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2024-01-28 23:07

【追悼】林家正楽師匠 24/1/28

ただひたすら、淋しいですね。
何度も何度も楽しませていただきました。ありがとうございました。
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はい、シェアする落語のshikeです。
あんまりうまくしゃべれる自信はないんですが、
お話ししておいた方がいいでしょうね。
1月26日、金曜日ですか、
訃報が流れまして、紙切りの三代目林家正楽師匠がお亡くなりになられたと。
76歳だったかな、はい。
まあ、演芸関係者のこのショックの大きさったらないですよね。
寄席演芸が好きな人間で、林家正楽師匠が嫌いだという人は本当に一人もいないんじゃないかな。
ほとんどの人は好きですよね。いてくれなきゃ困りますよね。
なんか2日前まで高座に上がられていて、急にお休みされて、もうその翌日には亡くなられていたという、そんなお話を伺っております。
そうですね、僕、いろんな方がいろんな正楽師匠のお話を書かれているので、僕ができる話をしたいと思うんですが、
2011年の11月かな、家元立川談志が亡くなるんですよね。
立川談志師匠と正楽師匠っていうのは、談志師匠が正楽師匠をすごい可愛がっていたと。
これはあの談志師匠の娘さんの松岡弓子さんのゆみチャンネルっていうyoutubeでね、結構いっぱい正楽師匠がお話をしているので、そちら聞いてみてもよろしいかなと思いますが、
亡くなられた翌年、2012年の立川流余一会。立川流の余一会じゃないですね。新宿末広亭の3月の余一会です。
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ここはこの年までだと思うんですけど、三派連合楽護サミットっていうので、楽護協会、芸術協会、立川竜の三派でいろいろな演芸をやるみたいな企画をやられてたんですよね。
亡くなっちゃいましたけど、ここでは他の派閥は入らず、立川竜派閥団体は入らず、立川竜の一門会で立川男子追前興行をやったんですよ。
だからその時はね、正楽師匠も出たりしまして、そんなのがありましてね、その時に色物は立川竜いないので、ゲストの色物の方は違う協会から来てたんですが、正楽師匠がご出演されていたんですね。
これがね見事でOHPを使われて、その場で切るのはちょっと先にいくつかやって、立川男子どこにもかかったんじゃないかな確か。
で、OHPを出して音楽がかかる。ミソラヒバリ、顔の流れのように。じゃあ皆さんここでミソラヒバリでも聞こうじゃありませんかって言ってですね。
顔の流れのようにがかかる。それに合わせてね、紙切りで作られた立川男子一代記が始まったんですよ。だからまあ紙切りによるアニメーションですよね。
アニメーションって言い方が正しいのかな。ちょっと違うかもしれない。連続モードの紙切りっていうふうにお考えいただければと思うんですが、
そういうのを全部ね紙切りで表現していくんです。
で、最後に男子史書とは全く関係のない美人画が出てくるんですよね。昔からよく言われてるんですけど、
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で、最後に談志師匠とは全く関係のない美人画が出てくるんですよね。昔からあるような美人画が。でもう一枚美人画が出てきて、もう一枚美人画が出てくるんです。
で、その3つを三角形に組み合わせると空間ができて、その空間が立川談志になっているっていうとてつもない芸を見ました。僕が初めて紙切りを見て泣いた、そういう記憶です。
寄席であのスタンダップで拍手が起こるというのも始めてみました。
これもねみんな立ち上がって手叩いてましたね。忘れられない一夜です。この立川男子一代記の紙切りが同じ2012年の12月15日ですね。
立川立川談四楼独演会でゲストにご出演された林家正楽師匠が3月の再現をされたんですけど、さらにバージョンアップされてですね、僕はもう一回その紙切りで涙を流したんですね。
ちょっとだけその時にお話もさせていただいたのもいい思い出です。ツイートにも書きましたけど、だから今回あの松楽師匠がお亡くなりになったって聞いて、やっぱ涙は出ますわな。
だからこれで林家正楽師匠にに3回泣かされたということになるのかなぁなってことをね思いますけど、このラジオっていうかね、ポッドキャストって言いますか、でも申し上げましたけど
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12月の宝井琴調先生の上野鈴本での芝居、錦長小屋でも日沢松楽師匠だったので、だから先月見てるんですよね。だから2日前まで講座に上がってたっていうところもあっても、なんか全然その実感は本当ならないんですよ。
だけど悲しいって言ってる寂しいって言ってる人がネット上に山ほどいて、その方々がですね、自分がその切ってもらった松楽師匠の作品をどんどんアップしていくんですよね。
僕もアップしました。それ見てるとね、あーいなくなっちゃったんだなーっていうことがわかって、でね、その紙切りのその見事なね、作品の写真ってもうどれも見事で愛おしいんですけど、スポーツで言うとこの写真と一緒なんですよ。
僕はラグビー好きでラグビーの写真撮ったりするんでよくわかるんですけど、スポーツを生で見に行くっていうものの感動があって、その中のある一瞬を捉えたのがそのスポーツの写真ですよね。
で、紙切りの芸、松楽師匠の芸っていうのは出てきておしゃべりをしながらお題をいただいて、紙を切ってだんだんとこう出来上がっていく。みんなでどんな風になるんだろうなーっていう風にこう待ちながらそのおしゃべりも楽しみながらこうなりました。わーすげーって拍手する。これが紙切りの芸なんですよ。
だから、実はチュギャッターでいろんな方のツイートをまとめさせていただいて、いろんな松楽師匠の作品を皆さんにご覧になれるようにちょっとしてみたんです。結構大変なんだあれ。してみたんですけど、やっぱそれは結果でしかないんですよね。
