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2023-08-16 30:34

動物裁判 中世ヨーロッパの奇妙な風習

中世ヨーロッパで行われていた奇妙な風習「動物裁判」についてお話しました!


・立件数トップはブタ、2位がウシ

・小動物に破門を宣告!

・動物裁判は何故行われたのか?

・動物裁判を題材にしたゲームソフト


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00:01
えー、静粛に、静粛に。これより審理を開始する。
被告のオスブタは、8月16日未明、ガルシア村のピエールマルタンの畑に侵入し、
畑に植えられていたライムギア、カブをむさぼり食ったとのことである。
検察官、論国休憩を行いたまえ。
はい。被告は、原告の貴重な財産であり、
鉄塩にかけて育てた作物を非常にも食い荒らし、畑を踏み荒らし、多大なる被害を与えました。
上場借料の余地はないと考えます。
異議あり。今回の件は、原告が自分の農地に豚よきの柵を作るのを怠り、
豚の食欲を著しく刺激したのが一因であると考えます。
執行猶予付きの判決を強く求めます。
静粛に、静粛に。双方の言い分はよくわかった。
審理を一旦終了し、この件は日を改めて第二審を行うこととしよう。
以上、閉庭。
皆さん、こんにちは。
自然を愛するウェブエンジニア、蝉山です。
今日は、中西ヨーロッパの奇妙な風習、動物裁判についてお話ししたいと思います。
今回は動物裁判がテーマということなんですけども、
冒頭の僕の一人茶番劇は、その動物裁判の雰囲気やイメージを伝えるために差し込ませていただきました。
中西ヨーロッパで広く行われた動物裁判は、
とても興味深い風習であり社会現象でして、
詳しくご紹介したいと思うんですけども、
今回セミラジオで取り上げるにあたって、
動物裁判の資料を改めて当たってみたんですが、
思った以上に殺伐としてまして、
動物裁判について語ろうとすると、
どうしても刺激が強めになってしまうんですよね。
いきなり強い言葉になってしまうんですが、
動物裁判の結果として動物が死刑になることも珍しくなくて、
なので今回はいつものセミラジオよりかなりダークサイド寄りの回になっています。
動物や人の生き死にの話も数多く出てきますので、
ちょっと今そういう内容を聞く気になれなかったり、
聞いていて嫌悪感を感じられるようでしたら、
この動物裁判の回に関しては停止ボタンを押していただければと思います。
それでは動物裁判についてご紹介していきたいんですけども、
03:02
まずは一つ、実際に記録が残っている動物裁判の事例をご紹介させていただきます。
事件は西暦1456年、フランスブルゴーニュ地方のサビニー村です。
事件が起きた当日はクリスマス直前の火曜日でした。
一年に一度のクリスマスの準備に村全体が浮き立っており、
農家の人は飼っているブタを森へ連れて行き、
少なくなってきたどんぐりを食べさせたり、
薪を集めてライムギパンを焼く準備を整えたりしていました。
そんな中悲劇が起こります。
5歳になったばかりのジャン・マルタンという少年が、
ブタを飼っているおじさんのところに遊びに行って、
おじさんが帰ってくるまで子豚に餌をあげて遊ぼうと思ったところ、
木が立っていた母豚に突撃され、転倒してしまいます。
さらに生きりたった母豚はジャン少年を襲って食べてしまったんですね。
そして母豚と子豚たちは現行犯で逮捕されました。
この痛ましい事件に対して村人たちがそこからどうしたかというと、
ブタたちを裁判にかけることにしたんですね。
本来の被告はブタだったんですが、
被告席にはブタの所有者である人が代理で出席しました。
この裁判は人が人を裁く通常の裁判と全く変わらない手続きを踏んで進められました。
裁判官も検事も弁護士もいる本格的なものだったんですね。
裁判の結果、母豚は死罪となり、
裁判所内にある枷の木に後ろ足で吊るされることになりました。
残された子豚たちについては共犯性、
つまり犯行に関与したかどうかについて審理が行われたんですが、
共犯性が証明できないとされ、無罪とされました。
この後、ブタの持ち主が子豚の所有権を放棄したため、
子豚たちはサビニー村の領主に譲渡されることになったそうです。
