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2024-09-23 10:18

【#201】圓橘の会 子別れリレー24/9/21 #三遊亭圓橘 #三遊亭萬丸

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小圓朝師匠のあのさっぱりした江戸前の雰囲気。朗らかなのにどこかストイックでスタイリッシュな佇まい。その香りは何らかの形で萬丸さんにも伝えられていくのでしょうね。
圓橘師匠の江戸前はスタイリッシュなミニマリズム。あえてカタカナで表現してみました。

#三遊亭圓橘
#三遊亭萬丸
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00:02
はい、シェアする落語の四家です。
9月21日土曜日、深川東京モダン館で、いつもの三遊亭圓橘師匠の会、圓橘の会、伺ってまいりました。
えー、今回は特別な企画ですね。
『子別れ』三部作のリレーということで、子別れという落語は3つに分かれていて、3つ目の『子は鎹』の部分をよくかける方が多いんですが、
まず、冒頭発端の『強飯の女郎買い』、これをいつも開口一番を務めている三遊亭萬丸さんが講演すると。
で、圓橘師匠が続いてお出ましになられて、今度この夫婦が別れる部分ですね。
今回のプログラムには「別れ」と書いてありました。
で、こちらを演じられた後で仲入りが入って、3席目がおなじみの方も多い『子は鎹』、今回のプログラムには「再会」と書かれていました。
この三部作をやられるということで、まず萬丸さんの『強飯の女郎買い』なんですが、
萬丸さんはですね、いろんなお弔いのエピソード、どちらかというと笑えるエピソードですね。
どちらかというとというか、ほとんど爆笑エピソードをずらずらずらと並べられて、客席を温めた後に『強飯の女郎買い』。
まあ基本的にしょうもない男の会話です。お弔いが終わった後のしょうもない男同士の会話が淡々と続いていく。
どちらかと笑わせる話で、どちらかというかね、基本ここは滑稽噺で、実は僕は『子別れ』はここが一番好きです。
で、萬丸さん、生き生きと演じられていらっしゃいました。
圓橘師匠とリレーをやるという話を圓橘師匠に持ちかけられた時に、圓橘師匠に教えていただけるのではないかというふうに思っていたら、
まあそれだと同じになっちゃうから別の人から教わりなさいと逃げられて。
で、師匠である三遊亭萬橘師匠に相談したところ、じゃあ私が教えましょうと、僕が教えましょうというような話になったということなんですね。
で、萬橘師匠の『子別れ』は、4代目小圓朝師匠からということなんですね。
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かつてこの三遊亭圓橘一門の総領です。一番目のお弟子さんだったんですが、残念ながら若くしてこの世から去られてしまった方です。
僕はこの4代目小圓朝師匠大好きだったんですが、こうやってその小圓朝師匠の噺が引き継がれるのはとてもうれしいことですね。
ただあの芸はもう引き継がれないだろうなぁ、なんてことも考えますけども、まあまあそんなところでですね。
ここはもうあのバカが、バカの男がわちゃわちゃしてる話なんで、そのわちゃわちゃをやるのはね、萬丸さんの得意なところでもありますし、非常にいいオープニングを切ったんじゃないかなと思います。
ただまあこの二ツ目、下駄者という二ツ目のですね萬丸さんと、圓楽一門会というか日本落語界大御所中の大御所だって、大御所、圓橘師匠ですね。
まあキャリアがあまりにも違いすぎて、そこはもう明確にもう、力の差っていう方はちょっとしたくないけど、出ちゃうのはもうしょうがないところ、むしろそのコントラストを楽しむというのがこの企画だと思うんですが、
第2部のところですね。このまあ、要はその、女郎を買って帰ってきた、お金使っちゃって帰ってきた男が、言い訳のはずがのろけをして、おかみさんにキレられて別れることになるというですね、シーンです。
よく考えたらここ難しいとこですよね。どっちに振っていいのかってね。これだけやる人ってあんまりいないと思うんですけど、ここはやっぱさすがだなっていうところがね、まあ当たり前の話なんですけども、
特にその、おかみさんの毀然としつつ、怒りを爆発させつつ、多少未練も残ってるみたいな感じ。
あとそのダメ男である、主人公のダメ男なんだけども、自分のダメっぷりを制御できない悲しさみたいなものも、ふわっと匂わせてるんですよね。そこら辺がすごい素敵だなぁと思いまして。
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で、ここらへんがふわっと匂わせてるところがですね、『子は鎹』。仲入り挟んだ後の『子は鎹』の説得力につながっていくんですね。で、『子は鎹』は他の人も結構やるので、比較がしやすい。
別に比較しなくてもいいんですけども、やっぱ圓橘師匠はこういう芸なんだなっていうところがわかりやすいです。
やっぱり落語全体が今、演出過剰な方向に行っている。それは時代の変遷もあるし、他のコンテンツと戦っていかないといけないということを考えると、それが悪いこととは言えないんですけども。
圓橘師匠の『子は鎹』には、例えばその亀ちゃんの額に傷とかですね。何とかを買ってあげるとかですね。
エピソードがね。最近の、どれが良いかわかりませんけど、立川談志以降なのかな?のエピソードを入れて、亀ちゃんという子供と、
その向こうにいるお母さん、おかみさんのそこまで生きてきた悲しみみたいなところっていうのをあまり出さない。
もうシンプルに、昔自分たちを捨てた父親と再会をして、お互いやり直せる可能性があるようなところが見つかって、結局やり直すことになるという話の、
もう本当に骨格に薄い布を2、3枚ふわっとかけたぐらいのシンプルさがですね、なんていうのかな、静かな心の動きとして自分に残るみたいなですね。
もっと演出過剰の落語で泣いちゃう人とかがいっぱい出てくるって、それも悪いことじゃないんですよ。大衆芸能なんだから。
ただその淡々と語る圓橘師匠の子別れ、『子は鎹』の味わいを楽しむことができるっていうのは、これは贅沢だなというふうに改めて思いました。
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もともと『子別れ』そんなに好きな噺ではないんですが、好きな話ではないのをいい感じで聴くことができると、その演者の凄みみたいなものも伝わってくるなっていうのは改めて感じます。
ぜひですね、一度三遊展圓橘師匠の『圓橘の会』、毎月東京モダン館でやってますので、何度も私申し上げておりますが、ぜひ足を運びいただきたいと。
10月20日に同じく東京モダン館で私、四家正紀がプロデュースする落語会、シェアする落語第37回、橘家文吾やりますので、まだお席ちょっとございますので、ぜひともご予約をいただきたい。お待ちしております。
ということで、シェアする落語の四家でした。ではまた。
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