を使っているところ
がある
おだしょー ありますねある程度 はあるある程度はありますが
三瀬 今回は2ラウンドまで行けた 今回は3ラウンドまで行けたみたいな
おだしょー まあ
三瀬 ここで負けるんだねって
おだしょー うん
三瀬 そうですね 終わってみる とここで負けるんだねなんですが
それ以前に
三瀬 うん
おだしょー まあなんかクイズは 楽しいからやってるっていう
三瀬 まあまあまあ
三瀬 うん
おだしょー そうそうそう
三瀬 分かる
三瀬 ミネ君とねミネ君に前聞いた エピソードで面白かったのはミネ
君があのこれね邪党でも話した もんねミネ君があるクイズ王に
すげえ激汗したクイズ王に
おだしょー そうね
三瀬 某激汗したクイズ王に
おだしょー 笑
三瀬 笑
三瀬 なんで噛んでる理由がある のかわかんないけど
おだしょー そっか
三瀬 そうそう
おだしょー そっか
三瀬 うん
三瀬 昔クイズやってる時に
おだしょー うん
三瀬 ミネ君はペーパークイズ でできるだけ漢字で書こうとしてる
っていう
おだしょー そうそうそう
三瀬 はいはい
三瀬 漢字で書こうとしている っていうのをやっているのを見た
もうクイズ王が
おだしょー うん
三瀬 ミネさんはミネさんのもの さしでやってるんですねクイズ
王っていうふうに
おだしょー うん
三瀬 そう言われた時に
おだしょー うん
三瀬 そうって言われたってエピソード を聞いた時に
おだしょー うん
三瀬 まさに今のさっきのクイズ 大会に出る時っていうのは別に
こうクイズ大会で勝とう勝利しよう
おだしょー そうですね
三瀬 高校の中だったら自分はどれぐらい
だろうっていう
おだしょー そうですねあとまあ
三瀬 携帯の遅らいで言ったらね
おだしょー そうですね
三瀬 大体
三瀬 携帯の遅らいで言ったらまあ 芸術意だろうみたいな
おだしょー あお前すげえな一番じゃねえかめちゃ
めちゃめちゃな人ですそんな気持ち で来る人
三瀬 あとあのですね自分のものさし
があるっていうのだとこれもちょっと 前JATOラジオで話したんですけど
単純に早く押そうとするっていう
おだしょー ああそうそうそうそうそれもすごい
こだわってるよね
三瀬 そう得点は増えないけど別に
早く押したところで
おだしょー そうそうミンハヤでみんなが
一着でもあろうと二着であろう と同じ10ポイントの企画であって
も一番で押そうとはするんだよね
三瀬 しますね
おだしょー そう
三瀬 早く押したい
おだしょー それもなんか三瀬君の中のもの
さしでどこまでであって自分は答え 正解できるかなっていうのを試して
るんだよねだからね
三瀬 プラス派手好き
おだしょー そういやーっていうのを
でああなんかそっか確かにそれは 自分のものさしだというふうに
思った
39:00
三瀬 うんうん
三瀬 うん
おだしょー うん
三瀬 うん
三瀬 その何だろうそのよりたくさん 点を取ったりより確実に点を取る
そのセオリー的な戦い方からしたら 外れてるわけじゃない
おだしょー そうですね
三瀬 うん
三瀬 で周りの人から見ると
おだしょー はい
三瀬 不可解に見えることもあるよね
それはね
おだしょー そうそうそうそうそう なんでこの点数このポイントを持ってん
のに
三瀬 うん
おだしょー こんなところで押すんだろうっていう
ふうに思われたりするっていう
三瀬 はい
おだしょー するでしょうね
三瀬 ああ
三瀬 それはそうね難しいけど心よく 思わない人もいるよね
おだしょー そうですね
三瀬 うまくね
三瀬 あの
おだしょー うん
三瀬 うん
おだしょー 心の中で詫びてますね
三瀬 うん
三瀬 うん
おだしょー そう当然ギリ構わない ことをやってるしそれによって
他の人も何かこうペーパーとか だったらこんな人を邪魔することは
ないんだけど
三瀬 みんはやが
おだしょー それによって人のプレイング
を邪魔する
三瀬 みんはやが
おだしょー みんはやも早いところで押すこと
によってあれ早く押さなきゃ いけないんだっけって思って
勘違いして
三瀬 つかられちゃうって
おだしょー それについてはごめんなさい
はすいません正直そこはなかった
