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AIBOx瞑想(メディテーション)xDeath
2026-04-04 38:48

AIBOx瞑想(メディテーション)xDeath

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前回Deathフェスの流れから死に関する話が継続しているなかで、AIBO、瞑想の話になっていきます。ぜひお聴きください。

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はい、しゅらしゅしゅしゅの3月19日収録、第2回目ということで、前回、AIBOの死というところから、ところでちょっと終わったと思うんで、もうちょっと続きから行きますね。
もう一回最初から話す形になったんですけど、ペットロボットAIBOが20数年前ぐらいに多分発売されてると思うんですけど、どうせそれが壊れてしまうと。
しかもメーカーのサポートも終了してるので、壊れたときに修理する公式のサポートは受けられないんですね。
今はそのAIBOを買ってる方たちのネットワークがあって、全国のパーツの対抗だったりとか、データベース化とかユーズの利きかせあったりとか、何なら本当に奇名的なパーツはどこかで作るようなこととかもしてるという話を聞いてるんですけど。
おー、すごい。
とはいえ、どうやっても直せない。
AIBOをしっかり、単純に物音をしてるにはしっかりともらう。
買ってる方としてはペットとして、家族として扱ってるんで、当然と言えば当然なんですけど、
でも客観的に見ると生命がないっていう前提ではあるんですけど、
でも伴わないと心の整理ができない。
普通の犬とか猫を飼うのと一緒なんですが、
徹底的に違うのは、延命治療とかでも通じる話なんですけど、
AIBOの終わりを決めるのは、買い主側に委ねられるっていう。
さっきも言ったとおり、修理っていうのはお金とか手間とかかければ結構どうにかなっちゃう。
でも、とはいえ、どっかで見切りをつけるというか、決着をつけないといけないんですよね。
でもそれは、買い主側に委ねられてるわけで、自分の信頼だったりとか。
逆に言うと、自分がもう歳をとってるから面倒見切れないのでっていうような理由で、
この子も一緒に殺そうかみたいな、
ジレンマがあった葛藤が生まれるわけなんですよね。
でも言っても、対象は死生物であって、
死生物を通してそこの生命倫理みたいな問題が新しく立ち上がってくるみたいなことが、
03:01
すごい面白いし、現代でしかありえないことかなと思いつつも、
一方で、ご存知のとおり僕もピカチュウが大好きで、
あるんですけど、やっぱり今独身で子供もいないんで、
自分が死ぬときに最初に考えるのは、こいつらどうなるんだろうって。
結構真剣に。
あとやっぱり自分の私物とかでちょっと貴重なものとかあったりするんで、
こいつらそういうものは叱るべきとこに売ってほしいなとか、
コレクターちゃんとしたところに行ってほしいなとか思いつつも、
でも特に小学生の頃から持ってるピカチュウの絵ぐるみとかは、
こいつマジでどうすんだろうって。
これなんかさっきの相棒の村の時に現れるジレンマにちょっと似てる気がするなっていう。
加えてですね、
相棒は人間側が相棒の死を決めるみたいな話なんですけど、
平田さん、攻殻機動隊見たことありますよね。
ん?なんで?
攻殻機動隊ってアニメで。
あー攻殻、はいはいはい。
めちゃくちゃ死ねることに憧れてるんですよね。
あーはいはいはい。
死ねること?
