1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #309 ウチナーヤマトゥグチ(..
2021-05-19 09:04

#309 ウチナーヤマトゥグチ(沖縄のことば) from Radiotalk

証拠性、ね。

関連トーク
https://radiotalk.jp/talk/297977

参考書籍
『複数の日本語 方言からはじめる言語学 』
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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育 #沖縄
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みなさんは沖縄に行ったことがあるでしょうか? 沖縄にまだ行ったことのない志賀十五です。
今日も志賀十五の壺やっていこうと思います。 まあ状況が収まればね、ぜひとも観光してみたいところの一つでございます。
もしかしたらこれを聞いてくださっている方の中には、 沖縄にお住まいの方、あるいは沖縄出身の方いらっしゃるかもしれません。
沖縄で話されている琉球諸語っていうのは かなり興味深いんですよね。まあいろんな意味で興味深いんですけど、
まあその理由の一つとして、 琉球諸語っていうのは唯一
日本語と系統関係があるとね、まあ証明できている言語であるからです。 日本語っていうのは一体どこからやってきたのか
っていうのは長年議論されていて、まあいろんな人がいろんなこと言うてますけど、 まあ確実に言えることは琉球諸語と日本語は
同じ祖先の言語から、まあ祖語っていう言い方をしますけど、 同じ祖語から
まあ枝分かれしていった言語であるということなんですね。 沖縄方言みたいな言い方されることもありますけど
まあ言語学では 琉球諸語って言うと思いますね。
で今日お話しするのはですね、沖縄で話されている言葉の 内縄山手口と言われるものです。
これはですね 新方言とか新しい方言と言われるようなもので
伝統的な琉球語とは異なるものです。 まあ特に沖縄が
本土復帰して以降ですね まあこの内縄山手口っていう新しい方言を話す人が増えたらしいんですよね
この内縄山手口がなぜ 新方言というような言われ方をするかというと
伝統的な琉球語と 本土の日本語との言語接触によって生まれた言語というふうに
みなすことができるからなんですね このように2つの言語が混ざり合ってというか
混合されてできた言語のことをクレオールなどと言ったりします。
そういった意味で内縄山手口っていうのはクレオール的であると言えるかもしれません
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ですので内縄山手口っていうのはかなり本土の日本語と近いような特徴を持っているんですよね
それに対して伝統的な琉球諸語っていうのは いわゆる共通語的なものとは全く違う特徴を持っていたりします
その中にはですね 共通語ではすでに失われてしまった昔の日本語の特徴を持っていたりするんですよね
そういった伝統的な琉球諸語の中には ユネスコによってですね
聞き言語として認定されているものもあります そういった聞き言語を
保存し記録するっていうような活動も 継続的になされているんですよね
先ほど申し上げました通り内縄山手口っていうのは本土の日本語と 伝統的な琉球諸語との接触によってできた
言語なので いわゆる共通語と同じような特徴も持っているんですが
それでもやはり一つの言語であるので その独自の体系というかね仕組みとか特徴っていうのを持っていたりします
その一つがですね 過去形に2つの形があるということですね
例文で考えてみるとですね 猿が木から落ちたっていう落ちたという形と
猿が木から落ち寄ったっていう落ち寄った この落ちたと落ち寄ったっていう2つの過去形があります
面白いのはですねこの2つの過去形の使い分けっていうのが 落ち寄ったの方は実際に
話者が目撃したものにしか使えないんですね 一方落ちたの方はその話者が見たかどうかっていうのはあまり関係がありません
つまり目撃したかどうかによって 動詞の形が変わるということなんですね
でこれを専門的には証拠性というふうに言われます 証拠性っていうのはその発話の
情報源っていうのをどのように得たかっていうことなんですね でうちな大和口では
実際に直接体験として 目に見える形で情報を得た場合は
猿が木から落ち寄ったというということなんですね こういう証拠性って言われるのは
いわゆる共通日本語でもあるといえばありますね 例えば落ちたらしいとか落ちたようだっていうのは間接的に情報を得た
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ということですよね あるいは落ちたそうだとか言うと人づてに聞いて情報を得たということになります
うちな大和口の場合は目撃したかどうか そこが一つの基準となって動詞の形が変わっているということです
なので落ち寄ったみたいなこの寄ったっていうような過去形は 自分のことには使えないんですね
なぜなら自分のやったことっていうのは自分で目撃することはできないので これもなかなか面白いですよね
でこの証拠性っていうのは比較的新しい文法の分野っていうことになっています なぜなら言語学っていうのが比較的早く行われ始めた
ヨーロッパの言語にはこういったものがないからですね この証拠性が見られる言語として
まあ amazon の言語とかで見られるらしいんですよね なので世界各地のいろんなところの言語を研究していくうちに
まあ新しい文法的な分野っていうのが発明されたというかね発見されたということです この落ち寄ったみたいな形は実は西日本の
まあ中四国から西の方ですかねの方言でも見られるものですが その西日本方言の落ち寄ったは
うちな山手口の落ち寄ったとはまた違ったものですね 西日本方言では証拠性が関わっているわけではなく
現在進行みたいな意味になるんですよね 落ち寄ったっていうと落ちるところだったみたいな意味になるんですけど
例えば ビルが立ち寄るって言うとビルが建設中だっていう意味になって
ビルが立っとるって言うと まあ共通語でいうビルが立っているっていうその結果状態を表すものになるんですよね
でこの西日本方言の寄ると取るの対立っていうのも非常に面白いものです 関連トークがございますのでそちらのトークも聞いていただけたらと思います
というわけで今日のトークはうちな山手口の証拠性 なんかアクセントがぶれてる気がするまた証拠性証拠性
証拠性かなうちな山手口の証拠性についてのお話でした このように異なる言語では異なる仕組みが使われているっていうことですね
それでは最後まで聞いてくださってありがとうございました また次回のトークでお会いしましょうごきげんよう
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