思いと感じるの探求
おだしょー はい、この頃結構落として、GPTさん
おだしょー ちょっと待ってください。一回共有します。
おだしょー はい。
ちょまど はい。
ちょまど お願いします。
おだしょー はい。近い頃、私の関連方をちょっと見るのに、この頃
チャッピーさんにGPTさんにお聞きするのを最初にやってて、なんか私の思っていることっていうか
考えていることと結構よく似たことをちょっとアトピートしてもらっているので。
ちょまど どこまでがおだしょーなの?
おだしょー 私のやつは一番最後にちょっと感想っていうか、ちょっとちょこっとつけてます。
ちょまど じゃあもうほぼほぼチャッピーさんが言ってるってこと?
おだしょー これに関しては、私のやつは変身という形でくっつけてます。
ちょまど はい。
おだしょー ちょっと分かりづらいので、アウトプットしたものと私が考えたこととそれに合わせて。
なので、ちょっと何て言うかな、思いっていうか、自分、思案っていうか、
どうしても私がやっぱり言語化する、言語化っていうか、やっぱりそういう形っていうか、そういうところにやっぱりこだわってしまうということもあったんです。
なので、その中でやっぱり感じるってこと、自身をどうやって自分と向き合っていくかって感じるんだって考えたときに、
そういえば言語化する前に、やっぱり自分がどういうふうに感じるっていうか、言語化する前の表現の仕方っていうところを大事にしたほうがいいのかなっていうことで、
昔っていうか数年前にオノマトペカードとかそういうところを作られている作家さんにちょっとお会いしたことがあったので、そのときのことを思い出したりして、
何かそういうことで、やっぱり思いっていうところを大事にしていけたらなぁということを思った次第です。
生体反応とコントロール
はい。
それです。私の感想っていうのは下の方に出てます。
思ったより言ってましたけど。
心を研ぎ澄ませているところが、本当に心っていうか、それのことに向き合っていなかったっていうか、そういうふうなことを感じるこの1ヶ月ほどなので、ちょうどいいお題だったと思ったので、はい、飛びついてます。
はい、ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
はい、じゃあ、せーので。
はい、せーの。
ポンポンパ、ポンポンパ、ポンポンポンパ。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあ、奥川さんいきますか。
えっとですね、感じるというのは生体反応なんで、
言語化される前の体の反応を言うんではないかと。
それはちょっとコントロールできない領域にあるのかなと。
その感情を表現するのは後から説明付けされるイメージです。
思うっていうのは情報を編集して言葉にしたもの。
言葉にしなくても頭の中で編集している。
なのでコントロールができるということだと思うんですね。
で、この感じる時の通り道、経路と動く時の経路は全く違うような気がしてて、
感じるは体の方から脳の方に向かっていってるんですよね。
思うっていうのは頭の中だけで思ってる感じがするんで、
それが違うのかなと。
キネシオロジーとか部学でもやってるPQSとか、
あの辺は体に効いてる、そういう経路ですよね。
あんまり思考は挟んでないっていうか、
どう感じるかっていうことでいろんなことを判断して情報を得てるというイメージで。
今ちょっとオザッチのを聞いてて、
感じるっていうのはオノマトペっていう表現が一番、表現するとしたら
当たりくるのかなというような気もしました。
今のところそんな感じです。
はい、せーの。
ありがとうございます。
私は手書きで書きました。思う、感じるとは。
思うは思考する、論理的に世界を捉えようとしている。
今までの経験を土台にしている。
感じるは体の五感を通して感じるために感覚的に耳を澄ます。
感じるためには耳を澄ますみたいな感じだと感じられるんじゃないかな。
感じることは子どもが得意、思うということは大人が得意だなっていう。
思うというのはすごく蓄積していくけれども、
感じるは感性が蓄積されるというのとはちょっと違って、
筋肉と同じで鍛える感覚があるみたいな感じなんですよね。