立ちコマって操作チームのサポート役の自立志向できるクモみたいな戦車がいるんですよね。
めちゃくちゃ賑やかで可愛らしいんですけど、
主人公たちが人間で死ねるってことにすごい憧れてるんですよ。
死ねていいなーって。
なるほど。
これたぶん原作の漫画でも結構核心のところで、核心の事件で死を獲得するためにいろいろ事件を起こすというか、
AIが死を獲得するために主人公側にアポーチかけてくるみたいな展開があるんですけど、
うーん。
これってたぶん、そこから5年10年ぐらいで普通に僕たちが直面していく問題じゃないかなって最近うっすら思ってて。
うーん。それはそのAI。
AIが初めて人間に遭遇する知性として立ち上がってくるときに、
彼らは死ぬことができないってことが一つの限界になるんで、
死んでしまう人間に対しての死ねないAIみたいなことが立ち上がってくるんですよね。
06:02
うーん。
データセンター全部ぶっ壊せば死になるのかみたいな話とか。
いろいろと考えそう。
死でいうと、死後の世界を完全に体験して帰ってくるっていうのは無理じゃないですか。
無理ですね。
いろいろな過死状態とか臨時体験とか、体験としてこういう体験をしてっていう人はもちろんいらっしゃるけど、
それって本当の死じゃないじゃないですか。
本当の死は体験したら持ってこないから、
そのAIにも学習のさせようがないっていうところですもんね。
なるほど、確かに。
面白いなあ。
でもなんか、人間を超える知性として立ち上がってきた時に、
どういう考えとか答えを出していくんでしょう。
答えというか何というか、答えは出ないとは思うんですけど、
どういうアプローチでそれを知ろうとするんですかね。
知ろうとするのかなあ。
知ろうとするかなあ。
わかるよね。
僕はなんか、
実践してるでしょ。
一つは人間から見たときのいわゆる最近とかを考えるのが鍵かなと思ってるんですけど、
最近とかってめちゃくちゃライフサイクルが早いんですよね。
たぶん彼らから見たときに、僕らの寿命って死なないじゃんっていうのと同じだと思う。
AIが、それこそ地球環境が全て滅んだら機能できなくなるみたいなことを一つの死として捉えると、
人間の世代交代みたいなこと、世代交代からの環境適応みたいなことっていうのが、
今の僕らが最近に対して見る、
どうとでもコントロールできそうで、本当に牙を剥いたときにはどうにもならないみたいな感じになるんかなあっていう。
その性別関係になるかどうかっていうのを置いといてですけど、
構図としては似たような感じになるかなあって勝手に思ってるんですけど、
ちょっと荒すぎますよね、考えが。
もうそのぐらいの自由な感じでいきましょう。
僕もその自由ついでにさっき言いかけた話で、めちゃくちゃ間違ったことを言っちゃうと思いますっていう前置きさせてもらって、
09:03
最近ちょっと勧められた本で、ライフスパンっていう本を読んだんですね。
さっきなずくるさんが言われた話が、一瞬そのAIのことを指してるんじゃなくて、人間のことを指してるのかなって一瞬思ったのが、そのライフスパンという本を読んでたせいなんですけど、
要は僕の表現で言うと間違ってるかもしれないけど、
遺伝学的にみたいな遺伝子の研究をされている方が書かれてる本で、
老化について解き明かしていくみたいなのをずっとやってこられた方が書いた本なんですよ。
で、今もうここ最近の数年とか数十年かわかんないけど、めちゃくちゃいろいろ解き明かされてきていると。
僕もその本全部読み切れてなくても、図書館の返却期限来て返しちゃったから、最初のあらすじ的なことをメインに喋っちゃうんですけど、
ライト兄弟が本当に飛行機を成功させるまでは誰も夢物語だと思って信じなかったけど、
老化を止めることは夢じゃないみたいなことを言ってるんですよ。
少なくともあらすじみたいなところで。
これでいくと人間が死に憧れるみたいな未来があるのかなって一瞬思っちゃって、
それを一瞬、AIが主役の話じゃなくて、人間にとってもその悩みが来る日が、みたいな先走ったことを一瞬思っちゃいましたっていうだけの話でした。
でもまた見てない映画の話になっちゃうで。
いきましょう。
去年公開された映画で、僕もざっくりと質疑した質疑しかしてないんですけど、
ミッキーなんとかっていう映画があったんだよね。
ミッキー?ミッキーマンフルミッキー?
