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始まりました。志賀十五の壺。海を行きます。補正ドンです。
負けるが勝ちっていうことわざがありますよね。
今回のタイトルがそれですけど。
ことわざってね、なかなか鋭いことをズバッと言ってますよね。
だからこそことわざなわけですけど。
大は小を兼ねるとかね。
それはそうなんですけど、なかなか
なんていうかな、簡潔に、当たり前だけど、かなり大事なことを言っております。
負けるが勝ちっていうのも、状況によってはね、そういったことが当てはまりますよね。
僕のね、地元ではね、大阪ジャンケンっていうのがあって。
なんで大阪ジャンケンっていう名前なのかよくわかんないですけど。
これね、たぶん地域差あると思うんですよ。子供の遊びなので。
ルールは、これはガチの負けたら勝ちっていうことで。
普通のジャンケンの逆なんですよね、ルールがね。
グーはパーに勝って、パーはチョキに勝って、チョキはグーに勝つと。
そういう反対になるっていうのが、大阪ジャンケンでございます。
その掛け声として、大阪ジャンケン負けたら勝ちとかね。
負けるが勝ちって言ってたこともあるかなという感じがします。
いずれにせよ、この負けるが勝ちという表現ですが。
これはね、ことわざなので。
ちょっと古い日本語の特徴を残していると言えるかもしれません。
というのが、負けるっていうのは当然動詞なので。
この動詞に直接がみたいなものをくっつけることは本当はできないんですよね。
例えば、食べるが好きとか言えないんですよね。
食べるのが好きとか、食べることが好きっていう風に。
がに限らずですけど、こういう助詞をつけるときは、動詞に直接つくんじゃなくって、
のとかことっていうので、一回名詞にしなきゃいけないんですね。
そういった意味でのとかことっていうのは、前に出てきているものを名詞化する力があるということができると思います。
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ですので、現代日本語風に考えると、負けるのが勝ちとか、負けることが勝ちとした方が本当はしっくりくるんですけど、
まあそういうことわざとかね、そういったものには外して古い言い方が残っていて、
同じようなものは、なすがままとか、あるがままとかっていうのも動詞に直接ががついてますので、
似たような言い方になっているということができるかもしれません。
で、こういう負けるが勝ちみたいな言い方ができるのは、今言ったように古い日本語の特徴なわけですが、
これは動詞にががついてるんですけど、その動詞の形っていうのが連体形だというふうに考えることができるんですね。
現代日本語では連体形と終止形の区別がなくって、負ける人とも言うし、あいつは負けるとも言うということで、
連体つまり対言にかかる時も負けるという形だし、終止形、文末でも負けるという形です。
ただこの負けるっていうのは歴史を遡れば下二段活用ですので、連体形はまくるですね。
終止形はまくです。
ただ現代日本語では両方、つまり連体形も終止形も負けるになっております。
で今回はこの連体形というのが一つポイントです。
動詞にはがとかをみたいな助詞はつけないんですが、連体形だったらつくことができたんですね。
というよりも、連体形というのは対言だということもできます。
こういうのは純体法といって、まさに連体形が対言としてこう用いられるということなんですね。
連体形という名前から対言に連なる形ですので、
さっきのまくる人みたいにね、人みたいな対言に続く用法もあるんですけど、
例えば百人一首で、これやこの行くも帰るも別れてはっていうのがありますけど、行くも帰るもっていうとこですね。
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これは、行く人も帰る人もっていう風に、行く帰るで連体形で対言となって、この場合人を表していたということなんですね。
だから行く人も帰る人もということです。
でね、これはね、対言の人っていうのを省略しているとは考えない方がいいと思います。
人っていうのが省略されて、行くも帰るもっていう風にこう、助詞がついているという風に考えるのではなくて、
行く帰る連体形で対言として用いられている純体法だと考えるべきじゃないかなと思います。
まあですので、連体形のそのメインの機能っていうのは、もしかしたら純体法の方かもしれません。
その対言に連なるっていうのはむしろおまけの機能で、まず連体形っていうのは動詞を対言にする、名詞化する機能で、
でその後に名詞が出てきてもいいというか、その収束する名詞が出てくることもあるっていうようなね、
おそらくそういう風に考える人も中にはいるんじゃないかなと思います。
で、負けるか勝ちというのは、この負けるっていうのはね、もともと連体形、すなわち対言で、
それに助詞がついているっていう風に言えるということなんですね。
ただ問題は、現代日本語では連体形と終止形の区別ないので、負けるか勝ちといった場合、
動詞に直接助詞がね、ついているように思われます。
思われますけど負けるか勝ちの場合は、これはことわざですので、特にね、違和感を持つ人はいないと思います。
ただ、まあさっきも言いましたけどね、食べるが好きとかはやっぱ厳しいんですよね。
その場合は、食べるのが好き、食べることが好きと言わなきゃいけないので、
この意味で、現代日本語の連体形には、古文みたいな純体法、対言化、あるいは名詞化という機能はないということができます。
というか、そもそも連体形はないという風にも言えると思います。
まあそもそも連体形と終止形の形の区別がないので、
まあそれを学校教育とかだと、連体形終止形って分けてますけど、
本当は必要のない区別です。
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現代日本語で我々が終止形と思っているものは、もともと連体形だったものなんですね。
これについては過去のエピソードで何度か話したことがあるはずなので、
概要欄にね、エピソードのURLはつけておきますので、合わせて聞いていただけたらと思います。
連体形が終止形の役割まで、その機能を拡大しちゃったので、
終止形の方がなくなったんですね。
だから負けるっていうのも、あの負けるという形はもともと連体形に由来するものです。
さっきも言ったように終止形は幕でした。
これは何も動詞だけではなくてですね、形容詞も同様で、
形容詞の例えば高いっていうのが古文で高しっていう風に言うってね、
まあそういう知識がある人は多いと思いますけど、
ただ高しが高いになったわけではないんですね。
高いの直接の由来というかね、語形は高きです。連体形の方です。
まあこの辺の話はね、ぜひ関連エピソードを聞いていただけたらと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お便りも募集中です。
それではまたお会いしましょう。お相手は4月15日でした。
またねー。