1. シゴタノ!ラジオ
  2. 音声025:倉下忠憲さんと「休..

倉下忠憲さん(@rashita2)をお招きし、「休憩の取り方」について対談しました。

▼こんなお話をしています

* 休憩がうまく取れない

* 「DLL」が穢れているからではないか?

* 最初に就いた仕事が原因かもしれない

* もっと遡ると、親の仕事が原因かもしれない

* 仕事観の形成において親の仕事が与える影響がたいへん大きい

* 改めて、なぜ休憩が取れないのか?

* 資源を浪費しているような気がしてしまう

* 「もっとできるのに…」と思ってしまう

* 思い切って休憩してみて分かったこと

* Twitterは休憩?仕事?

* 自分のツイートは読み返している?

* Evernoteは「書庫」

後編に続きます。

▼次回予告

後編は、倉下さんから「大橋さんは喫煙歴はありますか?」という問いかけからスタート。

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00:00
休憩の取り方というのをですね、倉下さんに相談したいんですよ。
一つ言うと、多分僕が苦手なことの中で一番トップにある休憩の取り方だと思うんですけど。
あ、そうですか。なんかね、僕は倉下さんはちゃんと休憩というか、
少しでもこの倉下さんがそれを休憩というふうに認識していなかったとしても、
僕は倉下さんはちゃんとこう抜いてるなと思ったんですよね。
でもここ最近はその下手さ加減を自覚して、より意識的に休憩に取り組もうとはしてるんですけど、
結局18の頃からコンビニストアで働いておりまして、
休憩という、オン・オフで言うと常に強めのオンと弱めのオンがあるみたいな感じしかないんで。
フリーランスになってからも結局、別に休みって概念上そんなにしないんで。
だからほんとずっと仕事してきたんで、休憩っていう概念が僕の辞書には結構書き込まれてなかったですね。
そう、まさにね、そもそもこのテーマを取り上げようと思ったのは、
今僕は割と自由に、自由にというか自営なので、オン・オフがないわけですよね。
で、倉下さんも同じだと思うんですけど、そもそもそうなるのは、
もともとの倉下さんはコンビニで、僕は会社員になったんですけど、
その時から何かを引きずってるんですよね。
おそらくは。
だから休憩、つまり仕事と休憩というのはこういう感じだっていう何かがすり込まれてしまっているので、
だからフリーランスになってからもですね、それを継承しとるわけですよね。
そうですね。
だから今更新しい休憩をインストールできないというかね。
まあでも、全く無理だとは僕は思ってなくて、
Windows入ってるパソコンにMac入れるのは無理やけど、
新しいアプリケーションを入れて区画を作ることくらいは多分できるだろうなと思ってますけど。
でも一方でね、既存のアプリが入っていると、いわゆるDLLってわかります?
DLL。
要するにそのアプリを入れることによってWindowsに対してOSに対してアプリ単体でね、
要するにアプリをアンインストールすれば全く元に戻せることもあるんだけど、
あるアプリを入れることによってそのDLLというですね、
ちょっとここで詳しく僕は定義を述べられないんですけど、
それも含めて書き換えやがるアプリがいるわけですよ。
はい、わかりました。
そうするとそのアプリを消してもですね、
そいつが残っているが、その後に入れるアプリがその影響を受けると。
あれはWindows特有なんでしょうね。
僕Macに変えてからもうその概念と長らく付き合ってなかったので。
そうそう、Macはゴミ箱に入れるだけで済むから、かなりこの境界線が守られているというかね。
03:01
だからWindowsのライブラリが穢れてしまうというようなことですよね。
その通り、ダイナミックリンクライブラリの役ですよ。
それなので、我々は過去の仕事によってですね、DLLが穢れているわけですよ。
多分予想なんですけど、そのDLLの深度、深さっていうのが多分段階にあって、
まず職業、私たちが若い頃からついてきた職業っていうものが、
職業体験が職業感を形成しますよね、まず普通に考えて。
もっと言うと多分親の職業もそれに関係していると思うんですよ。
いやー、だってうちの父は家で仕事をしたから。
でしょ?
仕事は家でするもんだっていうね。
僕の父は一応建設業をやったんですけど、自営業をやったんで結局。
かじゃさんのその話を初めて聞きますね。
多分オンラインで言ったことはないと思うんですけど。