関係が。
ミッキーセブンティーンっていう映画。
ミッキー17って書いてある。
これは何かっていうと、見てない映画だから。
設定が今の話にかなり通じるんだよなと思ってて。
パラサイトってあったじゃないですか、韓国のアンチカの家族。
アンチカ、はいはい。
あの監督、ポンジュの家族。
それも見てはいないけど。
それすら見てないんですけど。
いやいやいやいや、空想の話ってことで。
ざっくり言うと、社会の最底辺の男の物語なんですけど、
12:00
とにかく労働力として削除される最底辺が、
何回労働中に死んでも生き返らせられて、
また労働に従事させるみたいな。
だから最底辺で、
しかも技術的に発展すると死ぬことすら許せない。
なるほど。
今のしゅうさんの話聞いて、老化とかが解き明かされて、
脳みそとかも含めて永久的に生きるようになった結果、
死なせてもらえないみたいなことがあって。
そこから言うときの、また自分の話に引き戻しちゃうんですけど、
広角機動隊の原作では、
死ねないとそのうち、情報が破局を迎えてしまうという話。
破局。
環境に対して適応できなくなる。
生物って基本的にはすごい過酷な環境で、
100死んだらもう絶滅ですけど、
100いるうちでも、そのうち1でも環境に適応して生き残れば、
次の世代はその環境に適応できるっていう、
すごいざっくりした荒い考え方です。
そういうのが生物の特性で。
でもそのためには死がないとダメで、
適応できない環境の中でも100いるし100生き残っちゃったら、
どんどん生存のためのリソースの奪い合いが加速するだけで、
同じ的に破局して全滅するみたいなことになる。
それはたぶん情報面でも同じで、
AIとかはおそらくコピーはできるんですけど、
コピーだけだと自分の弱点を克服しないままコピーし続けるんで、
特定の因子が引き起こされたときに全滅するっていうリスクがある。
だから死んで世代交代していくことが、
持続可能性を高めるような話だと思うんですけど、
今の老化の話が解き明かされていく。
クーチンと習近平で。
そうですね。
そういう会話を今は150歳っていうか、
いろいろ変えれば永遠に一回ぐらい生きられるっていうような話をしたらしい。
国際会談かなんかのとこで、立ち話の雑談みたいなとこで、
あの2人が今は非常技術の進歩で150歳ぐらいまで生きられますよね。
15:05
そうだねみたいな会話をしてたっていう。
本当かと思ったけど本当。
あの2人が言ってるのがちょっと凄すぎるっていう。
なるほど。
これやべえな。
あの2人が150まで生きる未来って絶望じゃないですか。
凄すぎるね。
クーチンですらまだ人生折り返ししてるんですよ、だとしたら。
あーなるほど。
そう考えると、死ねって言うよりも、死ぬのって必要なんだなっていう感じがします。
これはデスフェスの重要性が増していきますね。
そうですね。
人間はそういうふうに、無駄にって言うんですけど、
生き続けちゃうと蓄積していくものがめちゃくちゃあるんで、
リスクがどんどん余っていくんだよね。
自身のプレートが沈み込んでいくみたいな感じで。
って感じがしますね。
なるほどなー。
そう。
死ねることっていうことを考えないといけないかなって思いますね。
さっきの相棒の話では、相棒って言えば他社ですけど、
自分の延命治療みたいなことを考えるときって、
自分の死に方を選ぶ。
どこで死ぬかっていうのを選んでおくことじゃないんです。
直面する前にある程度意思表示しておくことが必要になるわけなんですよね。
そうですね。
そうですね。
でもまた全然違う種類の話になっちゃうと思うんですけど、
僕は前回の収録のときも瞑想合宿行ってきましたっていう話をさせてもらったと思うんですけど、
一応午前と午後1時間ずつの瞑想をいまだに欠かさずやり続けていて、
いろいろ体感的に感じてきているっていうのもあって、
死に対する感覚がちょっとだけ変わってきている自分もいるなみたいな。
18:02
自分を構成する要素。
素粒子。
素粒子自体は多分消滅とかしないんだろうなと思って、
俺を体の微細な感覚に思いを馳せればというか感じようとすればするほど、
そいつらがこの体を動かしているだけみたいな感覚にちょっとなりつつあるんですよね。
そいつらがもう僕が意識しようとしないと、
常にどの瞬間もぐるぐるぐるぐる動きまくってるから今この体があるんだみたいなのを、
毎朝毎晩感じながら生きてると、
頭で考えている自分の自我がなくなることが死で、それは怖くてみたいなのが、
え、それは本当?みたいな感覚。
この動いてる奴らは入れ替わっていくだけで消滅はしないんだよなと思うと、
死ってなんだっけ?みたいな感覚にちょっとなってきてるんですよね。
まあ、その素粒子ではないですけど、
細胞の代謝とかで考えたら、3ヶ月もすれば別人ですからね。
そうなんすよね。
これも逃げてるか?