寄せ芸っていうのは寄せの中、演芸空間の中でしか時間とともに味わうものであって、紙切りって結果残ってるんですけど、何も残らない他の和芸に比べたらね、結果が残るっていうのはとても素敵なことではあるんですけど、やっぱりでもそれは結果でしかなくて、スポーツに起きる写真みたいなものでしかなくて、
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このように体を動かしながらハサミを使います。体を動かさないとって言って電気がパッと消えて薄くなって暗くなります。みたいなね。
そんな和芸を楽しみながら出来上がりを待っている間こそが紙切りであって、僕らはもう二度とその松楽師匠の芸を楽しむことができないんだなっていう。
松楽師匠ぐらいの方になると、例えばもう講座に上がるのは難しいからって言って、引退されてゆっくり余生を過ごされると。
誰かインタビュアーが言って、昔のお話をお伺いするみたいなですね。そんなこともあったんじゃないかなと思うんですよ。
ただやっぱり芸人である以上芸ができない状態で生きてるっていうのは、あんまりやりたいことではなかったのかもしれない。
だから2日前まで寄せ出て、前日お休みしてその日にお亡くなりになったっていうのは、とっても江戸前でかっこよくて、ご本人にとってはこれ以上の王女ってなかったのかもしれないです。
ただ、そうやって急にいつも寄せにいる方がいなくなる。いろんな演芸会でいつもゲストに出ていらっしゃった方がいなくなる。
急にいなくなってしまうっていうことの喪失感ってもう何かとてつもない心にスコーンと穴が開くっていうところが、僕ぐらいの半端な演芸ファンでもそう思うんですよね。
やっぱり楽屋にいらっしゃった落語家をはじめとした楽屋にいらっしゃった寄せ演芸家にとってはもっと辛いものがあって、これは昨日聞いた話で、なるほどと思ったんですけど、
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若手の新作落語もよく聞いてらっしゃったと。それは何でかっていうと、注文が来るだそうですよ。だからその注文に対応できるように楽屋で若手の話をよく聞いていて、あれ面白いねとかっていうことをおっしゃっていたと。
例えば2つ目のね、落語家にとって自分の心打ち昇進で自分が鳥を取る時に膝を、膝代わりっていうのはその鳥の一個前に出る色物の芸人さんのことですが、
膝を林谷松楽師匠に頼めるっていうのは一つのその憧れっていうかね、これ言っちゃいますけど三友亭丸女さんが抜擢で心打ち昇進ということになって、
抜擢心打ちっていろいろとプレッシャーもかかるし、本当はもう少し長い間2つ目修行であれもやっておきたいこれもやっておきたいってことはもう全部できなくなっちゃうし、
いいことがなかなかないお金もすんごいかかるし、いいことがあんまりないけど松楽師匠に自分の鳥の時に膝をやっていただけるっていうのは嬉しいありがたいお話だっていうことを先日僕の回にねシェアする落語に出てもらった時におっしゃってたんですよね
それは本当だなぁと思って間に合わなかったっていうのはね辛いことです
ワンジョーさんのことすごい可愛がってたのはねよく知ってますから
あともう一個思い出したんですけど
2011年ですか東日本大震災が起きて、今また旬風で流資師匠を後期任にして、野党自身のチャリティーが始まってますけど
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当時ね落語協会の中に多分確か山優天助師匠が委員長になったんじゃないかな復興支援寄せっていうプロジェクトが始まって
寄せのあの昼の部夜の部の後ですねだから支援寄せをやる時間帯にプログラムを作って
そこで集めたお金を東日本大震災の被害者のために出そうっていうチャリティーをねあったんですよ
それ水広で行ったんですけど旬風邸一之助師匠がまだ2つ目で抜敵真打ち昇進直前だったんですよね
でそこで真打ち昇進直前親子会みたいな企画があって開講一番がねなんと一張師匠だったんですよ
一張師匠がねまずは前座からって言って上がったのかっこいいでしょ
その時に将来師匠も出ててどうせいらんないんですけどあの水広邸のあの正面向かって右側の方のね
あの座席席からなんか注文出された方がいてその注文は時間の都合で拾えなかったんですよね
でそんなことしょっちゅうあるじゃないですか時間かけられてるんだから
で一之助師匠が一席終わって会が終わってみんな立ち上がって帰ろうとした時にね
その座席席にね将来師匠来たんですよいらっしゃったんです
その注文を切ったやつをね渡してたんですよなんかねいい風景でね
その時ね将来師匠がね黄色い長袖のTシャツの上に白い柄忘れましたけど多分ちょっとポップな感じの柄のTシャツを着ていて
なんかねファッション先生が若いんだよねなんかそれがね似合っててなんかかっこよかったなぁなんてことを覚えてますけど
いい風景でしたねあれはどこまで行ってもあの喪失感っていうのはなかなかねなくなっていくものじゃないし
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思い出は大切にしておきたいなっていう風にも思います
であのやっぱり本当に精力的にお仕事をされていた方なので
もう寄生やら園芸会やらあっちこっちに顔つけがいっぱいあるんですよ
だから今ね調整大変なんじゃないかと思います
で調整大変でその大園てね同じぐらいがちょっと上の格の人が入るっていうその不分率があるみたいなんですけど
無理ですよねだって将来師匠より格高い人ほとんどいないし
同じぐらいその格があるあるいは人気がある色物の方なんてねそう簡単に体空いてるわけないですから
だから多分そこは若手が埋めていくってこともあると思うんですよしばらくの間は
そんな場面に出くわした方はぜひ少し多めに拍手しましょう
大園で頑張っている方と省略師匠のためにちょっとだけ多めに拍手をしましょう
シェアする落語のしけでした
ではまた
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