なので結局会社員が周りにいない人生やったんですよ。
なるほど。
僕も結局その親の感じと自分の職業の感じによって、
その2つの体験によって働くとはこういうことだっていう観念を形成しているので。
そうですね。
だから例えば親が会社員やったらもうちょっとだからその深度は浅いと思うんですよ。
この根っこは浅いと思うんですけど。
この二重構造でなってるんでもうだから一番芯から変えるのは難しいでしょうね。きっとね。
それは物心ついた頃からもう自営だったんですか?
そうです。
僕は厳密に言うと会社員だった時代があるんですよ。
なるほど。
その会社が何年くらいだろうな。
僕が小学生ぐらいの時にその勤めていた会社が倒産して。
はいはいはい。
倒産したことによって半ば強制的に自営業というか独立せざるを得なくなったと。
ただご福の卸どん屋、日本橋の卸どん屋に勤めていたので、課長ぐらいには昇進してたらしいんで。
付き合い先とか取引先が多分彼の父のことは当然認識していたので、
ちょっとじゃあ自分でやってみないかみたいなね。
どういう経緯かわかんないけども、でも結局同じ業種でその一人で仕事を始めたと。
だからそういうヒストリーを知ってるファンだから。
なるほど。
結局そのやっていた仕事に似たものを個人で引き継ぐみたいなね。
はいはい。
まさに僕はそれをやったので。
いやでもねこれはもうどんどん話が脱線してますけど、
仕事っていうのが作れるもの、メイクできるもの、クリエイトできるものっていう感覚を若いうちに知っておくと、職業の選び方も変わってくるでしょうねきっと。
そうですね。会社員の仕事しか知らないと怖いですよね。
仕事を辞めたときにどうしていいのか。だから選択肢って別の会社員になるしかなくなりますけど、
06:02
仕事ってだからあるオファーがあれば生まれるものだっていうことを知っておくと、
結構だから自分のリソース次第では仕事が作れるんだっていうことが分かれば、
生き方そのものが結構深いレベルで変わってくるような気がするんですけど。
まさに昨日書いた仕事記事なんですけど、
僕は会社辞めたときにマニュアルを作るという仕事をしてたんですけど、
マニュアルを作る専門の教育は受けてないんですよね。
はいはい。
でも当時20年前はわかんないけど、そういうマニュアル制作専門学校みたいなものはなかったとは思うんですけど、
でも当時の僕よりももっとマニュアル制作に長けた人はいっぱいいたと思うんですよ。
けどたまたま僕の元にそういう仕事があって、
夜の銀座、別に観楽街ではなくてね、
単純に銀座にあった会社がマニュアル制作をするんだけど、
めちゃくちゃ今で言うブラックな会社で朝から早朝まで仕事をしているわけですよ。
だから日中はお客さんのお客さんが対応があるので、
僕が話ができるのは夜しかなくて。
僕は日中別の契約先で9時5時で働いていたので、
それが終わって銀座に行って夜打ち合わせみたいなことができたので、
お客さんからすると派遣会社とかでそういう夜だけ稼働できる人っていうのはないんですよね。
あったとは思うんですけど、
だけど僕は別に独身だったし、時間はあったので夜全然オッケーですよと。
夜10時くらいに行ったりとかね、
その会社に。
夜中23時とか電話がかかってくるし、
でも全然それはいいわけで、
向こうからしたらね、そんな仕事の仕方を引き受けてくれる人は少ないので、
だからそれはよかったんですけどね。
そういうことをしてるからますます休憩が取れなくなるという。
そうですね。
というかもう、
ベクさんとも話してないですけど、
休憩とか休むことについて、
軽い罪悪感のようなものがあって。
ありますあります。
でもナチュラルに考えるとそれは結構まずい精神状態だから、
そこを僕は治療という言葉をするとちょっとあまりにも方向性が、
何が正しいかを決めてしまってるんですけど、
ちょっと変えていかなきゃなと40になって最近思ってるんですけど。
だからこう、
例えばアプリケーションをインストールすることが仮に無理であれば、
エミュレーターを立ち上げるぐらいのことですよね。
ちょっと待って、話がちょっと複雑になってきた。
エミュレーターというのはどういうものかわかりますけど、
09:02
それは休憩エミュレーターってことですか?
だから自分のナチュラルでは休憩ができないんで、
休憩を取れる極端に言うと人格を形成するっていうことですよね。
だから自分は休んでいいんだって思わないと、
だから休憩取ってるのってしんどいよなと思って休憩取ってたら、
休憩にならないじゃないですかそれは。
