00:11
始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。花譜様、木之介です。
ラジオトーク宛にお便りをいただいております。
さなだゆきさんからギフトと一緒にいただきました。ありがとうございます。
新たな視点の話でした。面白いです。ということで、さなだゆきさん、どうもありがとうございます。
こちらのお便りは、おそらく英語の疑問文についてのエピソードに対してのご感想だと思います。
前々回と前回と続けて、英語の疑問文についてのお話をしていて、
当地と見えるような現象が英語の疑問文にはあります。 主語と助動詞の位置が入れ替わったりとか、
疑問詞・疑問文であれば、疑問詞が文章に出るわけですけど、 こういった異動現象と言われるものについて、
理論的にはどういうふうに説明されているかというお話をしてまいりました。 例えば、主語と助動詞の当地、
You should come. お前は来るべきだというのが、出中comeみたいになるわけですけど、
このyouとshouldの入れ替わりに見えるような現象は、本当は入れ替わりではなくて、 助動詞のshouldの方が移動しているというふうに考えるんですよね。
その移動している先っていうのが、コンプリメンタイザーの位置であるということで、
コンプリメンタイザーっていうのは、英語で言えば、 Z-施設のZとか、可動化のweatherみたいな、
そういったものと同じ位置に移動しているんだっていうね、 そういったお話をしました。
ですので、主語の位置っていうのは、 閉助文から疑問文を作るときには動いてないっていうふうに見られるということです。
で、そのコンプリメンタイザーの位置に、 英語の場合は助動詞が移動することで疑問文というのを形成しているわけですが、
日本語であれば、あなたは来るのっていうふうに、 例えばのっていうのが保文標識の位置に現れるので、
そこに何かが移動するっていうことはないんですよね。 で、英語と日本語を見比べたときに語順が違うっていうのも、
特徴の一つですよね。 英語だと保文標識っていうのが先に出てきて、
で、その後、 節っていうかね、文が出てくるわけですけど、
日本語の場合はまず文みたいなのがあって、 最後に保文標識。
03:01
あなたが来ることみたいな、まあことみたいなものだと思うんですけど、 まあそれが、
後ろに出てくるっていうことで、 まあよく英語と日本語は共造関係にあると言われますね。
鏡写しになっているということです。 ただ確かに鏡写しにはなっているんですが、
構造上は、
保文標識に疑問を表す標識が 出てきて、英語の場合はそこに助動詞が移動して、
日本語の場合は、 疑問を表す専用のものが
保文標識の位置に現れるっていうことで、 まあそういった意味では根本としては同じ構造だと見なされるんですね。
ということは英語にしろ日本語にしろ、
疑問文っていうのはCPだということになります。 このCPっていうのはComplimentizer Phraseと言われるもので、
Complimentizerっていう保文標識がヘッドとなっている 句であるということですね。
僕の感覚としては、保文節、Compliment Closeとした方が、 感覚としてはしっくりくるんですけど、
ちょっとね、生成文法の考えだと、それだとまた混乱が 起こってしまうので、
Complimentizer Phrase、CPと いうことにします。
指しているものは一緒です。 つまり、あなたが来るの?っていう疑問文は、あなたが来ること?っていう
CPですね。ことっていうのがついている CPと同じだし、
集中Comeっていうのも、TheというComeと、 構造上は同じCPであるということですが、もっと言うと、
CP仮説という仮説があって、 これは疑問文に限らず、
すべての文、 説と言った方がより正確かもしれませんけど、
すべての文は、 CPであるっていう仮説があるんですね。
あなたが来たっていう平助文には、 その文末の位置にこととか、あるいは疑問のNoみたいなものはないですよね。
でもこれもCPであるとみなすと。 英語も同様で、
You cameっていうのは、文頭に何もありませんが、 集中ComeとかTheとYou cameみたいに、
保文標識が出てきているCPと 同じ構造だとみなします。
06:00
でも具体的なコンプリメンタイザーが出てきてないじゃないかということなんですが、
ここで0という考え方が登場します。
なるコンプリメンタイザーっていうのがそこにあると考えるんですね。 このなる、あるいはぬるということもありますけど、
これはコンピューター関係とかプログラミング言語でよく出てくるものですけど、 生成文法でもこのなるっていうのはよく出てきます。
要は0ということです。 疑問文だけではなくて、平常文であろうと、
それが肯定文だろうが否定文だろうが何だろうが、 全て文というものはCPだという、そういった仮説がCP仮説と言われるものです。
確かにそうしてしまった方が 統一的な説明はできるんですよね。
疑問文の時だけCPを形成するんじゃなくて、 あらゆる文というのは本来的にCPで、
そのCの位置、コンプリメンタイザーに疑問標識が現れるんだとした方が、 見た目はかなりすっきりした説明ができます。
ただこのなるというもの、ゼロというものをどこまで認めるかっていうのは結構 難しいですよね。
なぜならないんだから。 まあないんですけど、その理屈の上でそういった方がすっきりするから、
ある意味ゼロを作り出しているわけで、 このなるというものは説明のための装置ということができると思います。
ちなみに英語ではforというのもコンプリメンタイザーの一つです。
このforっていうのはどういうことかというと、 It is important for you to learn English みたいなときのこのfor toの構文ですけど、
あなたにとって英語を学ぶことは重要だ、みたいな。
このfor you to learn Englishのこのforっていうのは、 thatとかwhetherと同じコンプリメンタイザーの位置に現れてて、
不定詞のto learn Englishの方のこのtoっていうのは、 助動詞と同じ位置に現れていると考えるんですね。
ですのでthat you should learn Englishっていうのは、 for you to learn Englishと、
構造上は一緒っていうかパラレルになってて、 thatとforは同じ位置に現れていて、
shouldとtoは同じ位置に現れているというふうに考えられるんですね。 こういうふうにthat説と
for toの構文が同じように考えられるっていうのは、 なかなか面白いですよね。
09:07
というわけで今回のエピソードはここまでということで、 結構ね3回連続で続きもんみたいになってますので、
ぜひ前々回のものから合わせて続けて聞いていただけたらと思います。 それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。 お会いしてはシガ15でした。
またねー!