1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #474 日本語の語順は自由か? ..
2022-09-03 10:16

#474 日本語の語順は自由か? from Radiotalk

[ねえ[きっと[今頃[ずっと[犬が走っ]てい]る]だろう]ね]

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/719924

主要参考文献
『日本語文法』 (岩淵匡編著、白帝社)
『日本語要説』 (工藤浩ほか、ひつじ書房)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:06
始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
ナミノリピカチュウです。
今回は、日本語の語順は自由かっていうことをね、テーマにお話ししていこうと思います。
まあ英語みたいな言語と比べるとね、日本語って割と語順は自由な気がして、
英語っていうのは主語同士目的語っていう風に、まあこういう語順がかなり厳格に定められてるんですよね。
で、それに比べると日本語っていうのは、私はこの本を読む、この本は私が読むみたいに、
まあ主語と目的語を入れ替えたって別に、特にはみたいなものを使えば全然平気なんですよね。
ただ、日本語の語順もある程度固定されてるとまでは言わないですけど、傾向みたいなものはあります。
日本語の語順を見る前に、日本語の述語の、その要素の並び順のお話をしようと思うんですけど、
例えば、桜が咲くかもしれないねって言ったとき、桜が、あ、桜がちゃうわ、咲くかもしれないね、桜が。
まあこれは当地っていうような印象は受けるかもしれないですけど、一応言えなくはないかなという感じです。
が、咲くかもしれないねっていうこの述語と言われるこの一塊の中身の語順はどう頑張ったって入れ替えることはできないと思います。
かもしれない咲くねとか、ね咲くかもしれないとか。
まあどうやったって無理で、咲くかもしれないね、この語順、語順じゃないのか、この要素の順番しか許されません。
そもそも日本語のこういう述語の要素っていうのは、助術内容とモダリティというのに分けることができます。
助術内容っていうのは、一言で言えば客観的事実みたいなもので、ここで言う桜が咲くにあたるものです。
それに対してモダリティっていうのは、話者の話し手あるいは書き手の親的態度を表すもので、かもしれないねがモダリティにあたります。
このモダリティっていうのもまた2つに分かれて、判断のモダリティと伝達のモダリティに分かれます。
03:08
判断のモダリティっていうのは、助術内容客観的事実に対する話者の判断。
まさにかもしれないっていうのは、桜が咲くっていう事実に対する話者の判断ですよね。
あんまり説明になってないかもしれないですけど、まあそういうことです。
一方伝達のモダリティっていうのは、聞いてる人、聞き手に対して働きかけるようなモダリティ。
ここだとねにあたるものですけど、確認とか問いかけとか、そういった機能があります。
日本語の述語っていうのは必ず、助術内容、判断のモダリティ、伝達のモダリティという順番でしか出てこれないんですね。
この順番は入れ替えることができません。
桜が咲く、これが助術内容、かもしれない、これが判断のモダリティ、そして最後のねというのが聞き手に対するモダリティ、伝達のモダリティという風になっています。
今言った、述語の並び順と連動して、述語の前に出てくる要素の語順っていうのがかなり決まってるんですね。
どういうことかというと、文の一番外側に伝達のモダリティ、その内側に判断のモダリティ、
一番内側、モダリティに包まれる形で助術内容というのがあるというのが日本語の表現だと言われています。
まあこういう風に階層を成してるんですね、玉ねぎみたいに。
で、このことを指摘したのはニッタヨシオ先生という先生です。
例えばさっきの例だと、桜が咲くかもしれないね、これをもうちょっと拡張させて、ねえ、もしかすると桜が咲くかもしれないね、みたいな言い方ができます。
で、これが割と自然な表現語順だと思うんですね。
つまり、まずねえっていう風に聞き手に働きかける感頭詞っていうかな、そういったものが出てきます。
この頭に出てくるねえっていうのは、一番最後に出てくる終助詞ねと連動してる、こうしてるということになります。
その次に出てくるのは、もしかすると、これはかもしれないっていう判断と連動してるというわけなんですね。
で、この2つのモダリティに包まれる形で桜が咲くというのが、なんて言うんですかね、表現の文の一番内側にあるということになっています。
06:05
もうちょっと別の例を見てみると、今回のサムネがね、一応そういうことになってるんですが、やや字が小さいですかね、概要欄にも同じものは貼っつけておこうと思いますが、
ねえ、きっと今頃ずっと犬が走っているだろうね、こういった場合もやっぱり玉ねぎみたいに包まれていくような関係になっていて、
ねえっていうのは最後の伝達のモダリティのねと連動していて、その内側にあるきっとっていうのは判断のモダリティのだろうっていうのとこう連動しています。
ここまでがモダリティです。モダリティだけじゃなくて、この序述内容、客観的事実にも階層性があると言われてるんですね。
どういうことかというと、序述内容だけ言うと、今頃ずっと犬が走っている、今頃っていうのは走っているのる、つまり現在と連動しています。
で、その内側にずっとっていうのがているっていう、まあアスペクトと言われるものなんですけど、まあ進行みたいなものと連動しています。
一番内側に犬が走るっていうのがあるんですね。なので、ねえ、きっと今頃ずっと犬が走っているだろうねという文は、一番外側にねえと終助詞のねっていうのがあります。
で、これが伝達のモダリティで、その内側にきっとだろうという判断のモダリティがあります。
で、序述内容は序述内容で階層なしていて、今頃と現在のるっていうのがあって、その内側にアスペクトのずっとているっていうのがあって、一番内側に犬が走るというのがあるんですね。
こういうふうに日本語の表現は階層的になっていて、そのためにある意味、述語の要素の順番と連動してその前に出てくる副詞やら何やらの順番もある程度傾向があるということなんですね。
で、さっきの犬の例文だと走っているっていうのが序述内容の部分だったわけですけど、当然これはもっと拡張することができて、走る、走らせる、走らせている、走らせていない、走らせていなかったみたいに、
アスペクトや点数以外にも、詞役とか受け身とか、ボイスと言われるものとか、あるいは何々ないみたいな否定っていうのも序述内容に含まれるものです。
09:13
当然こういったものは順番を入れ替えることができませんよね。
走らせないとは言うけど、走らなせるとかは当然言えませんよね。
まあ結論言うと、日本語のその述語の中身の語順っていうのはかなり厳格で、その序述内容しかり、その外側のモダリティも含めてですけど、
そういったものの順序はかなり厳格なので、それと連動する要素の順番もある程度決まってくると、そういったお話でございました。
はい、というわけで今日は日本語の階層構造というか、層上構造というかね、まあ玉ねぎみたいな構造のお話でした。
それではまた次回お会いいたしましょう。お相手はシンガ15でした。
またねー。
10:16

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