だから価値観そのものをそっち側にシフトしないといけないんで、
休憩を取るべきだとガンダムにも出てきますけど、
パイロットの仕事の一つに休むことだっていうのがあるっていうのと同じで、
だから継続的にこの仕事を続けていくために、
休憩することが必要だよというふうに考えをシフトしていかないと、
多分休憩は取れないと思うんですよ。
一方で世間一般で僕の語彙に休憩がないと言ったところで、
休憩してないわけはないんですよね。
気を抜いてないわけではないというべきかも。
だからそこは普通に休んでるとは思うんですけど、
そこをもっと意識的に知っていった方が、
ちゃんと休むと決めてやる方がいいのか、
休憩の気の抜き方をもっと巧妙化していったらいいのかという方向性は見えてないんですけど、
休めるようにはなりたいなとここ1年思ってますね。
ということは倉瀬さんは自身では休んでるという認識は持ててない?
今は少し持ててますね。
1週間に1回日曜日の午後からは、
メールマガの配信を終えてからは、
自分でもオフと決めて、
仕事をできたとしてもしないっていうのを、
1年ぐらいかここ1年ぐらいやっとできるようになってきた感じですね。
少し前に何時間も本を読んだっていうツイートがあって、
僕はびっくりしたんですけど。
本はまだ職業的言い訳というんですかね。
自分の中でサボってるんじゃないよって言えるんですよ。
でも、映画を見るとかはかなり難しくて、それまでは。
僕は細切れに見るんじゃなくて、2時間の映画と2時間連続で見るタイプなんで。
だから全然仕事にもご楽映画とかを、
Amazonプライムビデオで日曜日の昼間で見るっていうのは、
今まででは考えられなかったですね。
仕事が遅れるっていう焦りがあるんですかね。
あえて言葉にしたら、資源を浪費してるような感じかな。
もっと自分の力を活かさなければ。
シミュレーションゲームとかってあるじゃないですか。
マップ上にコマを配置して、お互いに動かしていくようなことをイメージしてもらったらいいんですけど。
12:00
例えば、コペが1ターンに3マス動かせるのに、2マスしか動かしてないような感じがするんですよ。
すごい分かります。
それをしないと負けるという恐怖があるんでしょうね。
従前を尽くしてない感が嫌なんですね。
どうやったら抜け出せるのかな。
旧戦協定みたいに、このターンはお互い休もうぜっていう安心感がないと休めないですよね。
視点を広くとった時に、
毎ターン3歩ずつ歩いてると、10ターン後には3マスも動けなくなるよみたいな。
価値評価の時間軸を、今じゃなくてもっと広く取るようにしてますね。
なるほど。
価値に詰めた状態で、2年後3年後同じことを本当にできるのかっていうような実感が発生して抑制してるっていう感じですね。
でも逆に一方でね、今頑張っておくと2年後3年後に楽ができるっていう何かもあるんですよね。
でも結局それは疑問やなって気づいたんですよね。だって2年後3年後も同じこと考えてるんで絶対。
なるほど。
時間の巻きは常に巻いてるんで。
先送りの逆ですよね。何て言ったらいいかわからないですけど。
先送りの逆。
今日やらないことを決めると、じゃあ明日やろうって決めるっていう。
この明日って明日も引き継がれるんで、また明日の明日にやろうってずっとなるじゃないですか。
はい。
だから今日頑張ったら明日楽できるもん、明日も結局今日頑張ったらって言って結局ずっと頑張ることが繰り返されるっていう。
それは自分で自分を搾取してるみたいですね。
そうですね。だからセルフブラック企業と言っていいと思います。
なるほど。
いやー深刻ですね。でも同じように考えてる人もいると思うんですよねっていう風にこの過剰的をするんですけど。
話した感じベックさんもそうでしたし、逆にラインハック的なものに興味を持ってる人っていうのはあるんじゃないですかね、そういう過剰な傾向が。
ある種資本主義に過剰的をしてしまってる感もあるんで。
だから休むことを許す、あるいはむしろちょっと強制するぐらいのところで一回引き戻さないと。
引き戻して、最近わかったんですけど、やっぱりそうやって休む、例えば日曜日半日仕事しないと、月曜日すごい元気なんですよ。
おー、なるほど。
当たり前だと思われるかもしれない。聞いてる人には当たり前だと思われるかもしれないけど、僕は結構大発見やったんですよ。
例えば毎日コンを詰めて仕事してると、常時疲れてるわけですよね。
常時疲れてると疲れてるかどうかがわからなくなるわけですよ。
つまり被害がない、差異がないってことは、そこに情報がないってことなんで。