これが中西ヨーロッパで行われていた動物裁判の一例ということになるんですが、
いかがでしょうか。
少年がブタに襲われて食べられてしまったということも非常にショッキングなんですが、
このブタが通常の裁判の形式に則って、
人間と同じように裁かれ、死罪となったということが、
ものすごく奇妙に感じますよね。
僕がこの動物裁判という不思議な概念に初めて触れたのは、
高校生の頃でして、地元のブックオフで何か面白い本はないかなと探していたところ、
06:02
新書のコーナーで動物裁判、聖王忠誠、正義のコスモスという本を見つけたんですよね。
この本は歴史学者の池上俊一さんという方が書かれた本でして、
現在も講談社現代新書から発売されています。
で、高校生だった蝉山はこの動物裁判という本を読んでみたわけなんですけども、
書いてある内容のあまりの奇妙さにかなり混乱しまして、
動物裁判という風習があったということは理解できたんですけど、
本の最後のページまで読み終えても、
なんでこういうことが起きていたのかよくわからなかったんですよね。
最初に動物裁判の本を読んでからずいぶん経つんですが、
動物裁判という奇妙な風習のことはずっと心に残っていまして、
今回はその全貌の一端だけでもこのセミラジオでご紹介できればと思っています。
動物裁判は12世紀以降18世紀までヨーロッパ各国で広く行われていた風習でして、
特にフランスで頻繁に行われていました。
動物裁判には大きく2つのタイプがあって、
一つは世俗裁判所、もう一つは教会裁判所で行われました。
世俗裁判所では主に人や家畜を殺傷したり、
畑や果樹園を荒らした豚、牛、馬、犬、猫、ヤギ、ロバなどの家畜が裁かれました。
犯罪を犯した動物たちはその行為が土地の有力者によって確認されると、
直ちに逮捕されて監獄に放り込まれたそうです。
有罪であれば大抵は公主の跡、果樹の木や公主台で逆さずりの刑に処されて、
その後聴書が作成されたそうです。
動物が獄中で判決を待っており、判決が下ると裁判所の書記によって動物に向かって判決文が読み上げられたり、
動物を拷問する中であがった苦痛の叫び声を自白とみなすというようなことも行われていたようです。
むごいことだなぁと思うんですけども。
こういった家畜の罪を裁くのは主に世俗裁判所だったということなんですね。
もう一つの教会裁判所での動物裁判はどうかということなんですが、
もともと中世ヨーロッパの教会には必ず牢屋があって、世俗裁判所より教会裁判所の方が大きな役割を果たしていたようです。
09:07
動物裁判に関して教会裁判所は数がものすごいためにまとめて逮捕することができない。
ハエ、ハチ、チョウ、ネズミ、アリ、ミミズ、モグラ、ナメクジ、ヒル、カタツムリ、ヘビ、バッタ、ゾウオムシその他の甲虫、アオムシ、ケムシなどの昆虫及び小動物、その辺りを守備範囲にしていました。
例えばセミラジオでも何回か前にバッタの大発生について特集を組んだんですが、そうやって大発生して作物に被害を与える害虫に対して呪いの言葉を発したり、悪魔払いや波紋制裁の儀式を行うことを根拠づけるために教会で動物裁判を行ったわけです。
で、裁判の形式として、例えば被告がネズミの大群だったら、ネズミに対して被告席への出逃を命じるわけですけど、まあ無理やり引っ張ってこない限り、いついつに裁判所に出逃しろと言ってもネズミが来ることはないわけですよね。
その場合は弁護士による公弁が行われました。ネズミの例で言うと、ネズミは短い足で早く進めないため出逃できませんでした。とか、天敵の猫が狙っていて遠回りの必要があったため来ることができませんでした。ですとか、そういうふうに出逃に応じなかった理由を説明するわけですね。
被告の昆虫の生存権や土地所有権を主張して、一定の土地を彼らに与えるように要求することも、動物裁判における弁護士のテクニックの一つでした。
動物は人間と同じように神の被造物であるばかりか、人より先に作られ、草を食べる権利を与えられた。それは創世紀に記されている通りである。という感じでですね、聖書を引用しつつ巧みに弁護を行ったわけです。検察側も負けじと聖書を引用して応戦しました。
確かに動物は人より先に神によって作られたかもしれないが、人は神のに姿に作られ、神は海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物すべて支配せよ、と言って他の全被造物への支配権を人間に与えたのではなかったか?小さな昆虫ごときが人間の食物を奪っていい、などという道理があるはずがない。