だからある程度訓練するとか繰り返しの訓練をして、
その子を鍛えていくみたいなことが必要なんじゃないかなというふうに
なんとなく思うと感じます。
信頼感と感覚の拡張
はい、以上です。
せーの。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
感じです。
なんかどうですか。
ちょっと質問したいとか、ここ話したいとかありますか。
感じる時に鍛える、感性を磨くっていう感じですかね。
磨くとか鍛えるとか、
微細な感覚を磨いていくとか鍛えるとか、こんな感じかな。
その感覚、知観するというか、
そこを知覚できる領域が変わる気がする。
感覚のある感じる感性によってというか。
ある程度鈍い、もしくは鈍くさせているところもすごく今現代人に多い気がするんです。
敏感になっているとすごく厳しいというか、
そのアジャストするのが厳しいから、
鈍感にさせるようにみんなそれぞれ持っていっている感じもするというか。
もしくはあんまり敏感な人は非常に生きにくい社会。
特に昭和はそうだったんだよ。
要は見えるもの、見えないものも見えてしまうみたいな人はすごく生きにくい世界だったんだけど、
今はだいぶそこは変わってきているのかなーみたいな、私は感覚なんです。
奥村さんの感じるとか考えるを聞いていたときに、
私はどちらかというと感じるブラックボックスがもうすでにあるという感じの方が強いんです。
例えば鍛えるという前の時点というか、そのある時点においてはこのぐらいしか聞けないよというものもあるし、
もしくはその感情の反応というのはもうすでにそこにあるから反応するだけみたいな。
もうそれは予期するとかじゃなくて、
そのもうお膳立てが全てシナリオ通りに打ち込まれている感がすごくあった。
びっくり箱みたいに。
そうそう、びっくり箱がある感じ。
でも、なんでびっくり箱になるかというと、自分が無意識だということなんです。
一方で無意識なんだけど、そんなダメな私を知っているみたいなところもあると思うんですけど、
普段はもう忘れているから、
ほら、やっぱりあなたはこういうことをやったよね。
人から言われる声も聞けることもありますけど、
実は自分が一番辛辣な審判のような。
だからそれはある意味審判になるというか、
ほらやっぱりねっていうことは嫌いがすでにあるとか。
でもそれが嫌いにあるんだけど、
普段はそこに反応するという自分を認識していなかったりする感じもするんですけど。
でも、あるかなしかといったら、そのお膳立てはもうすでにその前に決まっているという感じがすごくするんです。
だから、ゼロリセットとかトラウマリセットとかやっているのは何をやっているかというと、
そこをゼロ化してその領域を広げていく。
どんどん反応しないような、自分どっちでもいいやっていう領域を広げている感じがすごくする。
びっくり箱のフタをどんどん開けていくわけですね。
どんどんフタを開けていくからびっくりしなくなるみたいな。
ああ、そうきたかみたいな感じになっていくと、
ある意味、裏返すとそれはどうなっているかというと、
世界に対して信頼感が増していく感じがする。
びっくり箱が多すぎると、なんかドキドキするとか、もう不安だよねとか、
そういうのが最初からある感じがするんですよね。
びっくり箱が多すぎると。
こんなびっくり箱の多い世界なんて全く信用できないし、
何があるかわかんないでしょっていうふうに言ってる感じ。
でもそれがある程度開けてきちゃったら、
何があってもこんなもんでしょって、あの時も大変だったんだから、
わかんないけど乗り越えられそうな気がする、みたいな世界の信頼が増していくのかなと思ったりする。
なるほどね。
どっちかというとその感覚かな。
なるほどね。
だから、例えば不安が多いんだよねっていう人は、
びっくり箱もっとどんどん開けちゃえばいいのにみたいな。
バンバンバンバンふと開けてきちゃえば、
全然怖くないよねって話になるよねみたいな。
逆になんか恐ろ恐ろ開けてるから、
うん、みたいな。いやでもまだ開けてないよねって。
開けたらそんなのなの?みたいな。
なんか開けるちょっと手前のとこでは猫の手がバンってくるだけで、
ウォーみたいになるみたいな。
なんだ開けたら猫の手があっただけなんだ、みたいなそういう感じ?