三瀬 ああそういうふうに思ったこと
だった
おだしょー おっさくで潰しちゃうの
だけ申し訳ないと思ってましたね
三瀬 うん
おだしょー みんはやに関してはね
それは
三瀬 まあね
おだしょー まあルール分かってれば
三瀬 そうそう
おだしょー することなんだけど
三瀬 うん
三瀬 つられるつられないも結構みん
はや上でのそのマインドの持ち方 みたいなところは
おだしょー うん
三瀬 あるあるある
おだしょー うん
三瀬 それでは確実に人の回答機会
以降返報しくいずというのは
おだしょー まあそうですね
三瀬 このほうがあるので
おだしょー ああ返ぽくなった
三瀬 まあそうですね
三瀬 そこであの
おだしょー ね
三瀬 なんだろう
三瀬 えっとしょうがないに関係ない
ところで押すんじゃねえよみたい
の思う人もいる
おだしょー いる
三瀬 だろうし
おだしょー いるでしょね
おだしょー あとは文脈
おだしょー うん
回答権取れないのかなって思わせ ちゃうとかね
思われます
フラグでは全体の選挙区なんで しょうがないよねっていう
そこはまぁこっちもそこは気にしないですね
でもそういうスタンスだということが
知れ渡ると
やりやすく
見るとやるときにやりやすいだろうね
あの人はああいう人だって
いやあの私としてはやりやすくていいと思ってます
やりやすくやってほしいですよね
いややりやすくなってほしいというか別に
そこは気にしない
相手がやりやすくなるのは気にしない
うんはいはい
で戻すと
だからクイズの暴力性の話に
この前なったときにはそういう風に
問題文の構造とか
なんでこういう風なところで揃えたり
なんだりするかとか
それに対してなんでそういう風な
もうやっぱそっちの方が
じゃないと
あるクイズ大会ある形式ある問題文の
分量では勝てないって思うと
やっぱりそれは苦しいじゃん
辛いじゃん無理ゲーじゃんと思うところが
競技クイズってところに行く
やる要因としてはなんかあるかもしれなくて
42:00
それは確かにそれは一つの暴力性を緩和している
ことになってんだなって
僕はそこで思ったのが
すごいこう
新しいというかちょっと気づいた
気づかされたところ
コミュニケーション的なクイズでいいじゃんって
初め僕は思ったんですけど
それはそれの辛さがあるんだなって
ただ順番は逆だと思うんだよ
と言いますと
順番は逆っていうのは
今その学生とかがクイズに触れるっていう時に
そのクイズって必然的に
競技クイズだと思うんだよね
で競技クイズから入って
これを覚えていけば
ペンパーの点数が上がって
ここで押すと確実にボタン
正解が出せるっていう風に思っていたら
そうじゃない世界が
社会人の方に広がってて
聞いてねーよってなるっていう順番だと思う
だから何か理不尽さが増すのかな
僕が言ったのは
コミュニケーションクイズ的なところで
実存を手伝ったり
人生経験なのか何なのかみたいなところで
出てきてしまったところに
競技クイズに行くっていうプロセスで言いましたけど
そこじゃないから
もともとあるところがあるのに
それじゃない世界が先
ちょっと違うとこ行ってみたら
全然違うそういうところがあって
ちょっと探したなっていって
別にそれでずっと競技をやり続けるってことになる
流れもずっとこれから起きるでしょうかね
ずっと競技をやり続けるとして
競技をやり続けると言って
社会人になったら
競技クイズをやってるところって
極端に減るわけじゃん
そうですね減りますね
求め リソース避ける 避けないっていうところで
結構如実に差が出てくるからか
そのやり方
同じやり方
僕らも今競技クイズとして
ABCみたいなものを想定して言っているけれども
それってABCって基本問題学生ナンバーワン決定戦でしかなくて
応用問題とか社会人のことは入ってないけど
例えば勝ち抜け入って
ものすごく競技性を意識した大会なわけよ
毎回同じフィールドを用意して
同じものを用意して
記録を毎回つけて
次へのモチベーションを高められるように
ものすごく整備されている大会なんだけれども
学生からすると基本問題があったり
45:01
基本じゃない問題があったり
