1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #66 なぜお巡りさんは「ぼく、..
#ひとり語り #落ち着きある #豆知識 #雑学 #教育
テーマ「親族名称」
参考文献
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b267166.html
00:00
始まりました、志賀十五の壺。今回は、日本語の親族名称についてお話ししたいと思います。
まあちょっとね、親族名称っていうと堅苦しいんですけど、一点見ればですね、その親族を表す言葉ですので、
皆さん日常的に使っているお父さんお母さん、兄弟、兄妹、あるいはおじさんおばさんとかね、
そういう血縁関係のある人物を指す言葉が親族名称ということになります。
親族名称、今言ったものを含めてですね、
全部相対的な言葉だということがお分かりいただけますかね。
相対的っていうのはどういうことかというと、
例えば親族名称に限らずですが、僕が今ここにいるって言ったときに、
僕のここっていうのは他の人にとってはそこかもしれないし、あそこかもしれないし、
あるいはもしかしたら同じここに立っているかもしれないし、
僕があそこって指さしたものは他の人にとってはここかもしれないし。
一番分かりやすいのはそれかな。
それとってって言ったら、これっていうふうに答えますよね。
だから自分がどこに立っているかっていうね、
こういうコスワードについては自分がどこに空間的にいるかということに基づいて、
その意味が決まってくるっていう言葉ですよね。
他にもですね、今空間の話しましたけど、
時間的にも今というのは今にとっての今であって、
明日にとっての今は過去であるし、
昨日にとっての今は未来であるみたいなもの。
そういうことです。当たり前のことですけど、
そういうふうに時間的空間的に自分がどういうふうに位置づけられているかによって意味が変わってくるっていうのを
相対的であるというふうに言います。
もっと言うと直時的みたいな言い方をするんですけど、
ここでは相対的ということにしておきますね。
当然ですね、そういうふうに考えると親族名称も相対的だということがわかると思います。
そもそもですね、お父さんっていうのは必ず子供がいないと成り立たない言葉ですよね。
子供のいないお父さんはありえないということになります。
お父さんに限らず息子っていうのは誰かの子供である。
03:07
そして男であるということが含意されているわけですけど、
その親族名称が呼びかけに使われるときも当然相対的な意味合いを帯びてきます。
じゃあ僕が例えば兄って言ったときに、これは僕の兄であって、
あなたにとっての兄ではありませんよね。兄弟でない限り。
何を当たり前のことを言ってんだっていうことですが、
他にもですね、僕が妹って言った場合は、
僕の妹がって言ったら、僕のっていうのがついたらよりはっきりしますけど、
僕にとっての妹であって、あなたにとっての妹ではない。兄弟でない限り。
逆に言えばですね、皆さんが私の姉がとか私のお母さんがって言ったときは、
僕にとっての姉やお母さんではありません。皆さんと兄弟ではないのでね。
何をそんな当たり前のことをペラペラ言っているのかというとですね、
要するに今お話ししたのは、自分を中心にその親族名称が使われているというのがお分かりいただけますよね。
自分を中心に考えて、自分から見て、年上の兄弟、男は兄。
年下の兄弟、女、妹とかね。
こういうふうに自分を中心に性別、年齢を考慮して、相対的に意味が決まっていると。
それが親族名称であると言えます。
こんなベラベラですね、行儀良しく言わなくても少し考えればわかることなんですが、
話はここからでですね。
面白いのはですね、これね、日本語の場合はですね、必ずしも自分中心ではなくて、
むしろ、その家族の中で一番年下の、一番年齢の低いものを中心に親族名称を使うという特徴があります。
これね、鈴木孝先生っていう方の「言葉と文化」っていう新書で出てるんですけど、
興味のある方はそちら見ていただけたらと思うんですが、
もう一回言いますね。