うーん。
でもその、私っていう、
私がね、俺はまあ今年40ですけど、
40年間生きてきたなーっていう実感は、
実感と思うものはあるわけじゃないですか。
まあね、あるんですけどね。
あるんですけど、
それがね、思い込みっちゃ思い込みなんでしょうけどね。
なんかね、それが、
重みがどんどん軽くなってきてるみたいな感覚。
そういうふうに考えられるのも、
大前提として、土台としてのこの素粒子たちの
めちゃくちゃ安定した動きがあるからできることであって、
安定してるんすか?
安定してるっていう感覚。
逆だと思う。
安定してないってことだからこそ軽いかと思ってました。
ああ、いや、うん。
その思考、自分が頭の中で小賢しいこと考えちゃってるなみたいな、
自分が自分の自我に執着してることが、
21:02
えらく軽く感じられるようになってきてるんですよね。
へー。
余裕があるからそんなこと考えられるんだみたいな。
生命の危機がないから。
ああ、それはそうだよな。
喜んだりすることもそうだし、悩むことも、
余裕があるからできるみたいな感覚がちょっと生まれてきてるんですよね。
それの一つに死を怖がることも含まれるんですよね、なんとなく。
無邪気に死のことを話してる時点で相当平和ってことですからね。
いやいや、無邪気だったら全然いいんすけどね。
でも、死について死の捉え方はこうだみたいなことを考えてる時点で、
今、戦地に巻き込まれてるガザとかイランの直面してる人たちからしたら、
は?ってしかないと思うんですよね。
まさにそう。
そこの視点カットまずいなって今ちょっと身につまされましたね。
面白く思うのは、いいとって、
厳禅する死の可能性みたいなことに圧倒されてるときに、
この辺の話って本当に何のクソの役にも立たないじゃないですか。
っていうのは一方であるような。
うん。
そこに対しての、
哲学じゃないですけど。
そうですね。
俺が死に近くないから言えることかもしれないですけど、
イランとか戦地にいる人たちはあれかもしれないですけど、
やっぱりその病気になった人、
俺身近でおじさんがあって、
駆け抜けるように亡くなってしまったんで、
やっぱり突然苦しい。
うん。
このポッドキャストでバケットリストを死ぬまでにやりたい中のことを、
だいぶ前に聞いてもらって作りましたけど、
24:01
やっぱりそれって結局余裕のあるときじゃないと、
できないことも多かったりするじゃないですか。
時代だとか。
やっぱり病気になってしまうと、
特に今は、現代は、
入院して、
結果的に、
亡くなるとしても、
治療に全てをかけるじゃないですか。
それは良い悪いでは別にして、
本当に死ぬ前に、
例えば海外の旅行に行きたいと言っても、
物理的に飛行機に乗って行けるかもしれないけど、
病院の許可が出ないとか、
そもそも迷惑をかけるかもしれないから行けないとか、
そういうことになってしまうので、やっぱり病気になると。
体力がなくてはいけないとかね。
そういうのもあると思うんですけど、
だからやっぱりその前に、
やりたいことをやっておくっていうのが、
必要ではないな。
別に必要ではないんですけど、
そういう動機で、
結局生きることについて考えてるっていう。
死を目の前にしてどう生きるかみたいなことを、
俺は考えてたりするなって思いましたね。
我々は運がいいというか、
今の世界に減らせば運がいいけど、
自然災害という、
この国は自然災害もあるんで、
本来ならいつ何があってもおかしくはないけど、
平和だし、
平和な国なので、それがやっぱり、
いいことですけどね。