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で、初めて月曜日、これが元気で、で、金曜日に一日ずつちょっとずつ疲れてくるなっていうのがわかって、休むことの価値が発見されたっていうのがあって。
これはたぶん日記の価値が後になってわかるっていうのと似てて。
やってみて、たとえその時自分が休むっていうことを肯定できなくても、とりあえず休むと決めたから休むっていうことを何度か繰り返して、ようやく休むことの価値がわかってくるというか。
だからそうですね、とりあえず強制的であろうが、自分がそのことに納得した上でやってみる。
本当にだからここはセルフマネジメントを逆に最大限に発揮させるんですよね、休むために。
だから僕の場合は午後からのタスクリストは全く作らないですし、そういうの見ようともしないですし。
で、ぼーっと過ごすというよりは本読むとか映画を見るとか普段行かないとこ日訓のように何かイベントことを入れて、その際にパソコンを持ち歩かないようにして、ついつい仕事したくなるのを抑えるとか。
あと僕が新しくiPhoneに買い替えた時にTwitterのアプリを入れない、TwitterとGmailのアプリを入れてないんですよ。
だからiPhoneだけでは仕事ができないようになってるんですよね。
こう切断を自分の中に入れていくというようなことを意識的にやっていく。
なるほど、そうか。休憩って言うとちょっと甘美な響きがあるけど、割とこのDLLが穢れた人にとってはやはりちょっとこうそういう切断という大股を振るわなきゃいけないわけですね。
そうですね。休むために何かがいるっていう。だから働きすぎな人とサボりすぎな人の両方がいると思うんですよ、世の中には。
やっぱりそれぞれ対処法というか対処すべきことが多分異なってて。働きすぎな人はだってほっといても働くわけですから、むしろちょっと休ませた方がいいという。
だから正直20代とか30代は無理が通用したんですよ。
そうですね。
でも今年の40ぐらいになって、これと同じことを続けていくと考えるのはあまりにも傲慢やなと思う。
もっと先を見過ぎた。だって変えようと思って、1日で変えられるもんやったらいいですけど、そんなことは絶対無理なわけで、早め早めにそのシフト、マインドシフトの準備をしていこうかなと。で、今それをやってるとこですね。
クラスターにとってツイッターっていうのは仕事ですか休憩ですか?
そうなんですよ。これが一番問題だから、あいつがまずいんですよ。仕事に着想とかアイディアを得たりとか、面白い本を知れるっていうような文脈では間違いなく仕事に属するんですけど、
ツイッター見てる間は原稿書いてないってことは自明の理なわけで、休憩、非仕事でもあるんですよね。その多重性がやつの厄介なところで、原理的に考えたらやらない方がいいはずなんですけど、かといってロストしてしまうのも大きいんで。
18:14
だから日中見てるのは原稿と原稿の間の行き継ぎみたいな感じですね。そういう感じで捉えてます。休憩ほどではないけども、ふっとちょっと緊張を解くような感じの場ですね。
さかんに実況中継的に何文字書きました?ってツイートしてるじゃないですか。あれは完全にライブログというか。
そうですね。あれを書いておくことによって、自分が今日どれくらい進捗したのかっていうのが自数として見れるっていうのと、あとごく単純な話、僕のアカウントを編集者さんがフォローしてるんで、
こいつは今日進捗してるなっていうことを伝えるっていう。その伝えることが僕の中での共生力にもなって、原稿に向き合うつもりが生まれやすいとか、いろいろ多重的な効果があるんですけど。
だからTwitter見ない方がいいと思いつつも、利用するんであればちょっと自分にとって良い方向に利用していきたいなというぐらいの位置づけですね。
Twitterは1日の終わりとかに読み返したりするんですか?
自分のということですか?
もちろん。
1週間に1回、1週間分のツイートを振り返ってます。
なるほど。それは何か振り返った上でメールマガの原稿にするとかそういうのはある?
順序は逆で、タスクスルードジャーナルを書くときに過去を振り返る必要があるっていうのと同じ構造で、メールマガの初めの部分で、1週間に1度書いてる初めの部分で、タイムリーな話題をピックアップするんで、
今週タイムリーなこと何があったかなっていうのを振り返る意味で1週間のツイートを振り返ることを始めたんですよね。
なるほど。
