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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
サソリ座の女です。
番組宛にギフトとお便り頂いております。
まずはギフト、2回頂きました。
さなだゆきさんからね、勉強になります。
という、そういったギフトがあるんですよね。
頂きました。ありがとうございます。
そしてお便りも頂いております。
好きな品種は動詞さんから頂きました。
ありがとうございます。
志賀さんの幼少の頃の、まさにセンスあるねエピソード、
センスあるねエピソードに感心しました。
また聞き始めて半月の私の中で、ミスチルの回が実は一番、
ああそうだったのかなので、ちょっとミスチル回の話を。
もともと歌詞が入ってこないタイプなのですが、
最近の歌は何言ってるかわからんというのが現状です。
その中でもとりわけミスチルはアサドラのテーマ曲で、
半年聞き続けたにも関わらず、全然歌詞が入ってこなかった。
私は日本語の本来の肯定アクセントと、
逆の音階の肯定のせいだと思ってました。
ミスチルの曲は時に1オクターブかそれ以上飛ぶこともあり、
そんな時に限って肯定アクセントと、
逆の動きをしているのではと推察してます。
検証はしてません。
ミスチルに限らず最近の歌は、
複数網羅を一つの音に入れることが多いのでしょうね。
回文を楽しむようになったのは、
文字が読めるようになってからの私は、
志賀さんの幼少時代のセンスに関心。
ということで、好きな品種はどうしさん。
どうもありがとうございます。
冒頭の方の、僕の幼少の頃のエピソードっていうのは、
文字を通して初めて網羅っていう単位がわかるようになったんじゃないかみたいな話を最近したので、
それについてのご感想ですね。
ミスチルの話も確かにしたんですよね。
そのミスチルの話では、
要は1つの音符に2つ以上のカナーですよね。
2つですけどね、マックスおそらく。
違うかな。
2つ以上の網羅を載せるっていうことが、
特にミスチルでよくあって、
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例えば僕っていう単語は、
母と子それぞれに音符が与えられそうなものなんですけど、
僕。
で、これで1つの音を与えるみたいなね。
で、子の方は母音が無声化するかあるいは落ちたりして、
アルファベットで書けばBOKみたいなね。
そんな感じで発音されるっていうことがミスチルでは、
ミスチルの歌ではよくあります。
僕はねミスチルはあんまり聞かないんですよ。
そもそもそういうふうに、
1つの音符に複数のカナーを載せる。
網羅ですけどね、複数の網羅を載せるっていうのが、
なんていうかな、やっぱり字余り感みたいなのが出てくるんですよね。
それだったら、
やっぱり日本語の発音に適したのは、
1つの音符に1つの網羅だと思うので、
俳句とか千流とか短歌っていうのはそういうふうに音を数えますので、
日本語だったらそうやって歌う方が、
僕はね、それが好みなんですよね。
ただミスチルみたいに、
ある意味英語っぽくっていうか、
音節をこう無理矢理作り上げて歌うっていうのも、
それはそれでいいと思うんですよね。
それは否定はしないんですけど、
ただ僕が気になるのは、
これね、イノセントワールドがそうなんですけど、
イノセントワールドでは逆に、
そのサビの最後のところにイノセントワールドって歌うところがあるんですけど、
知ってる方も多いと思いますけどね。
イノセントのところのトっていうところを、
1つの音符を当ててるんですよね。
英語だとイノセントのこのトゥっていうのは、
シーンだけなので、独立した音節じゃないので、
英語だったら本来音符が与えられない部分なのに、
無理矢理トゥっていう風にして音符を当ててるんですよね。
僕はこれはちょっと気に入らないというとあれですけど、
統一されてないのが嫌で、
日本語の方を無理矢理
網羅から音節にしてるんだったら、
僕を僕みたいにしてるんだったら、
それを突き通して、
英語はそのまま歌えばいいのに、
イノセントワールドはトゥっていう風に、
逆に日本語っぽくしてるっていうのが、
統一感がなくて嫌なんですよね。
そこはすっごい気になるとこです。
お便りにあったその日本語の本来のコーティングアクセントと、
音階のコーティングが違うっていうのは、