12:02
という具合ですね。で、有罪が確定した場合、波紋の儀式が取り行われました。
中世ヨーロッパ、そしてキリスト教における波紋というのは、キリスト教の信者に与えられた各種の権利を剥奪するとともに、社会からの追放を意味する極めて重い処置でした。
これは普通、人に対して行われたんですが、動物裁判の結果、ネズミやバッタ、その他の小動物にも実施されていました。
波紋の儀式は、聖職者たちが教会の中に集まり、手に手にロウソクを灯します。
そしてロウソクを教会の床に叩きつけて、足で踏みにじりながら、神よ、平和と正義を守ろうとしない者たちの喜びを、このロウソクのように消滅させたまえ、という波紋の呪文を唱えたそうです。
実際には、バッタやネズミの大群に波紋を宣告しても、特に何もなかったとは思うんですけども、12世紀から18世紀のヨーロッパで、そうした動物裁判と結果としての波紋は当たり前のように行われていたんですね。
動物裁判の被告として最も数が多いのは、豚でした。
この時代の中世ヨーロッパで飼われていた豚は、現在家畜として飼われている豚の品種とは違って、まだ野生みを強く残している牙のある黒い豚だったそうです。
そういう気性の粗い生き物が人間と隣り合って住んでいたわけですから、トラブルは多かったということなんですね。
1266年には、人間の子供を襲って食べてしまったオス豚が、パリ郊外のポントネイ・オ・ローズで火あぶりの刑になっています。
1368年の10月、フランス中北部のオルレアンでは、豚たちが騒いでいるのを聞きつけた子供が豚小屋に入ったところ、豚たちによって押し倒され、足で踏みつけられ、数日後に亡くなりました。
豚たちは裁判にかけられることになったんですが、豚の所有者は子供は恐怖のあまりショック死したのだと指摘し、豚は自発的に襲いかかったのではなく、子供の叫びに引き寄せられて集まってきただけだと主張しました。
裁判官が検死を命じたところ、検死に当たった下界は、子供は豚による攻撃ではなく、ショックによる熱で亡くなったと判定し、豚たちは無罪放免となったそうです。
15:02
そうかと思えば、1558年、ロレーヌ地方のブクデの事件では、犠牲者が一人だけで、加害者も一匹の豚だけだと思われたんですが、たくさんいた豚の中から加害者の豚を特定できなかったため、その場にいた群れの豚全員が連帯責任で公衆刑にされてしまったそうです。
豚に続いて、動物裁判の被告として数多く記録されているのが牛です。
1313年頃、聖ヨハネ騎士修道会の騎士寮モアジールタンプルで、ある農民が所有していたオス牛が通りがかった人を角で突き殺してしまいました。
判決の結果、牛は公衆代に吊るされることになりました。
豚や牛より数は少ないんですが、馬もロバも猫も、いろんな罪状によって動物裁判にかけられていました。
あとですね、動物裁判の罪状として、獣患というのも少なからずありまして、人間が動物を性の対象にしたということなんですね。
もちろん現代でもあらゆる意味でやってはいけないことなんですが、特に中世ヨーロッパではそれは絶対に許されざる行為だったんですね。
例えば実際に獣患が動物裁判で裁かれた例としては、ある男が飼っているロバを性の対象にしていたんですね。
で、どうなったかというと、その人も相手のメスロバも両方が火あぶりになりました。
いろいろおかしいなと思うんですけども、火あぶりはやりすぎだと思いますし、そもそもロバの方は人間の一方的な欲望の犠牲になったわけですから、理不尽さがありますよね。
それでも獣患を行った人間と相手の動物が一緒に家計に処されるというのは、この時期に多くの事例が記録されています。
獣患はキリスト教の教義を脅かす不条な行為として厳しく取り締まられていたようです。
あとですね、動物裁判から派生したちょっと珍しいケースをご紹介したいと思います。
アルザス地方のヘッツェルホルツの森で、ある時殺人事件が起きたんですが、その犯人を見つけることができなかったそうなんですね。
そこでどうしたかというと、地元の裁判所は仕方なく森に死刑を宣告しました。
18:08
その森の樹木は切り倒され、後にはヤブとカンボクだけしか残らなかったそうです。
