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こんにちは、志賀十五です。毎回テーマを一つ決めて、それに沿ってトークしています。
今回のテーマは、コロナウイルスです。
今回のタイトルが、ふところ寒く、コロナ鬱なりっていうのなんですけど、
これ、ピンとくる方、いらっしゃると思うんですね。
これは、百人一首の三義雅恒の歌で、三好野の山の秋風さえ吹けて、
ふるさと寒く、コロナ鬱なりっていうね、この下の句のところを文字っているわけなんですけど、
っていうのが、この前のトークですね、のタイトルを僕がつけたのが、
ひさかたの光の時計、春の日に下心なく話せまほしいですか、っていうふうにつけたんですよね。
これも百人一首から文字っていて、
これは木の共乗りの歌で、これはひさかたの光の時計、春の日に静心なく花の散る蘭っていうのを文字ってつけたんですね。
前回はこれ春の歌だったので、ちょうどよく全部、上の句、下の句合わせてタイトルにしたんですが、
今回は秋の歌なので下の句だけ文字って、ふところ寒くコロナ鬱なりということにしました。
本当はね、紙の句も合わせてうまく文字れたらよかったんですけど、自分の能力としてそこまでなくてっていうことになりました。
どうなんだろうな、百人一首僕は全部覚えてるんですけど、皆さんどうでしょうか。
覚えてるって言っても、決まり字とか全然覚えてなくて、競技としてのカルターは全然親しみがないんですけど、ある意味文学として百人一首に親しんでいます。
以前もお話ししたことがあると思うんですけど、古典にたしのむっていうのは一つやっていいことだと思いますね。
特に日本はこんな百人一首とか、ものによっては千年以上前の歌も入っているわけですから、そんな千年以上前の歌が現代もこう脈々と受け継がれて、
親しまれているということをもっと敬意を払うというか、こういう言語ってなかなかないと思うんですよ。
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そもそも書き言葉っていうのが最近になって導入された言語の方が多いぐらいですから、ましてや千年以上前の言語の記録が残っている。
しかも文学として立派に成立してたっていうのは、これ日本の誇っていいところだと思いますし、それに対して現代人はもっと敬意を払うべきだと思います。
そのとっかかりとして百人一首っていうのはかなりいいと思うんですよね。
ゲーム性があるっていうのもそうだし、だから最近流行りの古典は必要なのかみたいな本があってそれに付随した議論もあったりしますけど、
僕は必要だと思いますよ。それで学校で習ってしかるべきものだと思います。
何でも役に立ち立たないで判断しちゃダメですよね。
話がだいぶ逸れましたが、今回のテーマはコロナウイルスということで、これはもう皆さん同じように感じてらっしゃると思いますけど、こんな大事になるとはっていう感じですよね。
今までこういうウイルスが流行るってことは確かにありましたけど、SARSとかね。
でもここまで世界規模で大事になって、パンデミックと言われていますけど、
大事になるなんてという感じです。予想できたら誰も苦労しないわけですから。
このコロナウイルスの一連の出来事というか、これは将来、歴史の教科書に必ず記載されるものですね。
必ずこれは歴史に残るものだと思います。
こういう歴史に残るものってなんだろうみたいなことを時々考えるんですけど、皆さんもあるかもしれませんけど。
僕ね、学校の先生がリーマンショックがあった時に、このリーマンショックは必ず教科書に載るって言ってましたね。
本当に教科書に載っているのかどうかわからないですけど、載っているんでしょうか。
これとね、また思い出されるのが東日本大震災があった時も、
戦前戦後みたいにね、昭和20年、1945年が一つの境目となったように、
2011年、平成23年というのは最前最後、災害の最と書いて、というふうに一つの区切りとなるっていうね、
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これは何だったかな、新聞かなんかで読んだんだと思うんですけど、そういう言い方をしている人がいたんですけど、
まあでもね、どちらかというと僕はそういう歴史的な転換期という意味で言うと、
このコロナウイルスが一つの転換期になるような気がしますね。
そのコロナ以前、コロナ以後というふうに何か大きく変わるんじゃないかという気がしています。
まあそう感じているのは多分僕だけではないと思います。
そういうふうにちょっと客観的に考えると、我々はまさに歴史の当事者であるということが言えますね。
こういう非常の事態の時はとんでもない出間が出回ったりしてますよね。
それに付随して買い占めとかそういう問題も起きていて、オイルショックの時も同じようなことがあったりだったりですけど、
歴史は繰り返すとか言いますけど、なかなか学べないものなんだなというふうに感じますね。
でもこれはもちろん自分も含めてですけど、自分もまさに当事者なので、
こういうことってよくありますよね。例えがいいかどうか分かりませんけど、
行列に並んでてなんだよこの行列みたいに文句言っているけど、自分もその行列の一員であることを忘れていないかみたいなね、そういうことって往々にしてよくあります。
それは置いておいて、とんでもない出間が出回ったりして、こういうのは関東大震災の時にもね、1923年にもあったみたいですね。
僕はちょっとね、危惧しているのは、明日が4月1日だからね、エイプリルフールでしょう。
なんかね、悪質な出間がありそうな気がするんですよね。
これ、関東大震災じゃないや、東日本大震災の時にもあった気がするんですよね。
あれも3月11日だったので、なんか時期的にそういうのは控えようみたいなことが言われてたりしたんですよね、確か。
で、明日4月1日で、なんとなくね、そういう悪質ないたずらが起きそうな気がします。
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こういう悪いことは事前に言っておいて、なかったらなかったで、外れたら外れたでいいので、逆に言っといちゃおうみたいなね、言っとけば当たらないみたいなね、子どものおまじないみたいな感じですけど。
という願いも込めてこういうことを言っているんですけど、なんとなくね、悪い予感がしますね。
そういうわけで、今回はちょっとね、この騒動と言っていいんですかね、コロナウイルスについて思っていることをしゃべりました。
それではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。