1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #564 「かと」で文が終わって..
2023-07-15 11:01

#564 「かと」で文が終わってると、むかつく人もいるかと。 from Radiotalk

「かも」のエピソード
https://radiotalk.jp/talk/330928
モダリティのエピソード
https://radiotalk.jp/talk/863821
言いさし文のエピソード
https://radiotalk.jp/talk/574061

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:07
始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
物知り博士、ケペル先生です。
お便りやギフトをいただいております。
まずは、ともゆきさんから、Radiotalk宛にギフトをいただいております。
ありがとうございます。
そして、ふみつきちろるさんからもギフトをいただいております。
あわせて、お便りもいただいております。
かとの終助詞化について、Radiotalkのライブギフトの
そうかも、みたいなものができるとしたら、どんなギフトになるか考えました。
いかのキャラクターのいいかとが、私の中では有力です。
くだらなくてごめんなさい。朝ライブの鳥、焼いておきました。ということでね。
おいしい焼き鳥というギフトをいただきました。
これね、朝ライブをやってる話はね、最近ちょいちょいしてるんですけど、
そこでおはようっていうね、ギフトがあるんですね。かわいらしいのがね。
不具合でそれが見れないこともあるんですけど、
そのおはようのギフトがニワトリなんですよね。
それを焼いて、焼き鳥のギフトにしていただきました。
ありがとうございます。
で、今日お話ししようと思っているテーマが、このカトというものです。
カトの終助詞か、これね、終助詞ともちょっと違うというか、
一瞬終助詞にも見えるんですけど、もう一歩先に進んでるっていうかね、
そういったお話を今日していこうと思います。
ふみつきちろるさんのお便りにもあったように、
そうかもっていうような、かもっていうのはかなりこう、市民権を得てるというか、
本来は〜かもしれないっていう言い方がある意味正しいというかね、
それで古な言い方なわけなんですけど、
そういう人もいるかもみたいに、かもだけで文が終わっても、
文末用法というかね、文末にかもが出てきても、
そんなに違和感を覚える方はいらっしゃらないと思います。
一方、カトっていうのは、ちょっとまだ厳しいようなとこがあるんじゃないかなと思います。
そういう人もいるかと、これだと、
ちょっとね、文が途中で終わってる感じを受ける方の方がまだ多いと思いますね。
僕もどちらかというと、そういう人もいるかときたら、
思いますっていうのがやっぱ欲しいかなと思います。
03:02
ただ、例えばね、ツイッターで検索とかしてみたりとか、
あるいは口語でもね、話し言葉でもカトを文末に用いて、
思いますみたいな動詞、あるいは述語っていうのをね、出さないという言い方が、
結構増えているんではないかと思います。
今のカトですね。
結論から言うと、この文末のカトっていうのは、
今後どんどん定着していくんじゃないかと思います。
今日はよくカトカト言ってる感じがしますけど、
というのが、やっぱりカモっていうのが、
結構同じような道筋を辿ってきてるというか、
さっき言ったようにカモ知れないっていうのが一応、
ある意味正しい言い方なわけですけど、
そこからカモで文末で終わることができる、
といった言い方が、もうずいぶん市民権を得ております。
っていうことを考えると、
カトっていうのも、
今後はかなり普通に使われていくようになるんじゃないかと思います。
カトとカモっていうのは、
形の上でもっていうか、構成要素的にも似ているので、
疑問のカっていうのと、それプラス助詞っていうのがね、
組み合わさって、
カモとカトであたかも一つの要素になってるっぽいみたいなね、
ことになっています。
で、そう考えると、お便りにもあったみたいに、
終助詞にも見えるんですけど、
つまり、なんかこう、文があって、そういう人もいる。
それに、カモとかカトっていう要素がついてる、
終助詞だ。