森が死刑になっちゃったんですね。
もう動物裁判ですらないんですけども。
というところで、ここまで動物裁判の進め方や具体的な事例についてご紹介させていただいたんですけども、
ここまで聞いていただいていかがだったでしょうか。
僕自身の話をすると、いろんな動物裁判の事例についてお話しして、
池上俊一さんの書かれた動物裁判の本も改めて読み通して、
そこに書かれている解釈についても読んでみたんですが、
やっぱり理解しきれないところが残るなぁというのが正直な感想です。
なんでそうなるかなぁというふうに思っちゃうんですよね。
その上で動物裁判の意味やそれが成立した時代背景について、
池上さんの本やそこに書かれた解釈を読んで、
自分なりに噛み砕いた内容を少しお話ししたいと思います。
動物裁判が行われたのは中世ヨーロッパの12世紀から18世紀というふうにお伝えしていたんですが、
12世紀というのは農業技術の発達や風車などの発明によって、
ヨーロッパ人がヨーロッパ全土を覆っていた森を開墾し農地にしていく、
いわば自然征服活動が本格化した時期だったんですね。
動物裁判がそんな12世紀から18世紀の間だけに見られた活動であるというのは何か意味があるんだろうと思います。
12世紀より前では自然は圧倒的な存在で、
キリスト教と並行して息づいていたアニミズムや多神教においては自然は深刻化されたものでした。
なのでそうした自然の産物である動物を動物裁判にかけるというのは恐れ多いこと、思いもよらないことだったのかもしれません。
そして18世紀より後の時代には自然科学が発展し、
動物は人間にとって都合のいい従属物ではなく固有の生命を持つ独立した存在であるという見方が強まり、
動物裁判はその異議の見直しを迫られ消えていきました。
生神さんはご自身の著書の中で、
自然を征服していったヨーロッパ人の行動と動物裁判とが対をなすものであるとして、
21:07
こういうふうに表現されています。
引用しますね。
自然世界の領有が技術や機械による自然の人間世界への取り込みであったように、
動物裁判は人間の世界を立する法・訴訟手続きを自然に適用して、
自然を人間の理性や文化の常理に無理やり押し込む装置であったのだから、
ということなんですけども、
中世ヨーロッパの人にとって自然を征服していくことと、
動物裁判は根っこの部分でつながっていたんじゃないかというお話だと思うんですが、
僕もこの解釈はすごく納得感を感じています。
そして動物裁判のバックボーンの一つであるキリスト教については、
こういうふうに解釈しています。
ヨーロッパの人たちはキリスト教以前、あるいはキリスト教を表面的に受け入れながらも、
多神教・アニミズム的な宗教観を根強く持っていました。
キリスト教の教会が彼らが異教と呼んだ、
それらの古い信仰を制圧するための戦いには、いくつかのパターンがありました。
大きく分けてそれは、破壊・代替・編成です。
まず破壊ですが、これは分かりやすいですね。
異教の寺院や祭壇、偶像を破壊して、異教のお祭りはやめさせる。ストレートな弾圧です。
2つ目の代替ですが、これは、
例えば、異教礼拝の場所になっている泉に、聖母マリアの像や礼拝堂を建設して、
信仰の対象をキリスト教の要素にすり替えてしまう、という手法ですね。
もともとは異教のお祭りである、当時のお祭りをクリスマスにすり替える、という手法も使われました。
最後の編成は、異教徒が信仰している神様に、デーモン・悪魔、というレッテルを貼って、
彼らの信仰を良くないものとして、その上でキリスト教の信仰へと心を向けさせる、というものです。
これらのテクニックを駆使して、キリスト教の教会は布教を進めていったわけです。
そういう目線で考えると、教会裁判所が動物を波紋する、という話があったんですが、
動物への波紋宣告は、アニミズム的存在である動物をキリスト教の世界観の中に取り込んだ上で、
そこから追放する、という手の込んだ演出であり、儀式だったのかもしれません。
24:04
こうやってキリスト教の世界観はどんどん広がっていったわけなんですが、
面白いのは、異教徒をキリスト教的世界観に取り込んでいく過程で、
そもそものキリスト教自体が微妙に変質していったことなんですよね。
異教の神々が行っていた役割を、キリスト教の聖母マリアや聖人が行った、という形で取り込んだり、