うん。
なんかそういう、なんか世界ってそんな感じかなと思う。
うん。
だから不安の人にはどんどんドキドキしながら開けるお手伝いをしたいみたいな。
そんな感じ。
どこかだからそれを開けたところで、
絶対面白いことになるに決まってるじゃんっていう感じもあるんですよね、私の方に。
その人は不安が出たとしても。
でもなんか一方ですごくそれを、
そこの蓋を開けてしまう、させてしまうというか、
なんかそこの世界に引きずり込むような、
私自身の罪悪感っていうのもちょっとあったんですよ、昔は。
それは本人が望んでないからじゃないですか。
そうそう、望んでないから、それを私が近づくことになることによって、
なんとなくその蓋を開けさざるを得ないくなる状況に持って行ってしまってる、私がみたいな。
でも今は別に、
まあそこに近づいたってことはそうなる運命だったんだね、諦めてみたいな感じに、
ちょっともう、なってるところもあります。
だから罪悪感とか感じなくなった。
なんかありますか、質問とか。
誰かに対してとか、もっとここ話したいよね。
本当に感じるってどういうこと?
なんか不安を感じているっていうこと自体、
これっていうのはただ失敗するかもしれないと思っているっていうか、
そういうのは思うってことだったりとかもするんですよね。
感じているって言っておきながら、なんかチャッピーさんの方の例っていうか、
さっきのやつに続きがあって、何かそういうふうなことの解説もあったんで、
そう言われてみれば本当に恐怖っていうか、
ゾワゾワっていうふうな感じ方はしているものの、
思考が回ってするようなことで、予想っていうか、
やっぱりこうだからっていう意味での不安っていうか、
感情が後に来てるんですよね。
思うほうが先にあって。
なんかそういうふうなことをよくよくやってて、
何か躊躇してるんだろうなっていう。
そんなこともずっと?
だからね、私がやってるやつではあれなんですよ。
思考と感情が一個セットになってトラウマ化してるっていうふうに言ってる。
だから切り離せない。
もしくは切り離してリセットしたとしても、
片側が残ってるじゃないですか。
そうするとこっちが復活しちゃうんですよ。
なので、これをバンって取った、その後とバンってリセットして、
もう早々に返していくということをしないと、
ゼロ化できない、本当には。
っていうふうな説明をしているので、
切っても切り離せないようなところでもあるので、
多分、どっちが先かどっちが何とか。
多分セットになって、私たちのエネルギー体としてはくっついてる状態。
だからそれを切り離した一部だけを
リセットしても多分戻ってくる。
なんか、頭だけ切っても頭が復活し、
尻尾だけ切っても尻尾が復活。
に近い感じですかね、感覚と。
だいたい体験って、
ああって驚いたとか、
うわー怖かった、あれは悲しかったねと。
まず感情が先な気がするんですけど。
その後に、なんでこの感情を受けたのかっていうのを説明するじゃないですか、自分が。
例えば私は悪い子だから、こういう悲しみの世界に連れてかれるんだとか、
例えば叱られるような悪い子だから、私はそれに対して罪悪感を持っているよとか。
そういうふうに、
罪悪感を感じるプラス、
信念がくっついてくる。思いがくっついてくる。
それで、軽く思ってたのが、
大体そういう時に、それを強固としてくれる出来事がまた起きる。
ほらやっぱりあなたは、例えばムスだから嫌われるのよ、みたいな。
それは非常に残念だね、みたいな感じで、なんか強固されていく。
また振られたりすると、ほらやっぱりそうじゃない、みたいな。もっと強固されていく。
思考と感情の関係
そうすると、それがトラウマ化しているみたい。
そうすると、ちょっと嫌われることを言われるようなものなら反応が出るから、
あの人ひどくない?みたいな怒りになったり。
言わせとけばいいや、みたいな感じじゃないですよ。でも、あの人ひどくない?みたいな。
ちょっと怒りが出てきたり。
どちらかというと、それを言われたことに反応している自分は、
あの人を傷つけるようなことに回ってしまったり。
そんなことも反応なんじゃないかな。
攻撃することで防御する。
そんなようなことは知ってるんだけど。
でも、あれだったら面白かった。
今の説明とかってどんな感じしますか?