それがメールマガを書き始めてから10年ぐらいずっと続けてたんですけど、ここ数ヶ月ちょっと変わってきまして、
前回までは自分が発言したもののイベントがあったかなっていうのを思い出すためだったんですけど、
最近はこれは1週間経っても価値が衰えてないなっていうものをスクラップボックスに移す場でもある。
メタ拾いとともにメタノート的なノートの移動の操作の場にもなりつつあるっていうのが今のところ。
だから逆に言うとTwitterにつぶやいておけば1週間の僕が拾ってくれるはずというようなメモ装置でもあるよね。
やっぱりその後でこれはちゃんと活かされるという期待というか、ものがあるからっていうのもありますよね。
21:00
そうですね。だからどんどん書いていって、気兼ねなく書いていった方が多分いいんですよね。
結局そこで古いが書けられるんで1週間後の自分が。
だからそのようなスクラップボックスへの拾い上げを行うようになってから、より気兼ねなく書けるようになった感じはありますね。
なるほど。僕はエフトで各ツイートを全部1ツイート1エバーノートというアプリを作っていて、
翌日エバーノートを読み返すのでそこの中で検証というか、いいものはスクラップボックスに転記するというのはやってますね。
普通に転記されなかったものはどうなるんでしょうか。
削除です。
Twitter上にログはあるからエバーノートに必要ない。
ツイログで検索できるので、その時にスクラップボックスに転記しなかったとしても、不意に思い出してツイログを探すんですよ。
ツイログを探せば、これスクラップボックスに転記したやつだって思い出したら思い出せるし、してなかったらそこで読めるから、ツイログで。
転記しようが、転記しないが、その入ったものは基本的に削除されるってことですね。
そうです。転記するしなにかかわらず、読み返したものはツイートは削除ですね。
そういうことか。
エバーノートは完全にエバーノートにしか残らないものを保存しておく場所。
エバーノートにしか残らないものって、例えば何があります?
例えば、タスクマを使っていると、1日分のメリーログというものが、写真とメモにマージしたものが1本ドーンとあるんですけど、
それは手っ取り早く、5年前のこの日はどんな日だったかって振り返るときには非常に便利なんだけど、
それとは別に日々、これはと思ったものは個別のノートとしてタスクマから送ってるんですね。
そういうことか。
そのメモ自体はスクラブボックスに転記はしないんだけれども、
同じような、例えば同じタグをつけているものはタグで絞れば、次ケースで見られるじゃないですか。
だからそれを見るために残ってる感じかな。
例えば、体重のメモとか、あとは美味しいと思った食事は、うまーっていう、UMAというタグをつけてるんですけど、
このうまーのタグでノートを抽出すると、うまかったものがざっと見れると。
これはスクラブボックスでできないんですよね。
なるほど。
だし、スクラブボックスにはそういうのを転記しても、次ケースが大事なので。
確かに。
24:01
そういうのをEvernoteに入れておいた方が使い出があるというか、振り返り出があるというかね。
なるほど。
だからそういう純然とあるログがEvernoteに残ると。
そうか、だからTwitterのログはそっちに別に統合しなくても違和感はないわけですね。
そうですね。だからEvernote上は本当にあの、なんて言ったらいいんだろうなー、あの、絞りカスというか、
でも絞りカスだなー、鶏ガラというか、
それ自体は食べらんないけど、でも、どうしてこうなったっていうときに調べられるような。
書家と書庫ってあるじゃないですか。
はい、ありますね。
書庫かな?
そうですね、きっとね。
そう、書家がそのスクラップボックスだね。
そうなりますよね。やっぱり情報を動かすってことを考えた場合には、やっぱりアウトライナーかスクラップボックスのほうになりますよね。
だから何か探すときは、まず書家を探しますよね。
はいはいはい。なるほど。
まあやっぱりそう、最終的には、Evernoteの役割、まあEvernote単体で使ってる場合は別にして、別のツールとセットで使う場合の役割分隊はほぼそうなりますよね、きっと。
僕は昔は書庫に入り浸っていたわけですね。
はいはいはい。
けどあまりにも本が増えすぎたので、ちょっと分けようかということになったんだと思います。
なるほど。ちなみに大阪府って喫煙歴ってあります?
25:39

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