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おはようございます。今日は12月24日、トークの353回目です。
歴史トークということで、今日はクリスマスイブなので、
せっかくなので、ちょっとキリスト教のお話をしてみたいと思います。
その前にちょっと小話を。
ある男が補聴器を買う必要に迫られていたんですね。
しかしあまりお金がないですよ。店員に訪ねました。
これはいくらですかね。
物によりますが、こちらが2ドルから2千ドルまで取り揃えております。
じゃあ、その2ドルの物を見せてもらおう。
店員は装置を男の首に回しました。
このボタンを右に入れて、こちらの紐をポケットまで離します。
どうやって動かすのですか?
2ドルの物は動作しないんですよ。
しかし、それをお客様が見に着けていったら、それを見た人がより大きな声で話しかけてくれますよ。
チャンチャン。
なるほどね。いい話かな。
では本題です。キリスト教のお話とします。
キリスト教の話と言っても、僕自身そんなに語れるほどの信者でもないんですが、
日本とキリスト教のお付き合いという話をしてみましょうか。
日本とキリスト教。
そもそもキリスト教がいつ日本に入ってきたか。
おそらく聖徳太子じゃないかなと思ってはいるんですよね。
聖徳太子というのは馬小屋で生まれた。
キリスト教とよく似てるんですよね。聖徳太子のやったこととか。
やったことはあれなんですけど。
聖徳太子はキリスト教を知っていたんですね。
とはいえ聖徳太子は仏教を日本に持って来ようとした人ですけどね。
でもキリスト教のことをよく知っていたわけですよ。
ただキリスト教という言い方が正しいかどうかわからないんですけどね。
仏教の流派の中にキリスト教に似た流派があったみたいで、ひょっとしたらそっちかもしれないですけどね。
とりあえずなんとなくキリスト教の教えが入ってきたのは聖徳太子の頃かなという見方がありましたね。
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本格的に日本にキリスト教が入ってきたのは戦国時代ですね。
戦国時代のキリスト教というのはですね。
右手に十字架、左手にピストルみたいな。
戦国時代のヨーロッパって大航海時代。
羅針盤の発見により大航海時代って言われてますね。
大航海時代って名前はかっこいいんですけど。
名前はかっこいいんだけど、要は植民地づくり時代ですからね。
その時にキリスト教を使ったわけなんですよ。
どういう風に使ったかというと、キリスト教の一派の中にですね。
キリスト教っていろいろあって、ちなみに大きく分けてカトリックとプロテスタンですね。
カトリックとプロテスタンで、主に布教活動に力を入れたのがカトリックですね。
プロテスタンというところはあまり布教には力を入れなかったみたいですね。
あまり布教には興味なかったというか。
カトリックというところは布教に特化したようなグループもいたわけですよ。
イエズス会か。フランシックススコザビエル。
この一派はすごく厳しいんですよね。
全両性でですね。
聖書通りやりなさいみたいな、すごい厳しい。
布教に力を入れて、ここをいろんな国に送り込むわけですよ。
まず日本に送り込んできたわけですよ。
何をするかというと、布教なんですけど。
情報収集させるわけですよ。
なぜなら、布教をするためにどういう戦略をとっていいかなみたいなね。
そういうこともあってですね。
情報収集させるわけですよ。
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ダイヤ奥羽はキリスト教を囃らす。
とはいえ、こういう手法なわけですよ。
まず相手の国を乗っ取りたいわけで、相手の国を植民地にしたいわけですよ。
奴隷にしたいわけですよ。やりたい放題やりたいわけですよ。
ところが、いきなり行ってもわからないじゃないですか。
まずは下目に刺すわけですよ。
それがカトリックのイエズス会ということで日本に来たわけです。
日本に来た布教はある程度うまくいってましたね。
ある程度うまくいってて、戦国時代にキリスタン大名とかもできてね。
ここまで行けば内乱を企んでたんですよ。
キリスタン大名とそれ以外をちょっと戦わして、いいとこを乗っ取るみたいな。
そういうことを指すわけですよ。
乗っ取り方っていうのもその国に合わせて巧みなわけですよ。
いきなり武力で殴り込んでいって取れるなら、それに越したことはないですね。
それに越したことはないけど、日本はちょっと難しいですっていう。難しかった。
何せ当時戦国時代で日本の武力っていうのはかなり強かったわけですよ。
ヨーロッパ、スペイン、あの辺が行ってもちょっと簡単には勝てませんね。
ちょっと簡単には勝てないんじゃないですかっていうのがおよその見方なわけですよ。
でも、とはいえなんとか日本ものにできないかな。
じゃあちょっと内乱をさせましょう。
で、戦国大名、キリスタン大名というのを作っていって、どんどん作っていって、
そこでちょっと国内を分断させよう。分断させよう。
で、いいところを取りましょうという作戦が取られたみたいです。
それを見破った人が豊臣秀吉ですよね。
豊臣秀吉がやったことは、キリスト教はいいわ。
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でも、宣教者は出ていけ。お前らろくなことを考えてねえだろうみたいな。
次の時代、徳川家康の時代になったら何をしたかというと、
鎖国をしました。もう海外とは付き合いません。
とはいえ、ポルトガルか。ポルトガル。一部の国とは付き合いしたんですよ。
で、その一部の国というのがプロテスタントなんです。
で、プロテスタントに関しては危険性がないっていうことを徳川家康が見たんです。
現にプロテスタントというのは商売が好きな流派っていうか。
ちなみにアメリカという国はプロテスタントの国。
それはカトリックの人もいますけどね。一応はプロテスタントという国。
で、鎖国時代付き合ったのもプロテスタント。
プロテスタントの人って商売も好きだけど、あんまり不協とかそういうことはしなかったらしいですね。
不協とかそういうことはあんまりしなかった。ひたすら商売。
カトリックは逆に商売禁止されてますからね。
ということで、日本は鎖国時代はプロテスタントの付き合いがありました。
戦後の、戦後っていうか明治になってからアメリカがまず乗り込んできました。
でもアメリカってね、ペリーが来たっきりで、それから日本には来てないんだよね。
ということで、日本とキリスト教の関係ですね。
まずは聖徳太子の時代に教えが入ってきた。
でもキリスト教という名前はないけど、聖徳太子ってなんかキリスト教っぽいよね、みたいな。
でもやってたことはぶっけ。
戦国時代に本格的にキリスト教が入って来ようとしたけど、こいつらろくなやつじゃないなということで、
豊臣秀吉が追い出しました。
ところが鎖国時代になってから、プロテスタントの人とはずっと付き合いがありました。
ということで、プロテスタントとカトリックの違いを説明しようと思ったら、ちょっと時間になってしまったんですけど、
とりあえずなんとなく日本とキリスト教のつながりというものをお話ししてみました。
はい、ありがとうございます。