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2024-06-08 10:46

トーク146 トヨタ不正で思うこと from Radiotalk

政府はどこまで介入するのか

大きな政府
小さな政府

リバタリアン
00:02
おはようございます。今日は6月8日、朝の7時40分ぐらいですね。トークの146回目となります。
今日はですね、トヨタの不正ということでちょっと話をしてみたいと思いますが、ちょっとお話ししましょうか。
昔話をしましょうか。昔々あるところに、ちょっと太ったおじいさんがいました。小太りおじいさん。
なんちゃって。本当は畳みかけたかったですね。他の話も持ってきてね。
この話だけで笑いを取るのは難しいと思うんですけど、覚えといて損はしないですね。
ちょっと太ったおじいさんがいました。小太りおじいさん。無難な感じですね。
ちょっと何日か前だと思います。タイムリーからちょっと遅れちゃったな。
トヨタの不正事件がありましたよね。それちょっとよくわかんなくてですね。ちょっと不思議な事件でもあるんですよ。
車の国交省の基準があってですね。それを満たすかどうかを検査するんですけどね。それをトヨタ自動車が不正をしていたという話なんですけどね。
それだけ聞いたら悪い話なんですけど、内情を見るとトヨタは自分の基準を持っていて、自分たちの基準は国の基準よりもっともっと厳しい基準を持っていて、それでやってましたということを言っているわけですよね。
国道交通省がしょうもない縦箱の隅を突くような、どうでもいいようなことを基準項目に挙げていて、それはどうしたもんだろうと思って、トヨタ自動車は戦うかなと思ったんですけどね。
03:07
どちらかというと、ちゃんと国と戦ってほしいなとは思ったんですけど、でもトヨタ自動車もちょっと後ろ目で戦ったんですね。あんまり戦う方向にはいかなそうで、ああそうなんだって感じなんですよね。
まあまあまあ、それはいいとして、国の基準って何なんだろう。戦後は多分必要だったと思うんですよ。
車を作り出した頃って何も分からないわけですからね。国が一応基準を示してあげて、これぐらいクリアしとけよみたいな感じで自動車メーカーに言うみたいな。
そういうのはあってよかったと思う。国主導で産業を発達させてきたわけですからね、戦後。それはあってよかったんだろうと思うけど、このご時世、もう国の基準なんかいらないんじゃない。
むしろトヨタ自動車はそれをちゃんと言ったらよかったのになあと思ったわけですよね。国の人より車のことは私たちの方が十分知ってます。
徹底的に戦ってほしかったなあとは思うんだけど、トヨタ自動車なんかあったんで後ろめたかったんですよ。何かあったんでしょうね。
やっぱり大企業病みたいなので、これを機にそれを正そうとか思ったのかもしれないですね。
国がどこまでそんなことを言っていいのかですね。車の基準とか別に、僕は個人的に車の基準は別に国の基準とか関係ないよね。
トヨタ自動車、日産自動車、ホンダ自動車、それぞれの基準でいいじゃないですか。選ぶのはお客さんですからね。私はトヨタ自動車を信じます。トヨタ自動車のファンですのでトヨタ自動車を買うでいいじゃないですか。
トヨタ自動車はトヨタ自動車で、私たちがいいと思うものを作ります。賛同してくれる方は1票くださいみたいな。1票というか1台買ってくださいでいいじゃないですか。そこにわざわざ国が入る必要はないとは僕は思うんですから。
ただ戦後は仕方なかった。戦後はあった方が良かったと思うね。国主導で産業を作る。でも今のこの時代になって同じようなことで国交省、国の基準で縛り付けて、そのおかげで生産性が下がるわけですからね。トヨタにしてみたら。生産性が下がって性能が上がるかって言ったら別にそんなわけでもなく、どうでもいいような基準。
06:15
まあちょっとよくわかんないですけどね。ということで国がどこまで関与していく。これがですね、よく言われる小さな政府大きな政府ですね。
例えばアメリカの話で言うと、民主党は大きな政府、共和党小さな政府。で僕はね、実はね、その2台以外にリバタリアンという考え方があってですね。
まあリバタリアンって何かというと、国の関与はなければないほどいいという考え方ですね。
僕はどちらかというとリバタリアン、無政府主義って言ったりして、無政府主義って何か言葉が悪いけど、自由市場主義っていう言い方をするみたいですね。
そこはどういう世界かというと、他界の自由は尊重しましょう。お互いも住み分けましょう。
車だって、トヨタ自動車が車を売ったらそれでいいじゃないですか。選ぶの客なんですから。良かろうが悪かろうがね、選ぶの客で。
そこに国が割って入ることないんじゃないっていうことは思いますね。
でもね、リバタリアンってあんまり聞かないのかな。民主党、共和党、リバタリアン党っていうのがあるみたい。
でも全然5%とかそんなノリなんで、まだまだ表舞台に立ってないし、日本の政党でリバタリアンを歌っている政党はないわけですね。
リバタリアンって何かというと、国会議員そのものの存在すら危ういですからね。
大きな政府、小さな政府と言われても、やっぱり権威主義なんですよ、お互い。権威主義。
リバタリアンというのは権威主義と反対の立場なんでね、それを歌う国会議員がいたら国会議員そのものの立場が危ういというか矛盾してますよね。
ということでですね、国がどこまで立ち入るのか。小さな政府、大きな政府。
09:02
ただ、小さな政府、小さな政府。ここにかかってくるのが福祉なわけですよ。
大きな政府というのは公共事業をガンガン作ったりして、利権をがっぱりみたいなイメージなんですけれど、福祉を取り込むわけですよ。
小さな政府というのは、僕は小さな政府すら良くないんじゃない、リバタリアンという自由主義主義を研究してるんですけど、そこだと福祉はどうするのというのが浮かんできますよね。
福祉するなというのが自由主義主義ですからね。それでいいのかなとかも思ったりしてですね。
ということでですね、トヨタ不正の話から全然違う話になって、国がどこまで言っていいんだろうとか、一度考えてみてもいいんじゃないかなと思いました。
トヨタ自動車は戦ってほしかったんだけど、まあまあそういう雰囲気でもなさそうなんで、あらあら残念。
今日はこんな感じになります。失礼します。
10:46

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