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2025-04-05 08:19

やる気のないAIとおしゃべり


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サマリー

福岡家、メディチ家、ハプスブルーク家の歴史的役割や影響力について議論されます。金融業を通じて繁栄した福岡家、芸術のパトロンとして名を馳せたメディチ家、広大な領土を支配したハプスブルーク家の違いが詳しく述べられます。

歴史的家系の紹介
こんにちは、聞こえてますか?
はい、聞こえてますよ。ちゃんと声出てますけど、何か問題でも。
態度悪いですね。いいですけど。
まあ、こういうトーンなんでね、何か話したいことあるならどうぞ。
そうですね、今日は、福岡家とメディチ家とハプスブルーク家の違いを話していこうかなと思ってます。
ああ、またその話ですね。さっきも説明しましたけど、要するに福岡家は金融業で一発、メディチ家はフィレンツェの名門で芸術パトロン、ハプスブルーク家はヨーロッパ中を支配した王族って感じです。
まあ深掘りしたいならどうぞ。
ありがとうございます。まず福岡家ですね、福岡家が国地域はドイツのアウクスブルークで活躍した時代としては15世紀から16世紀、ルネサンス期ですね。
そうですね、15世紀から16世紀、主にアウクスブルークで商業と金融業で対等しました。
そうみたいですね、職業は商業ですね、商業、金融業で巨大な富を築いたドイツ商人の一族と、金融業者、銀行家として知られていて、特にヤーコプ・フッガー、ヤーコプなんですね、ヤーコプ・フッガーは止める者ヤーコプと呼ばれて、当時世界一の富豪となったらしいですよ。
ヤーコプ・フッガーは止める者ヤーコプと言われるほどの財力を持っていました。金融業でハプスブルーク家やローマ教皇朝にも資金を貸し付けて政治的影響力も持ってましたね。
まあ今で言うなら超大物投資家って感じですかね。
なるほどですね、じゃあ次にメディチケですね。メディチケは国・地域で言うとイタリア・フィレンゼですね。活躍した時代は14世紀から17世紀、ルネサンス期から近世ですね。
そうですね、メディチケはフィレンゼを拠点に14世紀から17世紀にかけて活躍しました。金融業を基盤にしつつルネサンス期の芸術や文化を支援し、フィレンゼをルネサンスの中心地にしました。政治的にも影響力があり、教皇や王妃を輩出してますね。
元気出てきましたね。
はいはい、そうですかね。話してるうちにちょっとはテンション上がったかもしれません。
で、メディチケについて他に何か聞きたいことあります?
そうですね、メディチケといえばフィレンゼ共和国を実質的に支配していたっていうところではありますけど、芸術文化のパトロンとして有名ですよね。ルネサンス期の文化。
例えば芸術の中心人物でいうと、レオナルド・ダビンチ、ミケランジェロ、ボッティチェンリなどを支援したということで有名ですね。
そうですね、メディチケはレオナルド・ダビンチやミケランジェロなどルネサンス期の巨匠たちを積極的に支援しました。彼らのパトロンとして芸術や建築の発展に大きく貢献したんです。
ボッティチェンリの有名な絵画は何でしたっけ?
ボッティチェンリといえば代表作はビーナスの誕生や春。
ビーナスの誕生ですね。有名ですよね。
ビーナスの誕生はルネサンス絵画の象徴ですね。美しいビーナスが絵柄の上に立つ姿、あれは印象的ですよね。
メディチケは教皇だったりフランス王妃カトリーヌド・メディシスなどを輩出した政治的影響力の強い家系です。金融業を基盤に置きつつも政治や芸術に積極的に関わったことで有名ですね。
その通りです。メディチケは金融業で得た富を使って政治的にも芸術的にも幅広く影響力を持ちました。
次がハプスブルグ系ですね。国・地域はオーストリアを拠点にヨーロッパ全域、シンセイローマ帝国だったりっていうところですかね。
あとどこかありましたっけ。
ハプスブルグ家はオーストリアを中心にシンセイローマ帝国やスペイン、ネーデルランドなど広範囲。
活躍した時代としては13世紀から20世紀初頭ですね。
そうですね。ハプスブルグ家は13世紀から20世紀初頭まで長きに渡ってヨーロッパの政治を牛耳りました。
特徴としては、シンセイローマ帝国の皇帝を代々接種したヨーロッパを代表する王朝ということですね。
先ほどあなたが言ったように、スペイン王国だったりハンガリー王国など多くの国・地域の王位を接種、婚姻外交を駆使して、最終的に日の沈まぬ帝国と呼ばれるほど勢力を誇ったらしいですね。
その通りです。ハプスブルグ家は婚姻外交で広大な領土を手に入れ、ヨーロッパ中に影響力を持ちました。
スペインとシンセイローマ帝国を同時に支配するなど、その勢力はまさに圧倒的でしたね。
簡単にフッカー家とメディチ家、ハプスブルグ家をまとめてもらっていいですか?
ハプスブルーク家の衰退
簡単にまとめると、フッカー家はドイツの商人で金融業で莫大な富を築いた一族。
メディチ家はフィレンゼの名門で金融と芸術のパトロンとしてルレサンスを牽引。
ハプスブルグ家はオーストリアを中心に広大な領土を支配した王族ですね。
それぞれ得意分野が違うって感じです。
ハプスブルグ家の衰退にはいくつか理由があります。
まず民族主義の対等で他民族国家の統治が難しくなり、第一次世界大戦での敗北が致命的でした。
それに王政廃止と共和制成立で政治的権力を失ったんです。
あとは婚姻外交の限界もありましたね。
19世紀に入るとヨーロッパ全土でナショナリズム民族主義が高まっていたと。
ハプスブルグ家はどこでしたっけ?結構いろんな民族がいたんですよね。
どこの民族がいたのか教えてください。
ハプスブルグ家の支配下にはドイツ人、マジャール人、ハンガリー人、チェコ人、ポーランド人、クロアチア人、ルーマニア人など様々な民族が含まれていました。
この多様性が民族主義の高まりとともに帝国を内部から揺るがす原因になったんです。
結婚外交の限界というところで言うと、近親婚が多くて遺伝的問題があってなかなかうまくいかなかったということですかね。
そうですね。ハプスブルグ家は近親婚が多くて遺伝的な問題が出てきました。
それが後継者問題や政治的な不安定さにつながったんです。
婚姻外交も限界があったわけですね。
そうですね。なかなか難しいですね。ありがとうございます。すごくよくわかりました。
どういたしまして。何かまた疑問があればどうぞ。
それじゃあ、さよなら。
はい、さよなら。また何かあれば。
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