僕村さんと聞いて。
全然違ってもいいと思うんです。
自分の思考をだんだん強化していくっていう面はありますよね。
信念みたいになって。
それがちょっとゼロ化するのに難しい部分なのかなって思ったりして聞いてましたけど。
長年それが染み付いてしまったら、なかなかそれを払拭するのに時間かかるんじゃないかなと思ってました。
どっちはどうですか?
表裏一体っていうところで、強化っていうか、
やっぱりオオカミが来るっていうのは変なんですけど、
そういうふうなことで、
そういうふうな恐れっていうか、
そういうふうなところで、
やっぱり感じるっていうところ。
感じるっていうのは、感情に蓋をするっていう、
私の場合はそういうふうなことを、そういうふうな傾向にあるっていうことは指摘をされてはいるんですけど、
メイカ人リズムの中っていうか、やっぱり感じるっていうこと、
自身って感じてしまうのがやっぱりいけないっていうか、
なんかそういうふうなところが、
そのあたりっていうか、気になってしまうっていうこともあるので、
結構こういう、なんていうか、自分のドラマとかそういうのにやっぱり引っかかると、
結構言葉にもろに出てきてしまうんで、私の場合は。
どうやって避けていって言葉にするかっていうところが、
結構ギリギリの線を進めていかないといけないぐらいちょっと、
ややこしいっていうか、本当に向き合ってる、
今進行中の課題なんだなっていうのが改めて思いました。
オノマトペの重要性
なんか変な方法っていうか、やっぱり気を逸らす方に持っていってしまうんですよね、自然と。
自分が?
うん、自分自身で。
もう癖だよね、それは。
うん、癖ですね。
どっちでもいいようにやったらどうですか。
感情を抑え込むっていうふうに言いますけど、本当は抑え込めてないと思うんですよね。
必ず反応してて、それを気がつかないふりをしてるというか、認識しないふりをしてる。
そこにやっぱり無理が生じるっていう感じがするんですよね。
体は感じてるのに、知らないよって、頭にしていく。
もししようとしますからね。
でもそれが先行くとやっぱり眼科するとかってなるんじゃないですかね。
結局は、いろんな小暴り。
やっぱりそこをギュッとしてしまうから、小暴りになって動かなくなるか、眼科するか。
がんも一種の維持管理方法なんじゃないかなと。
そこの全体的な世界を引き延ばすために一応眼科することによって変えようとしてるみたいな。
なかなか良事だなと思います。
じゃあ感想をまして、今日は早めに終わりにしましょうか。
はい。
はい、準備ができた方あれば。
だいぶおだちだったな。おだちが来れたな。
この時間っていうか、なんかメッセンジャーとかそういうのに気がつけば来ようと思ったら、
前ちょっとそれで手遅れだったとか、
別のやつにモロガンボリーだったりとかもしてたんで。
なかなか、お続きで一気に喋ってしまいますが、
本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
本当に私の課題っていうか、そっちの方にモロに当たってしまってて。
腹立ってしまったんで。
そういうふうになんですけど、結構深刻にならずに話せるレベルで一応収まってるっていうのが良いのかなと思ってるんで。
結構そういう意味では他の人と話すこと、
あとチャッピーさんの解説を利用するっていうのは良いやり方だなっていうのは思ったので。
こういうやり方でまた次回もちょっと、
次回っていうか別の機会にでもちょっとトライできるっていうのはちょっと良い発見なので、
良かったと思ってます。
ありがとうございました。
ということで、
ぽんぽんぱ。
ありがとうございます。
じゃあ僕いきますね。
ちょっと頭の中があんまり整理できてなかったので、ちょっと整理ついたかなっていう感じがしてます。