親族名称は一般的に自分中心で、相対的に意味が決まってくると考えられがちですが、
日本語においては、その家族の中で一番年下のものを中心に考えると。
こう言うとですね、ちょっとピンとこられないかもしれませんが、具体例を出せばすぐわかりますよ。
06:01
例えば、お母さんが二人娘がいるとして、年上の娘の方のことをお姉ちゃんって言うことがよくありますよね。
ちびまるこちゃんのことですよね。
ちびまるこちゃんで、一番下のコミュニティの家族の一番年下のまるこはまるこって言われますけど、
そのまるこの視点に合わせてみんな呼ぶと。
例えば、お母さんがまるちゃんのお姉さん、さきこちゃんはお母さんにとってのお姉ちゃんではないのにお姉ちゃんって言うし、
あるいは友造のことをおじいちゃんって言いますよね。
当然それはお母さんにとってのおじいちゃんではありません。義理の父のことですがおじいちゃんと呼ぶ。
旦那のこともお父さんと呼ぶ。
自分のお父さんではなくむしろ夫なのに。
これは別にちびまるこちゃんに限らず、日本人というか日本語話者の家庭だったらほぼ例外なくこれは行われていると思うんですよ。
これを一言で説明すると先ほど言った一番年下のものを中心に親族名称を使っているということになるんですね。
なので、まるこから見たお姉ちゃん、おじいちゃん、お父さん、それをそのまま他の家族のメンバーも使っているとこういうことになるんですね。
これ面白いんですよ。
でね、このことからまた別のことが言えるんですけどっていうのは、つまりお姉ちゃんとかお姉ちゃんっていうのは使うけど、
弟ちゃん妹ちゃんっていうのは使わないんですよ。
なんでかっていうと中心が一番年下だからです。
一番年下なのでそれより年下のメンバーはいないので、弟ちゃん妹ちゃんは使わないということになるんですね。
面白いでしょ。
これもしかしたら日本語に限らずこういうことはあるかもしれませんが、とりあえず今日本語に限ってお話ししますね。
さあここからさらにもう一歩進んでですね、面白いことがあるんですよ。
っていうのがこの家族っていう括りがちょっと広がることがあるんですよ。
ちょっと流動的というか可変的と言っていいかもしれませんが、
例えばこういうことありますよね。テレビを見ていてインタビュアーがお母さんちょっとお話聞いていいですかとかお父さんちょっといいですかとか、
あるいはお兄さんお姉さんとか言ったりしますけど、
これもある意味その家族の領域を広げて、
09:07
自分から見て、例えば年上だって、
これもね例えてるだけだと言ったらそうかもしれませんけど、
その疑似家族みたいなのを作って、
その年齢関係で自分が一番年下であると仮定して、
お父さんお母さんお兄さんお姉さんという言葉を使っていると。
または別の例ではですね、
お巡りさんとかこういうふうに言いますよね。
僕どうしたの?とか僕迷子?とか、
これもある意味でお巡りさんと男の子で疑似家族を作って、
で、その中で一番年下のメンバーは男の子なので、
その男の子を指す言葉は男の子から見た男の子は僕なので、
僕っていうのを使っているということになるんですよ。
なのでここでもやはり一番年下を中心として
親族名称を使っているということになるんですね。
でも一人称はもうちょっと複雑かもしれないですね。
例えば関西で何してんねん自分とか、
おい自分って自分なのに二人称として使っちゃってるよみたいなね。
あとなんか悔しかったらおのれとか言いますよね。
おのれっておめぇだろみたいなことがありますけど、
そういうところと多少関係しているかもしれないですけどね。
とりあえず今日お話ししたことは、
親族名称って自分中心と思いきや、
実は家族あるいは疑似家族の中で一番年下のメンバーを中心に使い分けていると。
こういうことなんですね。
さあうまくしゃべれたかな。どうですかね。
お分かりいただけただろうか。
信じるか信じないかはあなた次第ですけど、
これは一応事実として受け入れてください。
というわけで今日はこの辺でお別れしたいと思います。
よろしかったら番組クリップお願いします。
それではまた次回。ごきげんよう。
11:43

コメント

スクロール