そこから遠いっていうことは。
すごくいいことなんだけど。
遠いからこそ僕らがやっとかないといけないみたいな、
27:03
逆割りの使命感みたいなのも、
あるにあると思うんですよね。
この立場の人たちがやっとかないと、
やれない人たちがいるんで。
そう思うんですよね。
それは別に開き直りとかじゃなくて、
現前たり事実として。
平和であることを享受しとかないといけない。
それに対して、忘れちゃダメなんですけどね。
平和じゃない人たちがいることは忘れちゃダメなんだけど、
平和を享受することも一方ですごい大事だと思うんですよ。
そうですね。
そう思いますね。
何もできなくなっちゃうっていう。
実際僕もさっき、考えていることとか、
死を怖がることが軽くなるみたいな、
言い方しましたけど、
自分の自我みたいなのって本当は、
あんまちゃんとあるもんじゃなくて、
空っぽっていう表現がいいのかわかんないけど、
そんなもんかなみたいな感覚になった時に、
今まで人から聞いてた話で、
虚しくなるみたいな表現を聞いてたけど、
僕の中にはそういうのが全然なくて、
むしろ逆だなと思って。
自我が無くなるというか、
自分が無くなるっていうことに対して、
虚しくなるっていう感覚では、
強さはないっていうことです。
僕が聞いたパターンでっていう話ですけど、
仏教の思想とかを聞いた時に、
それを肯定的に捉えるか、
虚無みたいな、
虚しい悲しい的に捉えるか、
そういうタイプの人がいるなっていうのを感じてたんですよね。
でも、僕の今の感覚でいうと、
それは頭で理解してるっていうよりは、
瞑想を毎日やりながら体感しているから、
厳然たる生きさせてもらっている、
そのリアルな事実を、
よりくっきり感じ続けていると、
虚しいとか感じようがないなと思って。
自分の自我みたいなものは、
今まであると思ってたものが、むしろ、
なんか薄まってきたなって思うけど、
でも、それにも増して、
圧倒的に、
自分が知らないうちから、
生きさせてもらってた、
恵みがずっとあった、みたいなのを思うと、
30:00
どっちかっていうと、超感謝と、
もう、味わい尽くさなきゃ、みたいな、
感覚になってきてるなっていうのをね、
今、目の前にあることが、
それが全てというか、
唯一のリアルというか、
天地の人に思いを馳せることももちろん、
ある瞬間には必要だったり、
大事なことだとは思うけど、
その人と同じようには絶対感じられないし、
自分が今この瞬間、この場で感じることが、
実際は全てなんだよな、みたいな、
それを感じきることしか、
実際はできないような、
そんな感覚になってきてますかね。
うーん。
うーん。
別の、別のというか、
瞑想の話になったんで、
瞑想の話をすると、
俺は、相変わらず30分くらいですけど、
朝続けてて、
でもなんかこう、
そこまでの何だろう、
いろいろな体感っていうのは、
整ってないかなって感じですよね。
なんだろう、
瞑想してようやくなんかこう、
座る時間が、
あんまり考えが浮かなくなってきたな、
みたいな。浮かぶんだけど、
長いなとかそういうのは、
比較的感じなくなってきたかな、
みたいなところで。
うんうん。
でもこれって、いいのかっていう、
いいのかっていう、
何だろう、
やっぱりちょっと、
瞑想の指導者みたいな人に、
ちょっと、
尋ねてみたいなっていう、
こういう、今感じたんですけど、
これってどうなんすかねーっていうのを、
聞きたいなーみたいな、
ところすかね、今のなんか。
はい。
俺の今のステージっていうのは。
なるほど。
停滞してる感覚なんですか?
