1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #304 教養番組/相対的な名詞..
2021-05-07 09:36

#304 教養番組/相対的な名詞/一番古い記憶 from Radiotalk

教養番組として
前回の補足
一番古い記憶

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育 #自分の中で一番古い記憶
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始まりました、志賀十五の壺。さて、今回のトークはですね、お便りを2通いただいているので、まずそちらを読み上げたいと思います。
3つ目、花見忠さんからいただきました。
志賀さんの番組は、教養番組の一つとして、NHKや放送大学のラジオと同列のものとして聞かせていただいております。
恐縮です。正直、ラジオトークの中では、研究者の方や学術的な内容を発信する方が埋もれがちで、それを求めている人がリーチできない状況にあると思っております。
2、3回発信されて、本拠地をYouTubeや別の音声配信に移している方を何人も見てきました。
そんな中で、ラジオトークで志賀さんが支持を集めていることは、1つのロールモデルになっているのではないかと考えております。
僕も教養番組を目指して配信しております。
いい意味で、この空間が多様な人たちに聞かれていると思いますので、このラジオトークで志賀さんの番組を聞きながら、自分も力を磨いていこうと思います。
今後も継続した配信を楽しみにしております。
ということで、花見さんどうもありがとうございます。
偉いお褒めいただいて、恐縮でございます。
ラジオトークで聞いていらっしゃる方はわかると思うんですけど、
どうしてもエンタメ系の番組が支持されているというか、運営としてもそっち側をプッシュしていってるんだなというのがよくわかりますよね。
ここに書かれているように、本拠地を別のところに移すという方も確かにいらっしゃいますね。
僕自身はずっとラジオトークを使ってますけど、やってることとしてはラジオトークにこだわる必要はそんなにないんですね。
別に他の配信媒体でも、僕の場合はですけど、おそらく同じクオリティで同じことをやってたと思うんですよね。
ラジオトークをやっててよかったなぁと思うのは、花見さんはじめですね。
いろんな方とお友達になれたことですけど、ただまあこれも考えようですよね。
もし他の媒体で配信してたら、そっちはそっちで出会いがあったでしょうから、言ってること自体にそんなに意味はないような気はするんですけど、
まあもうね、ある程度軌道に乗っちゃったんでね、1年以上続けてしまっているので、これからもラジオトークで配信はしていこうと思っています。
僕自身も花見さんのおっしゃるようにですね、いわゆる教養的な番組というか学術的な番組がラジオトークの中で盛り上がるといいなぁとは思うんですよね。
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そのためにはまあ、しのごを言わず、自分がまず頑張っていこうと思います。
というわけで花見さんどうもお便りありがとうございました。
2通目のお便りです。はるはるさんからいただきました。
しがさんおはようございます。はるはるです。
朝送ってくださったんですね。
今回は所有についてのお話ですね。分離可能所有と分離不可能所有でしたね。
所有のお話を聞いて私の人というものが親と思うところがありました。
私のお父さんとかお母さんとかということですね。
そもそも人間は人を所有するというのはできないと思っていました。
なんで人を所有できないのに言語的に私の人という言い方が成り立つのか不思議だなぁと感じました。
新しい気づきのお話ありがとうございます。
ではまたということで、はるはるさんどうもお便りありがとうございます。
これは前回のトークで、それこそ所有の話をしたときに
所有を表す言語表現は世界の言語でいろいろあるみたいな話をして
所有表現と一口に言っても大きく分離可能所有と分離不可能所有というふうに分けられて
日本語はそういった違いがあまり現れないんですけど
分離可能所有というのは分離できるというか上都可能という言い方もされたりするんですけど
人にあげられるようなもので、私の車とかいったときののですね。
一方分離不可能所有というのは主に身体部位と親族名称というのがあって
私の手、私の口といった体の部分と
はるはるさんがお便りでくださった私のお父さん、私のお兄さん、お姉さん、妹とかね、こういったものですね。
こういう時に私のっていうのが所有でもないのに何で使われているのかっていうことですよね。
考えてみれば確かに不思議でございます。
まあ所有という言い方は確かにふさわしくないような気はしますよね。
こういうね、親族名称、身体部位もそういうとこあるんですけど
特に親族名称っていうのは相対的な語彙であるっていうことができるんですよね。
つまりお父さんっていう単語は必ず子供がいるわけですよね。
その子供のお父さんという形しかあり得ないですよね。
逆に息子という単語は親ありきの単語、語彙ということになっています。
つまり親族名称っていうのは何か基準になる人物を設定しないと使うことができない語彙ということですよね。
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例えばお父さんっていうのは子供から見たらお父さんですけど、おじいちゃんから見たら息子なわけだし、
妻から見たら夫だし、兄弟から見たら弟兄とかね。
つまり親族名称の所有表現っていうのは何か所有権を持っているとか、
自分の思い通りになる持ち物であるとかそういう意味ではなくて、
その基準となる人物が誰なのかを示しているということですね。
身体部位もそういった側面はありますね。
これは全体部分関係と言っていいようなもので、
手といった場合必ず誰かの手なんですよね。
道端のそこら辺に落ちている誰のものでもない手みたいなものは想定されづらくて、
必ず持ち主が想定される相対的な関係ということになります。
なので分離不可能所有、つまり身体部位と親族名称っていうのは相対的な語彙の集まりで、
その基準となる対象っていうのを所有者という形で表示しているということになりますね。
やたらめたらちょっと堅苦しい言い方になりましたけど、そういうことになっております。
というわけで、はるはるさんどうもお便りありがとうございました。
時間が余っているので今週のお題トークに沿って話していこうと思います。
自分の中で一番古い記憶。
どうかな?古いって言っても、幼い時の記憶はいっぱいありますけど、
その中で一番っていうのはどうだろうな。時系列順に並べることはできないんですけど、
ただ僕が自分が言葉を話している、意味のある言葉を話しているっていうふうに自覚したのは、
今何時っていうのをね、すごい母親に聞いてたんですよね。
勝手にシンドバットかお前はって感じですけど、家族が今何時っていうのをよく使ってたのを真似てたんでしょうね。
で、この今何時っていうことを聞くと必ず返答があるっていうことで、
そうやってコミュニケーションを取るのが楽しかったんだと思うんですよね。
もちろん今何時何分みたいなのは母親が言うんですけど、何を言うてるかは分かってなかったんですね。
まあそれまでもいっぱい言葉っていうのは話してたと思うんですけど、
いわゆる赤ちゃん言葉っていうかね、そういうものも話してたんでしょうけど、
なんていうかな、そのコミュニケーションを取ってるっていう実感が湧いた言葉っていうかな、
そういうやり取りの記憶で一番古いのはその今何時っていうフレーズでしたね。
おそらくですけど、それまで使ってた言葉っていうのはどっちかというと自己表出っていうか、
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なんか不満を感じているとかね、イライラしてるっていうのを言葉にしてたと思うんですけど、
コミュニケーションを取るために言葉を使うっていうね、ある意味で革新的な段階だったのかもしれません。
まあそういった古い記憶でございました。
というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました。
本日のトークはお便りに通にお答えして、
自分の中で一番古い記憶っていうね、お題トークに沿ってお話しいたしました。
ではまた次回お会いいたしましょう。ごきげんよう。
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