僕はね、終助詞というよりは、
どっちかっていうと、
つもりだ、とか、はずだ、とか、
ま、そういったものに近いんではないかと思います。
ま、細かい話ですけどね、
終助詞っていうのは、
なんていうかな、
わーとか、よーとか、ねーとか、ぜーとか、
ま、基本的に不変化の品詞ですので、
ま、それよりは、つもりだ、とか、
はずだ、みたいな、
ま、特にはずだ、みたいなものに近いと思います。
つまり、はずだ、みたいなものと平行的に、
カモだ、とか、あるいはカトだ、みたいなものが、
ま、和詞の心の中にね、
だんだんこう、作られているんではないかと思います。
このね、カモだについては、関連エピソードがあるので、
えっとね、シャープ139っていう、
06:04
ずいぶん前に撮ったエピソードなんですけど、
ま、そちらも合わせて聞いていただけたらと思います。
というのも、
ま、カモだっていう言い方は、
なんか違和感を覚える方も多いと思うんですけど、
例えばね、
何々カモですけど、みたいな言い方とか、
ま、何々カモだっけど、っていうような、
ま、こういう文中の形では結構出たりとか、
あるいは、カモです、みたいに、
ま、ですの形だと、結構座りが良かったりするんですよね。
ま、これはつまり、はずだっていうのと平行的に考えて、
ま、はずだけど、とかね、はずです、みたいなものと、
同じように活用しているということができると思います。
で、カトもおそらくね、同じような道筋をね、
たどるんじゃないかと思っていまして、
で、実際ね、ツイッターでね、検索してみると、
カトだけどっていう言い方がね、
ヒットするんですよね。
で、僕はね、その自分の感覚としては、
カトだけどっていうのは結構厳しくて、
おそらく話し言葉としても聞いたことはないんですけど、
ま、少なくともそのツイッターとか、
ま、ネットの上ではそういった言い方があります。
で、今後おそらく、カトですとか、
カトだっていう言い方が、
ま、カモですとカモだと同じようにね、
出てくるんではないかと思います。
こういうふうに文末に出てくる、
はずだとか、ま、カモとかカトもそうですけど、
こういったものはモダリティと言われて、
和者のその態度とかね、判断っていうのを表す要素となっております。
ま、特にここでは、カモとかカトっていうのは、
可能性を表すようなモダリティで、
ま、このカモ、カトに比べると、
はずっていうのは、より確信度が高いような表現ですよね。
このモダリティについても、
過去を話したエピソードがあるので、
合わせて聞いていただけたらと思います。
概要欄チェックしてみてください。
というわけで、何々カト、
そういう人もいるカトみたいな言い方は、
省略というよりは、
思いますみたいなものがね、出てきていないというよりは、
それ自体が一種のモダリティ表現になっていると、
09:03
そういった方がいいと思います。
で、実際に、そういう人もいるカトだけど、みたいな、
文中ではカトだ、みたいなね、表現が出てきてるんですよね。
僕自身は全然しっくりきてないんですけど、
今のところ、かもと同じような道筋を辿っていると思います。
そもそも、省略かどうかっていうのは結構難しいんですよね。
例えば、こっちくれば、みたいに言った場合、
このくればという形は、条件を表す形で、
普通は文中で出てくるものなんですけど、
ここでは、一種の勧誘みたいな表現になってますよね。
これも省略とは言えないんじゃないかという研究もあります。
こういったものは言いさし文と言われるもので、
言いさし文についても関連エピソードあるんで、
そちらも合わせて聞いていただけたらと思います。
逆にね、その文末で現れるべき形が、
文中に出てくるみたいなものもあって、
そういうことしてみろ、どうなるかわかってるかとか言った場合、
してみろっていう命令形が、一種の条件を表してるんですよね。
この辺も面白いとこではないかと思います。
というわけで、今日は文末に現れるかとについてのお話でした。
これは単なる省略以上のものがあるんではないかということですね。
それでは、また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
関連エピソードもぜひ聞いてみてください。
それでは、お会いでは4月15日でした。
またねー。
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