インプット量の重要性
おはようございます。今日は12月5日です。
雑談ということで、最近思っていることを話してみたいと思います。
雑談、それ何かというと、インプット量の大切さだなと思いまして。
インプット量、何かというと、インプットですね、要はね。
要はインプット、単純に言えば、たくさんの本を読むとか、たくさんの人の意見を聞くとか、そんなことかな。
で、それがちょっと少ないんじゃないかなと自分でも思いましてね。
なんでそう思ったかというと、最近の政治かな、政治かな、よくわかんなくて。
よくわかんなくて、高市さんが何をしようとしているのか、全然わかんなくて。
中国とか台湾とかのことも全然わかんなくて、それはちょっと圧倒的に自分自身の知識というのが不足しているんだなあということを思いましてね。
だからちょっとインプットを増やしていくということかな。
もちろんアウトプットも大事なんでね。もちろんアウトプットも大事だけど、そもそもいいアウトプットが出せる人っていうのは、インプット量がとてつもなく多いっていう。
そういうことも事実なわけで。インプットの質っていうのも大事だよな。
だから僕はAIを使って、AIを使っていろいろ最近調べ事とかするんですけどね。
楽だからね。
でも、と同時にウィキ?あれ?意外に使えるんじゃないかなと思ってね。
ウィキを一通り読む。で、わからない単語があったら、わからない言葉があったらそれをさらに読む。
そうだなあ。やっぱりそうしていかないといけないですよね。
ということでですね。ウィキが正しいかどうかは、それは置いといて。
とはいえ、正しいことって意外にわからないでしょ。意外にわからないんですよ。正しいことってね。
人類が分かっていることなんか5%っていう人がいて、僕はまあそうなんだろうなと思いますね。
質と量のバランス
いろんな分野で、例えば歴史なら歴史、分かっていること5%、医学なら医学で分かっていること5%ぐらいだと思うんですよね。
インプットをね、やっぱり増やしていかないといけないというか、なんかよくわからないことが多いわけじゃないですか。
よくわからないことが多いんですよね。
中国と日本はどうなっていくんだろうとかね。中国がなんであんなに怒っているんだろうとかね。
身近なことでもいいですね。熊はどうしたらいいんだろうとかね。さっぱりわからないじゃないですか。
自分の意見を言う前に、まずは調べることが大事かなというふうに最近思いましたね。
自分の意見はまあそれは言ってもいいんですけど、言う前に背景、背景、背景、バックグラウンドっていうんですかね。その辺をちゃんと理解するっていうことの方がなんか大切なような気もしてきましたね。
とはいえ、インプットをあんまり入れすぎるのもどうかなぁと思うんですけど、やっぱりインプット量、質、質は自然に高まっていくんじゃないかな。
量を増やしていけば質は自然に高まっていくんじゃないかなと思ってはいるんですけど、インプットで偏っちゃうことが怖いですよね。
絵として偏ってしまうんですよね。絵として偏ってしまうんですよ。それはどうしたもんだろうとかね。そういうことも考えていかないといけないんだなということを最近思いましたね。
はい、ということでですね。インプット量の大切さ。まず普通に本を読む。本がなかったら普通にウィキペディアをまるっと読む。わからない単語が出てきたらとりあえずそこも読む。
そんな、それを、そういう習慣をつけたいな。つけたいなと思いました。はい、そうだな。しばらくはウィキペディをずっと読み続けてみようかなと思いました。
本当はね、だからウィキペディアより一時情報に触れろって言うじゃないですか。それに正しいと思いますよ。それが正しいと思いますけど、それなんか触れれないんですよ。触れれないっていうか、一時情報って結構なんだろう。英語で書く、海外の言葉で書かれたりするわけじゃないですか。
歴史書の一時情報ってもう古い文字で読めないじゃないですか。その辺を読める歴史家の方はそれは素晴らしいと思いますよね。ということでですね、ちょっとインプットということをもっと大切にしていこうかなと。
そんな風に思いました。はい、そんな感じです。失礼します。