変な切り口の問題があったりするので
自分の覚えたクイズ力が思うほど過激できない
ところが社会人としてはそういう
社会人というか昔からやってる人からとしては
そういういろんな切り口から出るクイズ
っていうのはおなじみのものだし
さらに勝ち抜けハイマニアの人は
勝ち抜けハイマニアの人は
ABCの問題はこういう問題が出るという信頼と
同じように三木友孝さんはこういう問題を
こういう切り口で出す
今だったらこれをこういうふうに決まっているって
いうような信頼があるから
ものすごいポイントで
ものすごい問題を押すことができる
一方で面白かった
相当話は面白かった
やっぱり信頼なんですよ
信頼っていうのはその価値観
共有ですね
価値観の共有 価値観のインストールであるわけで
もちろん三木さんがこういう問題を出しますと
口で言ってるわけじゃなくて
問題文から読み取るわけなんだけども
そうですね
問題集とかから読み取るわけなんだけれども
岩内クイズってそうだと思うんだよね
岩内っていうのはテレビ番組のクイズ
ウルトラクイズだったらこういうことを聞いてくるだろうとか
アップダウンクイズだったら
アタック25だったらタイムショックだったら
こういう聞き方をしてくる
それに合わせてみんなチューニングして勉強して
この番組はこういうのが出る
例えばアップダウンクイズだったら
シルエットクイズで時の人が出てくるから
こういう時の人のプロフィールを
いろいろ調べておこうとかね
そういう対策をして
それぞれの番組にチューンナップしていく
その中でいろんな番組で共通して出てる問題があるなっていうことで
問題集みたいなのも作ったりしていくっていうのが
昔のクイズのあり方だったわけなんだけれども
テレビから外れたクイズ大番組がなくなってからの
90数年から90年代半ばから後半にかけて
オープン大会の時代があるわけじゃない
オープン大会の時代っていうのは
最初の頃はある程度
テレビ番組の模倣をして作っていたところがあったけれども
95年ぐらいから大体オリジナル路線に
難問路線とかに入って
48:02
拡大役とかが異論を出す
いくことによって
価値観
回答者と問題政策者が同じ側に立ってしまった
ニアリーイコールになってしまった
問題政策者の考えを読むとかじゃなくて
問題政策者が俺たちと同じ立場のやつだって
だったことが一つ大きな転換点だと思うよね
それが良いとか悪いとかじゃなくて
それで思うのは
だとすると勝ち抜け敗は勝ち抜け敗という
やっぱりその中での世代ある程度の世代というものが
上に上がっていっているというか
年を重ねることに年を重ねていっている
難しいなぁ勝ち抜け敗って
初期の勝ち抜け敗ってドベタ問題しか出なかったんだよね
路線は変わっている路線変更しているのか
それはリスさんのライフステージによるんだよね
大学任年の時に始めてるから
初期勝ち抜け敗は勝ち抜けを試行して
ほんと第1回勝ち抜け敗ってペーパー問題があって
これを8割取れた人だけ勝ち抜けですみたいな感じだったから
全然試行その時路線変更があったけど
今の勝ち抜け敗はっていう話だったり
何思ってるかっていうと今の話で別に良い悪いじゃないじゃないですかって思っているから
別に何に問題意識を持ってるわけでもないんですけど
だから学生が学生ABCを目標にして初めて学生が
すごい人気のイベントになったから
甲子園のように甲子園を目指した9時っていうのが
甲子園を目指して甲子園が終わったんで
じゃあもう卒業します野球卒業しますって言って
スパッと辞めるっていう人たちは大多数だと思うし
それはそういうもんだろうと思ってるから
青春ってそういうもんだろうと思ってるからいいと思うんですけど
その中でもクイズっていうものを続けてもいいかなって思う人っていうのが
続けてたらいいなーって思っているんだけども
それがかたや大会で勝つっていう目的を置いていくと
勝てない大会ばっかりあんなって思うだろうし
それでモチベーションが下がっちゃう原因になる
原因になるだろうなと思うし
モチがね
51:00
逆しかないよく分かんないんだよモチベーでいい
ベーションよりはいいだろ
ベーが大事