感じるっていうことをオノマトペっていう視点はあんまりなかったんですけど、
日本語って本当にそういう感じるっていう感じたことを言語化するのに、
言葉になる前のこういう感じっていうのを音にするっていうのがすごいことなんだなっていうふうに改めて気づかせてもらって良かったなと思ってます。
なんかこれからいろいろ思ったり感じたり繰り返すと思うんですけど、
そのたびにこれは何だろう、どっちかなって。
考えながらいろいろ考えたいなと思いました。
はい。ありがとうございます。
せーの。
ぽんぽんぱ。
ありがとうございます。
改めてありがとうございます。
私もちょうど今日感じる、考える、そろそろもう一回どうやって説明していこうかなとか、
ポーズをもう少しブラッシュアップしたいなと思ってた時だったので、すごい良い題材をいただいたような気がします。
どういうふうにまた伝えていくのかとか、どういうふうに考えて自分も実践していくのかな。
その中でオノマトペという考え方もあるし、やっぱり体を通して感じるという方法もすごく分かりやすいし、
またちょっとこの辺もまとめていきたいなと思っています。
ありがとうございました。
次回の予告と告知
はい、じゃあスピードアップを閉めて、せーの。
ぽんぽんぱ。
はい、私のちょっと告知なんですけど、
ここに出ていらっしゃる方とか、もしも私がやっているトラウマリセットというか、ゼロリセットは新たにトラウマリセットみたいなのを入れた1時間のカウンセリングみたいな、
投げ線で100名ぐらいにやろうかなと思っておりますので、もしもご興味があれば、
もちろん無料でもいいし、ちょっとこのぐらいでやっているのでもいいし、それはお任せしますけど、
1時間60分の中で、必要であればタロットもやりつつ、
普段はもうちょっと時間をかけて聞いているというか、もっと包括的に一生をザーッと全部見ていくような、
1日かけてカウンセリングしたりとかです。志を出すまで延々とずっとリセットし続けるみたいな、1日かけてやったりとかしてるんですけど、
今回は60分でどの辺までできるのかな、そんなことをやろうかなというふうに思っているので、また来年でもご興味があれば、
エントリーしていただくのが25日中には出そうかなと思いますので、よろしくお願いします。
では、あと来年はまた、もしも全然問題がなければ、1月の第3週ぐらいしたいかなと思ってますけれども、
何かありますか?第3週?第4週?
第4週か、いつも。28日になる。28日か21日がどっちかがいいとかあります?
29日がいいですね。
29日?29日がいいですか?木曜日?間違ってる?私。なんとなく今水曜日にしていて、
21日か28日ぐらいがいいかなって思っていたんですけど、21日、28日が両方とも、どちらかと調子が難しくて、29日がいい。
28日でもいいや。いいです、いいです。
22日は前みたいに完全にかぶりますんで。
21日か28日、今。
21日か28日ですか?
そう、水曜日。
21日はどうかな?
21日の方がいいな。
え?
21日の方がどちらかといい。
ほんと?
水曜日になったんですね。
なんとなく今第3週か第4週の水曜日ぐらいになっていて、今来月決めようとしているので、もちろん。
水曜日だったら今のところは入ってないですね。
じゃあ、熊さん21日の方がいいの?
はい。
じゃあ21日にしましょうか。
はい。
はい。
はい、じゃあ1月の1・2・1ということで、1・2・1の1月21日に来月はしたいと思いまーす。
もういる人で決めてったほうがいいので。
はい。
ね。
では、良いお年をということで。
はい、良いお年を。
ありがとうございます。
バイバイ。
メリークリスマスでしたね、今日は。
はい、おやすみなさい。
おやすみなさい。
はい。