2025-06-30 10:39

花農家を独立してちょうど20周年#61

ちょうど先代の父が亡くなって20年
花農家として独立して20年となりました

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皆さん、おはようございます。こんにちは。花農家&花屋ラジオ、シミズノブユキのここにいます。
普段は花農家と花屋をやりながら新しいお花の取り組みを行っているマルチフローリストシミズノブユキが、花業界について明るく楽しく、時には鋭く語っていく番組となっております。
というわけで、今日のテーマはちょっと個人的な話なんですが、花農家を独立してちょうど20周年ということをテーマで話していきたいと思います。
はい、そういうわけで、ちょうどこの収録日というのは、僕が花農家を独立して20周年ということで、花農家を始めて、やったらもうちょっと前になるんですけど、独立してという言葉ですよね。
花農家を独立するってどういうことなんだって話なんですけど、単純に言えば先代が亡くなった日なんですよ。
うちの父が亡くなった日でもあるんですが、父の命日になるんですけど、父の命日までは一応は、うちの父の弟子として農業を一緒にやってた感じなんですけども、
ちょっと病気で亡くしたんですけど、病気をして父が亡くなった命日から、ちょうどどうなんかな、名義が変わったタイミングとか、そういうこと言う言い方をするのかわかんないですけど、
ちょうど父が糖尿をしてたときから、ほぼほぼ自分で決めてやってたのはやってたんですけど、区切りという中で、糖尿をしながらでも父にいろいろ相談したりとかどうしたらいい、ああしたらいいっていうのをしてたんで、あれですけども、
そのまま一日が亡くなって、自分で全て判断するというか、自己責任で農業を始めるっていうことが始まった日がちょうど20年前の今日ということで、そう考えるとあっという間の20年といった、いろいろありましたけども、
まあ20年前というか、ちょうど僕28なりだてかぐらいなんで、27、28の青年が、正直父と農業をして2年半ぐらいしかやってなかったんで、
2年半農業を一緒にやっただけで、もちろん教え込まれるというよりは、ただただ父の狛野より奴隷のように働いてただけなんですけども、それがある日突然病気になって、働けなくなって、そこから自分でやりだして、
03:25
そこから父が亡くなって、いつの間にか独立してたっていうような経歴なんで、まあまあ何です、今思えばね、すごいそういうのだけ聞くと、ようやったなっていうのは思わなくもないですけども、まあでもそれぐらいのほうがいいんちゃうかなと思いますね。
まあこれはね、ちょっと仲の良い父に言っても仕方がないんですけど、相談っていうか、僕は独立するのは別に早いほうがいいと思いますけど、なんかあったときとかトラブルとか、ちょっと良き相談相手としては、今生きておいてもらえたらよかったなっていうのは思うんですけども、
でもまあ生きてたら生きてたで、たぶんね、こうやって僕が好きかって言ってたあれですけど、独立することもそんなに早くもなかったかなって思うと、どっちが良かったんでしょうって思うところがあります。
まあ何が言いたいかって言いますと、これを聞かれてる方がどれぐらいの年齢層かわからないですけど、自分も含めてですけど、いつか自分が次の世代に譲らなあかんってなったときに、そんなうまく譲れるのかなとかいうところはちょっと思ったりもしますよね。
だからいつまでも子供でしかわかれへんすけど、いる中できれいさっぱり手を離して、じゃあ明日からお前に任せるなっていうことがスパッとできるか、しかもそれを早い若い段階でできるかって言ったらなかなか疑問なところがありますよね。
そこまで自分が心配で手を離せないような気もしないでもないですけど。そういう意味では早く年代代わりさせてもらえて良かった点っていうのはもちろんありますよね。もちろんしんどいことも山ほどありましたけども。
その代わりといったあれですけど、苦労したのも早かったっていうのがやっぱり今につながってるところもありますし。結構早くに自由にできたっていうことで、いろんなことやりましたよね。
失敗も多かったですけど、その失敗を早く経験できたっていうのは良かったかなって。だって下手したらね、今父が生きてたとしても70後半で亡くなった人、今から実際問題独立って言うと下手したら70代ぐらいだったら働いてる農家さんがおるとおってもおかしくないと思いますし。
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それはちょっと前にしたとしても、やっぱり十何年後に今から一人で農業を、一人でというか自分が好きに農業をしていいって言われたとて、そこから長なフットワークを軽く今みたいなやり方できてなかったような気はするので、どうなんですかね。
だからまあ、理想は生きながらあれだったなって言うとあれですけど、相談のれる状態で口出さないっていうのがベストかなとは思いますね。
早く譲ってあげて、多少弟子やらお子さんとか次の世代たちがミスしたりとか自分の意図と違うことをしてたとしても、目をつむるぐらいの力量を持てたらと思いますが、まあ自分、僕も無理やろうな、きっと。口出しちゃうやろうなとか言うのは思いますけど。
そういうのをやっぱり次、僕も言うててもあっという間に年を重ねていくと思うので、この次世代に向けてそういうふうにスパッと手を離せるかっていうのはちょっと思ったりもしますね。
自分がそうやってスパッと手を離してもらうとか、意図的ではないにしても、スパッと手を離してもらっていろいろなことができたっていう経験を考えると、やっぱりやってあげないといけないなとかいうのは思うかなと思います。
まあ別に早く引退しろとか言うことはないんですけど、自分で管理できるところを与えるって言うとあれですが、たとえばスクリュアーズ1部分はお前が好きにして、生きるも死ぬも自分次第やみたいな場面を与えていくべきなのかなとは思いますね。
っていうのが、もうどうなんでしょう。これ、ほんまに聞いてくれてる人たちがどれぐらいの世代かわからないですけども、あっという間に次の次世代が現れたときにそれができるのかっていうのが、ちょっと僕も含めてですけど、ちょっと考えさせられたこの20周年かなと思います。
まだまだ20周年ということで、30年40年とも頑張っていきたいんですけども、ちょっと不切りのタイミングということで、こうやって音声に残してみました。
本当にいろいろありましたけど、結果はやっぱり早くこうやって独立していろいろさせてもらえて、良かったのかなっていうのは思っております。
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まあまあでも、さっきも言いましたけども、やっぱりちょっと困ったときに相談したいなっていうタイミングもありましたけども、まあまあどっちでも、まあでもそれは仕方ないのでね。
まあまあ父だけじゃなくて、いろいろな小先輩方の農業をやってる人もいらっしゃいましたし、今のこの時代だったらSNSとかもあって、なかなか見本全国、世界にも受けてでもいろんな方がいらっしゃる、見本となる人がいらっしゃるので、そういう人たちにも相談してもいいよね。
自分の師匠とか父親とかにわざわざ相談しなくても、相談するところもあるかと思いますんで、次の世代にバトンタッチを苦手としている方はちょっとでもこの動画を参考に、あるいはこの音声を参考にしてもらえたらと思います。
というわけで、月曜日からまた、6月30日最後ですね、最終日になりますね、上半期最後の一日ですけども、今日も一日、皆さんにとって素敵な一日になりますように。
それではどうもありがとうございました。
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