1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #473 誰が言語を変化させるか..
2022-08-30 10:43

#473 誰が言語を変化させるか? from Radiotalk

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/531643

主要参考文献
『言葉とは何か』(丸山圭三郎、ちくま学芸文庫)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺【10分言語学】は笠木静子です。お便り頂いてます。こちら、けんかさんからギフトと一緒に頂きました。ありがとうございます。
これは、何回か前に配信した小説の1984年についてのエピソードについてのお便りですね。読み上げます。
1984年、志賀さんにとって思い入れのあるフォントのことですが、私にとってもそうなので嬉しく思いました。
最近では、公文書の改ざんや、政治家による言葉の定義、募集はしていないとか、コロナ禍での共生ではなく養成とかニュースピークみたいだなと思うことが多々あります。
うまく言えませんが、シニフェーとシニフィアンの関係が人為的に変えられていっているのかな、しかもそれが権力者にとって有利な形でとか、ぼんやり考えています。
言葉の意味は両方が、権力者によって変えられた事例は歴史の中でよくあることなのでしょうか。
まとまりのないメッセージで申し訳ないですし、文章がうまくないのでお恥ずかしい限りですが、次回収録トークのネタにして頂けたら幸いです。
ということで、けんかさんお便りありがとうございます。
ニュースピークのエピソードは聞いてくれたらいいんですけど、要は政府っていうかな、国が主導で、1984年の中だったら英語ですけどね、英語を元にかなり人工的な言語を作ろうとしてるんですよね。
単語の数も減っていって、政府にとって都合の悪い意味なんかはどんどん排除していってるっていうような、そういった世界観なんですよね。
そういったものをけんかさんは感じてらっしゃるということですが、言葉の意味や用法が権力者によって変えられた事例、これはないんじゃないかと思いますね。
多分、新しい単語が追加されるっていうようなことはね、よくあることだと思うんですけど、単語の意味を変えるっていうことはおそらくないんじゃないかなと思います。原則的に。
今回はちょっとそういうね、ないっていう風な強い立場でお話ししていこうと思います。
言語を変えるのは誰かって言ったら、当然ワシャです。話してる人間しか言語を変えることはできません。
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ただ、それが勝手にできるものではないですよね。
当たり前ですけど、例えば言語っていう単語が濁音ばっかりで嫌だから健康にしましょうとか言っても、まあ頭おかしいっていうことで終わってしまいます。
非常に、なんていうかな、パラドックスを含んでいるところで、言語っていうのはワシャによってしか変えることはできませんけど、ただそれはワシャの自分勝手にできるものではありません。
ここで言語っていうのをちょっと正確に定義する必要があって、言語とか言葉って言った場合、
日本語もそうですけど、あらゆる言語で様々な意味を含んでいるっていうか多義的なんですよね。
この言葉、言語っていうのを細かく設定したのがソシュールという言語学者です。
これはね多分過去のエピソードでどこかしら話していると思うんですけど、能力としての言語、社会制度としての言語、個人の言葉としての言語っていう3つの言語、言葉をソシュールは定義しています。
これをカタカナでよくランガージュ、ラング、パロールという言い方をするんですね。
ランガージュっていうのは、要は人間特有の言葉を使う能力のことで、世界のあらゆる地域で様々な多様な言語が扱われてますけど、
どんな言語であれ、それを扱う能力のことをランガージュと呼んでいます。
そのランガージュがその地域、社会、共同体で使われているものをラングと言うんですね。
だからまあ日本語とか英語とかこういう個別言語のことをラングと言うんですね。
ラングっていうのはある意味で社会制度です。
話者はこのラングっていう制度に嫌悪なしに従わなくてはならないんですね。
それはまあルールがしっかり決まってるしということで、まあ社会制度と言い換えることができます。
最後もう一つの言語はパロールと言われるもので、これは話者が実際に発する言葉のことです。
ある意味ラングが顕在化したものっていうかね、より具体化したもので、
なんていうかな、ランガージュ、言語能力の具体化したものが個別言語のラングで、
でそれがさらに具体化して個人の発話となったものがパロールっていうようなイメージですね。
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ラングっていうのはランガージュに比べたら具体的なものですけど、
まあそれは抽象的な社会制度っていうかね、さっき言ったように一つの体型を持ったものです。
でこのラングとパロールっていうのは相互依存の形で、
鶏と卵っていうかな、個人の発話パロールっていうのはその言語の体型ラングっていうのが前提となっています。
その個別言語の体型に従わないと発話っていうのはできないんですけど、
逆にラングっていうのは個人の発話パロールの相対であるっていうか、
話者が発したものの中から出来上がった体型ですよね。
だから当然順番としては一番最初はパロールっていうのがあって、
でそれがどんどん制度化していって一つの言語という体型ができているわけなんですけど、
今ではそれが逆になっちゃって、パロールっていうのはラングっていう社会制度に従わないとダメなんですよね。
だから自分で作ったものに自らが縛られているっていうのが言語の持っている一つのパラドックスであります。
でお便りにあった言葉の意味、用法を変えるっていうのは、
要はラングを変えるっていうことなので、社会制度を変えるっていうことですよね。
これは繰り返しですけど、個々人がどうにかできるものではないです。
多くの他の話者がその変化を受け入れたら当然変化することになるんですけど、
そのエイヤって言って変えられるものではないんですね。
でお便りにあるその政治家とかがね、権力者がそういう言葉の意味を変えようとしているっていうのは、
どちらかというとパロールのレベルではないかなと思います。
その各々の個別的な発話において、意味を特化しようとしてるんですけど、
それがラングとしては受け入れられていないと思います。
もしそれがラングとして受け入れられるんであれば、言語は変化したということになると思いますが、
まあおそらくそれは多くの場合、失敗してるんじゃないのかなと思います。
ただこれが国家とかじゃなくて、もっとコミュニティが小さかったら、
そういうラングを変えるっていうことは可能かもしれません。
まあ連合関群の総括とかね、あんまりいい例じゃないかもしれないですけど、
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わかんない方ちょっとググってみていただけたらと思います。
とかね、そういった比較的小さいコミュニティとか、
あるいは仲間内の間で、ある単語が本来の意味とは違って使われるっていうことは往々にしてあることだと思うんですよね。
ただそれはやっぱりね、ラングを変えたとは言えないんじゃないかなと思います。
でもまあ個別的な事例を見れば、もしかしたらそういったことも歴史上あったとは思うんですけど、
まあ原則として、権力者がその言葉、ラングを変えるってことはできないと思います。
ちなみにね、その1984年のニュースピークっていうのも実は失敗に終わってるんですね。
これネタバレですけど、というのが、そのニュースピークの解説っていうのが全部過去形で書かれてて、
まあそのことからニュースピークはこういう試みだったっていう風に解釈できるんですね。
まあそういったことからも、言語、ここで言う言語はラングですけど、をエイヤって変えるのはかなり難しいっていうことですね。
というわけで今回は、お便りに沿ってお話しするという回でした。
それではまた次回お会いいたしましょう。番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お会いしましょう。
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