百人一首の歌と天地天皇
おはようございます。
今日は百人一首のお話をしたいと思います。
百人一首のまず最初の歌、
あきのたのカリフォーノ意象の
とまをあらみ、わがころもては
ちゅうにぬれつつ
これ、一番最初なんですよね。
天地天皇です、天地天皇。
で、まずここが
この百人一首の不思議さですね、不思議さ。
百人一首が書かれた年代というのは
鎌倉時代、鎌倉時代の最初の方
最初の方ですね。
藤原の帝家、さだいえさんという方が書かれたんですよね。
小倉百人一首と一般的に言われているんですけど
平安時代の後期から鎌倉初期ぐらいか。
でも、この天地天皇を最初に持って
天地天皇って要は中野大江能の王子です。
中野大江能の王子。
大化の改新の人ですね。
そこを最初に持ってきた時代は鎌倉武家政権になってきた。
貴族というのがだんだん落ちぶれていくというか
そういう時代になっていくんでしょうね、これからね。
大化の改新を調べてたら、よくわかんなくて
ちょっとまだまだ理解度が足りないよな。
中野大江能の王子、大化の改新で何をしたかということから
考えていかないといけないわけですよ。
当時から天皇陛下はいたんです。
天皇陛下はいたけど、実際権力を持っていたのは豪族、蕎賀さんですね。
蕎賀のイルカ。
豪族と呼ばれるような人が実際の権力を持っていたわけですよ。
中野大江能の王子は蕎賀一族を滅ぼしたと言われて
そこから天皇中心の世の中になっていくというのが平安時代ですね。
その時から藤原氏が出てきたわけですね。
藤原氏というのは今の時代まで続いていますからね。
天皇家も今の時代まで続いているし、藤原氏も今の時代まで続いているし。
すごい話だなと思います。
何をしたかというと、豪族をやっつけて天皇中心、貴族中心の世の中にしていきましたね。
年号が初めて誕生したわけですよ。
それは何を意味するかというと、日本は独立国家ですよということを意味したわけですよ。
だからですね、年号を今でもなくせという話があるじゃないですか。
2025年、これで例は何年のかがややこしいわみたいな。
それもそうなんですよ。
でも年号を持つということは独立国家ですよという意味は今あってですね。
こっちの方が面倒くさいとか効率的とか、一概にはそっち効率が良く、日本は正しいとは限らないですね。
年号を持っているということは独立国家ですよ。
当時はアメリカじゃなくて中国ですからね。
中国の年号を使いなさいということが中国が推し進めていることですけど、
いやそんなことはしませんよ。私の国は私が年号を決めます。
これが大化の改修。
だから大化の改修で中野大江戸の天地天皇さんがやろうとしたことは、
内に向けては豪族じゃなくて天皇中心の世の中にしていきますよということと、
外向きには日本は独立国家ですよということを示そうとした人が天地天皇。
で、全然単価にいかない。
秋の歌の狩ほの伊穂の戸間をあらみ、我が衣ては中にぬれ、天地天皇。
これ天地天皇が歌ってないわけですよ。
秋の歌は稲を買った後に掘ったて小屋みたいなのを建てるんです。
そこに置く。でもいろいろ泥棒が来たり、ネズミとか来たら嫌なんで、
番人がいるんですけどね。
大化の改新と歴史的意図
秋の歌の狩ほの伊穂を俯瞰する小屋。
そこに天地天皇が行ったら、お粗末な小屋でね、私の着物はぬれてしまったわよみたいな歌なんですけどね。
で、それによって農民を思いやるみたいな、そういう心ですよね。
でもですね、そんなわけないじゃないですか。
今でいうとですね、小泉農政大臣が作業服着て、ヘルメット着て、現地視察運転。
それ別に農民を思っているわけでもなんでもないですよね。
単なるポーズなわけですよ。
いや、わかんないな、思っているかもしれないですけどね。
ということで、これ実は天地天皇の歌じゃないという説もあって、
多分万葉集に載ってて、普通の読み人知らずの万葉集に載ってて、天地天皇じゃないだろうという説も多いです。
実際天地天皇はそんな着物がぬれるようなとこ行かないです。
とはいえ、こうやって100人種の一番に持ってきて、天地天皇で農民を思いやるような歌が書かれたということは、
ちょっと政治的な意図が隠されているような、そんな歌かなと思いますね。
でも世の中はこれから武家社会になっていくわけですよ、鎌倉時代だからね。
そこで貴族の時代は終わっていくわけですよ。
だからこのちょっとしたプチ反乱みたいな感じかな、天地天皇を持ってきたってね。
だから平安時代を懐かしんでいるような、そんな気がしないでもないですよね。
平安時代というのは要は貴族の時代ですよね。
だから100人種ってね、1番から100まで歌があるんだけど、1番が一番古いね。
だんだん今の時代になっていくっていうか、鎌倉に近づいていく、そんな流れでなってて。
1番目、天地天皇を持ってきたということは、なんかやっぱり政治的意図があったのかなということを考えさせられてしまいます。
だから要はあれですからね、藤原の定家という藤原氏ですからね。
中野大江戸の王子と藤原の鎌倉、藤原の鎌倉、当時は藤原の鎌倉じゃなかったと思うんです。
藤原政は後々与えられた政だと思うんですね。
その一族の末裔が藤原の定家さん。
大化の戒心の盾役者、中野大江戸の王子さん、天地天皇の鎌倉役が藤原さんですよね。
地筋なのが定家さんですよね。きっと同じ藤原政ですからね。
ということでですね、なかなか百人一首はですね、歴史的に見ても結構面白くてですね。
面白いけど全然先に進まなくて、ようやく一つ目の歌をちょっと今日も研究してみました。
秋の歌のカリフォーノ伊保のトマオアラミ、我が衣手は梅雨に濡れつつ天地天皇。
はい、百人一首、どこまで続くかちょっとわかんないんだけど、とりあえず今日は一つ目の歌を話してみました。
将来的にはね、もうちょっとちゃんとして、イラストぐらいまでね、つけれたらいいですよね。
そうですね。