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ミスチルもあるかもしれないですけど、
この話でね、僕が思い出すのは、
バンプのバンプオブチキンの、
彼女と星の椅子っていう曲があるんですよね。
これ結構初期の曲だと思うんですけど、
これもねサビの一番盛り上がる大サビっていうんですか、
のとこで、
そんな幸せはないよっていう歌詞があって、
ただここが、
メロディ的にはそんな幸せっていう風になっちゃってるんですよね。
僕はねどちらかというと、
そういうことを気にして、
曲とか歌っていうのは作られるべきだと思うので、
これもね確かに気になるとこでございます。
ちゃんと日本語のアクセントに合わせたようなメロディにすべきだと思うんですよね。
そっちを優先すべきだと思います。
言語学やってると、
いろいろ気になる歌とかあるんですよね。
ある意味まともに聞けなくなるっていうようなとこがあって、
例えばスキマスイッチの奏でっていう曲があって、
これすっごい流行ったので、
僕と同じように気になった方は多いと思うんですけど、
歌詞の中に、
違く見えたっていうのがあるんですよね。
本来だったら違って見えたでしょうけど、
言語に正しいも正しくないもないので、
別に違く見えたでもいいですけど、
言語学的な立場からは確かにそうですけど、
それはそれとしてやっぱ気になるものは気になりますし、
百歩譲って作詞の段階で違く見えたでもいいですけど、
いろんな大人が関わって、
世に出てしまってるっていうのが、
僕はそっちの方が問題だと思いますね。
止める大人がいなかったっていうことなんでね。
それで言うとね、僕はシーナリンゴさんも、
昔聴いてた時期とかありますけど、
シーナリンゴさんの曲だと、
古文っぽく、
歴史的金遣いを使って歌詞を書いてるようなとこがあるんですよね。
で、それが結構無茶苦茶だし、
古文的な表現とかも間違ってたりするんですよね。
やっぱりね、古文みたいなのは勉強しないと使えないものなので、
所詮ファッションでね、そういったものを使ってるだけなんだなぁと思うと、
浅いっていうか薄いよなぁと思ってね、
聞かなくなっちゃいましたね。
で、これも、
ついでっていうか思い出しちゃったから言いますけど、
多分今もやってると思うんですけど、
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NHKのみんなの歌でチェスボードっていうのがあるんですよね。
これヒゲ団の歌だそうで、
僕テレビ見ないんで、実家帰った時にこれを初めて聞いたんですよ。
今みんなの歌って何なんだろうって見たらチェスボードってあって、
チェスを題材にしてるんだと思って、
チェスっていうのはご存知の方多いと思いますけど、
将棋に似てるっちゃ似てるんですけど、
チェスと将棋が違うのは、
チェスって持ち駒使えないんですよね。
取った駒使えないのと、
あとは引き分けが異常に多いとかね、
そういったことがあるので、
そういった歌なのかなと思って聞き始めたらですね、
いきなりチェスボードみたいなこの世界へ、
僕らはルールもないままに生まれてきたっていう風に始まって、
チェスなんてね、ルールでガチガチなのに、
なんかすっごい真逆なこと言ってるなぁと思いました。
他にもね、最後の方になると、
果てのないこの板状とか出てくるんですよね。
チェスの板状って8×8の64しかないんですよ。
だからチェスボードとかチェスと真逆のことばっかり言ってて、
なんでこれチェスボードっていうタイトルにしたんだろうと思いました。
あとは自分で決めて歩いていくとか出てくるんですけど、
チェスってね、コマの動き決まってるので、
自分で動けないですよね。むしろ動かされる側だから、
これ多分ね、チェスボードっていうタイトルにしたかっただけなんじゃないかなと思うんですけどね。
最後のはあんま言語学関係ないですけど、
言語学やってるとね、音の面でも表記の面でも文法的にも、
色々気になるものっていうのは出てきます。
ので、今回ちょっと不快に思った方もいらっしゃるかもしれませんけど、
僕はね、100歩譲ってそれはいいと思うんですけど、
それが世に出てるっていうことの方が、さっきも言ったけど残念ですよね。やっぱね。
それでゴーサインが出てるっていうのがね、色んな人が関わってるはずなんですけどね。
というわけで今回は、よくわからない話でしたけども、
また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
またねー。