もともとは異教の祭りとしてあったものを、復活祭や各種の祭礼として取り込んだり、
不教に対しての反作用として、実はキリスト教自体も変化を余儀なくされてたんですね。
これに関連する印象的なエピソードをご紹介したいんですけども、
西暦1000年頃の年代記作者ブレーメンのアダム氏は、現在のスウェーデンのウプサラにあたる地域で、
異教徒が催していた宗教行事について報告しています。
それは彼らの崇める神であるトール・ボーダンといった神々を祀った金縫いの神殿で行われたもので、
神殿の境内には、生贄として神に捧げられた犠牲者が木に吊るされていました。
犠牲者は馬や犬、そして人間の姿もあったそうです。
この地域の人たちは、こうした生贄を捧げることで自分たちの繁栄を、
敵や病気を村から遠ざけてくれることを神に願っていたんですね。
そうした時、ひるがえて、動物裁判のことを思い返してみると、形式や手順は違うんですが、
動物が吊るされたり、火あぶりにされたりするという行為や結果自体は、
このトールやボーダンを崇めていたゲルマン人たちと一緒なんですよね。
キリスト教と異教の関係性というのが、単にキリスト教が異教を圧倒して、
ヨーロッパから多神教を駆逐したという感じでは全然なくて、
ものすごく歪んだ関係性になっていて、
キリスト教と異教とがお互いに影響を及ぼし合う過程で、
動物裁判のような奇妙な風習も成立してきたのかなぁと思っています。
動物裁判の事例とその解釈については、ここまでお話ししてきたような感じなんですが、
最後に動物が裁判にかけられたり、裁判に参加したりするゲームソフトを2本ご紹介したいと思います。
1つはカプコンの人気アドベンチャーゲーム逆転裁判のシリーズとして、
27:05
2013年に発売された逆転裁判Vです。
この逆転裁判Vの有料DLC、ダウンロードコンテンツとして配信された逆転の機関という物語で、
水族館の館長を殺害した容疑で、容疑者の謝罪が裁判にかけられるというぶっ飛んだ物語が展開されるようです。
なんと日本初のゲームソフトで動物裁判が行われるということなんですね。
シナリオライターの方がどこまで中西ヨーロッパの動物裁判という風習を意識していたかははっきりしないんですが、
面白そうですよね。
僕は逆転裁判は1から4までは遊んだんですが、5に関しては未プレイでチェックできてなかったですね。
3DSのダウンロードコンテンツの販売はすでに終了してるんですが、
逆転裁判VはiOSやAndroid版もありまして、
そちらの方でこの謝罪が裁判にかけられる逆転の機関というエピソードを遊ぶことができるようです。
もう一つのゲームソフトとしてはこちらは2022年に任天堂スイッチから発売された長類弁護士の事件簿という作品がありまして、
こちらはレオフルという海外に母体があるメーカーから発売しているんですけども、
このゲームは19世紀のフランスが舞台なんですが、
人間の洋服を着た鳥やゾウや猫やその他あらゆる動物たちが生活する不思議な世界観になっています。
主人公はJJファルコンという一羽の鳥で、ゲームの解説文によると善良な猛禽類と書いてあるんですが、
このJJファルコンはこの世界の弁護士として助手のスパローソンと二人三脚で無実の被告の容疑を晴らすために調査や法廷での弁護を行うという内容のようです。
このゲームプレイしてないんですが、動物版逆転裁判みたいな感じなのかなぁと勝手に想像しています。
この作品もイラストの雰囲気が不思議の国のアリスとかヨーロッパの昔の童話みたいな雰囲気があって面白そうなゲームです。
ということでいろんな切り口で動物裁判についてお話ししてきましたが、いかがだったでしょうか。
動物裁判はいろんな解釈ができる題材だと思いますし、一つ一つの事例もとても興味深いので気になった方は池上俊一さんの動物裁判西洋忠誠正義のコスモス、こちらKindle版も出ていますのでチェックしてみてくださいね。
30:13
セミラジオではお便りを募集しています。
概要欄のフォームやTwitterあらためXのハッシュタグセミラジオでご感想いただけると嬉しいです。
今日は中世ヨーロッパの奇妙な風習動物裁判についてお話しさせていただきました。ご視聴ありがとうございました。
30:34

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