ベーションよりはいいだろ
ベーションも全然違うものの略になっちゃう
よりはいいだろモチのほうがマシだよ
モチベーもイソベモチの略かもしれないし
あそうね
モチベイソ
で一つの解決策としてだからさっきの勝ち抜け杯的なやつっていうのは
若い世代が入ってきてもうそれはちょっとどうしようもないってさっきの
価値観の共有の読み合いの話っていうふうな話になってきたとすると
同じようにこのABCやっている人たちが同じような世代間で集まって
固まって社会人になっても大会をやってその大会に参加するっていうふうに
ずっとただただこう上に上がっていく集団が上に持ち上がっていくっていう
存続の仕方はまあ勝手としてはあるよね
確かにね
まあ一点思った一点思ったんだけど
それが良い悪いじゃなくてそういう掘り方で残っていってんだったら
残っていってくれるんだったらいいんじゃないかなっていうのは一点思っているのと
もう一個は
僕はそのコミュニケーションのクイズっていうのを別に
こういう競技でABCを目指して集まったけど
集まった以上は集まったなりの中でそれぞれのコミュニケーションなり
コミュニティができるじゃないですか
学生サークルって学生サークルの同期だとか
学生サークル世代の中での仲良しっていうのが
別にクイズじゃなくて仲良しになっていったりするじゃないですか
そうですね
っていう仲良しができてるんだったらその仲良しの中で
競技じゃないクイズを作って出していってもいいんじゃないかなっていうふうには思って
やってんじゃないかなって実はやってんじゃないかなうちわではっていうふうなことをちょっと思ったりして
クイズ以外のところで価値観の共有ができてる場合はね
そういうのができるよね成り立つよね
そうそう生活の価値観の共有もしてるんだったらとか
もしくはクイズを通じてできた友達だけど
だから別にそれに対して俺が知ったことで
競技クイズっていう別に観点で探したもんじゃないものを
この人たちに出してもそれで正解が出なくても
別にそこのことで話していればいいんじゃないかなっていうクイズを
やってんじゃないかなとか
だんだん自分たちに寄ってきたぞ
それはすごい自分たちに寄ってきたね
だから僕らはそういうクイズでもいいじゃないかっていう別に
オルタナティブで始めたわけじゃなくて
必然そういう問題しか作れなくなっちゃったからそういう風になってったっていう
みんな必然そうだと思うよ
必然学生時代に競技クイズをバリバリやってて
仲良しの仲間で月一とかに集まって
54:04
久しぶりにクイズもやっかってなった時に
じゃあ転売店ねってなると思うよ
なるよ転売店ねってなると思うか
その時に作る問題も別にそういう問題の中で
同窓会的にずっとやっぱり続けられるんだったら
それはそれで別に一個の形だから
それは僕がさっき言った大会
同じような世代で同じような価値観共有してる世代が
大人に社会人になっても大会をやって
その中に参加し合うっていう大きい集団として
上に上がっていくっていうのの
ちっちゃい版ですよねサークル版として
個々のサークルは残り続けるっていうんだったら
やり続けて乗り越え続けてるんだったら
別にそれはそれで一つの形だなとは思います
問題をさ僕らが作るようなって言って分かんないけど
それが同じかどうか違うか分かんないですからね
これちょっとまた後で話したい
ほらちんじんいれんじんってなったかな
後で話すけど
自分のフィルターを通したクイズっていう問題の作成の仕方っていうのがあるんだけど
これすごく話したいんだけど
そういう問題を作ること
それを受け入れてくれる人がいること
っていうことが条件で
自分のフィルターを競技クイズ公文文法なんとか
みたいな切り口みたいなことに合わせないと認められないとか
認めるっていうのはやっぱりあくまで大会とか
そういう競技をするっていう場において
それに対して価値を目指して
成長を目指していろいろ取り組んできたんだけど
それをやっていく中で
さっきの話だったら学生から社会人になるときに
だいぶそれの維持が難しくなる
リソースがだいぶ制限されるので難しくなるという状態のおいて
それをずっとやり続けるって結構大変だと思うから