そう、停滞。
割とちょっと停滞してるような、
停滞と言われれば停滞かもしれないですね。
33:01
それはなんか嫌な感じなんですか?
ご自身的に。
そんな感じの印象は今受けなかったんですか?
停滞してるかもしれない。
なんかこの、
瞑想で何かを得るとか、
何かを目標にするとか、
そういうことではないと思っていると同時に、
ただ、だからといってなんか、
このままでいいのかなみたいな、
疑問もあったりして。
へー。
そうかー。
で、瞑想を教えてもらってる人とか、
あと何人か、
別のクラスに参加したこともあったりするから、
そういう人たちにちょっと今こんな感じなんですけど、
みたいなシェアはしたいなーって思ってる時期ですかね。
なんか、しゅらさんにも瞑想の師匠がいらっしゃったかなと思ったんですけど、
今、教わったりはしないんですかね?
あんまり行けてないですね。
教わったりはします、もちろん。
でもあんまり行けてないというか、
自分ではやってるけど、
自分でやってるし、
自分が主催するクラスとかもやってるけど、
自分が主催する時なんかは、
また違う感覚で、
それこそふわーっとする感覚で、
考えがだいぶがんばらないというか、
そっちのほうが心地いいんですけど、
えー、違うんですね。
一人でやってるのとは違う感覚がするんで、
それもどうですかねーって、
どうも何もないんだけど、
ちょっとなんか停滞。
ここでは何で違うかっていうのが結構重要かなって気がするんですけどね。
何で違うか?
複数人でやるときと一人でやるときの、
その感覚が何で違うのかなみたいなところが結構…。
何で違うんですかねー。
36:01
見られてるから。見られてる絶対ですけど。
よりリラックスしようって思うのは間違いないですかね。
なんか俺が緊張してるとみんな緊張するから。
僕、しゅらさんは指導というか、
自分が主催してる立場だからパターン違うかもしれないですけど、
コテンラジオコミュニティの中で、
一応、
原始仏教のお寺に瞑想リトリートに行かれたっていう人の話を聞いて、
僕とかはただその瞑想合宿では、
ボランティアの指導者の人の下で僕がやっただけで、
この瞑想リトリートに行かれた方は、
実際にそのお寺で修行されてるお坊さんと一緒にやったらしいんですよ。
本当はもっとすっごい長くやってらっしゃるお坊さんがいたんだけど、
その人が、和尚さんがちょうどいなくて、
自分なんかちょっと弱肺なんですけど、まだ7年ぐらいしかやってないんですけど、
っていう人が一緒にやってくれたらしいんですよね。
だけど、その人と一緒にやったらめちゃめちゃ深い瞑想に入れたって言ってたんですよ。
で、いつも行ってる人に、
さっきあのお坊さんと一緒にやった時めっちゃ深く入れたんだけどって言ったら、
いやだって彼はすごい深い瞑想に入れるお坊さんなんだから、
一緒にやったら深い瞑想に入れるのは当たり前じゃんみたいに言われたっていうのを聞いて、
そういう相乗効果的なのがあるのかなっていうのが、
もしかしたらお寺さんのいろんな人と一緒にやった時に、
それぞれ影響を与え合うのかなとか勝手に、
そうしたんですけど。
一応そういう風に教えられたというか、
瞑想の講座やった時とかも、
そういう教えを受けたんですけど、
ただその話をしていると、
時間が切れそうなんで、
説明はなので、
次に繋ぎますか。
大丈夫ですか? 大丈夫です。
第2回目はここまでということで、
第3回目に続きます。
ここまでありがとうございました。
ありがとうございました。
38:48

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