その活動を通して今言ったフィルターを通した問題を作って
そのフィルターを通した問題でも受け入れてくれるっていう人たちっていうのは
できてると思うから
そういう中でクイズやっていくっていうのもあるのかなって
やってるんじゃないかなって思っている
そうね
なかなかでも作っていくのが難しいし
自分だけ作ってもなかなか浮いてしまうところはあるので
クサ野球やってるのに
57:02
なんでボールじゃなくてトマト持ってきたんだみたいなことになると思うんで
それがね受ける答える人含めた全体として
別にいいかっていうふうに思えるかどうかっていうのはありますね
僕は結構楽観視していてそれぐらいのこと
今の100パーゼロイチゼロでもなくて
さっき言ったバラエティクイズと競技的クイズの分量みたいな感じで
まあ結構みんな分量グラデーション持ってそれぞれやってんだろうなって期待して
だからそんなに何を期待して何を問題視してるのかあれですけど
結局問題視してるのは何かって言ったら
ある種ABCでみんなバーッと始めるけど
ABC終わったらドーンって減ってしまうってことを
心配してんのかっていうと
それはそれでいいと思うね
大体こうしえみたいなもんだから別にそうだろうと思うし
ABCがなかったとして始めてる人がそのまま残ってるっていう図じゃないかと思っているし
公支援というよりは箱根駅伝で
その後日本の陸上界に貢献しないみたいなそういう話
レベル7かもしれない
箱根駅伝で終わってしまってマラソン界が充実しないっていうような話に近いのかもしれない
でも僕は僕の立場として別にクイズ界に貢献したいとかって全然思ってない
クイズ界全体が盛り上がってほしいとかも思ってなくて
ただやってんだったらやって楽しいっていうことがちょっとでも他にあってもいいなって
あったらいいなと思うけど
辞めるは辞めるでいいけどって
逆にそれでこの大学でやってたことを続けるのがしんどいので
クイズっていう行為自体は面白いけど辞めますっていうような人が
仮にもしいるんだったら
さっき言った続け方とかやり方みたいなものが出ていったらいいなとも思いつつ
でもそんな俺が言ってることなんてもうすでにそんなのってボコボコできてんだろうなって楽観視をしてます
それがいやそうじゃないんですよってなったら
こういう方法とかこういうのをやってもいいんじゃないかなっていう風に言ったりすることで
どっかの人がやるきっかけになったりすれば嬉しいとは思うよ
こういうスタンスもあるよっていうことがどっかにいるっていうことが
この埋もれたところの中からどっかで見つかれば嬉しいと思うよっていう話でした
自分たちの存在が多様性を広げるという意味があってやっぱり
こういうのもありなんですよっていうのを
存在することによって示すっていうこれ自分が個人レベルで意識してるそれもあるんだけど
借り上げ君みたいなもんですよ
それはねこっちがわかんない
顔がボンって爆発するってそういう話?
いやみんな借り上げ君見るとみんな自信持てるなんてね
ホッとするっていうエンディング
借り上げ君のエンディングテーマでしょ
1:00:01
タカタカシ作曲家
ほんにゃら少人
ああいうやつもいるんだなっていう風に思うことで
いてもいいのかな?いるんだなって
いてやってるやつがいいんだなって
クイズやってるやつで
そんなちょっと昔のハウスマヌカみたいなやつ
そうボッチャン狩りともちと違うんですよ
どうもジャスティックラップのものですが
終了終了
1時間経ったからちょうど1時間経ったんで
じゃあ一旦これでまた2回目聞きまして
じゃあ3回目はちょっと最後言いたいなかった
さっき言おうと思ったフィルターを通すところの話をちょっとして
残りの時間でちょっとお便りをやれたらと思うんですが
4時になるからミネ君がどうなるかを私と話しましょう
そうですねちょっと下で冷やしシルコを食べてくる可能性が
ありました冷やしシルコ休憩があるかもしれないです
シルコ休憩がね
じゃあまた
シルコ姉さんまたね
01:01:02

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